竹のセリ市 その2

芽付竹


銘竹のセリ市が滋賀と京都で今も続いているのは、竹が茶華道と深い繋がりがあるからながです。この芽付竹なども竹の枝を長さを揃えて切られちょります。節部分の油抜きには手間がかかるとの事ですが、そんな事を全く感じさせないような美しい仕上げになっているのです。しかし、このような茶室などに多用される竹は、一般のご家庭では見ることはありませんし、普通の方が来られると「一体何のためにこのような竹があるのたろう?」少し不思議に思われたりするかも知れませんちや。


しゅみ竹


しゅみ竹という独特のシミのような模様の入る銘竹も展示されちょります。このような竹も見た目の渋さが好まれて、切りっぱなしの竹に銅板をはめ込んだ寸胴と呼ばれる花器にもされてましたし、職人さんによっては景色のよいところを茶杓などにも作られるのです。


矢竹


こじゃんと綺麗な矢竹もありましたぜよ。矢竹は文字通り、昔の合戦などに使われた弓矢の矢にする竹ぞね。有名な武士が弓矢用にするのに、矢竹を庭に植えたものが、今に伝わっていると言うのも聞いた事がありますが、この竹は細さが、ほぼ均一で伸びがよく、比較的真っ直ぐ、そして、節が低い事から矢に適しちゅう竹なのです。


竹は、しなやかで柔軟なイメージがありますけんど、この矢竹を加工して火入れして矯められたものは、ビックリするくらい硬く丈夫になっちょります。三本の矢の話しがありますろう?一本なら折れる矢が三本なら折れない話しですが、まっこと、あの硬さで三本なら、簡単には折れませんぜよ。竹は、こんな柔と剛の相反する特製を併せ持つ不思議な素材ながです。


竹セリ市会場


それにしても、というのはエイです。こうやって選りすぐられ、それぞれの竹職人が手塩に掛けた竹たち。普通は竹細工といえば、竹を編むとか、何かを作るとか、そちらにばかり目がいくことが多いですけんど、ここにズラリと立ち並ぶ竹そのものにも伝統の技と職人魂がこめられた竹文化の結晶と言えるがですぞね。心地よい初夏の風が吹き抜ける展示場は、本当にいつまでも居たくなるような心地のよい空間になっちょりました。


煤竹


圧巻の煤竹が、やはり目を引きますにゃあ。縄目がクッキリと付いて、これが数百年という長い年月を経て、自然にできたものは信じられないようなデザインの見事さです。滋賀県の北部の方にいくと気温も低く一年の内かなり長い期間、囲炉裏に火を絶やさなかったと言います。そこで、煙にずっと燻されこのような濃淡がハッキリとした、誰かから手で描いたと聞いても納得しそうな煤竹が生まれるのです。古い民家では300年と聞きますので、まさに時というアーティストが創作した芸術作品なのです。


煤竹


もちろん、この煤竹も最初からこの美しい輝きを放つワケではないぞね。真っ黒く煤けた竹を一本、一本手入れして油抜きをして磨き上げる、竹職人の技がプラスされてこそ数百年の時を超えた竹に新たな生命を授けることができるがです。ただの汚れた竹として、その役割を終えるのか、次の世代に受け継がれて又数百年、人のお役立ちをさせてもらえるのか、竹職人の腕にかかっちょりますので、やはり職人は凄いです。


変竹


変竹(へんちく)と呼ばれる、少し変わった曲がりのある竹も、お茶室などの設えなどに使われる事があるようです。定番の竹ではありませんが、このような竹も銘竹として珍重されるのが日本の竹文化の一面でもあるのです。


竹セリ市


この竹のセリ市は63年間という長い歴史のある竹材業界の最先端の一大イベントであり、情報交換の場でもあります。昔の隆盛を知る方からは、ちっくと寂しい声も聞かれますが、いやいや、今の時代の中での竹のあり方を思えば、これだけの銘竹が並び、人が集い、セリ市が開催されちゅう事こそ、竹業界のひとりひとが誇るべきぜよ、素晴らしいではないですか!日本人と竹は数千年の歴史と付き合いがあり、竹はずっと生活の中にあったがです。竹虎では1985年から「21世紀は竹の時代」と言うてきましたけんど、忘れたように見える竹は、必ず竹は思い起こされる日がきますぞね。竹のセリ市は、そんな事も感じさせてくれたのです。



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