消えゆく荒物の竹籠たち

竹籠


生活の中で育まれ、磨かれてきた竹編みを見る事は、もしかしたらこれからの時代ますます少なくなって貴重な存在になってしまうような気がしよります。多くは親から子へと言うような形で受け継がれて来た竹細工ぜよ。それぞれの家庭の中で、又は仕事場で重宝されてきてこじゃんと身近だったはずなのに、新素材の登場により段々と使われなくなり、今ではほとんど見ることのない竹製品たち。


竹工芸やアート、芸術品とは一線を画しちょって、比較的安価で荒物としても扱われる竹細工には長い歴史の中で親しまれ暮らしに溶け込んだ。実際の生活の中で使う道具ならではの魅力があるがです。現代の使い方は昔とは少し違うちゅうかも知れません。けんど、そこにあるだけで心が休まるような竹籠竹ざるを何かの機会に運良く見つける事もあるがです。


どうしても自分でも欲しくなって一つ手に入れて使うてみる。そしたら、やっぱり昔から鍛えられてきた竹籠だけあってから、どうにも好きになって、誰かに話しとうなる。それでお客様にも紹介したいと思うた時に、一度失われた竹の技術が簡単に元には戻らない事を痛感するがぜよ。


海外のコレクター向けの観賞用や、美を意識したような竹編みに代表される付加価値を付けて発信する事のできる竹の世界がありますぞね。かって浮世絵なども外国の方に価値を見いだされた歴史がありますけんど、同じように竹に慣れ親しんで来ただけに固定観念のある国内よりも、国外に出た方が竹の魅力を感じて評価いただけるがですろう。まっこと、これなら若い職人さんが、夢をもって取り組む事ができる。ひとつの道かも知れませんちや。けんど昔ながらの素朴な竹編み続けてこられた、熟練の技を持った職人さんの後の世代を継いでいく。若い竹職人が思うようには育っちゃあせんがぞね。


虎竹のような特別な竹でなければ、竹と言う材料自体は日本各地どこにでもあり簡単に手に入れる事ができますろう。ただ、その1本の竹を籠にする職人の技の価値について、そろそろ見直していくべき時期に来ちゅうかも知れんにゃあ。消えゆく竹籠達を目の当たりにして、そんな事をつくづく感じるがです。


コメント(2)

毛利陽子 返信

全く同感です!
荒物作りのグループに今日入りました。
生活の中に竹細工を。
一隅を照らしていきたい。

いつか竹虎さんの竹で
素敵なかごを編みたいな。

ありがとうございました✨

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