竹製知恵の輪

竹製知恵の輪


知恵の輪と聞くと子供の頃から遊んだものは、ほとんどが金属製のものではないかと思うがです。最近の子供達はテレビやスマホのゲームばかりで、おもちゃ屋で売っているような金属製の知恵の輪さえももしかしたらあまり遊んだ経験がないのかも知れませんちや。そしたら竹製のものがあるなど全く関心すらないかも知れません。そもそも昔は、今のような遊び道具が無かったので身近にあった竹からは、その加工のしやすさや稈が空洞である事や、弾力性や滑りの良さ軽さなど竹の特性を活かした玩具も多かったのです。


そんな中に知恵の輪というものも当然のように考えられ、多くの人に伝わって楽しんだ時代があったかと思います。今は名残りの品を懐かしく見て、当時を想像する他ない事もありますが、先日、たまたま拝見する事になったのは今まで出会うた知恵の輪とは随分と趣の異なったものやったがぜよ。これほど大きくて竹の特性を上手く使うちゅうものも、あまり無いかと思いますぞね。竹の一番丈夫な表皮部分を残して薄く剥いだ作りは、柔軟でいながらしなやかで強い。知恵の輪ならぬ、竹の輪の中にも伸びていってスムーズに入るあたり竹より他の素材ではできなかったろうと思うのです。


このような全く知らない竹に出会うたび、長い長い、竹と日本人との関わりを思わずにいられません。じっくり見ても、あれこれ触ってみても、どうなっているのか...?頭を抱えてしまいそうな造作ですが、ある時、突然このような形で現れたものではないですろう。誰かが思いついて創作したものを、今度は別の誰かが見て改良して、そして又誰かが改良して、そんな繰り返しをして現在のような完成された、ひとつの作品と言うても良いような素晴らしい知恵の輪が出来上がっちゅうのではないろうか?


実はこの知恵の輪は単純に遊び道具というものではなく、囲炉裏に吊して使う自在鉤(じざいかぎ)だったのです。そんなに身近で毎日使われるモノだからこそ、ただ単に使いやすいようにと言うだけでなく、昔は自分のものは自分で作る事も多かったので、大切なひとつの要素が「作りやすさ」でもあったかと思います。色々な面が磨かれ、鍛われて、研ぎすまされて、この竹製の自在鉤を持っていた竹職人さんですら、


「ええと...どう使うのだったか?」


そう言うて頭をかくほどの竹製知恵の輪が出来上がっちゅうのです。


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