オエダラ(オイダラ)箕の行商

オエダラ箕行商


オエダラ箕の事をもっと知りたくて秋田は太平黒沢の箕作り名人として有名な田口召平さんを訪ねました。谷間に開けた集落が点在する静かな地域ですが、この黒沢地区の三つの集落で昭和30~43年頃には120軒のお家が箕作り、5軒が行商、4軒が仲買だったと、かなり詳しい内訳までご存じで本当に興味深いお話しを沢山伺う事ができます。


中でも感激したのは、オエダラ箕を行商されている方の白黒写真でした。当時の様子を知る資料として良くぞ残っていたと思います、写真を撮ってくださった方に感謝です。


竹虎四代目


行商は今では知る人も少なくなりつつあるかも知れませんけれど別に箕だけのお話しではありませんでした。印象に残っているのはNHK大河ドラマ「龍馬伝」に登場する岩崎弥太郎です、背中に鳥籠など竹細工をいっぱい担いで畦道を行く姿を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。バイクや自動車のない時代、行商は持てるだけの荷物をいっぱい持って出かけていったのです。


自分の小さい頃には虎竹の里にも様々な方が御用籠のような丈夫な竹籠や、背負い籠を持って歩かれていた事を思い出します。当時の交通機関は何といっても汽車でした、朝到着する車両からは肩に大きな風呂敷を背負ったおばちゃん達が一斉に何人も降りて来ました。


一番強烈に覚えているのは隣の漁師町から海産物や干物を売りに来られる行商の方。母が玄関先に出迎えると荷物をほどいて竹籠の蓋を開けるのですが、その瞬間に魚の何ともいい香りが辺り一面に充満して思わず籠を覗き込みました。香りの記憶は鮮明です、母の足にしがみついて行商のおばちゃんの笑顔を見ていたあの日の事をハッキリ覚えているのです。


オエダラ箕行商


さて、田口さんによれば、この白黒の写真は由利本荘岩谷という所で撮られたものだと言います。そして白黒画像なので正確な確認は難しいけれど、当時売り歩いていた箕はイタヤカエデが使われたものでは無かったそうです。実は昭和40年当時、オエダラ箕が大量に販売されたお陰で材料のイタヤが枯渇し、代替え品としてヤマウルシで箕を製作していたのです。


オエダラ箕


商店の少ない田舎では行商の方々が持って来られる新しい品々を、そして聞いた事もないような楽しく面白いお話しを幼い自分などは心待ちにしていました。箕を肩に担がれた方の向かう農家さんでもそうだったのでしょうか?


オエダラ箕一枚であの時のワクワクするような気持ちが蘇ってきました、ほんの50年前の日本のお話しです。


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