竹炭飴に高知県産生姜を入れてリニューアル

竹炭生姜飴(Bamboo charcoal candy)


竹炭飴をリニューアルする時に考えたのは、せっかくなので竹炭パウダーの入った飴で、単に美味しく食べるという事だけでなく、のどにも良くて何か南国高知らしい飴にしたいと思いました。


自分はお陰様で健康なのか、どうなのか風邪で寝込むことなどは、あまりないのですが、昔から検診の度に扁桃腺が大きいと言われていて年に一度くらいはノドをやられてしまう事があるのです。そこで結構イソジンのお役になる事が多いがです、ノドの痛みには、やっぱりうがい、そしてそれと共にノド飴が定番です、けんど、そんな高知らしいという様な都合の良いモノがそうそうあるはずもない...。


高知県産生姜パウダー


ところが都合よく、そんなものがあったのです。高知は全国でダントツ一番の生姜産地、今は高速道路も整備されてそんな事はありませんが、少し前までは季節になったら竹虎本社工場の前の国道を生姜ラッシュと言われるくらい生姜を収穫して帰るトラックが走っていました。この高知県産生姜を竹炭飴にプラスして、ノドの為にも良い飴にしたらどうやろうか?思いついたら早速試作をしていただきましたぜよ。


竹炭生姜飴(Bamboo charcoal candy)


実は自分は市販のノド飴は、あまり好きではありません。ノドに良い成分が入っているであろう事は分るのですが、スースーハーハーするメンソールのような感じは悪くなくとも、何か薬のように感じるあの味が、どうも不自然に思えるのです。


そこで、生姜パウダーを思うより多めに使った試作をしてもらうと、生姜好きの自分にはピッタリの辛さ感。これは美味しい竹炭飴ができたと社員全員に試食してもろうたがです。そしたら、なんと生姜ピリ感が強すぎるという意見が予想以上に多いがぞね。


竹炭生姜飴(Bamboo charcoal candy)


ううん、これは迷いました。自分は、まったく感じないのにこれだけ違う試食の感想がでるという事は、もしかしたら特徴のある竹炭飴(Bamboo charcoal candy)になるのかも知れませんが、最初から少しやり過ぎなのかもしれません。リニューアルしたばかりでもありますし、ここは多くの方に受け入れてもらいやすいように本生産は少しだけ生姜感を控えめにする事にしたがです。さて、そのお味はいかに?完成間近ですので出来あがったら皆様ご自身で一度お試しいただければ嬉しいがです。


竹帽子と竹虎ロゴマーク入りヘルメット

竹帽子、竹虎四代目,作務衣,さむえ,SAMUE


先週に、竹のヘルメットのお話しをさせてもらいましたけんど、ヘルメットと聞くとどうしても硬くして頭の保護のためのものというイメージあります。実際、竹は皮を残し縦割しただけの素材であれば堅牢な細工が可能ですので兜や鎧などに使われていた事もあるのです。


しかし、防暑対策のための帽子という事でしたら何を隠そう自分も職人さんに編んでもらったものを使いよります。実は自分は小学校の頃からの帽子好き、いちど気にいると毎日被っていくのであまりの汚れに校長室に呼び出されて「そろそろ、その帽子は捨てなさい」と叱られた逸話がある程ぜよ。


この竹帽子は自分の愛用していた帽子を参考にしてもらって同じサイズで製造したのですが、やはり布と竹は違います。布は頭の形に合わせて自由に形が変わりますが、細い竹ヒゴでガッチリとゴザ目編みにした竹はそうはいきません。そうこうしながらジャストフィットする帽子を作ってもらっていたら10個近くも作ってもらう事になったのです。


竹虎ロゴマーク入りヘルメット


それはそうと、最近生まれてはじめてヘルメットを購入したがぜよ。そもそもバイク屋さんなどあまり行くことがないので長い間店員さんに説明いただきましたが、安価なもので良いと思いよりましたが、大事な頭を守るものなので結局「アライ」という有名メーカーのものにしました。


このヘルメットにの内側にスピーカーを取り付けてもらって走行しながら携帯電話で話せるようにもしちょります。これにはBluetooth(ブルーツース)が必要なのてすが自分のガラケー電話には付いていません。そこで、わざわざ少し多く古い機種ですがBluetooth(ブルーツース)搭載の機種に変更しましたぜよ。


まっこと、こんなにして一体何に使う?バイクは乗りませんぜよ、日本唯一の虎竹自動車用なのです。長距離走行ですので出来るだけ安全を考えて用意してみましたぞね。何ですろうか?竹虎ロゴマーク...もちろん、またご覧いただく機会もあるかと思いますけんど前だけではなく両サイドにも大きく入れちょります。


竹ヘルメットと竹皮まんじゅう笠

竹ヘルメット


昔の竹細工、竹製品は何でも大量生産が多かったのです。以前、竹職人さんの工房で拝見させてもらった竹ヘルメットは、大戦中、陸軍の兵隊さんが使ったものなので、それこそ産地総出で協力して製造していたようなのです。今の竹編みとは比べモノにならないようなスピード感のある工房の様子は古老の竹職人さんから、いつもお聞きする事ではありますけんど、そのスケール、勢いは何度聞いても楽しくワクワクしてくるものばかりぜよ。


けんど、一体この竹ヘルメットはどんなにして使われたがやろうか?鉄製の重たいヘルメットは当然皆さんお持ちだったと思うのですが、猛暑の南方戦線での移動などには、防暑帽子として通気性バツグンで軽いこの竹ヘルメットが大活躍したのではないかと想像するがぞね。二度と繰り返してはならない不幸な歴史の中とは言え、かってこのように竹が活用され、人様に役立っていたというのは産地の皆様にとっては誇りでもありますし自分達にとっても嬉しい事ながです。


竹まんじゅう笠、竹虎四代目


頭に竹をかぶると言うと時代は現代に戻って今の高知。細々とではありますものの製作の続く竹皮を使った素晴らしいまんじゅう笠と呼ばれる竹笠がありますぞね。時代劇に出てくる旅人が被りそうな笠ですけんど、かって幕末には坂本龍馬さんがこれで顔をかくしながら脱藩したというような逸話もある笠なのです。


竹まんじゅう笠


竹で骨組みを組んで、その上に竹皮を張りつめ、最後に細く細くとった竹ヒゴを縫いつけて仕上げていく。この細く長い竹ヒゴは竹ヒゴ抜きと呼ばれる、丸い小さな穴を開けた鉄板に一本づつ竹を通して同じ細さの竹ヒゴにしていくがぞね。


こうやって近づいて見てみたら、竹ひごを糸でとめてある無数の多さに気が遠くなりそうですが、これを一つづつ丁寧に職人さんは留めていくがです。出来あがった笠は竹皮の耐水性で守られて少々の雨など気になりません。そして、何より軽い、自分の足だけが頼りだった時代の旅人には重宝されてきた逸品ながです。


懐かしの富山市民プラザ、ホテルのぼるや

富山城、千歳御殿門


光岡自動車のさんのある富山市は高知からは随分と遠い土地ではありますが、実は馴染みのある懐かしい場所とも思っているのです。そもそも自分達の「山岸姓」のルーツが北陸にあるそうで、高知県では山岸の名前は、こじゃんと(とても)少ないのですが北陸地方に行くと結構おられるのです。山岸家も奈良県、大阪天王寺、そして高知へと移って来た歴史がありますので、もしかしたらその前のご先祖様たちは北陸やったのかも知れません。


加賀梅鉢瓦


自分は城好きで訪れた土地に城跡などあれば必ず行くのですが、富山城の唯一の遺構としてある千歳御殿門(東大の赤門と同じ形式の門だそうです)の瓦屋根には家紋の加賀梅鉢が見えます、そういえば山岸家も家紋は同じ加賀梅鉢ですぞね。


富山市民プラザ


まあ、それはさておき馴染みの場所というからには、名字のルーツだからというワケではありません。実は、毎年一回富山市の市民プラザという所で竹細工、竹製品の大売り出しをさせて頂いていたのです。もちろん販売させて頂いていたのは竹虎だけではありません、全国各地から特産品が集まっちょりました。いつから、あのような大きな催事に参加させて頂いていたのかは定かではありませんが開催されるのは、ちょうど8月、真夏の最高に暑い最中ぜよ。催事に行かなくなって、もう20年近くになるかと思いますが今でも夏になれば思い出す事があるのです。


北陸と言うても富山は、もしかしたら高知より暑いのでは?と思えるようなムシムシとしてコンクリートの歩道がまぶしいくらいの照り返しの強烈の陽射しの中、涼と珍しい地方の産品をもとめる沢山の方がご来場いただき、それは大変な売り上げがあったのです。自分が売り出しに行くようになってからでも10tトラックと4tトラックに満載して行く荷物が、帰りには空箱ばかりになる大盛況で竹製品が多くの方の生活の中で役立っていることを肌で感じて嬉しくなっていましたぞね。


富山市民プラザ前電停


それにしても、20年という月日の流れを感じるのは市民プラザ前を走る路面電車ぜよ。竹虎が毎年来ていた時には、電車は通っておらず少し広場のようになっていて、ここに大きなテントを二張りほど借りて館内に置ききれない商品を並べていたのです。エアコンもない外の売り場では汗だくでランニング姿になって販売する職人の姿は今でもハッキリ覚えちょります。


変わりゆく街並


さて、そんな売り出しは確か三日間か四日間の日程だったと思います。宿泊は、いつも決まってすぐ目と鼻の先にあるホテル「のぼるや」さんでした。せっかくなので久しぶりに少し歩いてみますと何と昔のホテルは無くなっていて、確か跡地と思われる場所には大きな新しいホテルが建設されていて、オープン間近のような形やったのです。


懐かしい思い出の地に、あの頃の事をひとつひとつ思い出しながら行きます。自分は一体何ほ探しゆうがやろうか?販売の中心だった元気満々の母の笑顔やろうか?竹を求めて次から次へとやって来られる、あの日のお客様?いやいや、大事な事を忘れちゅう。


竹虎の復興


あれは自分が大学四回生の時の事やった。竹虎の工場と店舗が全焼して何もかも無くなった大火災がありました。ちょうどそれが、この富山の売り出しの2週間前の事やったのです。普通なら、とても遠く富山の催事どころではありません。当時50名ほどいた社員や地域のお手伝いの方など総出で後片付けなどに追われている、ごった返しの状態でした。


けんど、そんな中、こんな時にだからこそ、行かねばと奮い立ち、外の土場に停めてあり運良く焼け残った10tトラックに緊急に借り受けた竹細工や竹製品を満載して富山に走って行った祖父の後ろ姿やろうか?


あの夜の居間、家族が全員揃っていた中で、「どうして今、富山に行かねばならないのか?」二代目義治が、ゆっくり話した台詞、息づかい、表情、一言一句忘れてはいない。


この街には、竹虎のルーツが今でも生きづいちゅうがです。


二度目の光岡自動車さん

光岡自動車で修理される日本唯一の虎竹自動車


電気系統の故障で引き取られていった日本唯一の虎竹自動車。そもそもこの本体となったLike-T3は、まだまだ生産台数が少なく契約している整備工場さんも、ほとんど無いのです。そこで今回の修理も高知から遠く富山県の光岡自動車さんまでトラックで運ばれて行きましたぞね。まっこと、往復の運送費用だけでも目玉が飛び出るような金額...。


自分達が全く手を触れていない部分の不具合やったので何とか、この辺りはできないろうか?と思うちゅうところながですけんど、お金もかかる、時間もかかる、改めて竹虎がしていることが誰でもやっている事ではなく、かなり特別なチャレンジなのだと思いゆうのです。


光岡自動車


まあ、けんど、遠くまで運ばれていった虎竹自動車が一体どんな風になっちゅうろうか?どうしても気になりますので、とうとう今日は二度目の光岡自動車さん訪問となったがです。東京から北陸は新幹線が開通して本当に便利になったと思うのですが、やはり高知からだと飛行機で伊丹空港まで飛んで、それから新大阪までバスで移動、サンダーバードで金沢と北陸はやはり距離がありますぞね。ただ、金沢からは新幹線がありますので20数分で富山に到着、これは驚くほど早いのです。


富山駅からタクシーで辿りついた光岡自動車さんの広い構内では新車の展示もされちょります。前にお伺いさせてもらった時には工場内で創られる様々な車を見学させてもらいましたけんど、やっぱりこちらには魅力的な車が揃うちゅうぜよ。


光岡自動車でLike-T3と並んだ日本唯一の虎竹自動車


敷地内のLike-T3の整備工場に近づいていくと数日見ていないだけなのに、やけに懐かしく新鮮な姿の虎竹自動車が見えましたぞね!見え方が違うのは精神的なものかにゃあと思いよりましたが、いやいや違いました。この日本唯一の虎竹自動車は、竹虎ではいつも工場内に置かれちょります。昨年、竹虎に納車された日は雨でした、そしてそれ以来、外に一歩も出たことがありませんので太陽の光を浴びた屋外での勇姿を見るのは実は初めてやったがです。


Like-T3と並んだ日本唯一の虎竹自動車


前から見ても別段どうという所もなくホッと安心しちょりますぞね。隣に見える白い車体が製造途中Like-T3、こうして見たら同じ車には見えないですにゃあ。けんど、車体の長さ、幅、高さ、それからテールランプの高さ、位置、反射板、前に戻ってきてヘッドライト、サイドミラーなど決められたサイズであり、特殊車両三輪車としての所定の位置を守っちょりますので、ちっくと変わった形ですが公道を走ることが認められているのです。


Like-T3


作りかけのLike-T3の脇には更にその前の形のフレームだけが置かれています。この電気自動車は開発されたばっかりなのですが、本当に少ない人数でコツコツと手作りで仕上げてきた愛情のこもった車であり、大きな自動車メーカーさんで大量に生産される車とは又違う形で、担当の方からしたら思い入れタップリな一台であると聞いちょります。


ですから、このようなフレームからエンジンを載せ、タイヤを付け、ボディを付けて実際に道を走れるような形に真心こめて創り上げた車を、今度は自分達が全く違う竹の車にしてしまった事に実は少し申し訳ないような気持ちも少しあったがです。


一人乗り自動車初号期


この整備場所の近くには、今の電気自動車を製造することになったキッカケを作った車が安置されちょりました。確かイタリアからの輸入か何かと言われていましたが、このような乗り物に夢をもって取り組み追い続けてきた結果が今のLike-T3なのだと思います。


光岡章夫社長、竹虎四代目、光岡自動車(Like-T3)


しかし担当の方は、すっかり変わってしまった車については何も言わず、虎竹の車を、こじゃんと(とても)褒めてくれるのです。ずっとモノ作りに関わり続けて来られた方やきですうろか、素材は違っても形にしていく大変さを身体にしみて良く分かっておられるように感じたがです。


光岡自動車さんが創りだした新しい時代の乗り物は、これからまだまだ広がっていかねばならないと思いますし自分達が虎竹の車を作ったことが、そんなお役に少しでも立つことができればこんな嬉しい事はありません。


今回は日本唯一の虎竹自動車が心配で思わず足が向いた北陸路でしたけんど、こうやって動いたら何かしらエイ事もあるがですぞね。なんと、日頃は富山の本社におらず国内外を飛びまわる光岡自動車の社長様に初めてお会いできたがぜよ!ずっと昔、社会人になって間もない頃やったろうか?光岡自動車の車を知って個性的で格好エイなあと思うてパンフレットを取り寄せた事もある、その会社の社長様が隣におると思うと、まっこと嬉しくなってきますちや。虎竹自動車が取り持つ縁かと思いますが、これから、こんな縁がもっともっと繋がっていくことを願うちょります。


「きんこん土佐日記」に日本唯一の虎竹自動車登場ぜよ!

村岡マサヒロさん「きんこん土佐日記」


高知県は漫画王国として数多くの漫画家を輩出しちゅうそうながです。自分はあまり漫画と言われてもピンと来ませんでしたが、虎竹の里からも車ならすぐに行ける漁師町、久礼の鰹の一本釣りを題材として描かれた青柳祐介さんの漫画は学生の頃に、何度も何度も読んでは感動した覚えがあるがぜよ。


それに、そう言えば漫画甲子園なる大会が時期になれば新聞やテレビで話題にもなりますけんど既に20数年の歴史があるようですので、まっこと凄いものながです。そうじゃあ、今書きながら思い出しましたけんど、竹虎に取材に来られ事もある、はらたいらさん、それから黒鉄ヒロシさん...そうそう「フクちゃん」で知られる横山隆一さんのまんが館記念などもありましたちや。思えば、やはり昔から高知は漫画王国やったのかも知れませんぞね。


さて、そんな漫画王国高知で活躍を続けられる村岡マサヒロさんが高知新聞に連載している「きんこん土佐日記」という四コマ漫画があるがぜよ。村岡さんの漫画は、特に高知県民の方なら老いも若きも皆が一度は目にしたことのあるものではないろうか。それほど、この連載は長くやっているように思いますが、本にまとめられているものも今では第8巻まで販売されゆうようぞね。それだけに漫画に詳しくない自分などでも一目でそれと分る特徴のある絵に親近感を持っちゅうのです。


そんな県民の漫画とも言える中に題材として突然、日本唯一の虎竹自動車が描かれちゅうので本当に驚いたのです!見慣れた、あの絵の中に虎竹自動車があるのは何だか不思議な感じですけんど、こうして取り上げて頂けるのも、竹自動車への期待が高まっているという事ですろう。こりゃあ、まっこと頑張らんとイカンぜよ。


竹筬(たけおさ)の復活

竹筬(たけおさ)


古来、竹は日本人の生活、文化に深くとけ込んで衣・食・住の全てに竹があると言うのが当たり前やったのです。近年、どんどん新しい素材への移行があり竹が使われなくなっているのはご存じの通りですが、多くの方に使ってもらい認知されていた物で消えて行く竹細工がある一方で、一般の方の目には触れることなく、その存在すら知られる事なく忘れ去られていく「竹」もありますぞね。手元の資料に紛れ込んでいた長さ8センチ、幅5ミリほどの竹製のヒゴなども、そんな製品の一つですろう。


竹筬


この短い竹ヒゴは竹筬(たけおさ)と言う道具に使われる一部ぜよ。そもそも竹筬を「たけおさ」と読む事すらままなりませんが、一体に何に使う物かと言う織物の織機の一部として使われるパーツなのです。竹ヒゴがズラリと並んでいますが、この竹の間を糸が一本一本通り織物になっていきます。なので経糸の密度を一定にする、織物の幅を決める等織物には無くてはならない道具との事でした。


竹筬製造


明治初期の頃、織物の産地として知られちょったのは関東の足利、福井、久留米、愛媛などと聞きます。そのような織物の産地には、当然この大切な道具である竹筬を製造される職人さんもいたようですし、また現在この竹筬を復活させようとされている岐阜県祖父江地区でも大量に製造されていたものが衰退した原因は金筬と言われる金属製の製品ができてからのようです。


しかし、竹筬を使った事もありませんが織物の糸がその細い間を通り抜けて一枚の織物になるのであれば、金属製の物と竹製の物と比べるならば明らかに織りあがりに違いがあるだろうと容易に想像ができるがです。竹筬の良さは、自然素材での扱いやすさ、筬羽に竹の弾力があり歪みに強い、経糸の摩擦に優しさだと言います。


竹筬素材


短い竹ヒゴ状のものの事を筬羽と呼ばれちょりましたが、この筬羽作りには、原料の竹材を簾にして乾燥される竹編み、竹割、荒引き、幅を揃える幅取り、二番引き、皮取り、上引き、羽揃え、羽切り、傍(わき)仕上げ、焼き入れ、縁仕上げ、面取り、筬編み、仕上げと様々な行程があります。一枚の筬羽を触ってみても、手触りもなめらかで本当に丁寧に作られている事が伝わるがです。この竹がズラリと並んで、その間を絹糸が通ると思えば、竹筬ならではの織物もあるのではないかと思うたりましすぜよ。


竹筬作業場


それにしても一度は無くなってしまった伝統の技術を研究会を立ち上げて復活させた皆様の努力には頭が下がります。関係者の方や文献資料が残されたいた事もあるようですが、技を継承していく事は並大抵の事ではなかったはずですぞね。定期的に技術研修などされているようですが、若い方が参加されていたり多くの方が真剣に取り組まれる姿に感動した事を思い出しましたぞね。


「竹虎ゴールド」虎斑竹バックニューヨーカーのインナーバックは虎竹染め

虎竹染め「竹虎ゴールド」


南国土佐の強い陽射しを浴びて美しい色合いの虎竹染め生地が風にたなびいているのです。この山間にある染色作家、西峯久美さんの工房で虎竹葉を使うた染めのハンカチなどを作って頂いているのですが今回は虎竹バックニューヨーカーに使うインナーバックと、バックを仕舞うためのエコバックにもなる手提げ袋を虎竹染めにしたいと思ってお願いしちゅうのです。


虎竹葉


今は竹伐採の季節では無いのです、そこで、虎竹染めのためにわざわざ山に入り竹葉を集めねばなりません。手触りの良い生地を選んで染めてもらっていますが、一度に沢山の生地を染める作業できませんので、その都度の竹葉集めは、まっこと大変ながぜよ。


虎竹染め「竹虎ゴールド」


ところが草木染めの場合、もちろん自然素材ですから色合いはその都度違う事もありますが、葉を集めたばかりの新鮮な時と、少し時間が経過した後では染め上がりは全く違うがぞね。竹葉は抗菌性があるためか普通の素材と比べると鮮度保持が格段に高く、数日は使えるので助かると言われますが、それでも初日に染める生地と最終日に染める生地では色合いがかなり違ってきます。


使用後の虎竹葉


この竹葉染めでは青々とした葉色から何故こんな淡く美しい黄金色が染め上がるのか?まっこと自然というのは神秘的でもあり不思議でもありますぜよ。虎竹バックニューヨーカーでは虎竹のフレームを繋ぐ紐も自然素材のものに変更して色合いもこの虎竹染めに統一しますので想像しているだけでワクワクしてきます。


虎竹染め、染色作家 西峯久美さん


もう何年も前の事になりますが、手ぬぐいなどを試作で染めてもらって出来あがった時には虎竹染めの独特の優しい黄色い上品な風合いにビックリして思わず嬉しくなって多くの方にご覧いただくうちに誰が呼んだか名付けられた名前が「虎竹ゴールド」。


なんと仰々しい呼び名やろうかと思いましたけんど、今日のような五月の気持ちの良い風が吹き抜ける縁側で虎竹染めを見ていたら、ピッタリのネーミングではないかと感じるがです。


安吉県「中国竹子博覧園」の竹オブジェ

安吉県「中国竹子博覧園」の竹オブジェ


少し前に中国は安吉県の「中国竹子博覧園」のお話をさせてもらったのですが、ここで印象的に覚えている竹のオブジェがあります。それは、高さが2.5メートルほどもあったですろうか?大きな鉄枠の中に同じ長さに切断した丸竹を積み上げたものでした。似たような太さの竹ばかり切ってその切断面を見せることによって、竹の太さの違い、形の違い、身の厚さの違いなどを視覚的に体感いただけるもので、これが広い敷地内の向こうまで仕切りの役目をしながら続いていたがです。


別段何と言うことのない簡素なものであると見逃しがちであるかも知れませんが、竹が身近でなくなった現在、もしかしたら目を見張るような経済成長してきた中国もそうかも知れませんが、竹に対する関心や認識が低くなっている時代の中だからこそ必要で面白い造作だと思うたのです。何気なく、これを見たお客様が竹の事をどこまでご理解いただけるか分かりませんが、多種多様な竹、同じような太さであっても一本たりとも同じ物の無い竹の事を伝えるために、この大きな鉄枠があるとしたら素晴らしいちや。


安吉県「中国竹子博覧園」の竹オブジェ


自分の小学校の通学路の近道は、このような竹の切口がこの何倍もの高さと幅で積み込まれた土場にありました。その頃は竹の伐採がナタが主流だったのか、その切口はほとんどがハス切りされて鋭利にとがっていた事をハッキリ思い出されます。積み込まれた虎竹は太さ別に積み上げられちょりました、しかし、この安吉県「中国竹子博覧園」の竹オブジェ同様に同じ頃合いのものなのに一本として同じものがなく、形も様々なのだなあと思いながら毎朝眺めよったものながです。


このオブジェに足をとめ、しばらく動けずにいたのは自分だけでしたが、そんな遠い日を懐かしく思い出していたのです。


虎竹袖垣に関わる職人たち

虎竹袖垣製造職人


竹の袖垣は注意して見ていたら玄関脇などに取り付けられていたり、都会の真ん中でもビルの谷間の飲食店にあったりする昔ながらの庭園用の竹製品の一つなのです。けんど、一般の方でご存じの方はほとんどいないですにゃあ、そしてご存じの方が稀におられたとしても、遠くから眺めるだけですので両脇の竹柱に実は細かい細工が施されちゅうとは思ってもない事のようぜよ。


袖垣の骨組みは実は孟宗竹が使われていて、その柱を細く割った虎竹や白竹で巻き付けて化粧すると共に強度的に強くもするのです。細く割っていますので竹節を微妙にズラして模様にも出来るし、外で雨ざらしで使う竹製品は傷みも早く丸竹の場合など割れる事が多いですが、一度細く割った竹を孟宗竹の芯に巻き付けてあるので割れる心配もなく耐久性は一本の竹と比べて格段に高くなっちょります。


あまり注目される事もない袖垣ですが、骨組みに使う孟宗竹、芯部分を巻く細く割った巻き竹、ヒゲのように見える飾りの黒穂、竹を平らに割のばしたヒシギ、すかしの格子部分を縛っている四万十カズラまで、それぞれの職人さんや内職さんの仕事が一つにまとまって、ようやく一枚の虎竹袖垣が仕上がります。


四万十カズラ


巻き竹は両方の柱が真っ直ぐな角垣(つのがき)だと割幅も比較的広く簡単ですが、玉袖垣のように曲がりがある袖垣は割幅も細く、長い竹を割っていくので熟練した技術が必要となるがぞね。これが幅の広い、大きな光悦寺垣などになると更に大変です。


四万十川流域から集めて来てもらうカズラは、乾燥させ沢山こうやってストックしちょります。出番の多い、少ないはありますものの、どれひとつ欠けても昔ながらの製品作りができなくなる、袖垣は思う以上に多くの人の手を借りながら作り出される竹製品なのです。


真竹磨き手提げ籠、長くご愛用いただける方にこそ

真竹磨き手提げ籠、竹虎四代目


まっことオススメしたい手提げ籠がありますぞね。もし、竹の買い物籠をお探しの方がおられたら絶対にイチオシするのがこの真竹磨き手提げ籠ですにゃあ。元々は土佐の伝統的な竹職人さんの流れを汲む竹編みぜよ、飾りのない素朴さと使い勝手を考えた機能性は昔から磨き続けられて来た本物を感じる籠なのです。


磨かれたのは竹籠そのものでもあるし、また、竹ヒゴ自体も本当に「磨き」と呼ばれる加工をされちょります。竹表皮の皮部分を薄く薄く、まるで磨くように削っていて仕事最中の工房に入ると青竹の清々しい香りが充満しちゅう事があるくらいぞね。表皮を削ることにより自然の竹の色合いの違いやシミ、キズなどがなくなり編み上がった籠は本当に生まれたての赤ちゃんのようにのウブな表情をしちょります。この最初の頃の瑞々しい竹籠というのは、ほんの一時ですが何とも言えない竹の気持ち良さを感じて魅力的です。


竹籠の美しい経年変化


ところが、この竹籠が時間の経過と共にこの青さが抜けていき落ち着いた色合いに変わっていくがです。徐々に肌色にかわり、こんどはこの色合いが濃ゆく飴色になっていきます。何十年も使われた籠の中には、まるで赤茶色に染めたのではないか?そんな風に思えるような渋い風合いになってくる竹もありますちや。


竹細工は、いえいえ竹細工に限らず自然素材全てに言える事だと思いますが、このような経年変色がひとつの大きな特徴であり素晴らしいところですろう。色合いだけでなく使う事による変形や、場合によってはキズやシミのようなマイナスのように思えるダメージさえも「味わい」として自分だけの竹籠のスパイスになってくるから不思議なものぜよ。特に磨きの竹籠は、この移ろいが早く分かりやすく、いつも身近にある籠だけにますます愛着が深まるのです。


竹根切りの道具

孟宗竹


直径が太く、高さも25メートルを超えるような大きな孟宗竹(もうそうだけ)は日本にある竹の中でも最大級のものですが、実は古くから日本にあった在来種ではありません。中国から海を渡ってきて、その大きさから珍重され全国各地に広がっていったものながです。虎竹以外の竹は見あたらない虎竹の里にさえ、何カ所かその竹林がありますので、どれだけ重宝されてきたのかが分かるというものなのですが、そんな孟宗竹も地表から上の目に見えている稈(かん)の部分の活用だけでなく、実は地下に隠れている竹根の部分の製品活用というのも当時からずっとされて来ているのです。


竹は土中の根の部分に細い根が無数に生えています。その細い竹根を切り取ると独特の模様の現れる素材になりますので、この面白い形をつかった花器などが昔は沢山製造されていて竹虎の本店にもガラスケースの中にズラリ並んでいました。最近はあまり見かける事もありませんが竹根部分の細い根をヒゲに見立てて人の顔を彫刻した装飾品が思いだされますぜよ。海外でも見かける事がありますので、あれは日本の職人さんのものだったのか?中国や台湾の職人さんのものだったのか?いずれにせよ、国内外の職人さんが趣向を凝らした竹細工があったのです。


竹根切り


さて、そこで、この金属製のヘラ状の道具ながです。一体何をする道具なのかと思いよりましたら、実はこの太い孟宗竹の竹根を切り取る道具でしたぞね。木製の長い柄の付いた道具は拝見したことがありましたけんど、こんなコンパクトなサイズのものは初めて見せてもらってのです。


工房に立てかけられたズングリと太い孟宗竹、そして、外に目をやりますと長いままの竹が山積みされちょります。こんな大きな竹達の根を、この片手でしか持てないような小さい道具で切っていくとは...。しかも、この職人さんが一日に掘り出す竹根の数は信じられないような本数やったです。何十年もやって来られた仕事とは言うても、まっこと職人さんの大変さと、凄さを思うのです。


ニューヨークから始まってニューヨークで終わる、虎竹バックニューヨーカー

 
虎竹バックニューヨーカー、Tiger Bamboo bag


虎竹バックニューヨーカーは今年の二月に開催された全米最大のファッション展示会であるCOTERIE(コーテリー)展で、予想以上の評価を頂戴したのです。出展するだけでも200倍という競争率を勝ち抜いての展示でしたので、参加した事自体が自信にもなりましたし、それなりの成果はあったと思うちゅうのです。しかし、ブースにお越しになられた皆様の感想や意見を聞いて、なるほどと納得する改善点やブラッシュアップできる事が沢山あり、まだまだ課題が多くて本格的な販売に繋がるのはこれからです。


細かい改善点はいくつかあって、ひとつひとつクリアしていかねばなりませんが一番大きな改善点はインナーバックと、竹フレームを繋ぐ紐についてぞね。ところがインナーバックと言うても素材から製法など色々検討せねばならいな事があります。紐を変更するには一番肝心な強度や耐久性、そして見栄えが全く違ってくるのでその辺りの対応、作業性など考えていたら試作を作るまでだけでも道は長いにゃあと遠い目になってしまうがぜよ。


Tiger Bamboo bag


イメージどおりに出来上がれば、間違いなく素晴らしいものになるし、多くの方に喜んでいただける竹バックが完成するはずぞね。そして、虎竹バックニューヨーカーの原型となった60年前の竹バックが元々は輸出用として製作されて海外の女性が持ち歩いていたように、もしかしたら海外の何処かの街で誰かが使って頂けるような事があれば嬉しいのです。


ニューヨークの街角から始まった忘れられかけていた竹バックが、日本唯一の虎竹で再び蘇ってニューヨーカーのお出かけのお供にでもなれば長い時間を飛び越えた竹バックの物語は第一章が終わるのかも知れません。


第16回インターンシップ説明会2016年

竹虎2001年春インターンシップ生と虎竹の里、山の職人


竹虎に大学生の方にお越しいただくインターンシップ(職場体験)に取り組み出したのは、ある経営者の集いが契機となりました。自分達のような地味で仕事などほとんど知られていない竹屋などに来ていただける学生さんなどいないと思いよりましたし、何より、もし来られる事になったら一体どのような事をしたらよいか分からず最初は尻込みしちょったのです。


ところが、自分達と同じような規模の会社様も取り組みをされているし、まず一度やってみないと何も始まらないと思って2001年の春に一番最初のインターンシップをスタートさせたのです。サイトに掲載している竹虎インターンシップには「挑戦!!」と大きく書いていますが、これは学生さんに向けての意味あいもありますが、それよりも自分達受け入れる側に大きな挑戦であったと思います。


しかし、今思っても一番最初に来られた三名の学生のお陰で、その後のインターンシップに繋がりましたぞね。今年で16回目となりますが、初めての取り組みで自分達も何をすれば良いのかよく分かっていませんでしたがそんな心配は不要やったがです。アルバイトでしたら収入が目的となりますが、インターンシップの場合は自分自身の成長を目的として来られています。意識の高い学生さんは、単調な仕事や取り組みにも自分で意味を見つられていました。


竹虎インターンシップ2015年


自分達が当たり前と思っている竹の事が、実は普通では全くないという事を改めて教えてもらい、何でもない事に感激されている学生さんを見て、お互いが有意義な時間を持つ事ができるのではないかと思うたのです。インターンシップに来られた学生さんに何か教えるとか伝えるとか思えばハードルが高くなりますが実は教えてもらうのは竹虎の方だと思うと格段に取り組みしやすくなったがぜよ。


特に一番良かったと思うたのは熟練の竹職人の皆さんに対してです。本社で働く職人も、内職さん達も日頃若い方と話す機会も少ないので、自身の仕事を話すだけで楽しそうながです。そして大学生の皆さんが、職人自身では当たり前と思っている竹の技に驚き、目を輝かせる事に嬉しくて仕方ない様子。


インターンシップが終わった後に指導した学生さんから手紙が届き、一人こっそりと大切に読んでいる姿を見て、色々手間はあるものの、ちっくと(少し)続けてみようか...そう思いながら今年になりました。来週23日(月)にはインターンシップ説明会を予定しちょります、この30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」をご購読の方に学生さんはいないと思いますけんど、お知り合いにおられたら是非教えてあげてください(笑)


竹虎インターンシップ2016年申し込み先コチラ


関維新会講演「21世紀は竹の時代」

関維新会講演「21世紀は竹の時代」


先日は若い方々の中で竹を知らない世代が多くなってきたというお話をさせてもらいましたが、実は竹と離れた生活になっているのは何も若い皆様だけに限ったことではありません。社会に出て活躍されてるようになって30年、あるいは40年というような、ご年配の方々の中にも、たとえば虎竹の里にお越しになられて生えている竹をはじめて触ったとか、竹林に初めて入ったなどと言われる方も少なくない事を最近知るようになっちょります。


関維新会講演、竹虎四代目、山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI


高知市内にありますホテルで、地元の株式会社様が毎年開催されている関維新会の総会にてお話させて頂く機会を頂戴しちょりました。このように多くの方の前でお話させて頂くようになったのは2002年8月の中小企業大学での講演からです。それから全国各地で100回を越える講演の機会を頂いていますが15年経った今でも話のテーマは何一つ変わっていません。


それが、「21世紀は竹の時代」。


色々と切り口は変わり、多少の違いはあるものの、この事をお伝えしたくて、田舎者で何ひとつ皆様のお役に立てるようなお話もできませんが何処にでも飛んで行っているのです。


関維新会講演「21世紀は竹の時代」


竹は、まっこと素晴らしい素材ぜよ。伐採した竹林にも人の手を借りずとも季節になれば筍がドンドンと生えてきます。わずか3ヶ月で20数メートルにまで成長し、3年経てば製品加工が可能になる、こんな継続利用可能な天然資源は他にはまず考えられないと思うがです。


関維新会講演、竹虎四代目、山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI


地下茎が縦横無尽に伸びている様は、天然の鉄筋コンクリートなどと揶揄されますぜよ。実際に日本でも鉄の不足の大戦中には、代替え品として竹をコンクリートの中に使用したと言います。「地震の時は竹林に逃げろ」と、お年寄りからも教わりましたが、これも地下茎がしっかり地面を固めているからですろう。


真っ直ぐに伸びた竹には節があります。空洞の竹は普通に考えれば弱そうなものですが、この節のお陰でどんな強風にもしなり、どんな重たい雪にも耐え負けないのです。この地下茎や、真っ直ぐに天を目指して伸びる姿勢、そして竹の節。人が見習う事ばかりだと、実は自分に言い聞かせゆうのかも知れません。


ポツリ、真夜中のコカ・コーラ自動販売機

竹虎本店前のコカ・コーラ自動販売機


懐かしい画像を久しぶりに見ることになったがです。自分が学生の頃からずっと竹虎本店の前に設置されていたコカ・コーラの自動販売機ながです。観光バスが一日に何台もやって来るような時代、コンビニなど当然ありませんしお客様のご要望もあって店の前には多い時で3~4台の自動販売機が並んでいました。最後に残った自動販売機を撤去したのは、もう随分と前の事ですけんど、この場所には、ちっくと懐かしい思い出があるがです。


竹皮スリッパ製造前


竹虎で販売させていただいて、お陰様でファンの方もおられる商品のひとつに竹皮スリッパがあります。竹皮とは筍の皮の事で、筍が成長して伸びる時に剥がれ落ちる竹皮を使いますぜよ。筍は一日に1メートル以上も成長する神秘的とも思えるパワーを発揮しますが、日本で流通している竹皮は輸入のものが大半で、そのほとんどが使われる事なく竹林で朽ちています。これは、まっこと惜しい事。国産の竹皮が有効活用されているのは、ごく一部の食品包材用の竹皮を除けば、この竹皮草履や竹皮スリッパだけではないかと思うがです。


竹皮スリッパ製造のホコリ


竹皮スリッパには外履き用のEVAスポンジ底を貼りつけます。大きめにカットしたスポンジ部分を接着させてから粗切りしてグラインダーで削りだすのは全て手加工ぜよ。これは竹皮編みの部分を型押しせず、すべて職人の手業だけで形を整えているため、一足一足、左右であっても形が全て微妙の異なるため美しい仕上げのためには、それぞれ手で削るしかないのです。この行程は、とてもホコリがでる作業でした。


竹虎工場の吸引機


今でこそホコリを吸い込む吸引の機械もありますけんど、当時はどうなるか分からない物のためにそのような機械を導入する事はできませんし、工場の電気を使う事すら、はばかられる雰囲気でした。それだけ会社の業績は悪かったがです、そして全く自分の責任ではありますが自分自身が竹虎で全く認められておらず役にも立っていなかったがです。そこで、そんなダメな自分が新しい製品作りのために選んだ場所が、この自動販売機の前やったのです。


竹皮スリッパ製造


虎竹の里は夜ともなれば、真っ暗闇ぞね。時々車のヘッドライトが光る程度の国道脇にポツリと電気のついた前にグラインダーを運び、昼間に合間を見て作っておいた試作の竹皮スリッパを削りよったのです。まっこと(本当に)人が見たら頭がおかしくなったろうか?と思うたかも知れませんにゃあ(笑)道行く人が「ギョッ」とした表情を一瞬見せ、呆れ顔で去っていきます。


竹皮スリッパ製造


けんど、いつも心にあったのは貧乏で休む事なく働かねばならず、元日の朝から竹を切り続けた祖父の話。馬鹿にされながらも諦めなかった竹虎二代目。自分達が何不自由なく生活できて学校に通い、これだけ大きくしてもろうた竹虎を礎を築いた。そんな祖父と自分を重ねて、むしろ誇らしい思いでした。


毎朝、朝礼ではお客様の声を全員で読み上げよりますぞね。竹皮スリッパへのお客様の嬉しいお声を聞くと、あの時の事が無駄ではなかったと格別な思いがあります。けんど、考えたらあんな事は終わったワケではなく、ずっと続きよります。一体何の役にたつのか?馬鹿ではないのか?相手にされなかったり、笑われたり...実は今でも自分は、あのポツリと灯りの灯った自動販売機の前にいる居るのです。


けんど、諦めるつもりは、全く無いぜよ。



青竹踏み界の王様!だから「踏王」足裏にピンポイントの刺激!強力青竹踏み

青竹踏み


青竹踏みの話は、もう何回も何回もさせて頂いて耳にタコができた方もおられるかも知れませんにゃあ(笑)けんど、竹を半分に割っただけの作るのにも簡単、また、使うのにも足で踏むだけなので誰でも、どこでも、いつでも出来る手軽さと簡単さから日本全国どこのご家庭にもある昔ながらの定番の健康器具というように長年信じてきたものが、ある時、若い学生さんを前にして脆くも崩れ去った日の衝撃が今だに忘れられずにいるがです。


「青竹踏みを知っている方いますか?」


実は、この質問は失敗したと思ったのです。きっと知ってる方ばっかりだから沢山手があがってしまいますろう、これは「知らない方いますか?」こう聞いたほうが早かったなあ、そんな風に思ったのです...ところがっ...!当然ご存じの方ばかりだと思っていた青竹踏みを、一体どんなものかほとんどの方が知らなかったのです。


いやいや、これは何かの間違いだろう、たまたまこの学生の皆様は知らずに生活された方だったのだと自分に言い聞かせながら、若い方に質問できるチャンスがある度、同じ質問をさせていただきましたが、どうやら青竹踏みは今日本の若い世代には、すっかり忘れさられているようでした。


青竹踏み


青竹踏みをご存じないようなら、この上級者モデルとでも言うべき強力青竹踏み「踏王(ふみお)」くんなど知る由もないですぞね。普通の青竹踏みは太い孟宗竹を使い、半割にしちょります。緩やかなカーブが土踏まずにフィットして、まっこと気持ちがエイの何のです!フミフミしていると第二の心臓とも言われる足裏の血行が良くなり血圧を下げる効果もあると言われます。東洋医学では内臓の異常が足の土踏まずの反射区という場所に現れると考えられているそうです。ある臓器が弱っている場合、その臓器の反射区を刺激すると痛みがでると聞いて、普段は痛くも何ともない足裏の一部分が、ある時には飛び上がる程痛かった事を思いだしますぞね。弱った部分の反射区を青竹踏みで刺激することにより機能改善に繋がるそうなのです。


このようなお話を聞くと、通常の青竹踏みの気持ち良さから毎日愛用するようになりましたものの、だんだんと慣れてきて、細く急なカーブの踏み竹へのご要望が高まってきたのが納得できるような思いなのです。踏王くんは半割した青竹踏みとは違い、細身の真竹を6対4に割って製造されています。つまり通常なら1本の竹から2本取れるのに、1本から1本の青竹踏みしか作る事ができないのです。けんど、その分、竹の急カーブがピンポントで足裏への刺激を与えてくれて、毎日使うようになると、この青竹踏みを使わないと何やらウズウズしてくるくらいですぜよ。


写真の竹のカーブをご覧いただきましても、普通の青竹踏みのカーブとは一目瞭然!鋭さが全く違います。踏王くんは、青竹踏みのナンバーワン、青竹踏み界の王様ぜよ!だから「踏王」と名付けさせてもろうちゅうがです。


八割れ下駄、二つのこだわり

八割BLACK下駄、竹虎


いよいよ鼻緒の履き物が気持ちの良い季節になってきて毎日出来る限り素足で過ごしたいと思っているのです。竹皮スリッパを初めとして竹皮下駄、虎竹下駄、ちょいワル雪駄まで色々と鼻緒の履き物は沢山持ってはいるのですが玄関までやってきて上履きの竹皮草履を脱いで、いざ外履きに履き替えるとなりましたら、ついつい足が選んでしまうのが、この八割BLACK下駄ながです。


歯下駄や右近下駄など竹皮の台であったり、竹貼りであったりですから足裏への感触が最高ですが、どうしても普通の靴のようには歩けません。けんど、このような下駄でしか見ることの出来ない風景もありますので自分の場合は、どちらかと言うと休日の日や少しゆったりできる時に履くようにしています。そうそう思い出しましたがパリに行った時の事、もう二度と行く事もないと思うて街を竹皮男下駄(歯下駄)で歩きたくて持参しちょりました。ところが歩いてみると石畳の多い街です、足元が不安定で少し歩きづらくやはりその場所ににあった履き物があるのだと思うたものです。


その点、八割BLACK下駄は普通の右近下駄と同じように桐素材の台でありながら八割の言われもとなっています切り込みが入っていて履き心地が木製の下駄と思えないようにソフトながぜよ。あの石畳の道も難なく歩けたのではないかと思いますが、鼻緒の下駄の良い所と、運動靴の歩きやすさという良い面と、両方の良い所取りをした履き物ながです。


八割BLACK下駄、極太鼻緒


昭和の古い時代は良く履かれていた履き物ですので、熟練の職人さんの中には懐かしまれる方もおられますが、この八割には、いつくか自分のこだわりもありますぞね。そのひとつは「BLACK」と名付け事になった黒染めの竹皮。白っぽい竹皮の色合いを落ち着いた黒色にする事で焼き磨きした桐台とも相性よくマッチして全体的に渋い雰囲気になっちゅうのです。


そして、もうひとつのこだわりが極太の鼻緒ながです。竹皮の色合いに合わせて黒一色のご用意しかない鼻緒ですが、この八割BLACKのために専用に仕立てた鼻緒ながです。最近の若い方を中心に鼻緒の履き物に不慣れな方も多くなりました、実は下駄を履くと足が痛いというお声を頂く事も多いので、せっかくソフトな履き心地で多くの方に馴染みやすい、この八割は少しでも快適にご愛用いただきたいと特別に製作する事にしたがです。


孟宗竹の籠と満載のトラック

染めた孟宗竹


こんな事をお話させて頂いても、もしかしたら普通の方にはそれほど関心の無い事かも知れません。けんど、あの太くて長い孟宗竹をこのように豪快にそのまま染め上げて籠に編みあげるなど、日本では他に見かけることは、まず無いがぜよ。


そもそも世界には1300種類の竹があり、日本国内だけでも何と驚くなかれ600種類の竹があると言われちょります。けんど、その中でも三大有用竹と呼ばれる竹があり「孟宗竹」、「真竹」、「淡竹(はちく)」の三種類がそれですが、普通の方が竹と言う時には日本の竹の9割を占める、これらの竹を指すと思います。


赤染め竹かご


同じ竹であり、三大有用竹として言うなれば竹世界のトップ3のスター選手ですが、それぞれその性質は大きく異なるのです。三種類の竹の中でも編組(へんそ)と呼ばれる竹籠などの竹編みに一番多く活用されているのは量も多く粘りとしなやかさのある真竹であり、後は、淡竹(ちなみに虎竹も淡竹の仲間)など...。中でも孟宗竹は太く、身も厚いので丸竹のまま加工されたり、竹箸や竹しゃもじなどに重宝される事はあっても編み込み用の竹材として使われる事は、あまり例がありません。


仮に使われる事があったとしても、それは孟宗竹の丈夫さから竹籠の一部に活用する場合がほとんどではないですろうか。ましてや孟宗竹だけで籠を作るというのは本当に珍しく、編み上がった粗めの竹籠を見ていると、つくづく竹の世界は広く、深いと感じ入ってしまいますぜよ。


黒染め竹がこ


この竹籠達をトラックに満載して運ぶ姿は、こじゃんと(とても)目立っていましたので自分の小さい頃からたまに見かけていた光景です。竹籠なので重さはないものの、その代わりにカサが張りますので荷台にいっぱいに積み上げて走っていたのです。大人になって、日本全国あちこち行く機会があっても、あのようなトラックを一度も見かけた事はありませんにゃあ。


今朝の高知新聞に掲載!日本唯一の虎竹自動車は虎竹の里の熱い思いがエンジンぜよ。

高知新聞に掲載!日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bambo car)


日本唯一の虎竹で製作を進めてきた虎竹自動車の完成が間近となってきましたが、今朝の高知新聞の朝刊全面を使うて本当に大きく、しかもカラーで写真を5枚も掲載して頂いて驚くと共に感謝気持ちでいっぱいながです。もちろん、こうして高知県はじめ沢山の方にご披露させていただくのですから、少なからずプレッシャーも感じなくはありません。虎竹自動車は、完成したらそれで終わりという事ではなく、「チャレンジラン横浜」と銘打ち、この車で来月には虎竹の里から神奈川県横浜市まで走って行くのです。


車体に使うのは光岡自動車さんのLike-T3は二人乗りの電気自動車ぜよ。8時間程度の充電で約50キロの連続走行が可能です。つまり、道中は50キロごとに充電しながらの行程となり10日から2週間程度の時間がかかると考えちょります。まっこと、考えようによっては無謀この上ない計画であり、予想も出来ないような事も起こるかも知れません。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


けんど、行かねばならないのです。今回の日本唯一の虎竹自動車プロジェクトは、忘れられつつある日本の竹を今いちど見直してもらおうと思って一人でも多くの方に「自分事」にしてもらいたかったがです。そこで、クラウドファンデングという手法を使い製作資金を全国の方から頂きました。


一番多くの支援をくださったのは横浜で会社経営をされているヒロタリアンさん。今年に入って虎竹の里に単身お越しいただき、虎竹を伐り、山出しを体験され、選別、油抜きなど一通りの製竹作業をしていただきました。当社の職人がサポートしながら一般の方がこのような仕事をするのは竹虎122年の歴史の中でも初めての事ではないかと思いよりますが、そうして出来た虎竹を、ご希望だった虎竹ランドリーバスケットに編み上げたのです。来月、横浜を目指すのは、ヒロタリアンさんご自身が虎竹の山から出した竹で作ったこの籠を虎竹自動車でお届けする為ぞね。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、光岡自動車(Like-T3)


昨年の夏からはじまったプロジェクトには、色々な意味合いと自分のメッセージを込めているつもりです。最初に申上げたように竹が忘れ去られつつある今に奮い立ったのも、そのひとつ。一番知ってもらいたいのは、虎竹の里で虎竹に毎日、直接関わる竹人達へぜよ。自分達がいかに素晴らしく、最高の仕事をしているかという事、自分達は自信と誇りをもって持ってエイのです。小さい田舎の竹屋ながら、竹を扱い今年で創業は122年、この里にしか成育しない不思議な竹と初代宇三郎が出会ってから100年。日本だけでなく、世界で、どれだけ沢山の方を竹で笑顔しているか、心を満たしているか。自分達自身が一番知らねばならないと思うちゅうがです。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)製造


虎竹自動車にしても、製作する職人達にとっては当たり前の事をやっているだけだし、誰でもできる何でもない事だと思うています。しかし、本当にそうやろうか?きっと、それは違う。誰でも出来る事を、誰でも出来ないレベルで自分達がやっている。その事は、今朝の新聞での大きな記事に掲載いただいた事を見ても分ってもらえるがではないろうか。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、竹虎四代目


だから、自分は虎竹自動車には全く手を触れず、現場の職人達だけに任せてきたのです。必ず、その日までに竹虎の職人はやり遂げると思うたし、それでないと意味がない。そして、完成した車には自分が乗って、すべてを背負って走って行く。


日本唯一の虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


現在、電気系統のトラブルで動かなくなっちゅうのです、けんど何の心配があるろうか。虎竹自動車のエンジンはバッテリーでも何でもない、虎竹の里の燃えるような熱い気持ちで走るものなのです。


パリのレストラン、Neige d'ete(ネージュ・デテ)夏の雪

レストランNeige d'ete(ネージュ・デテ)、西英樹シェフ


パリの15区にあるレストランNeige d'ete(ネージュ・デテ)さんはフランス語で「夏の雪」を意味するらしいがです。夏の雪とは印象的な店名ですので一度聞いたら忘れっぽい自分でもしっかりと覚えてしもうちょりましたが、まさか昨年のNeige d'eteさん訪問に続いて今年もお伺いする機会ができるとは思ってもいませんでした。


そもそも、こちらのお店に来させていただくキッカケも一風変わっちょります。去年の2月に北欧最大の家具見本市であるストックホルム・ファニチャー・フェア(Stockholm Furniture Fair)に参加していました。その時に一度だけ自由時間がありまたので一緒にスウェーデンに来ていた皆様と一緒に近くの観光に出かけちょったがぞね。世界遺産である森の墓地(Skogskyrkogarden)と言う所に行くのにストックホルム中央駅で電車を乗り換えたのですが実は、その時にたまたま日本から来られていた当社のお客様が自分の事を、見つて下さった事が始まりでした。


帰国してからメッセージを頂き、間違いなく自分だとお伝えしさせて頂いたのですが、まっこと遠い異国の地で信じられないような偶然は起こるものだと、つくづく不思議に思っていたのです。田舎者の自分は、そう度々海外へ出る事もありませんが、昨年はたまたますぐの5月に再びヨーロッパにお伺いする予定がほぼ決まっちょりました。けんど、何ですにゃあ。たとえばパリに行く事と言う事が決まると何故ですろうか?今まで全く無かったような話が、「パリ」というキーワードで、まるでタイミングを合わせてくれたかのように次々と繋がります、本当に運が良いと言うか、このような事が人生にはあるものだなあと嬉しく感じるのです。


この時もそうぜよ。何とお客様の娘さんがパリのレストランでパティシエとして働かれているとの事やったがです。しかも、ご自身もその頃にイタリア旅行されている最中なので良かったら一緒に食事しましょうとトントン拍子に話しが進みました。そして、ご一緒させて頂いたのが西秀樹シェフのレストランNeige d'ete(ネージュ・デテ)だったというワケぜよ。


レストランNeige d'ete(ネージュ・デテ)


ストックホルムから偶然が偶然を呼んで、次々と話しが繋がり、前回のパリ、今回のパリ、そしてこの一皿になったのだなあ。そんな事を思いながら食事させて頂きましたが、昨年同様に本当に何と表現して良いか分らないほどの美味しい料理ぜよ。自分の舌はそうそう信用はできないかも知れませんけんど(笑)前に一緒に来られた方は料理関係の方や、食通の方々でしたが皆様最高の賛辞を言われちょりました。そして、それを裏付けるかのように、こちらのレストランは今年、素晴らしい事にミシュラン一つ星に輝いちゅうのです。


日本人シェフが本場のパリにやって来てレストランをする事だけでも大変ですが、星をもらえるようになるまでには自分達には分らないような苦労と努力があったのではないかと思います。日頃、フランス料理などからは縁のない暮らしをしている自分が、渡仏のチャンスにどうしても西秀樹さんの料理を改めて頂きたいと思い、都合をつけてお邪魔させていただいたのには自分なり思いがありました。


全ての原点は竹にあります。竹が人を繋げてくれて、ここに居います。そして、無駄な事や不要な事は何ひとつ無いと思っています。「今度は竹に繋げよ。」そうな風に言われている気がしてならないのです。


竹製玉入れ籠、こどもの日に思う

運動会用、竹製玉入れ籠


昨日の嵐のような雨がウソのように晴れ渡り気持ちの良い天気になりましたので運動会の玉入れ競技に使う玉入れ籠を天日に干すことにしたのです。青竹をそのまま使って沢山編み上げる籠です、先日編み上がった籠も旬の良い竹材ではありますが十分に乾燥できていないものもありました。晴れる日があればと思っていましたが、ちょうど今日は適度に心地よい風もあって絶好の天日干し日よりとなっちゅのです。それにしても南国土佐の太陽は有り難いぜよ、竹籠の陰があんなにクッキリと地面に見えています、これは短時間でも気持ちよく干せそうなのです。


自分の小さい頃には玉入れと言えば竹製が当たり前で他の素材で籠が作られるなど考えた事もありませんでしたが、それも昔の事。玉入れ競技に使われる籠もプラスチック製や布製のものが多くなって、ここでも竹製の籠が忘れられつつあったように思い寂しい気持ちやったがです。しかし、現代の子供達が竹製の籠を使う数少ないチャンスでもある玉入れ競技です、「今さら玉入れ籠など作ってもイカンぜよ」という職人さんの声もありましたが、このまま消えて無くなっていくのは何とも残念と思うてもし売れなかったとしても仕方ないと無理を覚悟で製造数を少しづつ増やしてきたがです。


体育祭、竹製玉入れ籠


そうすると、嬉しい事にひとつ、ふたつ...と竹製の玉入れ籠が見直されるようになってきたがです。職人の仕事は毎日、毎日、続けていくからこそ手業も上達し、スピードも上がってきますぞね。製造個数もそうですが、忘れかけていた編込みの技も数段にアップして、形、強さが両立した玉入れ籠ができていると思っています。もちろん、まだまだ満足できるようなレベルでもありませんが、いつだったか東京フジテレビのニュース番組「スーパーニュース」にも取り上げて頂いた事もあるくらいにはなってきましたぜよ。


運動会、体育祭、竹製玉入れカゴ


竹製玉入れ籠は全国の幼稚園から小、中、高校など学びの場からのご注文がほとんどですので価格は意識的に安価に押さえて、お求め易いようにさせてもろうちょります。遠くにお送りする場合など、軽いものの、かさばって大きな段ボール箱でないと入りません。あれこれ考えますと、まったく利益のない商品とも言えますが、この竹籠との出会いが竹との初めての触れあいになるチビッ子も沢山いるのではないかと思うのです。


日本中に竹林(手入れされていませんので、多くが竹藪ですが)はあって、何処に行っても目にする事ができますけんど、人のために有効活用されている竹となると本当に少なく、竹林に近寄る機会のある人も想像するよりずっと少ないのです。未来を担う子供達の笑顔を、たとえ運動会の一日といえども竹籠が作る事ができるのなら道は決まっちょります。出来るだけ頑張って今のまま現状維持で続けていきたいと考えちゅうのです。


「動かない...」日本唯一の虎竹自動車

虎竹自動車(Tiger Bamboo car)、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)


「動かない...」


この日本唯一の虎竹自動車は普通のガソリン車ではなくて電気自動車なのです。驚くような成長力から継続利用可能な唯一の天然資源と言われている竹を使う自動車なら、クリーンな電気自動車でなければならないと思うのですが、電気自動車はガソリン車と比べて、トラブルがあった場合には、まっこと(本当に)ウンともスンともいわないのです。


そう言えば最近はオートマチック車ばかりですので、もしかしたら同じ事かも知れませんが、その昔、山の中でエンジンがかからなくなって山の職人さんにも手伝ってもらって車を押した事を思い出しよりました。クラッチを踏み込んでおいて走りだしたらパッと離してアクセル踏み込むとエンジンが回りはじめるがです。会社で乗っていた車は古くて、特に冬場などかからない事が多かったがです。何度もやっているうちに「押しがけ」が上手くなって坂道があれば一人でもかけられるようになりましたぜよ。


虎竹自動車


けんど、これほど微動だにしないのであれば、恐らく充電不足か何かだと最初は軽く思っていたのです。なにせ昨年の11月からここに置かれちゅうのです。ちょうど虎竹のシーズンに入った時に納車されましたので、忙しくてそのまま手つかずで置いていて、その後、竹の車に製造されている間もじっと動かずにいたものの勝手に放電して知らない間に電気が底をつく事もありえます、ところが...


「何っ...!」


実は充電は適時行われていて、見てみたらいわゆるバッテリーは満タン状態ながぜよ。これは、困った!バッテリーで無いとしたら一体何だろうか?さっそく皆で原因をあれこれ探りましたが、それらしい箇所が見つかりませんぞね。


虎竹自動車(Tiger Bamboo car)


電気系統周りで竹虎の職人が触ったところはフロント部分だけですので、そこを入念に調べても分かりません。いよいよこれは専門家に聞かねば分からないという事で、光岡自動車の担当の方に何度か電話をかける事にしました。そして、座席を取り外し、後部荷物置きに張りつめた虎竹ヒシギを取り壊して外す事にしたがです。


考えようによっては、今のタイミングで、このようなトラブルが今起こっていてくれてラッキーやったかも知れんませんにゃあ。これが何処かで止まってしまったら、このようにメンテは出来ませんですろう。後ろにバッテリーが積まれていますが、ここを開ける必要があるようなら、竹の造作を次にやる場合には取り外しを考えた構造にせねばなりません。


虎竹自動車(Tiger Bamboo car)バッテリー


バッテリー部分の蓋を取り外してみましたぞね。電話でのやり取りで、どうにか上手く対処できないかと思っていましたが、簡単な構造のようでもなかなか細かい所が分かりにくいのです。今後の事もありますし、一度専門のメンテナンスの方にお越しいただく事にさせてもらったのです。


ちょうど連休ですので、いくら焦ってもどうしようもないがです。明日来られたら詳しく原因を見ていただき、他の箇所でも同じようなトラブルが起こる事がないか、この機会にしっかり見ていただきたいと思うちょります。


高知新聞さん、日本唯一の虎竹自動車取材

高知新聞、日本唯一の虎竹自動車取材


二日間に渡って高知新聞さんの取材があったがぜよ。元々の取材は虎竹の竹林から工場や店舗など幅広く写真に撮って頂いて会社全体を掲載いただくと聞いちょりましたが、日本唯一の虎竹自動車の完成が近づいちゅうという事で、急遽、この竹の車にスポットを当てて頂けることなったがです。


何かで機会がある度に高知新聞さんの事はお話をさせて頂きます。地方では地元密着の地方新聞が何というても身近な存在でもあり、一番の情報源でもあるのですが竹虎の場合にはお客様にお届けさせていただく荷物の緩衝材としてずっと愛用させていもらっています。そして、全国のお客様がそのクシャクシャになった新聞を隅々まで読んで竹虎にその感想などいただけるのです。そうそう、先日などは自分達の見逃した竹虎の記事までお客様にお教えいただいた程なのですから、まっこと(本当に)ビックリぜよ。


そんな高知新聞さんの取材ですが、今回こられた記者の方は凄かったちや。まっこと、どうしてそんなに撮るのか?と言うくらい写真を撮られちょります。上から下から横から前から、最後にはベッタリ寝そべっての激写!さすが、これがプロの仕事と教えられました。けんど、ハタと気がつけば夕日が焼坂の山に入りかけて、社員も全員いなくなっちょりました。この時の記事は来週の5月9日(月)の朝刊に掲載される予定ですきに高知の皆様は楽しみにしちょっとうせよ!県外の皆様にも記事は出来るだけ早くご紹介させてもらいますぞね。


日本唯一虎竹自動車製造(Tiger Bamboo car)


さて肝心の日本唯一の虎竹自動車ですが、フロントの顔周りで紛糾しちょりました。やはり車の顔として大事なところですが、何度やり直してみても、どうしても職人が納得できずにいた所ながです。虎竹の太さや色目、割幅、迷いだしたらきりがないですろう。


日本唯一虎竹自動車製造(Tiger Bamboo car)


取り付け幅、角度など細かく指示を出して仮留めして、だいたいこんな感じで仕上げるようにようやく決定したがです。


日本唯一虎竹自動車製造(Tiger Bamboo car)


車体の曲がりにピッタリ添うように竹は熱を加えて微妙な曲がりを付けています。曲げては車体にあてがい、また熱を入れて...これを繰り返していきますので、なかなか地味な仕事ぜよ。


日本唯一虎竹自動車製造(Tiger Bamboo car)


いちど全ての竹を仕上げた後、一端全て竹を外しました。これから竹編みがまだまだ必要ながです。竹ヒゴをどれくらい使うのか?出来映えを確認しながら見ていますが、結構な本数の虎竹を使いそうですちや。


日本唯一虎竹自動車製造(Tiger Bamboo car)


フロント部分に入れるように半割にした細めの虎竹を後ろにも入れていく予定ぞね。まず一本背骨の位置に入れると、それなりに引き締まった雰囲気になりエイ感じです。ここの部分も、これから編み込みをしっかりやっていきますので、まだ仮留めの状態ですがバランスを見ながら入れる本数や長さなど調整していきます。


そうこうしている時に悲劇が起こります。


竹炭のペットたち

竹炭ペット(Bamboo charcoal Pet)


竹炭ペットをご存じですろうか?竹虎のサイトにご来店いただいて竹炭を探しているうちに竹炭ペットを見つけてお問い合わせをいただく事もありますけんど、もう十数年前からずっと根強い人気を誇りつづけちゅうペット達ぞね。炭塗料をポリレンジ素材の真っ白な動物の型に塗布した置物をメーカーさんが開発された直後に、たまたま目に付いたのが自分が当時飼っていたゴールデンレトリバーそっくりやったもので可愛いにゃあと思うたのが始まりぜよ。


竹炭ペット(Bamboo charcoal Pet)


素材自体は型を使うて大量生産できるものなので竹細工などとは随分と違うものですが、二度塗りして制作される塗装にはすべて専門の職人さんが一つ一つ丁寧に手塗り、乾燥を繰り返して仕上げられちゅうのものなのです。竹炭塗料の中に漬け込めば早く出来あがりそうなものですが手塗りでないと身体の毛並みなど細やかな表現ができず、すべて職人の手仕事というのが気に入ったところぜよ。


竹炭ペット(Bamboo charcoal Pet)


「人形は顔が命」と言われますが本当にその通りやと思います。鼻や爪など細部の仕上げ塗りの中でも特に目に光沢のある塗装を職人さんが施す瞬間、まさに竹炭ペットに命を宿すように感じて、ついつい仕事に魅入ってしまうほどですぞね。


竹炭塗料(Bamboo charcoal paint)


竹炭塗料(Bamboo charcoal paint)は元々は床下の基礎部分や室内の壁面部分などに調湿や消臭、遠赤外線、マイナスイオン効果のために塗布するものなのです。新しく家を建てられる方や、リフォームなど多少なりとも手間のかかる場合での用途が多いので、あまり一般的に利用される事は無かったがです。


ところが、このような小さな置物にも使用を広げる事によって今まで以上に多くの方に竹炭を知っていただき身近に感じていただく事ができるようになったがぜよ。


竹炭ペット(Bamboo charcoal Pet)


犬派はアウトドア、猫派はインドアというように勝手な自分の印象がありますが自分は圧倒的に犬派なのです。虎竹の里のような田舎では一軒家が普通で、狭いながらも庭があったり、池があったりするお宅も多いがです。だから犬や猫が家にいるのは当たり前のように思うて育ちましたので小さい頃から近所で犬をもらってきて飼いよりました。けんど、猫を飼おうと思うた事はないですにゃあ(笑)


竹炭ペット(Bamboo charcoal Pet)フクロウ、福郎、不苦労


竹炭ペットは鳥やウサギもいるのですが、フクロウは「不苦労」とも「福郎」とも書きますし、西洋では知恵の象徴ともされてちゅうので好きな方が多いようです。お客様からのお便りで、とにかくフクロウの置物を焼き物だうろが、金属、自然素材など何でも問わず収集されている方もおられましたちや。もちろん、竹炭フクロウもお届けさせて頂いたのですが、まっこと(本当に)世の中には色々な好みの方がおられて、それぞれの楽しみ方もあり面白いものやと思うがぜよ。


竹虎通信2016年5月号、若き新入社員たち

竹虎通信2016年5月号


竹虎で毎月発行している竹虎通信は、自分達からお客様への短いメッセージのようなものですが、その月々で一番お伝えしたい旬の情報をA4用紙一枚にまとめてお送りさせて頂いちゅうがです。振り返ってみましたら2002年9月から毎月必ず続けていますので、実は、もうかなりの回数を数えているかと思います。そう言えば通し番号を入れてなかったにゃあ...来月号からはナンバリングをしてもエイですにゃあ...。まあ、それはさておき今月の通信では、こじゃんと(とても)嬉しい内容を掲載しているのです!


今月の竹虎通信を一目ご覧いただきましたらお分かりのように大きく中央に載せているのが5月号の主役、宮谷君ぜよ。地元高校を卒業されて新卒で入社して頂いたニューフェイス!まさにピカピカの一年生ながぞね。このように新入社員にスポットを当てて紹介しますのも、あまり無い事かも知れませんが、自ら職人の世界に飛び込んで来た宮谷君に、それだけ大きな期待が掛かっているからなのです。


新卒の方で竹虎の工場での仕事を選んでいただき入社いただけるなど今まで本当に少ない希な事なのです。数年前に大崎君が職場に来られた時にも同じように感じたのですが、若々しい新顔が一人増えるだけで工場の雰囲気は随分と明るく風通しが良くなったように思います。


まだまだ日も浅く、職人としての修行が始まったばかりではありますが、数年先輩の大崎君は、日々成長を続けてくれて近頃では顔つきから入社の頃とは全くの別人のように逞しくなってきちょります。モノを創る事に関わりたいと言う事で来られる事のなった、このような若者達が自分の力を発揮して活躍できる日が一日でも早く来るように応援していきたいと思うちょります。