製竹作業

職人による製竹作業風景


冬場に伐採した虎竹の入荷も終わり、工場内の整理も終わって、虎竹を製品として製竹する油抜き作業が本格化しました。竹は油分の多い植物なので、余分な油抜きをする事で耐久性の向上、竹表皮の汚れ落としやツヤだしの効果が出ます。油抜きによって表面についた汚れを取り除き、綺麗な虎竹独特の虎模様がでてくるのです。


油抜きをしたあとの綺麗な虎竹がそのまま山に生えていると思っていたという人がいて驚いたことがありますが、こちらがわかっていて当たり前と思っていことも、人によっては当たり前ではなく、説明をしっかりしていかないとわかってもらえてないことがまだまだあるように思います。


青物細工のように油抜きをしないで、そのままの竹を使って作るものもありますが、虎竹はすべての竹をまずバーナーの火であぶり、綺麗に油抜きをしてから加工に入ります。建築材料や袖垣などに使用する虎竹は、油抜きと同時に矯め作業を行って真っ直ぐにしていきます。真っ直ぐに立っているイメージの竹ですが、倒してみると結構曲がりがあり、使いにくいためです。


竹はタケノコから3ヶ月で親竹と同じ大きさになり、3年ほどかけて身をつけて固くなっていきます。生え始めの頃は、大きさが大きくてもまだしっかりと身が入っておらす、触るとなんとなく柔らかいように感じます。そんなものが細く、高く立っているので、どうしても風や他の竹などの影響を受け、曲がりがでてしまいます。


虎竹よりも柔らかく、身の薄い黒竹は風などの影響をより受けやすいのか、曲がりの大きいものが多いです。また油抜きをする際に出る油も、虎竹よりも黒竹の油は粘り感があり、重いと感じます。その分しっかり、上手に炙らないと綺麗にふき取りができません。その上、身が薄いために炙りすぎると中の空気が膨張して破裂するリスクも大きいのです。


実際に扱っていると、見た目以上に竹によって性質の違いがあることを実感します。同じ種類の竹でも、乾燥度合いや身の厚さ、強度、粘りなど、それぞれが違うものと感じます。それをしっかり分かったうえで、質感や色や持った時の感じなどでその竹を理解し、それに応じた熱の入れ方や矯め方をして行く必要があります。


わからずやっていれば竹を破裂させたり、折ってしまうことになります。ある程度は仕方ない部分もありますが、それを減らすには失敗の原因や成功の原因をいつも考え、1本1本の竹と真剣に向き合うことです。伐採から油抜き、そして加工の繰り返しをやっている竹虎工場の職人たちは誰よりも虎竹を知っているはずです。それをしっかり自覚し、誇りをもって、日本唯一の虎竹に負けない仕事をしていかねばと思うのです。

目打ち作業

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竹には枝がついているので、伐採後そのままでは束にしたり運搬ができないので、山で枝を払って落とします。枝は上方向に生えているため、上方向から下方向にそのまま枝ごと取り払ってしまうのを逆打ちと呼んでいます。


でもそれでは竹表皮の皮ごと剥いでしまうので、虎竹のように竹表面を綺麗に使いたい場合は、枝の生えている方向に鉈を振り、枝の付け根を残して枝を取り払います。これを竹虎では本打ちと呼んでいます。


製竹の際に、その残った枝の付け根を取る作業をしなくてはいけませんが、こうしておくと竹表皮を剥ぐことなく、綺麗なままでの製竹ができるのです。その残った枝の付け根部分を取り除く作業を目打ちと呼んでいます。


竹の節部分に鋸を当てて枝の付け根に切れ目を入れ、鋸の背部分でその枝部分を払って取り除きます。この作業で注意することは鋸で切れ目を必要以上に深く入れすぎないことと、少し斜めに鋸を入れていくことです。


曲がった竹をまっすぐにする矯め作業では、曲がった竹を節部分で伸ばしながらまっすぐにしていきます。鋸目を深く入れすぎてしまうと、その部分を伸ばした際にそこから折れてしまう恐れがあるからです。また斜めに入れるのは竹に触った場合にケガをしないようにできるだけ角が立たないようにするためです。


毎年のインターンシップ生にも体験してもらっているような、初心者でもすぐにできる簡単な単純な作業ではありますが、この作業の意味やこの後の作業をどのように進めるか、枝を取り払った跡が目立たない目の打ち方など、考えることはたくさんあります。


入社したての若い職人がこれを単純な作業として1日やるのと、いろいろ考え、試し、1本1本違う竹を感じ、自分のした仕事を見てまた考えることを繰り返しながら1日やるのでは、この先の成長に大きな違いが出てきます。


単純に見える仕事の奥深さを、せめて自分たち職人だけは知っておかなければいけません。この仕事を楽しめるかどうかは本人次第です。どうせやるならいろいろ考え、気づき、自分のやっている仕事に誇りを持ち、まだまだ未熟な自分を認め、少しづつ分かったり、出来るようになっていく竹屋の小さな楽しみを見つけて欲しいと思うのです。

新竹の製竹作業

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竹は秋から冬にかけてが伐採シーズンです。今シーズンも虎竹が少しずつ山から伐り出され、竹虎工場に運び込んで来ています。長いままトラックに積み込んで、まずは虎竹の色を見て、大きさや用途に合わせてカットし、またそれを細かく用途に合わせて選別します。


ある程度大きくて長いものは4mにカットします。割り剥ぎし、編んだり、巻きつけたりする竹細工用の竹は出来るだけ素直な、細工に適した竹を選り分けておきます。


あまり大きく曲がっていたりする竹は油抜きと一緒に矯正作業をして、出来るだけ真っ直ぐにし、加工材として使用します。ホームぺージで販売している竹材は大きいものも小さいものもほとんどこの加工をして、使いやすいように真っ直ぐに矯正しています。


油抜きや真っ直ぐにして竹材という製品にして販売できるように加工することを竹虎では製竹と呼んでいます。竹を割り剥ぎして籠を編んだり、組んだりして製品を作ることと同じで、綺麗に油抜きし、真っ直ぐにしていくことも、虎竹という1つの製品を作ることです。


ただバーナーの熱で竹を炙り、綺麗に油を拭き取り、真っ直ぐに矯正するだけではありません。1本1本、粘りや厚みや大きさ、曲がり具合や乾燥度合が違います。虎竹のいろんな模様や微妙な色具合でも、その竹の性質は見てとれます。


どんな山から竹が出ているかを知り、その山から竹を取って来て、いつもその竹を油抜きし、切ったり、割ったり、剥いだり、加工している竹虎の職人にしかわからない虎竹があります。でもそれは数千本、数万本さばいたから分かるものではなく、すべて違う一本一本に真剣に向き合い、常に考え、感じ、気づこうとする者だけがわかることだと思います。


今までの経験と知識とテクニックだけで作業し、曲がった竹を真っ直ぐにして、それで満足してもらっては困ります。一日やれば炙り過ぎて竹を破裂させたり、押しすぎて折ってしまう竹が数百本のうちに数十本は必ず出ます。仮に真っ直ぐに出来たとしても、本当に竹を分かって真っ直ぐにできているのか。


目の前の虎竹は間違いなく今まで見てきた虎竹とは違います。経験をもとにしながらも、ほんのちょっとした竹の動きや重さや反発、熱の入り具合や癖や色、立ち上る湯気からも感じることはたくさんあります。


これから新しいことにチャレンジしていくためにも、まずいつもの目の前の仕事でもっともっと深く考え、学び、進歩し、日本唯一の虎竹を本当に知る、本物の竹屋にならなければと、いつもいつも思うのです。

竹と向き合う

竹と向き合う


虎竹は山から刈りだされた後、土場で1本1本大きさや色つきごとに選別され、それから竹虎工場にトラックに積み込まれてやってきます。それをまた大きさや色つきによっていろいろな規格の長さに切断していきます。


その後、竹をガスバーナーであぶる油抜きという作業をして、竹の中の油分をしみださせ、竹の表皮についている油分と汚れを溶かして拭き取って綺麗にしていきます。


竹は真っ直ぐに伸びているイメージがありますが、立っているときは分かりにくいですが、倒して横にすると思った以上に曲がっています。竹は熱することで柔らかくなるので、油抜きの時の熱を利用して、同時に曲がりを矯正する、矯めるという作業をすることがあります。


竹細工用に割ったり、短くして使う分には構わないのですが、建築材料や加工材料として使う場合は、真っ直ぐに矯正しておかないと使いにくいために、この矯める作業というのは竹材を扱うものとしては当然必要な、大変重要な作業の一つです。


矯める作業というと、油抜きされた虎竹を矯め木と呼ぶ大きな穴の開いた木に差し込んで、真っ直ぐに矯正していく作業ですが、その作業が出来るように、虎竹をバーナーで炙り、油分と汚れを綺麗に拭き取り、そして竹を柔らかくするために適度に熱を加えるという作業も重要です、


油抜きだけの作業であれば、必要以上に竹に熱を加える必要はありませんが、竹を矯めれるくらいに柔らかくするのには、ある程度の熱入れが必要です。しかしあまり火を入れ過ぎると焦げてしまったり、竹の節の中の空気が膨張してパンと破裂してしまうことがあるので、そうならないように気をつけなければなりません。


竹は1本1本すべて曲がりや大きさや身の厚さ、乾燥具合や性質が違います。1本の竹でも先の方と根元の方でも身の厚みが違いますし、節間の長短によっても破裂する限界は違います。


持った時の竹の重さ、あぶった時の油の出具合や質感、虎竹の模様や色の変化などから、その竹の乾燥具合、身の厚さ、固いか粘りがあるかなどを見極め、竹の曲がりも見ながら、その竹のあぶり具合を判断して適度に熱を入れなければなりません。


油抜きの作業自体は毎年のインターンシップ生に体験してもらっているように、教えてもらえばそこそこやることはできます。それを綺麗に、早く、そして1本1本竹を見て、わかって、それに応じて熱を入れていくためには油抜きの作業をうまくなるのではなく、竹を知ることです。


1年目の新入社員はまだまだ全くわからないようで、何本も破裂させてしまいます。もう30年もやっている職人でさえ、その判断は難しく、たまにパンっと破裂させてしまいます。しかし難しいですが、難しい事を当たり前にできてこそ職人ですし、そうありたいと思います。


そのためにもまず竹をもっと知り、竹にもっと向き合い、まず竹の職人にならないといけないと思います。職人の仕事にゴールや完璧や満足はありません。竹虎の職人が得意とする矯めるという作業1つとっても、いろんな意味でまだまだだと、パンっと竹が破裂する音を聞くたびに、そう感じるのです。

職人への道

若い職人


先日のブログで刃物の研ぎ方の話をしましたが、若い職人に刃物の研ぎかたの基礎を教えました。自分のやり方が本当に合っているのかわかりませんし、一度やっただけでは何もわからないと思うので、基礎を踏まえながら少しずつ自分のものにしていけばいいなと思っています。


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研いだのは竹割り包丁と切り出しナイフでした。竹割り包丁は読んで字の如く、竹を割ったり剥いだりする刃物です。竹を割るときに刃がひっかからないように、綺麗に研いだ刃を少しつぶしてから使います。


またあまり綺麗に薄く刃先を研いでしまうと、割っている最中に刃をこねたりした際に刃こぼれの原因にもなりかねず、研ぎ具合は本当に微妙で難しいものとなります。


逆につぶしずぎてしまうと、最初に竹に割り込みを入れる時に刃先を竹に入れにくくなってしまいます。今回初めて竹を割った職人は、まず最初の竹に割り込みを入れることに苦労していましたが、これは包丁の切れ具合ではなく、竹に刃先を入れるコツがまだまだわからない様子でした。


刃物の研ぎ方も、割ったり剥いだりすることも別々の作業ではなく、すべて繋がっています。研ぎ方が悪ければ効率も悪くなりますし、いくら綺麗に研げてもやり方が悪かったり、腕が悪ければ効率も上がりません。それ以前に職人の気持ちの持ち用も技量の上達や効率には大きく影響してきます。


まだまだ先は長く、いつになるかわかりませんが、本当の意味で職人と呼ばれるような職人に自分をはじめ、竹虎本社工場にいる全員でなっていかねばと思うのです。

砥石の面直し

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入社3年目と1年目の竹虎の若い職人にも、少しずつ竹を割ったり剥いだりすることを教えていくことになりました。教えると言っても自分もまだまだ未熟で、どれだけ教えられるかわかりませんが、ちゃんと教えられるように、基本にそってもう一度一緒に勉強しようと思っています。


竹を割ったり剥いだりするには、まず刃物の研ぎ方を覚えなくてはなりません。これは刃物を使う仕事の人はまず最初に覚えることだと思います。実際に刃物を使わなくても、機械に刃物がついている道具を使う場合も同じではないでしょうか。


竹を剥ぐ機械もありますが、その機械の刃の位置や角度の調整と共に、その刃の切れ具合とのバランスで綺麗に剥げるかどうかが決まります。その調整などもやはり経験は必要で、自分などはまだまだ正解がわかっていないのが現状です。


基本的に竹を割ったり剥いだりする刃物は、切れすぎると刃が竹に食いこんでしまうために、綺麗に研いでおいてから刃先を少しつぶします。綺麗に研ぐのも難しいですが、その潰し加減も微妙で、使いながら自分のものにしていくようになります。


そしてその刃物を研ぐ前にまずやることが、刃物を研ぐ砥石の面直しです。刃物を砥石で研いでいると砥石の中心が凹んできます。そんな砥石で研いでも刃先を同じ角度で砥石に当てることができなくて綺麗に研げないので、研ぐ前には必ず砥石を平面にすることが何より重要で基本です。


とはいえこの面直しはすごくめんどうであまり好きな作業ではなく、ついつい怠ってしまうことが多いのですが、今回はきっちりと教えていこうと思います。以前は平らな目の細かいコンクリートブロックに砥石をこすりつけて砥石を平らにしていましたが、今は研ぎたい砥石より荒い砥石を使って砥石の面を平らにしています。


面直し砥石という砥石の面を平らにする砥石もあるようなので、この機会にいろいろと試してみようと思っています。いい仕事のできる職人は道具を大事にするとはよく言われることですが、少しの切れ具合の違いで能率が悪かったり、うまくいかないことも多いものです。


自分の刃物を持ち、研ぎ、使ってみながら、いろいろなことを感じ、考えていくことも職人になる第一歩です。また割り剥ぎする竹も一本一本違います。たくさんの竹を割ったり剥いだりする過程で、割りにくかったり剥ぎにくかったりを繰り返しながら、竹という素材を少しずつ知っていけると思います。


この砥石の面直しを第一歩として、自分も含めて、みんなで一緒に成長していかねばと思うのです。

ゴム張り手袋

ゴム張りの手袋


竹を割ったり、剥いだり、編んだりする時には一般的には手袋などしませんが、山に入って竹を切ったり、トラックに積み込んだり、束にしたりする場合には手袋をはめて作業をします。手袋にもいろいろあって、軍手やゴム手袋、皮手袋など様々で、用途に応じて使い分けています。


自分がいつも使っているのはゴム張り手袋と言って手のひらの部分にゴムの貼っているものです。これは通気性もあり、柔らかく、すべらないという点で一番使いやすいと思うのです。冬の朝、山に行くと夜露で竹が濡れていても、滑らず、ゴムを貼っているので濡れにくいという点でも、この仕事には最適な手袋だと思っています。


私が入社したころにはトラックも何台もあり、山にも毎日ひっきりなしに竹を取りにいくほど竹も出ており、それに従事する社員さんも何人もおりました。その時の先輩社員さんたちがみんなはめていたのが、このゴム張り手袋でした。


その先輩たちにならってこの手袋を使いだしたのですが、竹を運んだり、扱う分にはこの手袋はクッション性もあり、荒い作業をしても手が痛くなく、みんなが使っている意味がよくわかりました。


しかし竹を出荷する時に荷造りとしてきっちりヒモでしばっていく時に、この手袋は厚みがあるために細かい縛り方が非常にしづらくて、慣れるのに随分と時間がかかったことを覚えています。しかし何十束も束にしていると締め上げたヒモが手に食い込んで、痛くなってきます。それを和らげてくれるのもこの手袋でした。


もう30年近くもこの手袋を使っていて、他の手袋を使う気にはなません。すべる軍手でトラックのロープを締め上げても締りません。一日中山で鉈を振る時もすべる軍手とすべらない手袋では能率や疲れ方も違ってきます。この手袋も大事な仕事道具の一つなのです。

矯めるということ

竹を矯める


竹は立っている時は真っ直ぐに伸びているイメージがあると思いますが、伐り倒して見てみると、曲がっている竹が多い事に気づかされます。竹は筍の状態から生えてきて、たった3ヶ月で大人の大きさに成長します。しかし大人の大きさに成長しても、身はまだ柔らかく、2~3年をかけて固く成長し、虎竹のような色の付く竹は少しずつ色がついてくるのです。その柔らかい時期に風に吹かれたり、隣の竹や木に邪魔をされたりしながら曲がってくると自分は考えています。


その曲がったままの竹では内装材や細工物に使うのに、使いづらいので、油抜きをしながら、その熱を利用して竹を真っ直ぐにすることを矯めると呼んでいます。固く大きく、厚みのある木の板に、竹に合わせていろいろな大きさの穴を開け、その穴に竹を差し込んで、曲がった部分を矯正していくのです。節の部分を起点に、曲がりとは逆の方向に曲げて、熱によって柔らかくなった竹の繊維を伸ばしていきます。そのことを竹虎では「ころす」と呼んでいます。しっかり曲げてその部分をころしておくことで、竹の熱が冷めても竹が元の曲がりに戻らないようになります。


1本の竹の中にあるたくさんの節のその1節1節、その竹の曲がった部分と方向を見極め、的確に曲げてころしていくことには経験が必要になってきます。竹虎でも今では自分ともう一人の職人しかできない仕事なので、最近になって若い職人に覚えてもらうことにしました。曲がっている竹を真っ直ぐにするということは、なんとなく分かるようなのですが、どこをどのように、どの方向に、どれくらいの強さで押していけばいいのかが、まだわからないようです。またその押し方は竹への熱の入れ方の具合や、その竹の性質によっても微妙に違ってきます。


また竹によっては同じ方向に曲がっているものばかりではなく、捻じれているものや、あちこちに曲がっているものも少なくありません。それを見て、押すべきところだけを的確に押して、ころしておき、竹が冷めてから、真っ直ぐに仕上げていきます。前にいる人がバーナーで油抜きをして、熱を加えた竹をどんどん後ろに流してきます。それをどんどん捌いていかなければなりません。熱の入った竹をしっかりころして置いておき、冷めたころに真っ直ぐに仕上げていきます。真っ直ぐにする技術も必要ですが、同時に早さも必要です。遅ければ矯めかけの竹がどんどん自分のところに溜まってきてしまいます。


職人というのは綺麗にうまくやることは当然ですが、速くやるということがコストを抑える面でも非常に大切です。捌けなくてどんどん溜まっていく竹は自分の技量不足でしかありません。隣の職人がどんどん捌いていってるのに自分のところはどんどん溜まっていくことは自分の技量不足を思い知るいい機会です。私もやり始めたころは、なかなかうまくいかず、どうやったらいいのかわからず、どんどん溜まっていく竹に苛立ちながら仕事をしていた時期がかなり長い時間あったことでした。それが少しずつ分かってきて、少しずつ早くなり、なんとか人並みに捌けるようになりました。


「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、その後には、「百見は一考にしかず」、「百考は一行にしかず」、「百行は一果にしかず」と続きます。自分たちの仕事は見て知っているだけでなく、その後考え、行動し、成果を出してこそ本物になります。今まではなんとなく見て知っているつもりの矯めるという作業を実際にやることによって、その難しさや技術を理解し、竹が1本1本違うことを肌で感じ、そして成果を出してこそ、本当の意味で矯めるということを知っていると言えるように思います。


いつになるのかわかりませんが、この若い職人が矯めるということを本当にわかってくれて、竹というものをまた一つ知り、わかってくれるのを期待しています。と、同時にそういう自分はどれだけわかっているのだろうか、竹という素材や竹の仕事をどれだけ本当に知っているののだろうかと考えた時、知らないことがまだまだ多いと思わずにはいられません。

奥四万十博オープニングイベント

若手の竹虎竹職人


奥四万十博とは高知県高幡地域(須崎市、中土佐町、四万十町、梼原町、津野町)に広がる奥四万十エリアで開催される旅の観光キャンペーンです。4月10日から12月25日まで開催され、この地域に来てもらった人々に自然や旬の味覚、人情などに触れてもらって心癒され、リフレッシュしてもらおうというものです。


そのオープニングイベントがマルナカ須崎店の駐車場で開催され、竹虎もこの奥四万十博のサポーターになっていますし、日本唯一の虎斑竹を1人でも多くの県外のお客様に知っていただこうと、久しぶりにイベントに出店してきました。


出店には店長の他に竹虎本社工場にこの春採用となった新入社員と数年前に入っている若い職人の2人にも行ってもらいました。普段はお客様と話すことや接客をほとんどしない工場の職人に、お客様の前に立って、挨拶をしたり、接客をしたり、お金のやり取りをしたり、いろんなやり取りの中で買っていただける喜びや、感謝の気持ち、また物作りをする上で何か気づきがあればと思ったからです。


普段はあまり目にすることのない店舗の商品を前に、興味や疑問がたくさん湧いたようですし、何よりも、疲れたけど楽しかったと聞いて、来てもらってよかったと感じたことでした。また一つ違いの若い2人の職人が仲良く、協力し合いながらやってくれたことが、すごく安心もし、嬉しくもあり、自分の中でも大きな成果となりました。


まだまだ若い2人ですが、竹虎の社員として誇りを持って、やりがいを探しながら、素直に一所懸命に取り組んでくれています。この2人の後姿を見ながら、縁あって竹虎の社員となってくれた2人のこれからの大切な人生と生活を預かっているという責任の重さを改めて感じたイベントとなりました。

いろんな山

竹林


先日の夜、消防から、お遍路さんが焼坂の山で行方不明になったので、山を案内してもらうかもしれんと連絡がありました。幸いにして、まもなく発見されて事なきを得ましたが、そういえばあのおんちゃんが亡くなった時もこんな時期のこんな感じやったなーと思い返しました。


7年前の11月の神祭の前夜祭の仕込みの晩でした。山の切り子さんの家族から切り子さんが夜になっても戻らないので、探してほしいと電話がありました。山といってもあちこちにあり、どの山のどの場所で切っているかがまずわからないからです。


息子さんが先に出たと言うことで、息子さんにだいたいの場所を教えて追いかけました。夜の山は思った以上に真っ暗です。月明かりがあっても、木々にさえぎられて見えません。またその山は下から細い山道を20~25分ほど歩いていかねばならず、その上そこまでの山道には3か所ほどの分かれ道があります。


人ひとり通れるだけの山道ですし、当然標識などありません。間違ったほうに進めば全く違う山伝いに行くようになり、その場所には行けません。知り合いの人たちがぞくぞく捜索に山に入ってきてもその場所に来れる人がいないと思い、地元の消防団に出てもらうことにしました。


スピードを要していましたし、消防団に所属していましたので、直接団員を集めて、上司を残して山に上がり、その真っ暗い山道の分岐点に明かりを持って立ってもらいました。そのおかげで誰も迷うことなく、山の上のその切り子さんが切っていた場所にたどりつけたと思っています。


見つけた時にはもう亡くなっていました。寒い山の上で何もできずに警察や消防の救急隊員を待った時間が本当に長く感じられて仕方なかった。検分があるとのことで触ることもできず、何もかけてやることができなかったのは今でも悔やまれてなりません。


その横たわった姿も忘れられませんが、もう一つ忘れられない出来事がありました。下から20分の急な山道です。消防署員や警察の方たちは息を切らせて、それこそ這うように上がって来ていました。本当にそんな急な山道ですので無理もありません。


検分が終わり、亡くなったなった切り子さんを運ぶのにソリが必要になったのですが、携帯の電波が届かず、誰かが取りに下りることになりました。その時に同じ切り子をしている人が「俺がいてきちゃお」と言って、長い道のりを下りていってくれて、涼しい顔でソリをもって上がって来てくれたのです。


その時の光景は本当に今でもはっきりと思い出せます。山でこうして竹を切ることは本当に大変なことだと、この仕事をしている人の底力を見せつけられたように感じました。本当にあの人たちにはどう頑張ってもかないません。


そんなすごい人たちに支えられ、大変な仕事をしてもらっている人がいるおかげで、こうして竹虎も商売ができていることを本当に心強く思い、またありがたく思ったことでした。


勝手に団員を動かし、山に入れたので、2次遭難にもなりかねなかったと、後日消防のおえらいさんが怒っていたということを聞きました。一人真っ暗い山道の分岐で立たされて怖くてたまらんかったと団員にも言われました。何もなかったことが今となっては本当に良かったと思いますし、その時の仲間の団員の働きに感謝もし、誇らしくも思ったことでした。


その場所にはたまにですがお線香を供えに行きます。飲み屋で会えば「りゅーちゃん、まー飲みや」といっていつも生ビールをおごってくれていた切り子さんの山。虎竹の色付きはそうでもなかったけれど、あれほど綺麗な山はなかった。それほど山が好きな人で、いつも入っては整備していた山です。


マイカ線が結ばれた虎竹


こうしてマイカ線が結ばれた虎竹。あのおんちゃんが結んだに違いありません。なにをするのに結んだろう。お弁当でも結んでぶらくっていたのかなと思うだけで、少し近くに行けた気がします。


虎竹の山といっても、この小さな地域のいろんな場所に点在しています。同じ虎竹の山でも場所や向き、切り方などで全く違った竹が生えています。そしてその山には山主さんがいて、切り子さんがいます。山を思い浮かべるとその人が浮かんできます。


虎竹を大切にする以上に、自分たちには到底できないことをやっている虎竹の山にいる人たちを本当に尊敬する気持ちをいつも持って、大切にしていける竹虎になっていきたいと思うのです。