高祖父、山岸安兵衛の本政寺奉塔 その2

山岸義継、山岸靖一、山岸義浩


山岸家代々の事を調べていただいた山岸靖一さんが目の前に1917年に亡くなった安兵衛の野辺送りの参列者名簿を広げた瞬間にササッーと鳥肌が立ちました。「古谷」という名前が3名も書かれていたからです。


「古谷」は虎竹の里に多い姓であり、今でこそ車社会となり安和にも他の地域から人の行き来がありますが交通不便な当時は、ほとんどが「古谷姓」と言ってもよいほどだったそうです。大阪の大学に通っていた四年間でも、こちらで古谷姓を聞いたことは一度もありませんでした、きっと大阪ではそんなに頻繁に目にする姓ではないのではないでしょうか?それなのに、大阪での葬儀で、この人数の中に古谷が三名...!?


山岸安兵衛野辺送り参列名簿


案の定、父親に確認してもらうと三人とも虎竹の里の方々でした。大阪天王寺にあった曾祖父、宇三郎の竹工場には遠く安和から沢山の方が働きに来ていたといいます。虎竹が大阪に運ばれて来ただけではなく、竹の職人として人の交流も盛んにあったという100年以上も続いてきた虎竹の里の竹と山岸家の関係は、何度も話で聞かされてきた通りだったのです。


本政寺奉塔入用書


高祖父、山岸安兵衛の奉塔へは、始めて製作した虎竹自動車の報告と来週からスタートする「チャレンジラン横浜」の安全祈願という意味でも来させてもらっていましたが、このように古く自分達にとっては貴重な資料を拝見させて頂き更に強く感じる事になった事があります。


虎竹の里


虎竹の里は、何処にあるのですろうか?


虎竹の里は、地名や場所の事ではありません。そして同じように虎竹も自分達にとってはただ単に虎模様の浮き上がる珍しい竹という、それだけの事ではないのです。


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