虎竹花籠、赤染亀甲水盤

虎竹花籠、赤染亀甲水盤


虎竹とは、独特の模様が特徴の竹であり、古くからその美しさを高く評価されている。江戸時代には土佐藩山内家への年貢として献上されていた記録も残る由緒ある竹でもある。この虎竹の里の自然環境で育まれた虎竹は、しなやかさと強さを兼ね備えているので、特性を活かし花籠などにも多用されてきた。


赤染亀甲水盤


赤染めは、虎竹の持つ自然な模様を際立たせるために選ばれた技法だ。深みのある赤は、見る人に温かさを感じさせ、花を生けることでさらにその美しさが引き立つ。色とりどりの花が映えるこの水盤は、どんな空間にも華やかさを加えてくれると思う。


赤染亀甲水盤


竹虎の願いは、この赤染亀甲水盤を通じて、皆様の生活に潤いを感じてもらう事だ。花を忘れてしまった生活をされていないだろうか?花を一輪でも生けることで心が和らぎ、日々の暮らしに彩りが加わる。季節の花を楽しみながら、自然の美しさを感じていただければと思う。


虎竹花籠、赤染亀甲水盤


老舗竹屋として、私たちは竹の魅力を伝え続けている。赤染亀甲水盤は、単なる花籠ではなく、心豊かな暮らしの一部として欲しい。あなたの生活空間に取り入れて頂くと自然の美しさと共に、ほんの少し潤いある日々を過ごしていただけたら嬉しい。





「ハゼ夫」と笑われた、アトピー男が作った竹炭石鹸

竹炭石鹸


ボクは高校一年生の時、周りから「ハゼ夫」と呼ばれて笑われていた。全寮制の中学、高校と6年間を過ごした明徳義塾は、高知でも陸の孤島と呼ばれた横波半島という所にあった。手つかずの山の中に、突然校舎ができた様な学校だったから、突然顔が赤く腫れあがった時には、てっきり近くの森にあるハゼの木にかぶれてしまったのだと思い込んでいた。


数日経てば良くなると思っていたけれど、まったく赤みがとれない。24時間ビッシリとスケジュールが詰まっている寮生活では、病院に行く機会も限られていて、高知市内の病院で診てもらったのは随分と後だったと思う。それから長く通う事になる、皮膚科の先生は一目見てすぐに塗薬を出してくれた。それが、魔法の薬ステロイドとの出会いだ。病院で薬を付けてもらって、あちこちの病院に立ち寄りながら生徒を乗せて明徳に帰り着く頃には、赤みがすっかり引いていて驚いた。


竹炭石鹸


実はボクは、小さい頃からアトピー体質で、母が病院でいくら使ったか分からないという程、通院していた。全寮制の学校に入学して数年間は、症状がなかったのに急に再発したのだった。それから、長い長い皮膚病との闘いと言えば大袈裟だが、付き合いが再開する。


大学卒業後は、出張で2~3週間ホテルで生活せねばならない事が続いた。その時、風呂場に備え付けの石鹸が肌にピリピリ刺激があって使えない。そこで、アトピー体質で敏感肌の自分でも安心して使える石鹸が欲しい!そう思って作ったのが、現在発売以来40万個を売り上げている虎竹の里竹炭石鹸なのだ。


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もう20数年になる、とにかく必死だった、全国の石鹸メーカーさんからサンプルを取り寄せて自分で試してみた。竹屋の仕事で、埃まみれ、強い日差しの中で汗まみれになる身体を、スッキリ洗い上げる事、それでいて肌にやさしく刺激がなく、洗った後にしっとりしている事。当時はクロネコヤマト便さんもあまり使わせてもらっていなかったが、まるで定期便でも届けるように毎日配達物が届く、呆れられるようになった頃に「これだっ!」と思ったのが地の塩社という会社だった。


最高級竹炭


竹と共に100年の知見のある、自分達ならではの石鹸ができると信じて吸着効果の高い竹炭にこだわった。健康な竹林の孟宗竹、昔ながらの土窯づくり、1000度の高温、熟練の技で焼き上げられる竹炭微粉末、メーカーの研究室にお伺いして、含有率もギリギリまで調節して完成した。石鹸素地、竹炭、水だけで作られた、ボクが毎日愛用する無添加石鹸を今回皆様に御試用いただきたくて、ミニ石鹸無料プレゼントを開催した所、即日予定数か無くなったとの事で、本日午前から改めて開始するので是非この機会にお試しください。


ちなみに、ボクは「どこの美容クリニックに行かれてますか?」と真剣に聞かれる事がある。都会では、男性の方も美顔などに気を使ってプチ美容というのか、美肌、アンチエイジングなどメンテナンスをされる方もいるようだ。ボクをご覧になられて、年齢の割に肌ツヤが綺麗だからと言われていたが、自分の場合は竹炭石鹸のみ。これだけで使い続けている。





「スピード=品質」入子の竹細工

無双籠


竹が身近に活躍していた頃は、お使いいただく皆様の使い勝手によって、同じ形でも様々な大きさの竹ざるや竹籠が編まれていた。竹細工は軽量だが、かさばるために輸送を考えても、サイズ違いで製作した方が効率よく運べて都合が良かったのだ。トラックの荷台や、あるいは小舟に山のように積み込まれた丸籠の白黒写真を見ると、すべて綺麗に積み重ねられて紐で縛られている。需要が少なくなった現在では、竹職人の数も減って生産性も残念ながら高くはないので、三個組など複数の入子の竹籠を何処かで見かける事があれば、ほぼ輸入品となっている。


竹ざる四個組


だから、昔を彷彿させてくれるような国産の美しい竹細工に出会う事かあると嬉しくなる。


水切りざる6個組


もう見られなくなったけれど、この水切りざるは何と6個組だ。




若い頃から、数を競い合って製作された職人さんだけあって、とにかく竹編みが速かった。動画をご覧になられたら、その無駄のない流れるような技に驚かれる方も多いと思う。「スピード=品質」なので、入子の竹籠は間違いなく素晴らしい出来栄えなのだ。


竹籠


近年は、海外製造の竹製品の質が高くなり、一般の方や若い皆様では見分けのつかないものが増えているから、良い面がある反面、国産の竹細工にとっては厳しい事もある。


籐巻六ツ目かご3個セット


この籐巻六ツ目かご3個セットのように何とか伝統を繋いできた竹細工も、次世代が夢をもって向き会える仕事にするには課題が少なくない。しかし、これらの入子がロウソクの最後の輝きでは少し寂しい、新しい日本の竹細工の道は、きっとある。





一閑張り行李、ふたたび

一閑張り行李


日本の竹産業では、竹伐採に関わる職人が少なくなりつつあるので、皆様が簡単に思えるような竹製品も提供が難しくなったり、価格が上がってしまったりする事が今後更に増えてくると予想される。たとえば、青竹踏みは竹を半割しただけだから、放置竹林が多い昨今は、材料が豊富にあって製造も容易になっているのではないか?と思われるかも知れない。ところが、これが30年ブログで何度かお伝えしてきているように、良質の竹材を用意するだけで大変になっている。


一閑張り行李


竹材だけでも確保が難しいとなれば、その竹材を一つの製品にしていくのはもっと困難だ。しかし、そんな中にあっても、反対に復刻する竹細工が出てくるから面白い。そんな一つが、何と竹編みに和紙を貼って、柿渋や漆を塗布する一閑張り細工なのだ。国産の竹を四ツ目編みやゴザ目編みにして、和紙で仕上げていく技術は、かつての分業制から一人の職人が専任で担当する。今までとは趣の異なる、職人独自の色合いの強い一閑張りを現在試作中だ。年内には定番にできればと思っている。



創業130周年に作りました伝統の竹虎タオル

竹虎タオル


竹虎には、昔から盆暮れに配るオリジナルデザインのタオルがある。タオルなど、今の世の中もらってもそうそう喜ぶ方もいないかも知れないが、そう言うことなかれ。かつて戦国時代「木綿藤吉」という言葉があった。若かりし頃に、木下藤吉郎と呼ばれいた後の太閤秀吉が、何にでも使えて便利で優れた人物だと言う例えだが、まさに木綿は色々使えて生活や仕事では欠かせない物なのだ。


山の職人


昔の写真を確認しても、あの山の職人さんの首元に光っている。


竹虎タオル、竹虎四代目(山岸義浩)


頭にネジリ鉢巻のように使うと、気合が入る。


竹虎首タオル、竹虎四代目(山岸義浩)


もちろん、定番は首元。先日も東京の街を歩いていて、どうして皆さんはタオルを首に巻いていないのか?こんなに便利なのに、と不思議に思った。


機内で防寒用タオルとして、竹虎四代目(山岸義浩)


機内ではさらに役立つ、そう防寒としてだ。いやいや飛行機などでなくとも、急に冷え込んでくる時はあるだろう。そんな時、本当にタオル一本で「えっ?こんなに温かいの」と思うので、是非お試しあれ(笑)。





イタヤカエデ、藤、桜、根曲竹を使った箕

オエダラ(オイダラ)箕


「箕」と聞いても、一体何と読むのか?何で作られているのか?どうやって使うものなのか?それが今の若い方々の率直な感想ではないかと思う。なので当然関心もないのだが、実は箕は、穀物をふるって殻や不要なモノを取り除くなために使う無くてはならない道具だったから、農家さんには複数枚は必ずあったものなのだ。




ところが、昭和30年代から登場したプラスチックの箕が登場し、その後は農業の機械化があり、需要は激減する。高知でも、ずっと続いてきた伝統の土佐箕があり、網代編みの本体と持ち手には棕櫚を使った独特のものだったが、残念ながら技の継承ができず現在は製造できない。


オエダラ(オイダラ)箕


秋田の太平黒沢地区で編まれてきたオエダラ箕は、オイダラ箕とも言うそうだが、イタヤカエデを薄いヒゴにして作られる。南北に長い日本では、その地域に豊富にある天然素材を上手く取り入れてモノ作りがされてきたのだ。


竹虎四代目(山岸義浩)、オエダラ(オイダラ)箕


この30年ブログでは、時折箕を取り上げている。どうも、この素朴ながら昔からずっと続いてきた生活の道具には、先人の知恵が詰まっているように思えて魅かれてしまうのだ。訪れた農家さんに、こんな風に箕がかけられたりしていたら、本当に嬉しくなる。





伝説の白竹三段弁当箱

白竹三段弁当箱


数年前にお仕事を引退された竹職人の三段弁当箱が凄い。本体の一段目は、通気性を考慮して四ツ目編だけれど、二段目、三段目は波網代で仕上げられている。これだけの手の込んだ作りでいながら、最後までお求めやすい価格で提供続けられたのは、長年の卓越した技術からくる美しさと、仕事のスピードに他ならない。


それにしても、真っ白に晒された白竹が、このような飴色に変わるまでには一体どれくらいの年月が必要だろうか。この二つは最初に作られた籠で、記念のために残されていたものだった。


竹三段弁当箱


丸型弁当箱の方の持ち手に注目いただきたい。通常の持ち手は全て角が90度に曲げられた角型ばかりだけれど、最初の籠は小さな火で炙りながら少しづつ丸い曲線にしている。丸型には良く似合う持ち手だが、手間がかかりすぎていた。そこで、さすがプロの達人は切り変えは早く、すぐに角型に曲げた持ち手に切り変えた事により、多くの方に手にして頂けるロングセラーの籠になった。




網代編みの三段弁当箱は姿を消しても、豆腐籠をルーツに持つ角物細工、白竹三段ピクニックバスケットの技は受け継がれ、今日も製作されている。



篠竹の不思議なハキゴ(魚籠)は答えてくれない

篠竹細工、魚籠、籠


謎のレッドライン、篠竹ざる赤の正体は何なんだ?でもご紹介した事があるけれど、古い篠竹の籠には赤や黒の不思議なラインが入っていた。赤い竹ヒゴは、何かの植物の根を砕いて煮だしたものに浸けて染めていたと言う。どの植物を使っていたのかは、今の世代となっては古老でさえ分からない。


篠竹細工


黒色の竹ヒゴは、松葉を燃やした煙で燻したり、時代が下るとカマドの煤をそいで濡れ雑巾に付けて染めていた事が分かっている。ところが、どうして染色したヒゴを使うのか?が分からない。編み込みの、どの部分に使うのかも明確には決まっていないし、誰に尋ねてみても、父も祖父も、その前もずっと同じように編んでいたから、と話されるだけらしい。


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昔の竹細工では、染色したヒゴを入れて見栄えを良くする事は、真竹細工などでもあったけれど、篠竹の籠もそのような理由からだろうか?何かもっと深い意味合いがあるようにも思えてくる。


篠竹


そこで、今回届けていただいた複数の篠竹ヒゴがヒントになるのかも知れない。篠竹の竹林で伐採もされる詳しい方によれば、竹籠の黒や赤のラインは篠竹の節に自然に黒く付いたものを、竹籠に再現したのではないかと言う。東北の山深い竹林で、早朝から暗くなるまで数百本の篠竹を伐採していると、届いたサンプルにも入っているような赤紫の色が付いた竹が日に一本くらいある。そして、その竹が職人さんからすると、まるで当たりクジを引いたような気持ちになるそうだ。


だから、そんな嬉しい気持ちを籠に込めて色付きの竹ヒゴを編み込んだのだろうか?本当の理由は何だろうか?年代物のハキゴ(魚籠)に聞いてみても、答えてくれない(笑)。



篠竹(野竹)について

篠竹


南方系の植物である竹は、西日本には孟宗竹や真竹、淡竹など大型の種類が多いが、東日本の特に東北まで行くと孟宗竹も少し小振りになるし、竹細工に使われるのは主に小型の笹類が中心になってくる。そんな笹類のひとつ、篠竹は地方によって呼び名の多い竹材だが、篠竹を野竹とも呼ぶ山の職人さんから、数種類の見本が届られた。一日中、山で伐採していると様々な模様や色合いの入った篠竹がある。実は、この赤や黒の色合いが編み上げる竹籠に影響を与えていたのではないか?そんな仮説を聴いていて時間を忘れた事を思い出した。


米研ぎざる


しかし、なるほどヒゴにすると篠竹とスズ竹は分かりづらいかも知れない。篠竹は竹質にツヤがなく、スズ竹はツヤがあるのが若干の相異点だ。ある問屋さんでは、つい30年前には年間で2000~3000個ほど篠竹の米研ぎざるを扱っていたそうだ。店主によると、かつては地域には4000人の竹従事者がいて、推定で年間90万個の生産があり、何と米の出荷額と米研ぎざるの出荷額が同じくらいあった時期もあったと言うから驚く。


根曲竹手提げ籠


さて、東北地方には、「真竹より篠竹、篠竹よりスズ竹、スズより根曲竹」という言葉がある。竹の使いやすさ、奥深さを例えて言い伝えられて来た事だと思うが、長年使い込まれた根曲竹などを手にすると、なるほどと納得する事が多い。


篠竹六ツ目丸籠


「篠竹よりスズ竹」の篠竹であるが、かつて関東あたりでも盛んに編まれた六ツ目編みのメカゴに代表される籠に多用されてきた。篠竹とスズ竹は全く別の竹材ではあるけれど、割って薄く剥いだ竹ヒゴにする見分ける事は難しくなる。大量生産されていた当時は、竹ヒゴにした状態で内職の編み子さんに届ける場合がほとんどで、骨竹に篠竹、編み込みにはスズ竹を使う細工もあったため、ふたつの竹材が混在していた。


スズ竹市場籠


そこで、職人の中にも篠竹とスズ竹を区別しない方もおられたため、竹虎では現在でもスズ竹市場籠にあえて「篠竹」と明記をつけている。




ちなみに、スズ竹ではこんな緻密なアタッシュケースを製作させていただく事がある。自分も特別な日には手にして出かけるが、気持ちがシュッと引き締まって心地いい。



虎竹革手提げ籠バッグ2024

虎竹革手提げ籠バッグ


虎竹を使った新しい手提げ籠バッグが、ようやく出来あがった。前回の赤染タイプをリニューアルしたので、竹籠は割と早くから編み上がっていたのだが、それでも、「ようやく」と言うのは、革持ち手部分で手間取ってしまったからだ。


虎竹革手提げ籠本体


虎竹革手提げ籠バッグ


しっかりとした革選びから、持ちやすいようにトップの持ち手は細めにするなど工夫を施している。


虎竹革手提げ籠バッグ


更に今回は竹籠本体とのジョイント部分は、革職人のアイデアを取り入れて縫ってもらった白紐がワンポイントになってオシャレ感を演出している。


虎竹革手提げ籠バッグ


もちろん、傷みやすい底の四隅には籐で丈夫な補強を施している。


虎竹革手提げ籠バッグ


虎竹の里の竹を使用して、その竹の美しさと、軽さ、機能性を兼ね備えた新虎竹手提げ籠バッグは日常使いにもぴったり。ショッピングやお出かけに最適で、和洋様々なスタイルにも合わせやすいのが嬉しいのではないかと思っている。




先日、虎竹の製竹作業の様子をYouTube動画でアップさせて頂いた。シンプルでありながらも存在感がある手提げ籠バッグの竹は、竹林の竹から、自分たちが時間をかけて創り上げたものだけに自信を持ってお届けできる。


虎竹革手提げ籠バッグ


こんな竹籠を何十個か製作しただけで、放置竹林や環境保全等おこがましくて言えないけれど、先人が守ってきた日本唯一の竹林と竹文化を継承していきたい思いを込めている。手にする皆様も、そんな誇りを手にしていただきたいと願っているのだ。