虎竹マタタビボール

またたび玉


マタタビと言えば自分達なら米研ぎ笊であるとか蕎麦笊など、マタダビ細工の品々をまず最初に思い出すがです。黒っぽい表皮を剥いだら想像もできないような綺麗な白い木肌。編まれる細工は水にも強く、耐久性の高い知る人ぞ知る自然素材として人気がありますぞね。


けんど、マタタビはその一方で猫ちゃんの大好物という面もあって、前に見せて頂いたのはマタタビで作られた猫用玩具ながです。マタタビの表皮などをマタタビの身で丸く玉型にしたマタタビボールぜよ。ただ、ちっくと荒削りでこのままではお客様にご紹介はしにくいにゃあ、もう少し格好良くはなりませんろうか?そんな事を思いよりましたら、さすが竹職人さんぜよ。こんな素晴らしい出来映えに仕上げてくれたがですぞね。


虎竹マタタビボール


まっこと竹職人の技ですちや、今度は完成度が高すぎでこりゃあ猫ちゃんのオモチャとしてはもったいない位ぜよ。ザックリ編んだ形は、昔どこかで見た事のある手鞠を思い出させてくれて職人さんのセンスを感じてしまうがです。お家の猫ちゃんが遊び疲れて飽きてしもうても、これなら置いておくだけでも見栄えがするかも知れませんけんど、なかなか格好が良いマタタビボールやきに猫ちゃんが居なくても欲しくなりそうですちや。


山道脇に並んだ石

日本唯一虎竹の古里焼坂の山道


虎竹の古里、焼坂の山道は今でこそ虎竹を伐採する山の職人んが行き来したり竹を満載したトラックが通るくらいのものながですが、数十年前の海岸沿いの道も現在の国道56号線なども通る前には隣の須崎や久礼の町へ行くのになくてはならない大切な生活道やったがです。古い職人さんに聞くと昔はバスまで走りよったとの事で、高速道路も開通した今から考えたら、まっこと時代の移り変わりは激しく早いモノやと思うがぜよ。


現在の日本では、未舗装の道路はあまりないかと思いますので道路を走りよって大きな石を踏んづけてパンクした、そんな経験を持たれちゅう方はほとんどおりませんろう。ところが昔の道は未舗装だらけ、助手席に座る方が飛び降りて車の前にある石を道路脇によせるというような事は日常茶飯事に見られた事やと竹職人の古老が教えてくれるがです。


さて、焼坂の山道を中腹まで登ったあたりにある大きな急カーブの曲がり鼻のところに石が顔を覗かせちょります。路肩の曲がりにそって埋め込まれた石ながですが、自分が竹の仕事を始めた頃には上の平らな部分だけが見えてましたが、雨に浸食され段々と浮き上がったような状態になり今では結構危ない存在となっちゅうがぞね。荷台が空の時にはそうでもないがですが、トラックに竹を積んで山道を下ってきているとタイヤも重さでパンパンに張っているからなのか、このような石の角に当たったらパンクしてしまう事もあるがです。だから竹を積んだトラックの運転はスロースロー、ゆっくり、ゆっくり、カーブでは特に注意しながら虎竹の里の土場まで下りてくるがぜよ。


織田作之助の大阪

織田作之助の大阪


先日、祖母の実家がやりよりました食堂「かね又」の事をお話させてもろうたがです。沢山の方にご購読いただき、ビックリするくらい「いいね!」も沢山いただいて、まっこと嬉しく思うちゅうがです、ありがとうございます!そんな、こんなしよりましたら、こんな本もご紹介いただきましたぞね。コロナ・ブックス「織田作之助の大阪」という生誕100年記念で発刊された本のようですちや。


織田作之助とは大阪の作家さん、どうして竹虎と関係があるぜよ?前のブログをお読みになられてない方は不思議に思われるかも知れません。けんど竹虎は120年前の創業の地が大阪であり、第二次大戦の空襲を逃れ虎竹の里に引っ越してきたのは父が小学校の時、虎斑竹(とらふだけ)がこの安和の地でしか成育しないので、それからはずっと本社はココ高知にありますけんど、当然祖父も祖母も大阪育ちやったがですぞね。


それにしても、この作家さんはダンディーな方やったがやにゃあ。ズボンの折り目がピシッと入ったスーツをビシッときめて、帽子も格好がエイが違う、こじゃんとお洒落ですちや。こんな有名な作家の方が書かれた小説の中に「かね又」が描いてくれちゅうとは、まっこと嬉しいぜよ。けんど、こんな姿で店に入ってきて名物やった特製シチューを食べよったろうか...おばあちゃんには、この方がどんなに見えよったろうか?


かね又のどて焼き


「織田作之助の大阪」をペラペラとめくりよったら、現在ただ一店残っちゅう天神橋六丁目のお店が掲載されちょります小説「アド・バルーン」には当時営業しよった複数のかね又の店に織田作之助が全部行ったという下りがあるそうぞね。そう言うたら前回お伺いした時に、テリテリとした色合いにつられてどて焼きを2本、お皿に入れて頂いて食べたがぜよ。


ああ、大好きな甘味噌がたまらんにゃあと思うて、まっこと幸せが口いっぱいに広がりましたぜよ。この本には、このどて焼きも「オダサク好み」と書かれちゃあるちや。けんど、この味は「竹虎四代目好み」でもありますぞね。そうか、そりゃあそうぜよ、よくよく考えたら自分達のルーツの味でもあるがやきに好きながは当たり前の事やにゃあ。昔から甘味噌が好きやった理由が分かったようで、今日も寒いけんどなんか心はポカポカとしよりますぞね。


虎竹コースター

虎竹コースター


日本唯一の虎竹は、まさに虎のような模様が竹の表皮に入った竹ながです。まだら模様になった柄のデザイナーは虎竹の里の大自然。人の力の及ばない天然の柄をそのままに楽しむのには、竹を細く割って竹ヒゴにするのではなく少しくらい幅広に割った竹をそのまま使用するのがエイがです。


今回新しく作りました虎竹コースターも淡竹の仲間で、それほど太い竹が多いとは言えない虎竹を使い出来るだけ幅が細くならないよう、それでいて丸みの部分が残らず、カップを置いた時に安定感があるようにフラットになるように竹を割っちょります。上側部分が竹を縦に並べるとしたら、ウラの下側面はクロスになるように横置きにならべて上下の竹を貼り付けて仕上げられます。こうする事により歪みや反りを極力抑えたコースターになるがです。


日によっては何倍もコーヒーを飲む事もありますけんど、ずっと前からこの虎竹コースターにカップを置いて使うてきましたぞね。自分の使いゆうものは虎竹そのままの色合いですけんど、いよいよ今回、皆様にご紹介できるようになったコースターには、ちっくと深みのある色合いが欲しいにゃあと思いまして職人さんにお願いして漆で仕上げて頂くようにしたがです。

ご家庭の食卓や、会社のデスクが、ちっくと温かい雰囲気になるがではないですろうか?お茶の時間はホッとくつろぎ、和らぐ大切な時ですのでこんな名脇役がおったら、こじゃんと楽しくなると思いゆうがです。


田辺小竹さん「水の恵み」

田辺小竹作「水の恵み」


田辺小竹さんが岐阜県美術館で創作された「水の恵み」には、まっこと広い会場に一歩足を踏み入れた時から圧倒されっぱなしぞね。大きさからの迫力は、もちろんですけんど、確か1万本と言われよったと思いますが沢山の虎竹が織りなす、様々に絡み合うた複雑な模様の連続が虎竹の不規則な模様ともあいまって「水の恵み」と名付けられた全体的な大きな流れと共に、生命力を感じる、こじゃんと力強い作品になっちょります。


田辺小竹作「水の恵み」


正面から見たら象を思い出すような形をしちょりますぜよ。そして象の鼻のような滝が流れだす下流に来てみたら、大量に流れ落ちる轟音や水しぶきまで感じられそうちや。こうやって見せてもろうたら壁から竹ヒゴが無数に伸びてきちょって、何かのエネルギーが集まり集約されて流れ落ちで広がる、そんなイメージを持ったがです。


田辺小竹作「水の恵み」


この流れの後ろにはループがありますぞね。ちょうどお伺いした時には小竹さんがおられましたので、靴を脱いで作品の縁の方なら歩いて良いとの事でしたきに、さっそくループの中をくぐらせていただきましたちや。足の裏に感じる竹ヒゴの感触と虎竹に包まれるような不思議な居心地。ここに座ってしばらく時を過ごしたくなっちょりました。


田辺小竹さん


田辺さんは代々続く竹工芸一家の四代目。幼い時から竹を触り、竹を編み、海外での活動にも力を入れられるなど宿命的な竹の道を精力的に邁進されよりますが、こんな芸術的な大作を産み出す事ができるとは素晴らしいがです。


そして何と言うたちご自分の作品作りに日本唯一の虎竹を多用していただき、こんな嬉しい事はないがぞね。高知の山に育った虎模様の竹達が加工されて、全国の竹メーカーや竹職人さんのお手元に届けられる。そして、日用品から始まり様々な竹製品、竹細工に使われて形を変えていきますけんど、今回のこの虎竹達はどうですろうか?アートになって沢山のご覧になられる皆様を魅了しよります。


日本唯一の虎斑竹


竹の造形というのは、まっこと面白いものながです。堅さと柔らかさという正反対のような特性を併せ持っちゅう。竹だからできる形の表現があるかと思うがです。以前、正木美術館さんで田辺さんの作品を拝見した時同様に、ちっくと誇らしく凛としているような虎竹に又会いに行きたくなっちょります。


竹の子の、また竹の子の

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昔の職人さんの竹籠を見たら、ため息がでますちや。なんと美しい、丁寧で、自信に満ちた道具たちやろうか。竹と時間をかけて付き合い、竹を知り抜き、竹を活かしきる。一言で言うとするならば竹への愛があふれた仕事ぶりを感じるがぜよ。四ツ目編みされた竹編みを重ねてできる模様の面白さ、その竹ヒゴ一本一本にまで研ぎ澄まされた職人の技、口部分の縁を巻き上げて仕上げる手業の凄さ、それらも全て長い竹職人としての生き様そのものですろう。


竹虎でも、こんな籠に負けないような素晴らしい竹籠を編み、数十年に渡って、活躍され続けて来られた職人さんがおられますけんど、また一人、竹割り包丁を置くことになりましぜよ。自ら山に入り、自ら竹を伐り、竹籠を通して沢山の笑顔を産み出してこられた大先輩であり、尊敬すべき竹の人でもあったがです。


「竹の子の、また竹の子の、竹の子の子の子の末も茂るめでたさ」これは竹虎本社前の大きな石碑にも刻まれちゅう大田南畝(蜀山人)の歌ですぞね。


二代目義治は、この歌に竹に学ぶ姿勢と末永い虎竹の里の繁栄を願うちょったのだと思いますが、竹が毎年生え、急成長して末永く続いていくように、その竹を使って形にしていく職人の成長も今後もっと真剣に考えていかねばならない時期にきちゅうがです。


耳かきの名入れ刻印

名人作虎竹耳かき


日本唯一の虎竹を使うた名人作の耳かきは、持ち手を太く丸みがあり持った感触が、こじゃんとエイがです。そして、何と言うたち使い心地が命の耳かきですきに、首の細さには名人ならではのこだわりがありますぞね。


耳かき好きを唸ならせる絶妙のしなりのプロ用耳かきも手がける名人。ですが、一般市販用にはあまりにも繊細すぎるがです。細さ、しなりを極限まで追求するという事は。そのぶん強度や耐久性が落ちることを意味しちょります。専門の方が使うのには最高の道具としての耳かきも、普通にご使用いただくのには適当でない事もままあるがです。


そこで、名人作虎竹耳かきは、そのギリギリのライン、つまり耳当たりや使い心地のよさを最大限まで追求しつつも、普通のご使用での強度も十分に配慮した形になっちゅうがです。耳かきというのは実に奥が深くて道具も色々ありますけんど、好みというのも千差万別です。自分はあまりソフト過ぎるよりも、竹の適度な堅さを「カツン」と耳の奥に少し感じられるくらいのしっかりした耳かきが好みやったりします。名人作は、かき心地のやさしい、竹のしなりの音も心地よい耳かきをお探しの方にはピッタリの逸品ぞね。竹のしなり、柔軟さは耳かきの素材としてコレ以上のものはないと、ずっと昔から思うちゅうがぜよ。


そんな耳かきに、最近少しづつ増えてきましたのが名入れ刻印のご要望ちや。自分用にされる方ももちろんおられるがですが、やっぱり一番多いがは誰か大切な方への贈りものやにゃあ。虎竹の里でしか成育しない不思議な虎模様は自然のデザイン。世界に二つとない虎竹に、世界に二人といないあの方のお名前を入れてあなただけのギフトにしてお届けしたら、まっこと笑顔が広がるのが目に浮かぶようですちや。


竹林と竹藪の違い

虎竹


ところで皆様は竹林と竹藪の違いはご存じですろうか?英語では竹林がBamboo grove、竹藪はBamboo forestとなるがですが、人手により管理されちゅう竹の林の事を竹林、手入れされず管理もされていない自然のままの竹林を竹藪と呼ぶそうです。虎竹の里の山々の竹は、山の職人さんが少なくなったとは言うても人手が入り、管理されよりますので当然竹林ですぞね。焼坂の山をずっと登っていって山頂近くなった付近の竹林には、細く背の低い虎竹ばかり生えちゅう場所があるがです。


日当たりがよい南向きの斜面で、冬でも天気がエイとぽかぽかしよります。遠いので頻繁に来る事は出来ないのですが、昔から自分の大好きな竹林の一つながですぞね。虎竹はご存じのように淡竹の仲間ですが、成育するがはこの1.5キロの間口の虎竹の里の谷間の竹にだけ。イギリスのBBC放送までが取材に来られた不思議な虎模様が付きます。ところが、この模様の付き具合が年々少なくなっちゃあるがぜよ。そもそも虎模様がどうして付くのかが大学の調査でもハッキリ解明されちゅうワケではないので、色づきを良くする手立てもないがぞね。


日本唯一の虎模様


山の職人さんによっては海風の影響とか温暖化のためとか、色々な話しを竹林ではするのですがコレという答えはないがです。色づきが良くないと言う事で、特に近年は竹林にくるとまず虎模様を自然と目で追うようになっちょりますが、おっと、あるある!ありますぜよ!こじゃんと色づきのエイ虎模様があるやいか。こんな竹を見かけると嬉しゅうになってきますちや。この竹がある限り、この虎竹の里の竹林はいつまでも竹林ぜよ。竹藪になることはないがやきに。


放置竹林


※適正に管理されない放置竹林が増えています。竹虎では成長が早く継続利用可能な唯一の天然資源と言われる竹のを少しでも有効活用したいと「バンブーロス解消へ、驚異の除湿力の竹炭活用」として2022年5月21日の30年ブログにも掲載しています。驚異の竹炭の除湿効果の動画も併せてご覧ください。




食堂「かね又」

かね又、特製シチュー


昔から山岸家には不思議な料理があったがぜよ。牛肉、タマネギ、じゃがいもの入った透明な塩味のシチュー。小さい頃から何度も食べた記憶がありますけんど、大学を卒業して竹虎の下働きとして勤めだすと実店舗や出張で忙しい母に代わり、祖母が食事の支度をしてくれるようになって、結構頻繁に食べる事ができるようになったがです。


二十代そこそこ、田舎でコレと言う楽しみもなく、竹の事もまったく分からない中で唯一楽しみやったのがこの料理上手の祖母の食事ぜよ。そして中でも、このシチューは大好物。真っ黒に汚れた上着を勝手口で脱ぎ捨ててドアを開ける。温かいこのシチューの香りが漂ってきたなら、面白くなくて、疲れて、うつむいた顔で帰ってきた自分に思わず笑顔が戻ってくるがです!手を洗う事も忘れて大鍋に走り寄って行ったちや。


竹虎二代目義治、タネ子


竹虎は元々は大阪天王寺に工場があったがです。もう随分と前の話、そう太平洋戦争の前までは虎竹を高知から大阪までずっと運んで営業させてもらいよりました。虎竹の里には曾ばあさんの里がありましたので、空襲が激しくなる中、疎開していて、大阪の自宅も工場も全て焼けてしまった後に本社を現在の高知県須崎市安和の虎竹の里に移したという歴史があるがぜよ。


祖父も祖母も、ずっと大阪弁やったにゃあ。小さい頃から全国の竹屋さんに祖父に連れられて回った、おじいちゃん子の自分には大阪弁は、こじゃんと馴染みのある懐かしい言葉でもあるがぞね。だから、祖母が大阪の食堂の娘さんで、ずっと店の切り盛りを手伝いよった事、他では見かける事のないシチューが、その店の一番人気やった事、そんな事は誰からともなく聞いて知っちょりましたけんど何十年も前の話、すでに店も何も無くなっちゅうとばかり思いよりました。


かね又


ところが何と言うことやろうか、祖母がいなくなって何年も経ってから、大阪の親戚から、ふと「かね又」の事を聞いて気になって調べたら何と天神橋筋六丁目に「かね又」がやるやいか!しかも特製シチューと大きな文字で書かれちゅう!


間違いない...


いきなり心臓がドクドクしてきましたきに、ずっと自分の親しんで来たシチューしばらく食べていない山岸家のシチューのルーツがここにある!?


かね又店主


出して頂いた特製シチューは、祖母のものと同じやった。立ち上る真っ白い雲のような湯気を黙って見ていたら泣けてきた。なので、塩味のきいたシチューですけんど更にしょっぱくなったかも知れんにゃあ。


現在の「かね又」を経営されゆう方は、本店で修行されて暖簾分けされたと話してくれました。かっては新世界、千日前、松島、福島という大阪の繁華街にそれぞれあった中で残った最後の一軒ながです。けんど、こうやって味を守り続けてくれちゅう事に、まっこと感激ぜよ、他では見かけない特製シチューはロシアの船員から料理を習ったのがベースになっちゅうそうぜよ。そんな今まで知らなかった事も聞く事ができたがです。


そして実はこのシチュー、織田作之助の小説「アド・バルーン」に登場しちょって、生誕100年という事でオダサクグルメなどとも呼ばれ、ちっくと騒がれちょったようですちや。難波自由軒のカレーでも知られた作家が祖母の店にも来たがやろうか?まっこと考えたら面白いものですちや。


天神橋筋六丁目


けんど、自分にとっては祖母のシチュー。店を出てから、まっすぐ帰る気がせんかった。その頃の祖父母の面影を探すように街を何時間も歩いたがぜよ。疲れて空を見上げたら、こじゃんと綺麗な夕暮れになっちょりました。祖母も生まれ育った街から遠く離れた南国土佐で、こんな空を懐かしんでシチューを作ってくれたがやろうか?大阪の都会から、こんな竹しかない田舎へ祖父について来て帰りたい事もあったがやないろうか?辛い事もあったろう?


孫の自分には何ちゃあ言わん、いつも優しい祖母やったけんど、そう思うたらあのシチューは日本唯一の虎竹を支え続けてきてくれた味ぞね。こうやって改めて大きな意志の中で自分が生かされちゅう事を思う時、まだまだ竹虎四代目として何の使命も果たせちょらんにゃあ。


虎竹が積み込まれちゅう土場に出るがぜよ。焼坂の山から冷たい北風が吹きおろして来る、顔が冷たくなってきた...。おばあちゃん、まだまだ会えんけんど待ちよっとうせや。自分がやる事をやった後で、竹虎の100年を見届けた後で、又あのアツアツのシチューを作ってもらいたいがぜよ。


竹の脱衣籠を見て

脱衣籠


自分が小さい頃の竹職人さん達は幸せやったのかも知れません。当たり前のように同じ仕事が、同じように毎日あって知らず知らずのうちに自分自身の手業に磨きがかかり、手にするだけで心が熱くなってくるような匠の竹細工がありました。その道の達人の呼ばれる方が沢山おられたがです。


当たり前の日々はずっと前に過去のモノとなり、そういう意味では竹にとっても職人にとっても今は試練の時代ぜよ。竹は毎日の暮らしに溶け込んだ生活道具やったがです。だからボロボロになっても使い込まれた彼らの表情からは自信を感じます。日本の竹が、日本の竹である続けることは、これから、ますます簡単な事ではないかも知れんちや。


直径が50センチもある根曲竹洗濯籠。こんな大きさで、これだけの美しい端正な品を作りあげられるようになるのに一体どれだけの数をこなして来たがやろうか?熟練の職人さんは、とにかく手が早い。誰に聞いても弟子入りして競い合うたのは、まずスピードやと言います。一人前に扱われるように誰よりも早く工場に来て、誰よりも遅く残って編み上げる、その積み重ねが時間が立てば立つほど大きくなるがです。手仕事の良し悪しを見分ける方法は、こじゃんと簡単ですぞね。一番仕事の早い職人の籠が、一番綺麗で一番使いやすく長持ちする。


職人はスピード、手の早さはそのまま価格として現れます。このバランスが崩れると、生活道具としての竹は無くなっていき、山の竹林が無くなっていき、いずれは作り手自身をも必要とされなくなっていく...。それは自然な事だと思うちゅうがです。


佐野珠寶さんの竹花籠

佐野珠寶さん作竹花籠


先日の田辺小竹さんの銀閣寺講座、花籠作りには銀閣慈照寺で花方教授を務められよります。佐野珠寶さんも参加されちょりました。四ツ目編みの底編みから自由な形に編み上げていきますので、一体どんな形の花籠になるのか?それぞれ編み手により違いますのでなかなか楽しいがです。竹は真っ直ぐに伸びる特性と柔軟に曲がる特性と、一見したら相反するような両面性を持っちょりますので、他の自然素材にはない竹ならではの表現ができますぞね。


それだけに編み手のイメージひとつで最初のスタートは同じであるのに全く違う作品が編みあがって行くのです。今回は時間がありませんでしたが、田辺さんの工房では出来上がったひとつ、ひとつの花籠をそれぞれの方がどんなテーマで編み上げたか、参加者同士で話し会う時間を取られているとの事やったですけんど、これは素晴らしいと思いましたぜよ。自分たちが、ついさっきまで触っていた竹素材、実際に作った花籠、竹への理解が更に深まるような気がします。


田辺小竹さんの銀閣寺講座


佐野珠寶さんの作品は、こじゃんと個性的に出来ちょりました。底編みの四ツ目が底ではなくなって背面になって掛け花籠として完成されちょったがです。さすがと感じ入りましたのは、オトシの真上に二本の竹ヒゴを通されちゅうところです。花を活けた時に固定するのに用いる事を考えられたそうです。竹花籠は花が入ってこそその輝きを増します。まっこと素晴らしいがぜよ。


実は二十数年前あたりまでは、竹花籠も非常に良く売れよった時代がありました。編んでも編んでも注文がさばききれないので、竹工房の職人さんの中には「誰か花籠を食べゆう人でもいるのやろうか?」そんな冗談まで言われよったそうながです。


古き良き竹の時代があったがやにゃあ...と懐かしんで話されますが、いやいや、自分は今こそ、そして今からこそ竹の真価が問われる、竹にとって本当の意味で良い時代やと思いよります。今回、この田辺さんの工房にお伺いさせていただいて、その思いはますます深まるばかりながぜよ。


佐野珠寶さん田辺小竹さんとの正木美術館でのコラボ


佐野さんに初めてお会いさせて頂いたのは、もう一昨年の事になりますけんど正木美術館での田辺小竹さんとのコラボ作品の時やったがです。あまりの凛とした姿に、別世界の方やとずっと思いよりました。もちろん、自分のような次元の方ではないですけんど、今回、ちっくとお話ができて鳥肌がたつような感激した事があるがぞね。それは佐野さんが大きな変化を乗り越えて今があると言う事。田舎の小さな竹屋の自分などからは想像もつかんけんど、こじゃんと凄い事やったがですろう。


けんど、そして今のこの観る人を魅了してやまん、あの自然体のようでいて圧倒的な覇気を感じる活け花があるとしたら人とは、まっこと凄い存在ではないですろうか?小さく弱い自分も無限の可能性があるような気がしてくる。変われる事、人は何にでもなる事ができる。そう教えてくれた様に思えてならんがです。


鰻ウケの熟練職人

鰻うけ


前に職人の仕事のスピードの話しをさせていただいた事があります。昔から叩き上げで来られている職人さんは、兎に角一つでも多くの竹編みをと毎日仕事されてきちょります。黙っていても仕事がいくらでもあったと言うような古き良き時代を知っちゅう世代でもあるがです。


実はちょうどこの年末の事になりますけんど、鰻ウケを100本ご注文頂く事がありましたぞね。竹虎の工場の裏手を流れます川も自分の小さい頃は水量が豊富で、このウケを仕掛けて鰻をよく捕ったものでした。まっこと都会の方にお話したらビックリされるかも知れませんが、本当に小川とも呼べないような幅が数十センチくらいで浅い流れの所などにも夕方にウケ仕掛けておいて、早朝に来て持ち上げると重いくらい鰻が捕れたりしよりましたぜよ。


ところが、天然の鰻はどんどん少なくなる一方でカワウソがおったという事で有名な新荘川や、仁淀ブルーで注目されちょります仁淀川、最後の清流四万十川など自然の残る高知の主立った大きな河川では今でも少しは使われる事があるかと思いますが、虎竹の里では現在鰻ウケを使う方はほとんどおりません。


当然昔のように大量にウケを編む仕事はなくなっちょりますが、さすがに昔の職人さんは底力が違いますぞね。久しぶりでも、やるとなったら必要な竹を用意して一挙にバリバリやりはじめるがです。曜日も時間も関係なし、週休二日など若い頃にはなかったぜよ。と、言わんばかりのモーレツぶり。竹職人とは、こうながやにゃあと感心してしまうような迫力で次から次へと編み込み仕上げていくがです。忙しく働く職人は格好がエイが違うぜよ。世間話をしながら、笑いながら、手を一時も休めず仕事を続ける姿は頭と手が別々の人のようですらあるにゃあ。久しぶりにエイものを見せてもらいましたちや。


竹雲斎工房、田辺小竹さん「美を守る人たち」

竹雲斎工房、田辺小竹さん


竹雲斎工房、田辺小竹さんの竹花籠教室にお伺いさせてもろうちょりました。「美を守る人たち」と言う銀閣寺講座ながです。田辺さんは代々、竹工芸を営まれてきた一家に育ち、生まれながらの竹工芸師と言える凄い方やと思うがですが、素晴らしい作品に虎竹を使うて頂く事があり、いつも感謝しちゅうがです。


大阪堺という比較的近くにありながら今までお伺いした事のなかった工房ですきに、どんな所やろうか?前の日からドキドキワクワクやったがですが、想像以上に美しく機能的でビックリしましたちや。竹職人、竹工房という事で言うたら、恐らく日本一くらい色々な所に行き、人に会ったと思いますけんどこんな竹工房というのは初めてやったがです。


花籠教室四ツ目編み


竹編み教室が始まります。竹ひごを縦横に並べて一番簡単な四ツ目編みができますぞね。その四ツ目編みを底編みとしてそれぞれの参加者の方に、ご自分の思うように好きな形に編んで行っていただくがです。


四つ目編み


実は竹虎でも工場長が花籠教室をする事がありますけんど、生徒さんが好きに編め込んでいける自由度が高い方が楽しいにゃあと思いましたぞね。しなりのある竹ならではの扱いやすさ、ああでもない、こうでもないと試行錯誤する中で竹の特性を知り、楽しさを体感していただけますろう。


花籠作品


けんど、まっこと面白いものですちや。元は同じ何の変わりもない四ツ目の底編みがそれぞれの参加者の皆さんの個性によって編みあがってみたら全く違うものになるがです。頭では予想しちょりましても実際に目にするのとは少し違いますぞね。


竹素材のしなやかさに人の生き方を重ねるのは少し大袈裟かも知れませんけんど、思うように変えていける事は、まっこと似ちょりませんろうか。そうやって思うたら、ひとつ、ひとつ異なる花籠がかけがえのない、唯一の竹として尚更愛おしく感じてくるがぜよ。


虎竹の旅の始まり

虎竹山出し


日本唯一の虎竹の里では今月いっぱいが竹伐採の期間ながです。虎竹の生えている竹林というのは、急斜面の細い山道を登ったところにありますので竹運搬用の機械を使う事も多いのですが、トラックの入る道路から歩いて5分、10分程度の竹林からはわざわざ機械に載せるのに手間がかかりますので、山の職人さんが束にした竹を担いで運び出してくる事もあるがです。


竹の山出しでは当たり前の事ですけんど、細い山道を上り下りするのはそれだけでも大変な事で、たまに竹林の見学に来られるお客様は登りは息をきらせながら上がって来られますし、下りは下りで滑らないように足元を見みつつ恐る恐る、道脇の竹等つかまりながら下りて行くがです。ところが職人さんはそんな山道をスタスタ、伐採したばかりで生しい竹は束にすると数十キロはあります。そんな重さで、しかも長さがあって扱いにくい竹を肩にのせて、まるで平地を歩いているかのようながですちや。


こうやって運び出されてきた竹の束が道路脇の決められた場所に積み上げられていきます。小山のように積み込まれたらトラックで土場まで運び、色づきや太さにより一本づつ選別されて工場に運ばれるまで又それぞれの保管場所で待機しますが、全国の様々なところにお届けされる虎竹の出発点はまさにココ。竹達にとっては長くなる旅の始まりの場所でもあるがです。


竹という素材

竹籠


竹は木ですか?それとも草になりますか?たまに質問される事があるがですが、実は竹は木でもなく、草でもなく、竹は竹と答える事にしちょります。そして、木でも、草でもどちらにも分類されると一般に思われる通り、両方の良い特性を兼ね備えちゅうと言うことができるがです。木のように硬く、真っ直ぐな剛の性質と、草のようにしなやかな柔の性質と両方持ち合わせてるいからこそ、古より衣食住に渡って多用な活用のされ方をしてきちゅうがです。


昔の匠の職人さんが編んだ竹籠を拝見させていただきました。ふっくらとした丸みを帯びた何とも優しいおおらかなデザイン。人を魅了する、曲線の美しさは竹以外の素材でつくる事は考えられませんろう。籠の足元を注意してご覧いただいたら底が浮いちゅうのが分かります。四角い底編みを四隅にカチッと立てたツメ足で支えているのです。少し厚めに取られた幅広の竹ヒゴをUの字に曲げると、竹の剛性というもう一つの顔が表に出てきますぞね。剛と柔と場合によって使い別ける技は近年になって、集成材などの加工技術の発展で更に進化してきたと言えます。


けんど、竹かんむりのつく漢字はいくつか知っちょりますろうか?何と、368文字もあるがです!竹文化は東南アジア全域に広がっちゅうがですが、日本のを思う時、この漢字の数の事だけを考えても昔から、どれだけ親しまれ大切にされ続けてきたなくてはならない自然素材の一つだったのかが分かるがですぞね。


匠の網代文庫

網代文庫


網代編みされた文庫を拝見させて頂く事はありますけんど、上蓋の縁をこんな曲線にした作品はあまり見かける事は多くないのです。ちょうど蓋を持つ時に手を掛けられるような工夫ですが、この部分を普通見かけられるように真っ直ぐに仕上げるのかこのような曲線部分をつけるのかで手間や技術の高度さが全くと言うてエイくらい違うと言われちょります。


完成した文庫として見た場合には見栄えの格好良さが全然違いますが、あまりこのような形を見かける事がないのは、この「ワザ有り」の大変さを物語っちゅうがではないですろうか。両側とも同じように仕上げられ両手で持ち上げる時の感触も同じ、見た目以上に使われる方には指先への籐巻きの当たりなどが重要ですぞね。そこまで、こだわり抜かれた素晴らしい職人魂やと思うがです。


力竹


網代編みの竹が立体的に深みを持って見えるのは、塗りやホコリ入れという加工をした後に竹ヒゴの一部を磨いて削りだされているからながです。裏返してみても底面の竹ヒゴはもちろん力竹も線が入ったように薄く削られて更に風合いある仕上げになっちょります。この力加減というのは作り手の感性が表れる所であり、使い手が見て好みの分かれる所かも知れませんちや。けんど、それにしても波うつような緻密な編み込み、竹ヒゴの微妙な色具合、見れば見るほど引き込まれそうですちや。


シシのプール

猪のプール


仕事を始めた当時に職人さん達が「山にシシがおる」言うて騒ぎよった事があるがです。中学から高校は寮生活、大学に進学してからは下宿生活で10年間も虎竹の里を離れちょりましたので、今から考えたら笑い話ですけんど正直何も知らかったですから、


「シシ......」
「もしかして獅子......?」


けんど、まさか...いくら虎竹の里が田舎や言うてもライオンは日本にいないハズぜよ。もしかしたら動物園から逃げ出してきたがやろうか?そんなニュースは今朝のNHKでもやってなかったけんど...。そんな事を思いながらも話しを聞きよったらどうやらライオンではないらしいがです。まあ、当然ですけんど。


職人さん達が「シシ」と呼んでいたのは実はイノシシの事。休みの日に猟犬を連れて狩りに行く事もある職人さんは、猪の情報を山の職人さんに聞きよったのでした。ある意味ライオンでなくて良かったような、いや、ライオンなら又凄い事になっていたような色々思いますけんど、あの頃に比べるとイノシシの数は相当増えちゅうと感じる事が多いがです。


実際に十頭くらいの親子連れのイノシシの群れにバッタリ出くわした事があって、映画もののけ姫を思い出すくらい結構な迫力です。こちらもビックリ驚いて動けなくなりましたけんど、向こうの群れもピタリと動きが止まってコチラを注視しているので怖いくらいやったですちや。イノシシを姿を見なくとも虎竹の里の山道を行くと、おっと、あるある、夜になって出て来て土を掘ってエサを探した跡なのですがここに雨水がたまっちょります。こんな水たまりで泥遊びをする事もこじゃんと好きなようながです。さしずめイノシシのプールやにゃあ。まあ、これもひとつの虎竹の里の風物詩ぜよ。


蒸籠の穴

蒸籠


鍋に水をはり沸騰させて蒸す。ただ、それだけなので自分でも美味しく調理できる蒸籠料理。調理と言うても食材を切るくらいですろうか、蒸す時間も、だいたいの目安がありますけんど時々蓋を開けて見ながらにんじん、カボチャ、芋類等は竹串など刺してスッと通れば大丈夫なので、失敗などほとんど皆無ぜよ、こんなに手軽で簡単でエイろうか?最初は楽すぎて戸惑うたくらいながです。寒いこの季節には湯気が立ち上るのも嬉しくて、ついつい使う回数が増えちゅうご家庭も多いかも知れませんぞね。


そして、スチームフードとも言われるように湯気の熱で素材のうま味を外に逃がさないがですろうか、特に野菜の旨みがギュッと閉じ込められちゅう気がしますし馬路村のポン酢しょうゆでも、ゴマドレッシングでも、こじゃんとイケる。野菜好きの自分は野菜本来の味を一番楽しめる方法やと思うちょります。


最近は、一人暮らしの方や若い方でも特に女性の方などには、油を使わず蒸すだけというヘルシーさを支持して頂いて蒸籠料理が人気のようですので、蒸籠や蒸し器も皆様のキッチンに結構あるのではないかと思います。上からのぞくと蒸籠の底は平たく加工した細長い竹ヒゴの所々をUの字型に削り取って並べられちゅうがです。削られた部分が穴になって湯気が立ち上ってきて、素材を蒸していくという案配。これは比較的量産も可能な作りになっちゅうぞね。けんど、こうやって見ているだけで何やらお腹が空いてくるのは自分だけですろうか?


虎竹の里の孟宗竹

孟宗竹


孟宗竹(もうそうだけ)は日本に成育するの中では最大級ですので、竹林でこの竹は大きいにゃあ、と思われたらだいたいがこの竹やと思うても間違いないかも知れません。孟宗竹は、この太さと、この長さがあるので昔から重宝されてきたがです。だから、元々は大陸から渡ってきて外来種であるにもかかわらず、現在では全国各地どこに行っても見る事ができるがではないかと思います。


ただ、他の地域では幾らでも見ることの出来る孟宗竹も、実は面白い事に虎竹の里ではほとんど見る事はできず竹虎の工場で使用する孟宗竹はトラックで遠くから運んできよります。なので昨年の夏のテレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」 で取り上げて頂いた時、大きな孟宗竹を伐らねばならなくなって、こじゃんと困りましたぞね。あちこち心当たりの竹林を探してようやく太い一本を探しあて、番組の中でTOKIOの長瀬さんが伐り倒した伐り株は今見ても結構太いがです。


当然と言うたら当然ですけんど、虎竹の里に生えちゅう竹はほとんどが虎竹。けんど、ここの竹林は珍しく細い山道を挟んだ向こう側は孟宗竹の林ぞね。竹の種類は違うても同じ竹、まっこと青々として美しいがです。


孟宗竹


ところで、孟宗竹が太いと言いましたが、太い竹が何でも孟宗かと問われるとそれは間違いで孟宗竹のように立派な太い真竹もありますし、反対に細めの孟宗竹じゃあちあるがです。その見分け方は結構簡単で節を見たらすぐに分かりますちや。真竹や淡竹(はちく)には竹節の部分のラインが2本あるのですが、孟宗竹の場合には節に1本しかありません。ここでハッキリと他の竹とは区別がつくがです。


ところが、やっかいなのは真竹と淡竹とですかにゃあ。日本唯一の虎竹は淡竹の仲間ですきに真竹と見分ける必要がありますけんど、実は明確な差がなかなか見付けられる最初は見分けがつきにくかったがです。入社の頃は、どこがどう違うのか職人さんに何度も質問しましたけんど、誰も教えてくれないがです、ただ一言「ずっと触りよったら分かるきに」


まっこと不親切やと、この時には思うたりもしましたけんど、いざ自分が教えるとなるとある程度の基準はあるものの、口にできない経験が頼りになるところはあるがです。まあ、竹と笹の明確な違いすらハッキリと解明されてないですし、虎竹の模様がどうして付くかも原因が分かっちょりません。自然は、まだまだ人の英知が及ばない事があると言う事ですろう。


新春の虎竹茶

虎竹茶


以前は、毎日のように竹細工の材料を沢山積んで内職の職人さんの所に行きよりました。竹材を下ろして、出来上がった商品を積み込んで帰るがです。内職のおんちゃんや、おばちゃんの所には居心地がエイがやろうか?近所から誰か人が集まってきて世間話に花を咲かせよりましたちや。そして、仕事が一段落したら決まって縁側でお茶の時間が始まるがぜよ。出してくれるお茶もお菓子も、こじゃんと美味しかったにゃあ。普段はあまり食べる事も、見かける事も少ない昔ながらの駄菓子。一体どこで買うてくるがやろうかにゃあ?そんな不思議に思えてくるようなお菓子も、若い自分がまったく知らないような話しを教えてもらいながら、笑いながら頂くですろうか何倍も美味しく感じます。


特に美味しいのは、おばちゃんが入れてくれる、ほうじ茶。香ばしい香りがして何ともホッとするような味わい。大きなヤカンに入れられちゅうので、ついつい何杯でも飲んでしまうほど本当に楽しみやったです。


虎竹葉


最近は職人さんの所に出かける事も少なくなって、ちっくと寂しい思いもしよりましたけんど、ぽかぽかと明るい陽射しの中で、アレコレ言いながら飲んだほのかな甘みのあるお茶を思いださせてくれたのが虎竹茶ぞね。


昨年からずっと売り切れやったのですが、材料の虎竹葉が秋以降でないと集める事ができなかったので、製造するのが少し遅くなりましたけんど今回から今までの製法にプラスして蒸す加工を加えて、こじゃんと美味しく仕上っちゅうがぜよ。


何というても良かった事は、やっぱりこれぞね。虎竹茶を100%で仕上げたいう事かにゃあ。味わいを良くして毎日自分が楽しく飲みたいと思いよりましたきに、実はいろいろと候補もありましたし試作もしてみたがです。けんど、枝打ちされて運ばれてきちゅうこの竹葉をご覧くださいませ。青々とした竹がこの虎竹の里には繁っちゅうがです。そしたら、やっぱりこの竹葉だけにこだわりたい。そう思う気持ちが込み上げてきますちや。結局、虎竹葉だけにこだわって、まっこと良かったと思うちょうがぜよ。


竹炭窯に亀?

竹炭窯


竹虎は今年で創業120年を迎える事ができました。仕事を続けられるゆう事は誰かに求めていただき続けちゅうという事で。こんな長い間、四代にわたって皆様にご支持いただく事を考えたら、考えるほどに、まっこと感謝の気持ちで一杯になるがです。改めて皆様、本当にありがとうございます!


そんな長い社歴だけはある竹虎ですけんど、もともと創業した明治27年当時は竹虎という屋号ではなかったのはご存じでしたろうか?おまん、小さい竹屋の事など知らんぞね~。そんなお声が聞こえてきそうですが、実は大阪は天王寺で竹材商としてスタートした時には竹虎ではなく「竹亀」という屋号やったがぞね。


それが竹屋を続けていくうちに日本唯一の虎竹ばかり扱うようになり、全国の竹屋さんから自然と「竹虎」と呼んでいただくようになって、竹業界でも「山岸竹材店」の名前はご存じない方でも「竹虎」の名前では知っていただけちゅうのではないかと思うちょります。戦後は竹虎の屋号に変わっちゅうですきに、竹虎になってかれこれ70年ぜよ。けんど、それだけに「虎」には当然愛着を感じてはおりますけんど、実は「亀」にも愛着を感じちゅうがです。


そこで、竹炭窯に亀がおった...?言うけんど一体どこにおるがぜよ。そうです、そうです、本当の亀が歩きよったワケではないですぞね。窯の奥には排煙工があって、窯の上の煙突に繋がっちょります。その様子を見るのには竹炭窯の上に上がるがですけんど、上にあがってみたらちょうど窯部分の上が楕円形に盛り上がっちょります。これが亀の甲羅のように見えるがぜよ。


窯は最高級の竹炭を焼き上げるのにもの凄い高温になります。あまりの熱でヒビ割れする事がありますけんど、そこには細かい土を盛って補修されちゅうがぞね。それが又亀の甲羅の模様にも見えてきて、いやいや、何ちゃあないけんど妙に嬉しい気分ちや。亀は万年言いわれます、これは春から縁起がエイがぜよ。


長半纏と竹バックとマフラーと

竹虎四代目初詣


今年の初詣は温かやったです。いえいえ、気温や天気ももちろんですけんど、最大の理由はこの長半纏(はんてん)にあるがぜよ。実は昔から懇意にさせて頂いちょります。宮田織物さんにお伺いさせて頂く機会があったがです。


大正二年の創業の老舗で半纏を日本一生産されゆう会社様ですけんど、もともと自分も学生時代から半纏はずっと着なれちゅうがです。さすがに昔のモノが着られなくなって一つ欲しいにゃあと思いよりました。けんど、こちらの自社一貫生産を拝見させていただき、職人さんが二人一組になって綿入れしゆう工程を見たら、こだわりの手作りは自分達の竹細工と何ら変わる事はないがぜよ。


感激して職人さんの思いのこもった半纏を、すぐに一つ頂く事にしましたけんどどうもそれだけではモノ足りんなったがです。そこで、無理を承知で一つお願いさせてもろうたがです。こんな素晴らしい手業を持たれた会社様やったら絶対できるだろうと思うての事です。


最近見かける防寒具で、膝下までくるような長いのがありますろう?サッカーなどでも着るベンチコート言うがやろうか、あんな長い半纏を別誂えで欲しいとお話ししたら、なんと快諾いただき出来上がってきたのがコレながです。手持ちの帯を締めたら着物のような感じでもあり、こりゃあエイぜよ!こじゃんと気にいったがぜよ。いつもは作務衣の下にセーターを着込みよりますけんど、この日は薄着にしちょいて長半纏を羽織ますちや。おおの、温い...まっことエイ仕事をされちょります。さすが日本一の半纏メーカーさんですぞね。


手には祖父と、こじゃんと仲の良かった渡辺竹清先生作、新春ににだけ使うと決めちゃある竹バック。マフラーは祖父が生前愛用しよったもの。なんぜよ、この歳になったち、やっぱりおじいちゃん子かよ?そうですぞね、二代目義治は日本一の竹屋と言われよった中学の時から自分の目標であり、ずっと追いかけゆう男ぜよ。おっと、祖父の顔を思い浮かべたら心が熱うなってきましたぞね。外から内から温こうなってきて今年のお正月はぽかぽかやったがです。


夜明け前の竹林

日本唯一の虎竹林


真っ暗い、どこまでも暗い。ここは一体どころやろうか?自分は誰で、どこへ行くがやろうか?道はまっすぐのびちゅうだけ。立ち止まりながら、迷いながら、どうしようも無くなって、ここまで来たがです。


大学四回生の夏大火災


声がする「竹虎は、あの日ぜんぶ無くたやろ?」


自分が大学四年の夏、竹虎は大火災で本社も店舗も全焼したがです。あの時、不思議な声に導かれるようにして火事の発見者になり、駆けつけて、あまりの炎の大きさに狼狽する社員を集め、腰をぬかしてしゃがみ込む職人の前に立ち、ワケも分からないままやったけんど燃えさかる竹虎を背にて道を継ぐ決心をしたがぜよ。


「火事の最中、オヤジや祖父は、どうする言うた?」電気も止まった部屋に胡座をくみ相談しよった。窓ガラスが赤い火に照らされちょった。工場も店も燃えて何もなくなったけんど、数日後にはトラックに満載された商品を借り受けて祖父は遠く催事に売り出しに出かけて行った。


竹虎の火災


虎竹の里の皆様方、社員総出での後片付けの毎日。焼け野原になって何のかも無くなった竹虎の工場の向こうには、いつもと変わらん綺麗な青空が広がっちょった。あきらめるのは自分がすること。立ちすくす祖父の隣で竹の血がたぎるのを感じた時を思いだしたぜよ。ここで生を受け、ここに生きる事を誇りに思うたぜよ。

竹虎四代目が誕生した空を焦がす真っ赤な炎の夜。何を守るのか?何に自分の人生を使うのか?火事の炎も大きかったけんど、心の炎と、どっちが大きいがぜよ?「もともと、裸やったろう?」まっこと、何ちゃあない。父も祖父も、いやいや曾爺さんじゃあち。負けんかったきに今があるがやろう。


竹虎四代目


虎竹との出会い、戦争、本拠地移転など、何度も裸一貫から再出発した会社であり、そして、マイナスからのインターネットの取り組みやった。竹虎も今日から仕事始め、ゼロからのスタートぞね。2014年は激動の始まりの年、イバラの道元年と言うてもエイ。けんど、夜明け前が一番暗い。あの日と同じぜよ。ほら見てみいや、もう明るくなってきた。陽は又、必ず昇ると信じちょります。


お正月のシダ編み食器かご

しだ編み籠


お正月はお節料理を沢山の家族や親戚と囲みますけんど、取り皿などの食器類もこじゃんと必要になりますろう。そこで、登場するのがシダ編み食器籠やきに。まあ、別にシダでなくてもメゴ笹や竹など色々な自然素材で同じような形の籠が色々あるがです。


新春だけではなくて高知では「お客」と呼ばれる近所の方など沢山の方が集まって宴会をする機会がありますので、食器類が一度に沢山いる事があってその家庭により色々な籠が使われてきちゅうがです。入れ替わり、立ち替わり来客があります。食器置き場も台所だけでは全然足りなくなってから、籠に盛られた食器籠が庭先に置かれちゅうのは小さい頃から目にしてきた普通の光景でもあったがです。


まあ、都会の方で言うたらホームパーティー言うところですろうか?そんな洒落た集まりにでもシダ編み食器籠や竹籠などは、ゲストの方の注目を集める渋いアイテムになりますろう。日本で昔から使われてきた伝統文化やと紹介したら話題作りにもなるし、特に海外からのお客様などがご覧になられたらホストのご家庭の株は、こじゃんと上がるかも知れませんぞね。


虎竹の里


シダと言うたら、たまに沖縄のわらび細工と間違われますので、虎竹の里にお越しになられた方にはご説明させていただく事にしちゅうがです。シダは小学校の頃から山遊びでは重宝した材料でもありますし、そもそも虎竹の里がその昔は良質のシダの産地でシダ集めの職人さんが山に入っていたという土地柄ぜよ。それだけに自分らあにとってはシダはあまりにも身近で、馴染みの素材でもあるので当然日本中の方もご存じだと勝手に思いよりました。


思い込みというのはイカンですにゃあ。どうやらシダという植物をあまり認識されちゃあせん。そんな方も多いと知ってからは、できるだけお話もさせてもらいよります。全国だいたい何処に行ってもシダはあるのではないかと思います。今のように便利な素材がない時代には、抜群の耐水性、丈夫さなどからそれぞれの地域で役立ってきた山の恵みをせめて虎竹の里に来られた時くらいは思いを寄せていただきたい、そんな風に考えちゅうがです。


新春の煤竹箸

煤竹箸


毎日の食卓で使うお箸は当然ですけんど竹箸ばっかりながです。ただ、毎度の食事に使うお箸が日本唯一の虎竹箸だけか?と言うとそうでもなくて虎竹の他には真竹や孟宗竹のお箸も気分に合わせて何膳か使いよります。


真竹、孟宗竹と一言で言うたち、角に仕上げたものや、丸まって削ったお箸塗りのものもあれば、漆仕上げのもの、塗装無しのお箸もありますぞね。これらの竹は虎竹などに比べて身が厚くて太めのお箸が出来る事が一番エイ事やにゃあ。横綱うるし箸という極太のお箸がありますけんど、たまに、こんな持ち応えのある竹箸を使いたくもなるがぜよ。


さて、そこで新春に使いたいお箸ですが虎竹男箸が定番ではあります。けんど、もう一膳大事に置いちゃあるお箸を出してきたがです。近年貴重な素材になりつつある煤竹を使い、丁寧に拭き漆で仕上げちょりますが何とも言えず手に馴染みます。祖父の代から懇意にしていただく渡辺竹清先生から特別に頂戴したものですきに、竹虎ロゴマークを刻印してみたら更に愛しい感じになって実は前からずっと使えずにいる竹箸の一つながです。この新春も出すには出してみましたけんど、イカンイカン、どうも使うようにはなりませんちや。いつもの虎竹男箸の出番のようです。


2014年初詣も、このパーティーバック

渡辺竹清作パーティーバック


日本の生活道具のデザイン性の高さというがは、身近におったらなかなか感じる事が出来にくいかも知れませんぞね。けんど、渡辺竹清先生がアメリカの世界的宝石店の注文でずっと創作を続けられていたパーティーバックは、昔から普通に使われちょった竹の弁当箱の形のようですし、付いている金具にしても日本の何処にでもあった箪笥の引手金具ソックリちや。


使われちゅう素材も竹材の中でも最高級の煤竹。囲炉裏の煙に燻されて百年以上経っている、まさに日本の伝統的な暮らしが作り出したと言うてもエイ銘竹ぜよ。こうやって最高の素材を使うて、匠の技で作りだした作品が芸術品のように洗練され輝いて見えるがは、もともと日本の長い歴史が、元となった道具たちを磨き、育み、育ててきた成果ではないかと思うちょります。


いつからやろうか?初詣は、いつもこれを持っていくと決めちょります。片方の金具に組紐をかけ、蓋が開かないようにもう一方の金具に紐を通すがです。着飾ったパーティーに使うバックとして創作されちょりますので、年に一度の改まった朝にもふさわしいと思うがです。


それにしても久しぶりに桐箱から出した竹の色艶に見とれてしまうぜよ。長い時間だけが醸し出すことのできる彩り、そして熟練の手業が加わり自然と人との共演で産み出された小籠から、ずっと目が離せんなっちょったがですちや。


竹虎新春のご挨拶2014

虎斑竹専門店 竹虎


明けましておめでとうございます!今年も何卒よろしくお願いいたします。


毎度、日本唯一の竹林からのご挨拶です。は「松竹梅」と言われるように古来、縁起の良い植物ながですが、その理由の一つが真っ直ぐに天を指して伸びる成長力ですろう。しかも、わずか3ヶ月で筍から二十メートルもの高さの親竹と同じ大きさになる神秘的とも言えるスピード。そして、一年通して青々とした葉を茂らせる姿はまさに繁栄の象徴のように人々の目に映ったと思うがです。


ところが、竹の凄い所はこれだけではないかぜよ。成長力や、見た目の美しさや清々しさだけではなく、竹林全体が一つの家族と言うたらエイですろうか。竹は四方に延びる地下茎で、あちらこちらの竹と繋がっちょります。自然の鉄筋コンクリートとも揶揄され、昔から地震の時には竹林に逃げろと伝えられてきましたし、山崩れや護岸工事にも竹が利用されてきたのは広く知られている事ぞね。この竹が突風をいなし、豪雪にもじっと耐えられる柔と剛をあわせもつ様な素晴らしい強さを持つ秘密は節ぞね。竹は節を大切にするから強いのです。身近に、ずっと竹を感じ、竹を見ている自分は竹に教わる事は、こじゃんと多いと思うちょります。


皆様のお陰で創業120周年の年を迎えさせていただいた今年は、竹虎にとっては大きな節目の年ながです。「打たん太鼓は鳴らん」と教えられましたきに、とにかく打つ、動く、一年の覚悟をしちょります。