竹でつくられた急須

竹急須セット


と日本人は昔から長い長い付き合いがあって、身近で使いやすい素材でもありましたので、実に様々な用途に竹は活用されてきちょりますぞね。まさに、稈の部分はもちろん、小枝、竹葉、そして根まで、一本の竹を伐り倒したら捨てる所がないと言うくらい使ってきたがです。


そうそう、忘れてはイカンのが筍ぜよ。毎年季節になったら種を蒔くでも育てるでもなく、竹は勝手にドンドンと筍を出してくれますきに。時には食品として食卓を飾り、日本中の胃袋を満たしてきちょりますぞね。そんな竹ですけんど今回の急須は竹から作られちゅうがですが、一体竹のどこの部分ですろうか?もしかしたら、急須本体の白い筋のように見える所がなかったら、竹のどの部分か分からない方も多いかも知れませんちや。


竹根急須


白く見える筋の所には小さな丸い模様がみえるかと思いますが、実はこれが、ひとつ、ひとつ竹の細い根っ子部分ぞね。急須本体は竹の根の一番太く大きな部分をくり抜いて創作されちょります。漆で美しく仕上げられた本体に細い竹根の持ち手が映えて、まっこと素晴らしい作品ぜよ。


残念なことに、このような竹根細工の伝統は消えて今では何処かで見るという事は少なくなっちゅうがですが、一昔前にはこんな技術があり、お茶席に招かれた沢山の方々の目を楽しませよったがですろうか。竹の急須が物語る事は少なくないように思うがです。


田辺小竹さん「つながり」

 
田辺小竹さん作品


竹工芸作家の田辺小竹さんは、大阪堺市で明治から代々続く竹工芸作家のお家に生まれ育ち、2006年に田辺小竹を襲名されちょります。竹の業界では知らない人はいない、ご高名な竹芸士であり竹の明日を感じさせるような面白い取り組みを色々されよります。また、海外でも評価が高く、展開に力を入れられよってアメリカやヨーロッパ各国で個展など開かれよりますので、日本の竹を世界に向けて発信されるエバンジェリストでもあると思うちょります。自分などとはスケールも志も随分と違いますけんど、竹の道を繋ぎ続けてきた、ちょうど同じ四代目ながぜよ。


そもそも竹工芸は中国大陸で生まれ日本に渡って来ました。また、竹編みの文化も日本だけのものではなくて、熱帯系の竹を使うた細工や工芸は東南アジア等にも広くあって、たとえば、かって日本で多く使われちょった魚籠と全く同じような形、編み方のものが今も現地で使われちょったりして、鳥肌が立つほどビックリ仰天する事もあるがです。


けんど、そんな広い地域に渡って根付く竹文化ではあっても、竹編みの技が極められ、昇華され、芸術と呼ばれる高みにあるのは日本独特かも知れませんちや。美しい自然を愛でる感受性や、細やかな心配りや、おもてなし、日本は日本にしかない素晴らしい精神があり、恐らくそれが竹工芸の世界にも大きく深く影響しちゅう気がするがです。


田辺小竹さん作品


田辺小竹さんの作品を何度か拝見させて頂く機会がありますぞね。アート作品などは田舎者の自分には似合いませんけんど、実は小竹さんの作品に日本唯一の虎竹を使うていただく事もあり、竹達の晴れ姿をこの目でみたい一心で場違いと感じながらもお伺いさせていただきゆうがです。


今回、拝見させて頂いたのは銀閣寺で開催されたイベント会場やったぞね。いつも「つながり」をテーマに創作されゆうと話される作品は独特で、それぞれ観る方によって色々なイメージを沸き立たせてくれそうぜよ。黒竹の風合いが作品自体を引き締めてくれちゅうけんど、おっと、横から見たら黒竹の表皮を使わずに裏返して編まれちゅう所が何カ所があることに気づきますちや。これは、物事や人の内面の裏表を表現されちょって、表があって、裏がある、それが全て繋がっちゃあるという事、確か、田辺さんはそんな風に言われよりましたにゃあ。


竹細工は見た目より意外と軽い事が多いものながです。けんど、この作品は素材の黒竹をこじゃんと使われちょって「ズシリ」とくる重量感があったかです。けんど、田辺家の創業は明治22年と聞きますので、長い伝統と、これからの日本の竹工芸を牽引していくべき使命感の重さは、もしかしたら、とてもこんなものではないですろう。それは来年創業120年迎える竹虎も、まっこと同じ事ですぞね。


心待ちにして頂いた虎竹の里の取材

虎竹の里


先日、虎竹の里にお越しいただいた東京のカメラマンの方から、こじゃんと嬉しいお便りが届いたがです。


「心待ちにしていた取材でしたが想像以上でした...」


竹製品しかないお店から始まって、工場や竹林など色々ご覧いただいて、こう言うていただける事は自分らあにしたら、昔から普通にある竹を祖父や父たちの世代がずっとやってきたと同じようにさせてもらっているだけなので、実はちっくと戸惑いも感じるがです。


竹虎工場


けんど、他の地域にはない竹の営みやったり、来年で120年になる竹虎の歴史やったり、何より、この小さな虎竹の里の山と海との大自然の不思議にもしかしたら心惹かれるものがありますろうか?「だんだん帰るのが惜しく感じた...」カメラマンの方からのメールには書かれちょりました。


そう言うたら昨日来られたお客さまも、竹虎の工場の中で「炊きたてのご飯のような香りがする!」そう言うて驚かれよったにゃあ。実は何を隠そう竹はイネ科ながです。日本は四季があり、良質な水が豊富にあり、世界で一番美味しいお米のできる国だと言われますが、おなじイネ科の竹も世界一の品質やと思うちょります。


竹虎取材


まっこと誰か人と話しでもするがやったら又別やけんど、カメラに向かうて長い時間いろいろお話するがは苦手ちや。自分は田舎の小さな竹屋ですきに何ちゃあお話も出来ませんけんど、自分が誰で、何をしたいがか。たった、それだけの事を言うて終わらせてもろうたがやきに。


「世に生を得るは事を成すにあり」坂本龍馬さんの言葉だけ言いたかったけんど、お話できちょりましたろうか?


竹の顔

ロマンスグレーな竹籠


床の間に飾られる貴婦人のような竹もあれば、肝っ玉母さんのように台所で働いてくれる逞しい竹もある。毎日の食卓に当たり前のようにある竹もあるし、心強いパートナーとして行動を共にしてくれる竹がある。そして、庭先で目を楽しませてくれる竹。床下や壁の中など身近にありながらも目に触れる機会の少ない縁の下の力持ちの竹もありますろう。


一本の竹からは、まっこと多種多様な用途でいろいろな形の竹細工や竹製品、竹工芸が産み出されますきに、先人の知恵の深さや職人の手の素晴らしさをいつも、つくづく感じゆうがです。


そんな色々とある竹の中で、自分がいつも目をとめて心惹かれる竹達には庭先や屋外で、真っ黒になっちゅう籠たちもおるがです。この竹籠は外の水回りで活躍し続けよりますので、人間やったら太陽に当たると肌は黒くなるもんやけんど、反対に色あせて白髪になっちゅうように見えますちや。こりゃあ、こんながを確かロマンスグレー言うたろうか?なかなか渋いぜよ、もしかしたら竹籠界ではモテモテですろうか?


竹ち、まっこと面白いがちや。もともとは同じ竹であっても室内で飾られちょったり、たまの買い物について行ったり、キッチンで毎日活躍しよったり、外で力仕事をしよったり、暮らし方で顔がそれぞれ違うてくる。人と同じで竹の顔は、自分で作るがやにゃあ。


手提げ籠の記憶

虎竹買い物かご(だ円)


竹の手提げ籠を見ると、いつも白い割烹着姿の母を思いだすがぞね。けんど今時、割烹着などと言うたち、それ自体を知らない方ももしかしたら多いかも知れんちや。そりゃあ、そうぜよ、割烹着など普通の生活の中ではテレビか雑誌等で見るくらいしか無いがではないろうか?


ほんの数十年前ですちや。目を閉じたら瞼にハッキリと浮かんできそうな、そう、ついこの前という気もしてくるぞね。母も祖母も、近所のおばちゃんも普通に着物を着ちょったちや。いやいや、それだけやないぜよ。竹虎で働いてくれていた職人のおんちゃん達でも、仕事が終わり地下足袋を脱いで縁側でくつろぐ時にはちゃんと着物に着替えちょったのを思いだすがです。時の経つのは早いと言うけんど、いつの間にか小さい子供の頃に見上げちょった、ランニングシャツ姿の逞しかった職人さん達の歳に自分がなっちゅう。着物姿のおばちゃん達はいなくなり、竹の手提げ籠で道を行く人も見かけなくなったがです。


時代の移ろいに色々な事が変わっていくにゃあ。それでも、この虎竹買い物かご(だ円)は、あの日のまま。ちょっとづつ細やかな変化をしながらも、ほとんど当時の形を今に残してくれちゅう。人の記憶は、だんだんと薄れていくけんど、竹籠が、あの時を覚えてくれちゅう。


長く受け継がれるモノに惹かれるのには理由がありますろう。コンパクトで便利な手提げ袋は沢山あるけんど、一体何年使いますろうか?また、竹の手提げが活躍する日が来たらエイにゃあ。


小さな谷間のミラクルバンブー

虎竹の里


日本唯一の虎竹の里では竹の伐採が始まっちょります。継続利用可能な唯一の天然素材と言われて無尽蔵のように思える竹ですが。実は、いつでも伐って良いというワケではないがです。品質管理上、一年の内にほんの数ヶ月しか伐採期間がなくて、虎竹の場合やったら晩秋から翌1月末までと決められちょります。


だから例えば、その竹製品に使うべき竹の在庫がなくなったとしたら、次のシーズンまでその製品は作る事ができないと言う事ながです。山出しされる虎竹の色づきや太さなど、人の力や英知ではどうする事もできない事ですきに、まっこと竹虎は、この安和の地の大自然の恵みのお陰で仕事を続けさせていただきゆう...この山道を登る度に感謝する事ながです。


焼坂の山道を上って峠付近から見渡すと、眼下に自分達の工場が見え、国道56号線が走り、その先に須崎湾、そして、雄大な太平洋がずっと広がって見えゆうがです。南国土佐の明るい日差しがサンサンと照り、小鳥がさえずる美しい山々、いつも見慣れた、変わらない虎竹の里ながです。


上空から虎竹の里


その美しい里を、先日は空の上から望む機会を頂きましたぞね。高知龍馬空港から西に向かうて飛ぶと高知市内、仁淀川、そして中学、高校時代と6年間を過ごした明徳義塾のある横波半島があり、こじゃんと分かりやすいがです。


その横波半島の付け根部分にある天然の良港と呼ばれる須崎の町と、カツオの一本釣りで有名な久礼の漁師町の間に、小さいけんどハッキリと虎竹の里が見て取れますちや。空気が澄んじゅうせいですろうか?白い竹虎の工場までクッキリと見えて感激したがぜよ。


焼坂の峠から見る時にも山に囲まれた狭い地域やにゃあ。そう度々思うがですけんど、こうやって遙か空から見てみますと、ともすれば見過ごしてしまいそうな何と小さな谷間ながやろうか?飛行機の小窓から見たら小指の先ほどもなく、そして他の山々と何ら変わる事がないように見えるあの焼坂で、あの虎竹の里でだけで虎模様の竹が育まれる不思議を改めて感じずにおれんがぞね。「ミラクルバンブー...」イギリスBBC放送の取材が来られた時に聞いた言葉を一人呟いてみるがです。


大きな角籠

角籠


日本の竹は、まっこと沢山の方に愛され役立ってきたと思うがです。かっては、このような大きな角籠が何十、何百と作られ、プラスチック製品に変わるまでずっとずっと昔からさまざまな運搬や、収納に、人々の暮らしの中で使われて来たがです。


こんな大きなサイズの籠と言う事は沢山の材料が必要とされますきに、山で竹を伐る職人さんも今とは桁違いに働かれよったろう。毎年、毎年の事ですから山道も含めた竹林の管理をしっかりされて、集められた竹を管理する方や山出しされた竹を竹編み職人さんに届ける方、編みあがった竹細工を問屋さんや店舗に運ぶ方など、竹編みされる職人さん以外にも多くの人達が関わっちょたはずぜよ。


現在でも竹ならではの優しい使い心地に、どうしても竹が良いと言われてお求めいただく方もおらますが、確かに竹は一般的なものでは無くなってきちゅうのかも知れません。けんど、需要が少なくなったきに言うて手をこまねいちょっても竹に明日などは来ませんぞね。昔のように沢山の方に愛される事が難しいとしたら、ごく一握りの方にでもエイですきに深く愛していただく事も必要ですろう。竹林に腰を下ろしながら、あるいは色々な竹製品や竹細工に囲まれながら、竹の明日を考える事のできる時間も、まっこと大好きな虎竹の里のひとときながです。


今日が始まりの日

 
塩月寿籃作花籠


竹籠はエイとつくづく思うがぜよ。こうやって眺めよったら久しく会うてない作家の方であっても、何やら会いゆうような気がしてくるがです。籠の正面が顔のように見えてくる、まっこと不思議ぜよ、面白い。「満月」と名付けられちゅうこの籠は、塩月寿籃さんという竹芸士の中でも高名な先生ながです。何度かお会いさせてもろうた事がありますけんど、同じ部屋におっても自然体で物静かな空気感は独特やった。ある種、悟りを開いた仙人のようでもあり、ストイックに道を極める哲学者のようでもありましたぞね。


もう竹編みをされる事もなくなり、何年もお声も聞かせて頂いてないけんど、籠を手にのせてみたら寿籃さんの心の温もりが伝わってくる。銘の横には「八九」と創作された年号を入れてくれちょります。そうか、あれから20数年も経っちゃあるがか...!?遠い昔のようですけんど、いやいやそんな事はないですきに。籠からはあの頃の気迫が伝わってくる。竹と向かう寿籃さんの横顔が鮮やかに蘇ってくるちや。


こんなに深く静かな時間をいただける。そして、この籠と自分との間におる人達を連れて来てくれる。こんな籠の事をどれだけ人に伝えられるろうか?まっこと、何ちゃあ出来ちゃあせん。自分は何をしよったがやろうか、今日が竹の始まりの日のように思えてきたぜよ。


日本のモノ作りを物語るモノ

竹皮草履の三つ叉


竹皮草履は一足一足手編みで作っていくがです。昔は自分の足の指にワラ縄を引っかけて編むのが普通やってようです。今でも、極まれにではありますけんど、そんな風にして草履を編まれるお年寄りの方に出会う事があるがぞね。職人さんの身体と、編み上げる草履の一体感が見事で、なるほど!こんな風にされるのかと感心して見入ってしまうがです。つくづく日本のモノ作りの伝統というのは凄いと感じるがぜよ。


けんど、竹皮草履の職人さん達が使うのは、自分の足の指ではなくて「三つ叉」と呼ばれる木製の道具ぞね。立ち上がった先端部分が三つに分かれちょって、それぞれにワラ縄をかけて使うがです。足を伸ばして座る必要もなく、胡座を組んでも正座しても、それぞれ自由な格好で出来ますきに仕事の効率はずっとエイ。また、楽にもできるので編みあがる草履の出来映えも数段上がるように思うちょります。


竹皮ぞうり


竹皮草履は細く短冊状に裂いた竹皮を、藁縄に上下、上下と交互に通して編んでゆくがです。一本の竹皮を使い切ったら今度は反対方向から編みはじめる、そして、上下、上下...熟練の職人さんの手元を見よったらリズミカルという表現がちっくと(少し)ゆったり聞こえるほど素早い動きですぞね。少し編んだらギュッ!ギュッ!また少し編んだらギュッ!ギュッ!手前に力を入れて強く引っ張り竹皮を引き締めます。この引き締め具合が大切で、編み上がって乾燥させた後の履き心地が変わってくるがぜよ。


日本のモノ作りを物語るモノ


三つ叉は硬い事で知られる樫の木で作られちょります。この職人さんは竹皮草履を編み出して30数年。仕事をはじめる時に木工所の知り合いのオンチャンに、こしらえてもろうて(作ってもろうた)ずっと愛用しよります。


石の上にも三年とか、継続は力なりとか言われますけんど、まっこと、その通りやと思うがぜよ。硬い樫の木の三つ叉にワラで編んだ紐を引っかけて、毎日、毎日、竹皮草履と向き合いゆう内に、なんと、なんと、ワラ縄の当たる部分がこんなに深い溝になっちゃある。


竹皮草履をご愛用いただく皆様も多いですろう。寒い季節やち、五本指ソックスで使われる方も最近はこじゃんと増えてきたように思いますが、そんな皆様の足元にお役に立ちたい竹皮草履の心地エイ履き心地は、こんな年期の入った三つ叉で編み上げる熟練職人さんの伝統の技の賜でもあるがです。自分の話や説明なども何ちゃあ必要ないですろう。この樫の木の三つ叉が、ずっと続いてきた職人さんの毎日を日本のモノ作りを雄弁に物語ってくれちょりますぜよ。


少年のようにニタリ、竹職人

古い竹籠バッグ


「おまさん、まあコレを見とうせや」


職人のオンチャンがゴゾゴゾやり始めましたぞね。そして、どこからか取り出して来たのが、こじゃんと年期の入った竹籠バックやちや。この色合いからして20~30年経っちゅうがではないろうか?


元々は、この籠バックの後ろに写っちゃある普通の竹籠などと、別段変わらない同じ色合いやったものが時間の経過と共に、自然とこうなるがやき、まっこと竹細工は面白いがぜよ。昔のお母さんは必ずと言うてエイくらいこんな竹籠を提げてから買い物に行きよりましたきに、おそらくこの手提げを奥さんが使いよったがやにゃあ?自分の旦那さんが一生懸命に作った竹籠提げて買い物ち、まっこと幸せやったに違いないにゃあ、そう感じるがぜよ。


この竹職人さんは、こじゃんと奥さん思いやき「この魚籠は、イカンきに...」いつやったか、こう言うて手放そうとせん古い魚籠は、奥さんと釣りに行きよった頃に使いよった思い出の品やった。そりゃあイカン、そんな大事なものはイカンぞね、自分も、そう言うて上の棚に戻した事があるがやき。


さて、けんどオンチャンよ。この手提げ籠の持ち手は竹根を使うちゅうやいか。最近はグッチ言うたか何やったかブランド品の高価な革バックに竹根の持ち手が使われゆうと聞くけんど、オンチャンは何十年も前に流行の最先端を走りよったがやにゃあ。そう言うたらオンチャン、嬉しそうに、少年のようにニタリと笑うがぞね。気持ちのエイ川風の吹く午後やった。


虎竹茶摘み

虎竹葉


竹虎が山で茶摘み...そんな事を聞くと、不思議に思われる方がほとんどですろう。けんど、まさに今が茶摘みの季節ながですぞね。まあ、茶摘みと言うたち虎竹葉を摘むがです。竹は秋から冬にかけての寒い時期にしか伐りません。この時期に伐ると虫やカビがつきにくく、竹の品質管理に一番適しちゅうがです。


竹と一口に言うても日本国内だけでも600種もありますぞね。同じ高知でも四方竹(しほうちく)などは秋に筍が生えるがです。当然、伐採などの時期にも違いがあったりしますが、日本唯一の虎竹はちょうど今頃から1月いっぱいが伐りだしの季節。竹の伐採にあわせて葉を集めますので、今まで茶摘みをしたくても出来んかったがぜよ。そんな理由で虎竹茶が夏前あたりから、ずっと品切れやったですが皆様にご迷惑をおかけしちょったがです。


虎竹茶摘み


山で枝打ちされた竹枝を集めて帰って工場で葉っぱを摘んだり、職人が竹林に入りその場で虎竹葉を集めたりして竹虎の工場にはどことなく清々しい香りが漂いよりますが、今度作る虎竹茶は更に美味しく、色や香りにもこだわった満足できるものにしたいと思うちょります。


何度か試作して、ようやくエイ感触のお茶ができて、竹葉集めにもついつい力が入りよります。特に色合いが若竹を連想されるような鮮やかな色調。そして、モウモウと湯気のあがる竹工場を、ちっくと彷彿させてくれるような香り。うんうん、と笑みがこぼれますけんど、実は、まだまだサンプルの段階で本格的な製造前ですきに、ハッキリ申し上げられない所もありますけんど是非ご期待しちょってもらいたいがぜよ。


昼間の竹楽

竹楽


滝廉太郎が作曲した「荒城の月」で有名な岡城は、城好きな方だけでなくても名前くらいはご存じの方は多いかも知れませんぞね。山深い大分県の竹田市にある、難攻不落と言うてもエイような深い谷と険しい山に守られた素晴らしいお城ながです。昔なら、防備のために恐らく城山の木は全て伐り倒されちょって、天守や櫓からは下を流れる大野川までハッキリと見渡せたのではないかと思うがですが、今では石垣の上から眺めると樹木や竹林が生い茂っちゅうがです。


竹楽


九州は元々竹の生育には適しちょって、竹田市のあたりも地名通り竹が多い地域ながです。いつだったか、随分前の事やったですがこの城山の竹を伐採されている複数の方に出会ったことがあったがです。聞いてみると、この竹が竹灯籠として使われるという事。この時には大量に伐り出された竹に、ちっくと驚きましたけんど竹の活用が年々少なくなっていくなかで荒れていくばかりの竹林を整備する目的ではじまった竹楽は、今では2万本の竹灯籠を町中に灯す素晴らしい一大イベントとなっちょります。


竹楽


九州の小京都とも呼ばれる竹田の落ち着いた街並に、無数の小さな竹灯りがつく幻想的な様子は、まっこと見事。毎年のように沢山の観光客の方が来られよります。けんど竹楽がエイのは夜だけではありまんぞね。昼間の竹田を歩くと竹を思い思いに加工されちゅうのに出会います。


竹楽


担当者の方は竹楽は竹にあまり手を加える事はせず。それよりも次の100年に向けた取り組みだと言う事を強くお話されよって凄いにゃあと感じ入ったがですが、面白い形や切り込みを入れた竹達が夜になったら、どんな表情になるうか?単純にそんな事を想像しながら歩く楽しみも竹楽かも知れませんぞね。


けんど、一度行かれると分かりますけんど、まっこと何と温かい空気の流れゆう所やろうか?学生さんから大人まで、「こんにちわ」と誰かれなく挨拶して頂ける。竹田の町歩きは心が和みますぞね。この町で小さな子供から大人まで、いろいろな立場の方が竹に関わる、竹と遊ぶ、竹灯りの先駆けとしての竹楽には毎年足を運びたくなるがぜよ。


虎竹葉の出番到来

虎竹葉


竹と日本人の付き合いは長く、かっては捨てる所がないくらい色々なものに活用されよったと思います。竹の幹の部分は言うに及ばす、枝、葉、根、竹皮まで竹と一口に言うてもそれぞれのパーツが実に様々な用途に使える素晴らしい素材ながです。今でも枝の部分はは垣根に使うたり、畑でツル物の作物を育てるのに重宝しよりますし、根は有名なバックメーカーさんが持ち手にしちょりますきに、たまに見かける事もあるがではないですろうか?現代では製造できる職人さんがおられなくなったようですが、竹根ステッキ等にもされよりました。竹皮は、そのままの形でお肉を包んだりされよりますが、やっぱり代表選手は竹皮草履やにゃあ。


まあ、こういう具合に使われゆうがですが、竹の葉はどうも出番が少ないようながです。自分が小さい頃には地面の土が見えなくなるくらい竹葉をかぶせちゅう畑がありましたけんど、あれは寒さ対策やったがやろうか?昔からの事を思い起こしても竹葉は、その他の使い道が今ひとつピンとせんかって少し肩身の狭い思いをしよったかも知れませんちや。


けんど、そんな竹葉に嬉しいお呼びの声がかかったがは虎竹染めハンカチを作る時ですぞね。自然の草木染めとは面白いものながです。虎竹の葉を使うたら竹の青々とした色合いからは、ちっくと想像しにくいような淡くて上品な、竹虎ゴールドとも言われるような美しい黄色い色合いに染まるがです。


竹の伐採時期は秋から冬にかけての寒い季節だけ。そろそろシーズンが本格的になってきますぞね。虎竹茶をリニューアルするために竹葉を毎日のように集めよります。沢山の竹葉を眺めよりましたらついつい虎竹染めもして頂きたくなってくるがです。


人気のミニバスケット

白竹ミニバスケット


これは小さいにゃあ、お弁当箱に使えるがやろうか?職人さんが仕上げたばかりのミニバスケットを初めて見たときには正直言うて、そのサイズにちっくと疑問を持っちょりました。ゴツゴツした太い指先に、引っかかるようにして持たれちょったせいもあるかも知れませんちや。こじゃんと小さく思えたがです。


まあ、けんどランチボックスなどとしてだけでなくても、こんな可愛い竹籠ならリビングで小物入れとしても、またはダイニングテーブルで調味料など入れたり、使い方はいくらでもありますろう、そう、思いよったがです。


ミニバスケット


そしていざ皆様にご紹介させていただいてお手元に届けさせてもろうたら、なんと、女性の方のお昼にピッタリサイズのようですぞね。画像を付けて何通もの嬉しいお便りを頂戴しちょります。お送り頂きました皆様、まっこと感謝です、ありがとうございます!四角い形にちょうどの大きさのサンドイッチを入れられて、風呂敷に包んで会社にお持ちになられゆうお写真一枚にお客様、一人一人の生活ぶりを垣間見られるような気がして、こじゃんと嬉しく思いゆうがです。


古い酒蔵の天井

天井の竹


築数百年という古い酒蔵には、力強さを感じる太く曲がりくねった長い梁が通っちょって、まっこと雰囲気がありますぞね。薄暗く、日中でも涼しいこの建物の中には、その酒蔵ならではの菌が住みついてそれぞれ特徴のあるお酒造りに役立つと聞きました。なるほど、だからこの昔ながらの酒造メーカーさんもこの酒蔵を大事にし、誇りにしちゅうがやにゃあ。そう感心して天井を眺めたらズラリと竹が並んじゃある。


こりゃあ、壮観やちや。これだけの大きな建物に屋根に敷き詰めるだけの竹言うたら、これは、ちっくとではないはずぜよ。まあ、しかし最初の蔵から次の蔵、その次の蔵。そして、その後の...。


広い敷地内にある、どの建物にも同じように竹が使われちょりましたぞね。一昔前の建物言うのは、こうやって竹を沢使うちょったがやにゃあ。漆喰の壁の中にも、天井と同じような割竹が壁竹として使われちゅう事を考えながら、成長の早い竹がこのような建材として多用され役に立てよったエイ時代の事を思わずにはおれんがです。古き良き時代と同じような竹の活用はできんかも知れません。けんど、何らかの新しい形で竹の出番は、きっと来る。自分はそう固く信じちょりますぞね。


またたび弁当箱

またたび弁当箱


マタタビと言うたらネコの大好きな植物でもあり、歩けないくらい疲れた旅人がマタタビの実を食べたら又旅ができるようになったからマタタビという名前が付いた等の俗話もあるような、知られた植物ではあるかと思うがです。けんど、このマタタビを使うて丈夫な籠や笊、そして今回ご紹介したい弁当箱などが編まれている事は、あまり一般的に知られちゃあせんのではないろうか?もちろん自然素材の手提げ籠バックなどが好きな方やったら東北の山ぶどうやアケビ細工と並んで、こじゃんと人気の素材ですきにご存じのない方の方はおられないかも知れんぞね。


マタタビのエイところは山に生えてる木からは想像しにくいような美しい白い木肌やろうか。これを愛用しているうちに色合いが深みを増してくるのも魅力やし、何と言うたちスズ竹や根曲竹に通じるような、寒い所で鍛えられた独特の粘りとしなりがあるがです。そして、自然素材の大敵のはずの水にも強いがぜよ。


マタタビランチボックス


それにしても、このマタタビ弁当箱は良く出来ちょります。かなりの腕前の職人さんが編まれたがやないろうか?もっと太いヒゴを使うて、ザックリと作られたランチボックスは何度か拝見させてもろうちょうけんどこの細さと編みの丁寧さ、上蓋に表れる菱形模様も、こじゃんと気に入りましたちや。


縁巻きには極細のまたたびを上手に使うて、キッチリとあしらう技に感服のため息が出ますぞね。日本は細やかな心配りができる民族やと思うちょります。相手を思いやる心、感性が、こんな手仕事には如実に表れのかも知れません。伝統の技の美しさを愛でられる逸品を手にできて極上のひとときちや。


銀閣寺の竹手すり

銀閣寺垣


世界文化遺産にもなっちゅう銀閣寺にお伺いする機会があったかです。正式には東山慈照寺と言うそうですけんど、何年ぶりですろうか?昔の記憶をたどりながら美しい庭園をゆっくり歩くがです。


木立の向こうに美しい青々とした真竹の林が見えちょります。さすが京都だけあって、門をくぐってから銀閣寺垣と呼ばれる竹垣をはじめ色々な所に竹が多用されちゅうがですが、このように敷地内の竹林を上手に活用されゆうがやろうか?そんな事を思いながら進んでいくと目につくのが竹の手すりぞね。


竹手すり


竹は身近にあって加工もしやすく、こじゃんと重宝する素材ではありますけんど、手すりなど強度を求められる箇所に使うのは少々難しい所もあるがです。なので、この手すりの芯の部分には、金属製か何かのしっかりとした素材のものがきっと使われちゅうのではないかと思いよりました。その芯の部分を竹で覆うことによって、銀閣寺の品のある庭園の良さを損なうことなく世界中から参拝に訪れる沢山のお客様の目を楽しませてくれゆうがではないかと思うがです。


銀閣寺の手すりのあしらい


けんど、妙やにゃあ...?半分に割った竹で支柱を挟む形のはずやのに、上からみたら竹を割った後がないがです。どうしてやろうか?不思議に感じて横からみて、なるほどと納得しましたぞね。竹を半割にはするのですが支柱の上部分の節は残して、ちょうど逆さL字型のようにした竹で細工をされちゅうがです。


何でも細部に魂が宿ると聞いた事がありますぞね。まっこと、ちょっとした事ですけんど、この、わずかな竹のしつらえに竹の扱いに長けた職人さんの技と、竹への深い愛情を感じますぜよ。


銀閣寺の竹てすり


クネクネと曲がった石段をのぼって見下ろすと、複雑な形にキッチリと竹を切り合わせて作られた竹の手すりが見事です。隅々にまで気を配られた美しい庭の中にあって、何やら、ちっくと誇らしげに見えて来るがです。自然を愛で、竹を愛でる方々の優しい気持ちで満ちあふれた志のようなものを感じます。これがずっと続いて来て、これからも続いて行くがやにゃあ。思いの速さは光に勝りますぜよ。その瞬間に、遠い虎竹の里に心はあるがやきに...。雨も時間も忘れる慈照寺の庭園ながです。


竹虎四代目になる

竹虎四代目


自分は誰やろう?竹ばっかりの、ここは一体どこやろう?ずっと思いよった。何のために、この竹の里に生まれ、これからどこへ行ったらエイがやろう?ずっと、ずっと迷いよった。「日本一の竹屋...!」明徳中学の頃から校長にそう呼ばれよった。カツを入れるため自分に言うてくれよったがですろう。けんど、全校生徒の前でそう言われるたび、実は自分はこじゃんと迷惑しちょった。イヤでイヤでたまらんかったがぜよ。


竹ち、おまんらあ一体何ながぜよ?


竹林に行くたび恨めしかった。竹に囲まれた生活に飽き飽きしちょったがちや、逃げだしたかった。けんど、何をやっても中途半端、すぐに諦める自分は情けない事に飛び出す事もできんかったがぜよ。いやいや、それどころか気がついたらいつの間にか竹林に戻っちゃあるがやきに。


おじいちゃん、そんな自分を見るに見かねて空から言葉を届けてくれたがやろう?誰にも相手にされない、不憫な孫を見かねたがやろう?あの時、あのお客様の声をかりて言うてくれた言葉。まっこと、ありがとうちや。思いは、しっかり思いは届いちゅうぜよ。自分が誰か知った日。自分が何をすべきか知った日。自分が何処に行くのかを知った日。これが人生ながやと思うた。自分のような人間でも生きるに値するかも知れん。誰かの役に立つ事ができるかも知れんと思うた。竹を心底愛おしいと思うた。


竹の中におって竹の事を見てなかった。竹のように真っ直ぐに。竹のようにしなやかに。竹のように手を取り合うて。自分は、あなたの孫やきに。あなたの背中を追いかけるだけながです。


黒竹の扇飾り

黒竹飾り


大広間に玄関から上がろうとして横を向いたら、格好のエイ黒竹の飾りがありましたぞね。末広がりの縁起のエイ扇形やちや。田舎にしたら、ちっくと洒落たと言うか風流というか、この虎竹の里の山主さんの古いお宅にはこういう竹のしつらえをされちゅう所が何軒かあるがぜよ。ここでは扇型の黒竹の細工やったけんど、同じように細い竹を使うた丸窓などもあるがです。こじゃんと格好のエイ宝船もありましたちや。昔からのお家には、こんな飾りが普通やったがやうろか?


土佐藩の時代には年貢の代わりとしてお城下に届けられた竹ながです。そんな特産の虎竹を大切に守り育てていく中で、自然と竹に対する敬愛の気持ちが生まれ、こうやって玄関先を飾るようになったがではないろうか?もし、そうやったら、こじゃんと(とても)嬉しいにゃあ...けんど、違うかにゃあ...。いやいや、そんな事はないですろう。


同じ高知でも虎竹の里以外では、こんなに竹が普通に使われちゅう事はあまり見た事もないがです。冬になったら虎竹が伐り出され田畑に竹が広げられたり、土場に竹の小山ができたりして来た虎竹の里のならではのささやかかも知れませんけんど歴史の一つやにゃあ。そう思いながら、ニヤニヤしてしまうがぜよ。


消えゆく荒物の竹籠たち

竹籠


生活の中で育まれ、磨かれてきた竹編みを見る事は、もしかしたらこれからの時代ますます少なくなって貴重な存在になってしまうような気がしよります。多くは親から子へと言うような形で受け継がれて来た竹細工ぜよ。それぞれの家庭の中で、又は仕事場で重宝されてきてこじゃんと身近だったはずなのに、新素材の登場により段々と使われなくなり、今ではほとんど見ることのない竹製品たち。


竹工芸やアート、芸術品とは一線を画しちょって、比較的安価で荒物としても扱われる竹細工には長い歴史の中で親しまれ暮らしに溶け込んだ。実際の生活の中で使う道具ならではの魅力があるがです。現代の使い方は昔とは少し違うちゅうかも知れません。けんど、そこにあるだけで心が休まるような竹籠竹ざるを何かの機会に運良く見つける事もあるがです。


どうしても自分でも欲しくなって一つ手に入れて使うてみる。そしたら、やっぱり昔から鍛えられてきた竹籠だけあってから、どうにも好きになって、誰かに話しとうなる。それでお客様にも紹介したいと思うた時に、一度失われた竹の技術が簡単に元には戻らない事を痛感するがぜよ。


海外のコレクター向けの観賞用や、美を意識したような竹編みに代表される付加価値を付けて発信する事のできる竹の世界がありますぞね。かって浮世絵なども外国の方に価値を見いだされた歴史がありますけんど、同じように竹に慣れ親しんで来ただけに固定観念のある国内よりも、国外に出た方が竹の魅力を感じて評価いただけるがですろう。まっこと、これなら若い職人さんが、夢をもって取り組む事ができる。ひとつの道かも知れませんちや。けんど昔ながらの素朴な竹編み続けてこられた、熟練の技を持った職人さんの後の世代を継いでいく。若い竹職人が思うようには育っちゃあせんがぞね。


虎竹のような特別な竹でなければ、竹と言う材料自体は日本各地どこにでもあり簡単に手に入れる事ができますろう。ただ、その1本の竹を籠にする職人の技の価値について、そろそろ見直していくべき時期に来ちゅうかも知れんにゃあ。消えゆく竹籠達を目の当たりにして、そんな事をつくづく感じるがです。


ナンシー・ムーア・ベスさん(Nancy Moore Bess)

ナンシー・ムーア・ベス(Nancy Moore Bess)


もう20数年前の事やったと思いますけんど、アメリカから虎竹の里にやって来られたのが、ナンシー・ムーア・ベスさんやったがです。外国の方で竹に興味のある方は実は結構おって珍しくは無いがですが、竹の事に詳しいという事に、ちっくとビックリした事を覚えちょります。竹虎の工場や竹林、店舗などをご覧になられよりましたが、特にガスバーナーでの加工の工程にはまるで時間を忘れられたかのように、虎竹が炙られて矯め直していく職人の仕事ぶりを鋭い目つきで見学されよったがです。


あんまり長い事工場におられるので、その頃、竹の積み下ろしで忙しかった自分も不思議に思うて、慣れない英語で話しかけさせてもろうたぞね。ナンシーさんも、ごくごくわずかな日本語しか話せませんでしたけんど、お互いに竹の事を話しているせいか言葉は分からないものの、こちらの言いたい事も何となく通じて、まっこと(本当に)こじゃんと楽しかったがです。


bamboo in japan


ベスさんは後で聞いたら、アメリカで活躍されるご高名なクラフトマンで、竹編みの籠なども色々と創作されいうと言う事を知ったがです。日本では、どんどん竹細工が忘れられ、古くさいような感覚で見られゆうと感じよった頃なのでこれは面白いにゃあ、何か新しい事がありそうやと思うてニューヨークのベスさんを訪ねる事にしたがぜよ。


ベスさんの「bamboo in japan」のページをめくりながら、ベスさんの工房や、仲間の職人さん、デザイン学校、美術館など、お会いさせて頂いた方々や、感じた事を思い出しよります。ちょうど季節は今頃やった、アパートの前には広い公園があって木々が色づき一年で一番美しいエイ時やと言われよりました。久しぶりに本をめくると一つ一つの同じ写真に、前とは全く違うた色々な思いが湧き上がってくるがぞね。あの時に比べたら、ちっくとは竹の事が分かるようになっちゅう。そう言う事やったとしたら嬉しいにゃあ。


「好き」が伝わる竹細工

竹色紙掛け


竹の色紙掛けや、短冊掛けなども、ちっくと前まではかなり色々な種類があったように思うがです。生活様式などの変化で、これらの竹製品の多くは姿を消しちょりますが、そんな中で見せて頂いた、この色紙掛けに全身しびれるがぜよ。


確か前にも一度拝見したけんど、やっぱり思う所は一緒ぞね。色紙掛けの紐で吊す部分に注目いただきたいがです。これは見るからに嬉しくなる創りやにゃあ。普通やったら、ただ紐をくくり付けて終わりそうな所を、わざわざ3つの竹パーツを使うて、それぞれを繋ぎ合わせて吊り提げられるようにしちょります。


これが竹への愛情を感じるしつらえちや。おそらく竹の格好のエイ所をもっと見せちゃりたい。もっと、もっと...そんな気持ちが作った竹のこだわりですろう。普通に製作するだけやったら紐をかけるのが当たり前ですきに、何ちゃあ考える事もなく他の細工と同じように紐をしていたらエイかも知れません。けんど、まっこと少しの事ですけんど、ここの紐の部分に竹をあしらうという事を初めて考えて、初めて作る方は竹に本気になっちゅう人ぜよ。こんな小さな事やけんど竹が本当に好きで、本物をつくりたいといっつも考えちゅう職人さんだけができる大きな一歩やと思うがです。


人と竹と

竹林


日本の竹林が荒廃しちゅうという話しを良く耳にされる方もおられるがではないですろうか?直接の原因としては、竹が使われる事がなくなったと言うのが一番大きいがですが、テレビや新聞などで、あたかも竹が悪者のようなそんな言われ方をされる事がありましたけんど、それは大きな大きな間違いですぜよ。


竹林の問題で名指しされるのは、孟宗竹と言われる直径が20センチ近くにもなり高さも20数メートルになる国内最大級の竹の事ですが、そもそも日本に昔からあった種類ではなく、江戸時代に中国から運ばれてきた竹ちや。大きな竹だけあって、筍も大きく美味しいので食料として重宝され、また生活用具や建材などとして生活にこじゃんと役立つ、言わば当時の新素材と言うても良いような存在やったはずながです。


それが証拠に、全国津々浦々、どんな山奥などでも人の営みがあった場所ではこの孟宗竹を見ることができますぞね。竹は地下茎で広がる植物で開花は60年に一度とか言われちょりますが、研究されゆう先生によっては数百年単位とも聞きますきに、日本の孟宗竹は自然に広がったという事は考えにくく、食料にもなるし、太くて長くて軽い、おまけに筒状になっている。素晴らしく便利な植物として沢山の方が株を分け合い、その地域、地域に持ち帰り大切に植えたのだと考えるのが自然ぜよ。


こうやって人間の都合で植えて増やしちょってから、今まで食べ物として、道具として、命と暮らしを支えてきてくれた竹、親しみ、お世話になってきた竹ですき、間違うたち「悪者」ではないですぞね。悪いとしたら管理をしない人間の方ですろう。けんど、竹は毎年生えて爆発的な成長力と生命力を持っちょりますので、しっかり管理をしないと別の場所にドンドン広がっていくのも事実。今の暮らしの中で、どうやって竹と共存するかがこれからの大きなテーマとなるかと思うがです。


実は日本にはNPO組織やボランティアで竹を伐る団体が結構あるがです。先日拝見した横浜の竹林も見事に手入れされちょりました。すぐ近くに、こんな心地のよい風の吹き抜ける竹林があり、散歩できる小道があることは何と幸せな事やろうか?これからの竹の未来は、もしかしたらこんな所にもあるかも知れんにゃあ。多くの人が暮らすマンションのすぐ近くに広がる竹達をみながら思うたがぜよ。


竹灯り


困っちゃあるのは手入れした後の竹の処理ですろう。活用する方法がなかったら伐採した竹をそのまま一定のサイズに切断して、そのまま竹林にまとめて置いちゅう所も何カ所も見ましたが、ハス切りの筒にしつらえて中にロウソクの灯りを入れていつもの竹と違う顔を見せてもらえる事も多くなりましたぞね。昼間の竹林は清々しゅうて、やっぱり最高ですけんど、都会のコンクリートに囲まれて生活されよりましたら、夜の静けさとずっと向こうまで続く竹灯りにじわじわと癒される方も多いのではないですろうか。


竹を伐って、筒を作り、灯火をする。沢山の地域の方の手助けがないと出来ない竹のイベントを通して地域の輪が広がっていくのは、竹が地下茎でお互いが手を握りあり、助け合うのに、そっくりぜよ。竹の催しの本当の意味はここにありますろう。


仏面竹(ぶつめんちく)

仏面竹(ぶつめんちく)


竹の種類は日本国内だけでも何と600種あると言われちょります。世界で見たら1300種ですきに、竹と一口に言うても実は、なかなか沢山あるがです。そもそも皆様は竹と笹の違いが分かりますろうか?普通の竹は背丈が高く、熊笹など見ても分るように笹は背が低いので稈の長さで竹と笹が分けられると思われがちですが、実は、背丈の低い竹類もあれば背丈の高い笹もありますぞね。


昔はオニギリなど包んだり、精肉店の包装にも使われちょった竹皮。竹虎では竹皮草履として皆様にご紹介しちょりますが、この竹の特徴的な一つでもある竹皮での分類も考えられます。竹は成長の過程で竹皮が全て無くなりますが、笹はずっと一生涯、竹皮が付いたまま...。けんど、この分類の仕方も竹皮の付いた竹もあれば、竹皮が全て落ちてしまう笹もあるそうで竹と笹の線引きだけでも明確には出来てないがです。


この仏面竹(ふつめんちく)と呼ばれる竹にしても、竹林に分けて植えられちゅうのを教えて頂いたら知ることはできますが、亀の甲羅のような形になる亀甲竹(きっこうちく)とソックリちや。こじゃんと似ていて実際に山で見かける事かあったとしたら、もしかしたら区別がつかない事もありそうですぞね。


亀甲竹と言うたら有名なものは、水戸黄門さんが旅の道中で使う竹杖がそれですけんど、仮にあれが仏面竹やったとしても、はたまた別の布袋竹であっても、それぞれに竹の独特のコブが出来ちょりますので、黄門さんが使いやすいと思うたらどれでもエイかも知れませんぞね。竹の専門家としての知識は必要やけんど、自分は学者でも研究家でもないがです。それが誰のためなのか、ぎっちり(いつも)自分に言いきかせよりますぜよ。


幻の...龍馬がゆく

坂本龍馬像前にて


しかし、まっこと早いものですちや、あれから1週間ぜよ。近頃は本当に1日が24時間あるろうか?そう首をかしげたくなる程ですけんど、なんか2日ばあしか経ってないような気もするがです。あれ、というのは今週の29日(火)まで開催されちょりました「ねんりんピックよさこい高知2013」の事ながぞね。


皆様は「ねんりんピック」はご存じですろうか?良く新聞やニュースなどでは名前は聞く事があって、全国からシニア層の方が集まる体育大会だと言う事はそれとなく知ってはいたのですが、何と1万5000名もの方が集い高知全県の会場に分かれて開催される、自分が考えちゅう以上に大きなイベントやったがです。


なるほど、よくよくポスターなど見たら、有名な方や芸人の方が来られて楽しい催しがあったり、せっかく沢山の県外からのお客様が来られるので高知観光をしていただく機会があったり、盛りだくさんの内容に、ちっくとビックリもしたがぞね。まこと竹林で仕事ばっかりしよってもイカンにゃあ。


さて、そんな色々あるイベントの中でも「始め良ければ、全て良し」そんな言葉がありますように、ねんりんピックの開会式は県の威信をかけたとも言えますろうか?こじゃんと大事にスタートのイベントやと思うがです。けんど、実はそこにワシにとって大きな関わりのある事件が起こるがぜよ!今まで、やりゆう事は知っちょりますが、それ以上の事はなかった。ねんりんピックにちょうど1週間前に高知に接近してきた台風27号がワシの運命を変えるがやきに(大袈裟かにゃあ...)。


皆様は、辰巳琢郎さんと言う芸能人をご存じですろうか?最近、高知を盛り上げるイベントにはお越しいただく機会もありますきに、テレビを見ない田舎者の自分も知っちょりますが、この方の代役をっ......!?ああ、ここからは自分の口からは言えませんぞね。


大自然の気まぐれに翻弄される悲劇の竹虎四代目、幻となった坂本龍馬とは?是非、こちらでご覧いただきたいがです。

幻の「龍馬がゆく」


根曲竹の箕

箕


箕(み)は、もともとは穀類の選別などに使われてきた農作業用の道具の一つながですが、重たいモノも両手で抱えるようにして運べる事から、自分の場合には中学校の頃にグランド整備の小石を運んだり、雑多なものを集めたりするのに結構馴染みのある道具やったがです。


最初は竹編みの箕だったものが、いつの頃やったろうか?気がついたら硬く青いプラスチック製のものになっちょりました。竹の方が持った感じにも、しなりがあり使い心地は良かったように覚えちゅうがですが、やはり外で荒っぽく使う道具としては耐久性が何より求められたがではないかと思うがです。


一閑張り箕


実用品としての昔から親しまれた箕の形という事と、福箕(ふくみ)と呼ばれ、幸運をすくいとる言うならラッキーアイテムのような事からか、箕のデザインの竹細工は色々とあるがです。竹編みだけではなく、和紙を貼った一閑張りなどの加工もされて菓子器等として使われるような小振りものもあるがです。


根曲竹の箕


ちっくと珍しいものでは根曲竹で編まれた箕もありますぞね。これは自分もあまり見た事がなかったものですきに、ご存じない方も多いかも知れません。根曲竹は東北や高い山間部など、寒さが厳しゅうて真竹など大きな竹が育ちにくい地方の竹です。日本は縦に長い国ですけんど、南の端から北の方まで同じ箕の文化があった事を偲ばせてくれて、こんな小さな箕一つですが大きな発見をしたような気持ちで、こじゃんと嬉しいがです。