すいのう

水嚢(すいのう)


判官贔屓(はんがんびいき)とでも言うがですろうか、プロレスにしても柔道などにしても、体格の小さい選手が、大きな選手に果敢に挑戦して打ち負かすというような小さい者、弱い者、ハンデのある者を日本人は応援する気質があるのではないかと思うちょります。最近ではテニスの錦織選手が気になっちょりますが、この方も決して体格に優れたワケではありません。けんど長身の外国選手が打ち下ろすようなサーブを打ち返し、勝利する姿に、まっこと感動を覚えるがですぞね。


そこで、昔はこれでも虎竹の里のマッケンローと言われちょりましたので、ラケットでも振ってみろうかと思うたがです。ところが何処を探してみても見つからず、あるのは竹製ラケットだけ...。あ、いえいえ、これはラケットではありませんぞね。実は、すいのうと呼ばれる水切りの道具ながぜよ。


ラケットに形は似ちょりますが大切な竹製品ですので、もちろん素振りなどは絶対にできませんぞね。今では職人さんがおられなくなり、なかなか出来なくなった昔ながらの商品の一つでもあるがです。特徴的なのは、この水嚢なども、製造する職人さんが出来なくなる事もありますが、実は材料集めをする職人さんがいなくなり、作りたくても、作れなくなるという現状もあるがぜよ。


竹虎で前々から扱ってきた製品の中にもこれと同じに、材料集めができなくなった、加工道具の修理や製造ができない、加工材料が手に入らないなど竹職人さんの周りの職人さんの都合で、どうしても出来なくなる逸品もひとつ、ふたつ出来てきよります。まっことモノ作りが大変な時代ではあるのです。


おっと、そうじゃあ、そうじゃあ、出来なくなりゆうものばかりではなく、こんなピンポン用のラケットは新しく出来たりしよりますにゃあ。ラケットではなく卵すくいですけんど(笑)。


竹の鬼おろしで摺り下ろしリンゴ

竹の鬼おろしで摺りリンゴ


美味しい大根おろしが出来ると言う事で評判の竹の鬼おろしは、まるで鬼の歯のようなギザギザが特徴的ながですが、竹は細く割ると柔軟でしなやかな素材である反面、そのまま使うと非常に硬いという両極端な面白い性質があるのです。


だから竹の鬼歯ですりおろすのは大根だけではもったいないがです。リンゴなど他の食材にも色々と活用してみたいと思うて実際に摺り下ろしてみましたぞね。


摺りリンゴ


まずリンゴを選んだのは確か西洋の諺にも「1日1個のリンゴで医者知らず」と言うのがあって、とても身近な果物でありますが美味しいだけではなく、昔から健康にも良い果物であるという事ぜよ。そうそう、日本でも整腸作用などが昔から知られちょりますにゃあ。


そして、摺り下ろしたリンゴの使い方も結構バラエティーに富んでいて、まず思い浮かぶのが昔の西城秀樹のコマーシャルにもあった「リンゴとハチミツ、トロリとけてる♪」のカレーがありますちや。カレーの味がまろやかに深みが出るという事で是非お試しいただきたいですが、あと、シフォンケーキなどお菓子類にまぜるとか、摺り下ろしジャム、ゼリー、飲み物に入れるなど、まっこと手軽に使える果物だけあって沢山あるがです。


果汁で肉が柔らかくなるという話しを聞いた事がありませんろうか?実はプロの料理人の方でも実践されているようですが、豚肉などと摺り下ろしリンゴを炒めても、自然な甘さと柔らかさで更に美味しくいただけるとの事ぞね。


摺りリンゴヨーグルト


さて、今回は摺り下ろしたリンゴをどうしたかと言いますと、もっと簡単にヨーグルトに入れてみましたぞね。市販でもリンゴ入りのものがあったように思いますが、やはり手作りのものには敵いませんろう。お好みで入れる量を調整できますので最適の甘みで頂けますが、リンゴを入れる事で食感も良くなり繊維質も取れるし言うことないがですちや。


これからの鍋の季節には竹の鬼おろしは出番が多くなりますが、やはり竹皿があった方が断然使いやすいので是非セットでオススメしたいがです。しっかり手で押さえてお使いいただいて洗って仕舞う時には、鬼歯が手に当たらないよう竹皿に伏せる形で収納できすまぞね。


けんど、いろいろな使い道を考えていたら何か次々にありそうです。更に手放せない台所のトップスターのように思えてきますちや。


平成26年度高知県産業技術功労表彰式

高知県産業技術功労表彰


平成26年度の高知県産業技術功労表彰式に出席させて頂いちょりました。竹虎が受賞させてもろうたワケではないがです。自分が代表をさせてもらっている高知e商人養成塾という団体がありますが、この活動が高知県知事よりお褒め頂く事になったのです。e商人養成塾はインターネット勉強会という事で2000年から始まり、現在までずっと毎月継続して続いているという熱しやすく冷めやすい高知県民からしたら、ちっくと驚きの勉強会であるかも知れませんちや。


尾崎高知県知事


まっこと自分が何かしたワケでもないですけんど、こうやって知事に表彰して頂くのは何か変な気分ですけんど、ずっと塾長として自分達を導き続けていただきゆう、京都イージーの岸本塾長はじめ60社の塾生を代表するつもりで、そして、これからの発展を誓うて前に立たせていただいたがです。


高知県産業技術功労表彰会場


「農業部門」「商工業部門」「林業部門」などの部門がありますが、技術開発、普及に功績があったり、産業振興に功績があったと言うのが選考基準のようです。他の受賞者様は県内でも素晴らしい実績を持たれた方ばかりが集まり、田舎の小さな竹屋の自分などは、最初からずっと場違いな気さえしよりますぜよ。


須崎森林組合


けんど、そんな中こじゃんと嬉しかったのは、何と竹虎とは目と鼻の先にある地元の森林組合の方が、たまるか林業部門で受賞されちょった事ながです!!!!!高知はカツオなど海のイメージが強い所ですが、その実、面積の84%が森林という日本一の森林県でもありますぞね。山が豊かになる事が、きっと高知全体が豊かになる事に繋がりますろう。自分達は、いつも竹と向き合いよりますが、そのすぐ近くで木と向き合う方がこうやって認められるとは、まっこと感激しましたし、嬉しい事やったがです。山の衰退ばかりが聞こえてきますけんど、こうやって地道に頑張る方の姿を自分の励みともなりますぜよ。


高知県産業技術功労表彰懇親会


さて、そんな受賞式ですので森林組合の方々も多数ご参列されちょりました。何人かの方とご挨拶もさせて頂いてエイ機会となったがですが、一つ自分自身が大きな反省をする事がありましたぞね。それは、自分勝手な思い込みやったがです。


高知は、先ほども言うたように日本一の森林県であり、魚梁瀬杉(やなせすぎ)など昔から名前の知られた木材の産地です。近年やったら四万十桧などブランド化された木材もありますし、先進的な山の試みなども多く、情報交流も盛んではないですろうか。そんな県内で木材と竹材と言うたら兄弟のようなものですし、日本にここにしかいな虎斑竹の事も皆様知ってくれちゅうと思いよりました。


ところが、その名前すらご存じない方もおられるがです。高知の産んだ世界的植物学者の牧野富太郎博士が命名してくださり、五台山の牧野植物園にも、この虎竹は移植されちょります。イギリスBBC放送が取材に来た竹でもあるし、あのユニクロとコラボさせて頂いた事もあるがぞね。高知でも知らない方は多いのは仕方ありせんけんど、山の仕事に関わる皆様には、この虎竹の里にしか成育しない不思議な竹の事は知ってもらえちゅうかと思っていたのです。


これはもちろん、森林関係の皆様の責任ではありませんぜよ。悪いのは黙っちゅう自分ながぜよ。この里に生える竹一本一本が自分の子供やと思うて、もっと声を高く、大きくせんとイカンにゃあ。田舎の小さな竹屋ですきに誰も気にせんのは当たり前ながです。


高知県産業技術功労表彰賞状


けんど、今は、今からは、ちっくと違う。たとえ地方であっても、人がいなくても、お金がなくても、自分の努力だけで変えられる時代になっちゅう。小さくて弱くとも、一つ光るものがあったら人に届く、そんな素晴らしい時代になっちゅう。今回の受賞も、きっとそんな時代の声ですろう。


竹の国の連携

潭陽からのお客様


竹はアジア各国に成育して、様々な文化を育み今日に至っちょります。それぞれの地域により竹の性質や形状も違うので、作るものや、使われ方なども色々なバリエーションがあるがです。今回、来年の韓国での竹博覧会への参加は早い段階から決めちょりました。それは、韓国はじめ、中国、台湾、タイ、ベトナム、インドなど、今まで見た事もない竹文化と出会う機会を作りたいと思うたからです。


また、随分と前から名前だけは聞いていた世界竹会議には、竹虎にも来られた事のあるアメリカのバンブークラフトの作家さんなどが、いつも参加されゆうと言われていたので、ずっと関心があったがです。どんな事が話されるのか分かりませんけんど、竹は驚異的な成長力があり、竹生産国が情報交換し、さらに発信することが、世界の竹のためにもなり、世界に暮らす人々のお役に立つことになる、そう思えて仕方がないがです。


竹虎本店


日本の竹は大陸から海を渡って、あるいは南方から黒潮に乗ってその技法が伝えらました。そんな竹が美しい四季のある日本ならではの繊細な感性で育まれ、芸術と呼ばれるまでの領域に花開いてきたと思うがです。


けんど、どこの竹が良いとか、素晴らしいとかではなく、それぞれの地域に根ざした竹文化は、そこの人や土地の特性を活かしきった最高のものであるはずぜよ。各国の竹製品が学びあい、刺激しあい、切磋琢磨する、競い合えるところは競い合う事こそが、大きな意味での竹文化の振興や発展になりますろう。


日本唯一の虎竹の部屋


竹虎では21世紀は竹の時代と1985年から言うてきましたが、継続利用可能な唯一の天然資源の竹の可能性はまだまだこれからです。来年の竹博覧会が開催される韓国潭陽(タミャン)は、わずか30年前まで国内最大の竹の市が開かれていた竹の本場であります。竹に恵まれたアジア各国がここに集い、竹の機運を盛り上げるのには、まっこと良いチャンスですろう。


日本では昔から言い伝えられるように、「地震の時は竹藪に逃げろ」と教えられてきました。雨の多い高知県などでは大水の防災や護岸のため竹が多用されちょります。竹の強さの秘密は一人で立っていない事ながぜよ。竹は地下茎でそれぞれが手を握り合い繋がり支えあうので強いのです。人は竹に習い、手を携え合う時期に来ちゅうかも知れませんぞね。


韓国潭陽からの視察の皆様

韓国潭陽からの視察


来年の9/17日から10/31日までの45日間、韓国は潭陽(タミャン)という美しい竹林のある町で、世界竹博覧会が開催されますぞね。また、その会期に合わせて世界竹会議なども開かれるのですが、開催実行委員の皆様は日本をはじめ中国や台湾や東南アジアの国々、そして世界の国々から参加者を募られちゅう最中でもあり、日本には全国竹の大会に合わせて来日されていましたぜよ。


宣伝用のビデオを大会の懇親会にて拝見させてもらいましたが、曲がりくねった散歩道が通る美しい竹緑苑は本当に気持ちが良く、一度でも行った方なら又行きたくなるし、行った事のない方でも竹や自然に親しみたい方は、思わず心惹かれるのではないかと思うたがです。来年の潭陽には竹に携わる方が一人でも多く集っていただけるよう、自分達も出来る限りの協力をしたいと思うちゅうがです。


さて、せっかく日本に来られた機会にという事で、なんと虎竹の里にもお越しいただける事になったがです。通訳の金さんは何度も日本に来られた経験がありますものの、四国や高知など地方には初めてとの事で、まっこと良いチャンスやったと思うちゅうがです。


竹虎本社前


潭陽は竹の町であり、竹にはずっと親しみがあられると思うし、竹に関する見識なども他の方とは比べようもない程、高い方々だと思うがですが、虎竹の里がたったの1.5キロ間口の谷間で、その間でしかこの虎竹が育たないという事には、少なからず驚かれたご様子やったのです。自分が潭陽に行って現地の竹や文化を肌に感じたように、虎竹の里にお越しいただいてこそ感じてもらえる竹の風がある、いっつも、そのように思うちゅうがです。


虎竹矯め直し


竹の油抜きの工程で4メートルの長い虎竹の矯め直し作業では、山から伐採した竹がバーナーの高温により油が吹きだし、独特の虎模様が浮き上がるのをご覧いただきます。虎竹の曲がりは、この熱を利用して一本づつ矯正されていくのです。


黒竹製竹


同じ工程でも細く短い竹は小型のカンテキで竹を熱し、竹に合わせた小さな矯め木を使い作業していくがぞね。それぞれ両方をご覧いただきますけんど、曲がった竹が真っ直ぐに矯め直される工程は、こちらの方がすぐに分かりやすいのです。


袖垣製造


この日は虎竹縁台を沢山製造していましたけんど、袖垣などにも、まず孟宗竹の芯があり、それに細く割った竹を巻き付ける、そんな手間のかかる作業には関心をもってご覧いただきました。


竹ざる製造


笑みのこぼれるのは職人さん人柄やにゃあ。言葉は通訳の方がいたとしても、かなりの土佐弁やきに、なかなか意思疎通は難しいかも知れませんぞね。けんど、国は違うても同じ竹に関わる皆さん、竹ざるを編むちょっとした仕草や、表情で場が和むがぜよ。


日本唯一の虎竹林


けんど、まっこと今回の来社はタイミングが良かったですちや。ちょうど虎竹の里では竹の伐採のシーズンを迎えちょります。竹林への道を登っていくと上の方から竹の葉がサササッとすれる音...、山の職人が伐った竹を倒しているのです。そして竹を出す山道には伐ったばかりの竹が滑り落とされちょります。


細く急な山道を100年前から登ってきた虎竹の里のこと、麓まで一束づつ運びだし選別されていく竹のこと、このような光景をご覧いただけるのは来春1月まで、いくら口で説明しても実際息をきらして登っていただいた竹林でしか語れない事がありますろう。


虎竹の里


山の職人さんに少しお話を聞かせて頂く事にしましたぜよ。良質な竹事、竹の年数の見分け方、間引き方、虎竹の里の山の竹たちの旅はこうやって一本一本この山から伐り出され今始まったばっかり。こうして全国に散ってゆく虎竹のまさに始まりの時を、韓国からの皆さんにご覧いただき嬉しく思いゆうがです。


茶碗籠の思い出

籐巻椀かご


どうも前々から茶碗籠への思い入れがあると感じちょります。それも、そのはず自分の小さい頃にはこのような竹籠いっぱいに、お茶碗やら湯飲みやら小皿やお箸まで洗ったものを丁寧に重ねながら、少しでも沢山の量を水切りして乾燥させられるようにギッシリと詰め込んだ、堂々と胸をはる誇らしく見えた竹籠ばっかり見て育っちゅうがです。


今の竹虎で販売させていただく茶碗籠は、一家の人数が少なくなったり、一人暮らしの方が増えたりしてきた、現代日本の生活ぶりを考えて、小振りなサイズにして久しいのですが、遠い昔の記憶の中にある竹籠は、それは豪快やったぜよ。小さい子供やったらようやっと抱えるような大振りな籠で、おそらく食器類を一杯入れたら持ち上げる事さえ出来んかったがではないろうか?


籐巻椀籠


家族の人数の多い事もありましたし、高知の風習である「お客」と言われる宴席があったり、竹虎の場合やと県外から来られたお取引先様をもてなしたり、職人や社員がやってきて料理を囲むなど、上等な食事というワケではありませんけんど地元の海や山の幸を沢山の人達で食する機会は今とは比べものにならないほど多かったがです。


使う食器の数も人数に比例して多くなりますので、大きな竹籠が必要という事は、それだけ沢山の人が集まっちゅういう証やにゃあ。多く集まる事は、どっちにせよ嬉しい事でもあるし楽しい事やったですきに、その思い出と茶碗籠が引っついちゅうがやろうかにゃあ。


まあ、いずれにせよ、そんな思い出のない若い世代の方であったとしても、小さい頃にもそんな習慣のなかった地方の方でも、竹編みに食器は、どこか懐かしく、格好がエイとは思われませんろうか?竹と日本人の関わりは長く、深いものです。知らず知らずの内に身体に染みこんだ感性に囁きかけるような気がしますぞね。じっと見ていると何か思い出す事もあるかも知れませんぞね。


丸窓の飾り

丸窓 黒竹


竹は熱を入れると自在に曲げ加工ができるものではありますが、細い黒竹をこれほど見事に美しく細工できるのは、長い伝統の技術の賜ではないですろうか。このような加工技術を使うて、もっと複雑な形を表現しちゅうものもありますが、主に松竹梅など縁起の良い物などが多いのです。一般の住宅ではあまり見る機会はありませんが、旅館や料理屋さんなどで丸窓と呼ばれる飾り窓に、さり気なく、このような竹のあしらいがあると、こじゃんと粋というか風流を感じさせてくれるがです。


瓢箪型 煤竹


丸窓と言うても丸型だけでなく四角い形のものや。変わったところで瓢箪の形をした窓もありましたぞね。内側に通した煤竹に、まるでその竹にツルが巻き付くように見えますが、その巻き付く細いツルも実は竹で作られちゅうのです。


胡麻竹


これは窓の内側にはめ込むタイプですちや。厚みのある壁の内側部分は結構見られる所ですので、ここにはゴマ竹を使用してより高級感を出しちゅうがです。新しい今風のお家もエイですが、このような丸窓がしっくりくる昔ながらの日本家屋に、いつかは暮らしてみたいと憧れちゅう方も少なくないのではないですろうか。


名脇役の竹

竹目隠し


心休まる緑の日本庭園というのは、まっことエイもんですちや。別に築山があったり、大きな池があったりせずとも、緑の多い空間には安らぎの気が満ちているのか、妙に落ち着いて、ここが大都会の繁華街からも、ほど近く、ほんの少し歩いた所だと言う事を忘れさせてくれるがです。普段はあまり気にしちょりませんが、そんな緑深い庭園は都市部にも実は結構あって、不思議な事に歩いていると聞こえてくる小鳥達の声は、虎竹の里の山道で聞くそれと良く似ちゅうぞね。コンクリートジャングルに囲まれちょったとしても、こんなオアシスのような緑地帯があれば自然はイキイキと輝くがやにゃあ。


そんな事を思いながら大きく曲がる歩道を行くと、ふと気がつくのが園内の所々にある竹のあしらいぜよ。立ち入り禁止の所に結界のように使われちゅう自然の丸竹や、袖垣や縁台、建屋の腰張りなど昔からあるものも趣がありますけんど、場所により、ちり箱であったり室外機や水回りの目隠しなど、現代風な竹を使い工夫されちゅうものがなかなか面白いと思うがぞね。


ここのお庭では水やり用の蛇口とホースと収納箱やろうか。目隠しに竹で箱を作っていたのですが、その竹が古くなりエイ具合に目立たず、主役のである庭園を引き立てる脇役らいし味を出しちょります。これは自然の竹にしか出来ない芸当ですろう。塩化ビニールでも遠目には竹そっくりの商品があり、比べものにならないくらい耐久性も高く、変色もせず長持ちするので、最近は飲食店、ホテルや旅館さんでも良く使われるのを目にします。けんど、どうぜよ?塩ビではこのような名脇役ぶりは逆立ちしても出来ないのです。


第55回全国竹の大会、京都大会

第55回全国竹の大会、京都大会


間違うていたら申し訳ないのですが、確か自衛隊の起床時間は朝5時55分と聞いた事があるがです。これは「ゴーゴーゴ-!」という一日のスタートには最適の語呂合わせですろう。


そこで今回の全日本竹産業連合会の主催する竹の大会、京都大会も、第55回という「ゴーゴー!」という一つの節目かと思うちょります。開催地の京都は昔から歴史のある竹の本場でもあり、国内外の方からすると最も竹をイメージしやすい街かも知れませんので、節目の開催地としては、まっことピッタリの場所やと思うたがです。


さて、竹を取り巻く現状と言うのは今にはじまった事ではないにせよ、非常に厳しく、これからのビジョンを描くことが難しい時代ぞね。今回の大会でも、様々な問題が多数報告され、また意見交換もされたがですが、自分の思うのは、竹の今日というのは周りの環境変化など外因ではなく、竹に携わる自分達が日本の竹の良さを伝えていない問題をつきつめると、この一点に尽きると思うちょります。


もっと言うたら竹を愛しているか?自分達自身が竹の事をもっと知り、素晴らしさを実感し、愛用する事、竹を生活の中で活かしていない者が竹を誰かに語る事はできないのです。例えば、おにぎり等弁当用の竹皮一枚とってみても、今では、ほとんどが海外からの安価な竹皮ばかりになっていますが、竹皮職人が一年のうちで本当にわずかな期間だけ竹林に入り、手間暇かけて一枚の竹皮を仕上げていくのです。その工程には、とても真似のできないような神業のような職人技があります。初めて見ると、その熟練の手さばきに感動する覚えますが、これをお伝えするのが付加価値やと思うのです。


そして、そうやって丁寧にこだわりを持って仕上げられた竹皮を、実際におにぎり弁当に使うた事はありますろうか?国産のものなので安心して使える事はもちろんですが、やってみないと分らない意外なほどの簡単さ、便利さ、縛る紐も別に何か用意する必要もなく、竹皮は横には裂けませんが縦には簡単に綺麗に裂けますので、それを紐がわりにして頂くと初めての方でも驚くほど手軽に、本格的な竹皮おにぎり弁当を作る事ができるがです。竹皮の特性である通気性の良さで蒸れず美味しくいただけるオニギリ、楽しいランチタイムを体験するとお客様にお伝えする内容には、今までとは全く違う説得力が生まれますろう。


「竹が泣いている」と言われたのは故上田弘一郎先生だったと思いますが、こんな竹の今日を招いている唯一の原因は、竹屋の自分達自身の責任やと反省しちゅうがです。竹はアジアにしか無い貴重な資源というようなお話もありました。日本の竹だけでなく、お隣の韓国にも、中国にも台湾にも、また東南アジアの国々にも竹はあり、それぞれ独自の進化をされちょります。これからの時代はアジアが一つになって竹文化そのものを、もっと推進していく事が必要ではないかと思うちょります。その中で、切磋琢磨があり、はじめて世界に通用する竹が生まれますろう。


海外への竹の展開のお話などもありましたが、竹を知らない国からしたら、竹は一つであり日本の竹と他国の竹が、どこが違うのか分らず、判断基準が価格だけになりがちです。日本の竹は日本の感性で磨かれ独自のものであると思うちゅうがですが、それなら、その独自性、特異性を伝えなければ、海外での競争力はおぼつかないのではないですろうか。竹は見直されていて、今、追い風が吹いているという事も聞きましたが、本当言うたら竹に追い風は、ずっと前から吹き続けていると言うのが本心ぜよ。竹の為にも上手く風に乗らんといきませんにゃあ。


韓国潭陽からのお客様


今回の大会には先日韓国でお世話になった通訳の金さんはじめ、来年の世界竹博覧会の実行委員の方々や若手職人さんなど来られちょりました。潭陽にお伺いした時には、こじゃんと良くして頂きましたので、つい5ヶ月足らず前の事なのに懐かしく、再会がまっこと嬉しかったがです。


実は更に嬉しい事がありましたぞね。前回、潭陽では竹祭りが開催されていて、そこでは数名の職人さんが竹編みの実演をされていました。すると通りかかった自分を見つけて頂き、お声をかけてもろうたがです。まさか遠く韓国に行って竹虎の事をご存知の方がおられるなど夢にも思わない事で、最高に感激したがですが、何と、今回はその時の職人さんの息子さんが来られちょったがです。


日本でも後継者不足が言われ、竹をされる方は段々少なくなりつつあります。韓国でも同じような状況と聞いてましたが、このような若い職人さんが育ち、日本にまで学びに来られている事は、国境を越えた竹の同志として心から嬉しく、頼もしく思うがです。


内村悦三先生著「タケ・ササ総図典」

内村悦三先生著「タケ・ササ総図典」


竹の研究に長年携わられ大きな功績を竹業界に残されている、内村悦三先生の「タケ・ササ総図典」には日本の竹、笹を中心に200種類を越える掲載がされちょります。なんと200種類!?竹の種類は、そんなに多いの...?そう思われる方もおられるかも知れませんけんど、詳しく調べられない方は竹の種類のページをご覧くださいませ。竹の種類は世界には約1300種類、日本だけでも600種があると言われちょりますので、これでも、ほんの一部の掲載という事ながですぞね。


そんな竹の中で虎斑竹(とらふだけ)も取り上げて頂いちょります。竹を学術的に研究された先生の著書ですので、毎日仕事で竹に向き合う自分達でも知らない事ばっかりですちや。まっこと竹は知れば知るほど奧の深い、素晴らしい植物やと思うがぜよ。いつも竹の驚異的な成長力のお話をさせて頂くと、皆さん目を丸くしてビックリされよりますし、柔軟さと堅牢さを併せ持つ特製、成長の早さと強さの秘密である竹節、そして、地下茎でそれぞれの竹同士が手を握り合う結束の堅さ、これらは人間が竹に学ばないといけない事やと思うがです。


「タケ・ササ総図典」というタイトルだけあって、本の内容は主にそれぞれの竹についての特徴を紹介することに多くのページが使われちゅうがですが、虎竹の説明ページには他の竹たちと少し違うちょって、刈り入れの終わった田んぼでの竹選別作業や製竹作業、袖垣を作る竹職人の姿などまで掲載いただき、日本唯一の虎竹が今もって生活の中で生きている、日本の中では数少ない竹であると知る事が出来るのです。


本には「BAMBOO GUIDE BOOK」と書かれています。海外で日本の竹に関心のある方は多くようですので、英訳された本の出版もあるがやろうか?ちっくと期待もしちょります。


竹炭オムライス

竹炭パウダー入りオムライス


竹炭パウダー(微粉末)を使うたハンバーガーが発売されたと聞いて、わざわざ大阪のバーガーキングさんまで食べに行っちょりましたぞね。別のハンバーガーチェーンならありますが、高知には同店は一つもなく、県外まで出かけて行かねばならないがです。けんど、実はこういう事は今に始まった事ではなく、これまでにも色々な店に出向く機会があったがですぞね。


その中で一番印象に残っているのがNINJA KYOTOというお店かにゃあ。店内には虎竹が丸竹のままディスプレイされちょって、まずビックリ!ちょっとした竹林のイメージを醸しだしています。ここは店名にもありますように忍者がテーマとなっちょりましたので、忍者が潜んでいる雰囲気作りやったのかも知れません。


そんな店内では自分が行った時には忍者の焼く竹炭クレープという真っ黒い色をした人気スイーツがありましたぜよ。けんど、どうして忍者が竹炭か、分かりますろうか?忍者といえば現代風に言えばスパイですろう。密命を受けて危険な任務に就く事の多かった忍者は、懐深くに炭粉を常に携帯していたそうながです。


忍者が炭粉?一体何に使うがやろうか?相手に投げつけて目くらまし...いや、色々考えてたりするのと思いますが、実は任務の最中、毒をもられたりする事もあったそうで、そんな緊急事態には解毒剤として炭粉を服用しよったと言うのです。こちらのレストランでは、そんな逸話から竹炭入りメニューを用意してお客様を楽しませてくれちょったがです。まっこと知らない話しでした、勉強になりましたぜよ。デドックスなどと言う言葉もない時代の話ですが、昔の人々は炭の効能をしっかりと知って活用されちょったようですぞね。


さて、自宅では竹炭パウダーはパンやクッキーなど、小麦粉に混ぜることが一番多かったがですが、先日は、ちょっと趣向を変えて竹炭オムライスなるものにチャレンジしてみたがぜよ。ううん...どうですろうか?黒いお米に、黒い玉子焼き、そこに赤いケチャップをかけてみましたが。確かに見た目には、これは素晴らしい!とは思う事は出来ないがです(笑)。これは日常的というよりも特別な時に備え、サプライズ用としておいておいた方が良さそうですぞね。


土佐和紙工芸作家、伊与田節子先生

土佐和紙工芸作家伊与田節子先生


インターネットは、まっこと素晴らしいものながです。自分のような田舎で誰にも知られていない「物」や「者」を沢山の方に知っていただくチャンスをいただけちゅう、地方の自分達にこそ、初めて本当の意味での光を当てていただけた、それがインターネット時代のひとつの側面かと思うちょります。


けんど、それまではどうやったか?広く告知をするような費用はなく、人もいない、どこかに販売に行くにも田舎ほど時間と費用がかさむ、まっこと不便な場所のメリットというのは何ひとつ感じる事はできんかった。そんな中で、せっかく日本唯一の虎竹という素晴らしい竹がありながら、だんだんと人の生活から遠くなり、役立つ機会は減り、虎竹は、これからどうなっていくがやろうか?日本の竹に明日はあるがやろうか?色々な思いに悶々とする長く暗いトンネルが続きよりました。


土佐和紙を使うて作品を創作されている伊与田先生は、そんな自分達を見るに見かねてお声をかけて下さったがやろう。同じ地元高知ならではの素材という事で、ご自身の土佐和紙と虎斑竹のコラボ展示会をご提案頂いたがです。先生は人間国宝の方が漉いた土佐和紙を使うた繊細な作品なども発表されちょって工芸の世界では名前の知られた方ぜよ。まっことエイ機会やと思うて何度となくご一緒させてもろうたがです。


高知県内の有名旅館、ホテル、お寺、公共施設など、普通なら工芸品の展示には使われないような素晴らしいスペースを、土佐和紙の花と虎竹で一杯にさせて頂いたのは、まっこと自分にとってもエイ経験となっちょりますし、まだ当時の創作が残った場所では、あの頃の自分を感じさせてもらえる、特別なパワースポットのように思うたりしゆうがです。


一番の思い出の場所は何というても竹林寺。歴史のある有名なお寺、そもそも竹にちなんだお寺でもありますし、虎斑竹の命名の父であり世界的学者であられた牧野富太郎博士の牧野植物園のある五台山にあるお寺でもあります。この広い客殿にどのような竹の創作をするのか、今、考えたら稚拙な部分も、こじゃんとあるがですが、あの時期の職人を巻き込んだ試行錯誤が、現在取り組んでいるドイツ人デザイナー、ステファンさんとの作品作りに少なからず生きちゅうようにも思うがぜよ。


最近は久しくお会いさせて頂いていなかった伊与田先生、お元気なお顔を拝見させてもらえて、まっこと嬉しい気持ちが込み上げてきますちや。自分達は、本当に沢山の恩人に囲まれ、多くの人に助けられ、今こうやって生かされちゅう事を気づかせてくれますぞね。虎竹を誰かのお役に立てたい、そうやって恩送りしたい、そんな思いを新たにするがです。


ワシントンスクエア公園の凱旋門

タイムズスクエア


そもそも自分などは田舎者ですし国内旅行ならまだしも、海外にまで観光の旅行に行くというような事は、ほとんど無いがです。今回どうしてもニューヨークに行きたくてお伺いしましたけんど、実はその前にも一度だけ、もう18年も前の事ですがこの大都市に行った事があるのです。その時にも英語が話せないし、飛行機の乗り継ぎなども不慣れやし、どうしようか不安だらけ、今みたいにインターネットもないですので、まっこと手探りで恐る恐る行ったと言うのが正直なところぜよ。


公衆電話のかけ方一つ知らんかったぞね。今思えば良く、あんな状態で行って帰ってこれたにゃあと思うがです。けんど当時は竹の明日という事について、今以上に不安と迷い、そして焦りのような気持ちが一杯やったぞね。お陰様で100年続けて来させていただいちゅう自分達の竹の仕事も、これからの事が真っ暗闇で、まったく見えない状態やったのです。


竹がどんどん忘れられていく、竹が人の役に立てる事は何やろうか?思い悩む中で、たまたま日本唯一の虎竹を見学に来られちょった、アメリカでバンブークラフト作家として、ご活躍されていた、ナンシー・ベスさんという方を頼り、もしかしたら何か答があるかも知れないと思うて、ニューヨークに行く決心をしたのは、そんな、止むに止まれない気持ちからやったのです。


ワシントンスクエア公園


ベスさんのご家族の暮らすアパートの目の前には、こじゃんと美しい公園があったがです、後になってから知りましたけんど、ワシントン・スクエア公園(Washington Square Park)という、マンハッタンでも有名な公園の一つぜよ。ちょうど滞在中は天気にも恵まれ、紅葉の季節を迎えた美しい並木が広がります。すれ違うお洒落で楽しそうなニューヨーカーの皆さんを横目に、落ち葉を踏みしめながら歩く足取りは重く心は全く晴れませんでした。


Washington Square Park


並木を抜けた中央には広場があるがですが、ここで、ビックリするものを見る事になります。驚くという気持ちよりも、不思議な気持ちと言うたらエイですろうか、それは大きな白いアーチ型の門やったがです。


「どこかで見た事があるにゃあ...?」


近くのベンチに腰掛けて考えます。


ワシントンスクエア公園のリス


サクサクッ...サクサクッ...。音をする方を見たらリスでした。大きな樹木に囲まれた広い公園らしく体格も立派なリスがおります。訪れる市民の皆さんに可愛がられちゅうがですろう、怖がることなく近寄ってきて、まっこと人なつっこいがです。その中の一匹が口を小刻みに動かして浮かない顔で座る自分に教えてくれた気がしましたぜよ。


凱旋門


そうぜよ、思いだしましたちや、あの絵じゃあ!自分は若い頃には絵画を鑑賞するなど高尚な趣味も何ちゃあなかったですが、ある時、街中を歩きよって、こじゃんと惹かれる一枚の絵があったがぞね。どうしても気になって今まで買うた事もないアートポスターを手にしました。32年前の事ですけんど、ポスター買ったのは後にも先にもこの一枚だけ。その一枚はレッドグルームスという作家のもので、描かれているのが、紛れもない今自分の目の前にある凱旋門やったがです。腰掛けたベンチのまま腰が抜けました。


何とも不思議な縁、こういう事が起こるがやにゃあ。前からベスさんと会う事も、この公園に来る事も決まっちゅうがやったら、ここに、きっと何かあるろう、あるに違いない、がぜん、元気になって、この作家の方も収蔵されちゅうと言う、メトロポリタン美術館(The Metropolitan Museum of Art)に2日間通う事になるがです。


さて、それでどうなかったか?メトロポリタン美術館は、たまげるくらい広く、圧倒されっぱなし。けんど、とうとうこの作家の作品ひとつ探す事はできませんでした。まあ、その頃の思いは今回のニューヨーク動画でお話しちょりますので、お時間ありましたらご覧いただきたいがです。



ニューヨークで虎竹バックニューヨーカー

虎竹バックニューヨーカー


日本唯一の虎竹達がひょんな事からニューヨークで展示される事になったがです。一体どの商品をと思うた時に真っ先に頭に浮かんだのが、やっぱり虎竹バックニューヨーカーやったがぜよ。


そもそも竹というのは和というか東洋のものであり、「ニューヨーカー」などという横文字のネーミング自体が、ちっくと違和感があるかと思われる方もおるがではないろうか?けんど、これには60年という長い歳月と、日本からアメリカ、そしてアメリカから日本へという、まっこと不思議な経緯かがあって名付けられたものながです。


虎竹バックニューヨーカーと竹虎四代目


自分達とは祖父の代からずっと懇意にしていただきゆう網代編みの巨匠で渡辺竹清先生という作家の方がおられるがです。竹虎のウェブサイトや、このブログをご購読の皆様やったら既に何度もご紹介させて頂いて、お馴染みの竹芸家の先生ですが、実は、渡辺先生ご自身もニューヨークに本社のある有名宝石店のお仕事をされていた事もある関係で、ご本人はあまり海外には行かれる事はないものの、ご友人や知人の方の中には頻繁に旅行に行かれる方もおられたようです。そんな中のお一人が、ある時ニューヨークの街角で、見慣れない竹バックを提げてている一人のアメリカ人に出会い、ご自分の提げていた竹バックと交換して持ち帰ってきたのが、実は、虎竹バックニューヨーカーの原型となった竹バックでした。


J-COLLABO


ニューヨーカーが実際に提げていたバックと言うのが単純な名前の由来ですけんど、もともとは日本で作られて一端海外に渡ったものが、日本に里帰りした後、今度は更に虎竹という衣装替えをして、再度アメリカに上陸したという何とも面白い縁ながです。


J-COLLABO


ちょうど訪問させて頂く日程の中で、展示頂いているJ-COLLABOのイベントが開催されちょりましたので、前夜祭から参加させてもらいましたけんど、日本からニューヨークに活動と活躍の場を求めてやって来られちゅう沢山の方とお会いさせて頂きましたぜよ。こんなに多くの方が来られちょって、しかもネットワークで繋がってるとは、まっこと(本当に)知らずに驚いたり、感心したりながです。


竹を海外に発信する事はしないのですか?そんな質問を頂く度に、今の若い皆様は青竹踏みすら知らない方がいる、日本のそのような次世代の方々が既に外国の方のようなものだから、海外と言うより、まず日本の皆様に竹を知ってもらいたい、ずっとそう思うてきましたし、今もそう考えちゅうがです。


けんど、特に今年は韓国、台湾、そしてニューヨークと、珍しく外に出て行く機会がとても多い一年になりましたぞね。改めて日本の竹を違う視点から見る事によって、今までとは明らかに変わったものが自分の中に芽生えちゅうのを感じるがです。


台湾の竹家具

竹ソファ


昨日は外部から来られた方々との打ち合わせをしている中で、ふと思い出した9月に台湾に行った時の事をお話させてもらいたいがです。


竹編みの手鞠は日本でも作られる事のある竹細工ですけんど、それを沢山繋げてソファにしようという発想はないがぜよ。だから国立台湾工芸研究所で、これらの家具を拝見させて頂いた時には、まっこと度肝を抜かれるような思いやったがですちや。


もちろん、すぐに思いうかぶ耐久性や強度など、クリアしなければならない課題はいくつかあるかも知れません。けんど、こうやって一つの完成度の高い立派な家具として存在しちゅう、これが何ともビックリする事ですぞね。イタリアかどこかのインテリア関連の展示会でも発表されたことがある、そんなお話にも頷ける素晴らしさでしたぜよ。


竹椅子


そもそも会議室に通していただいて腰をおろした椅子も竹でしたぞね。集成材を丁寧に仕上げていく工程を動画で拝見しましたが、デザイン性もあり、竹素材という面白さもあります。こんな格好が良くて、お洒落な椅子なら自宅でもオフィスでも使ってみたいと思われる方はおられるように思うがです。


えっ?座り心地ですろうか?


竹チェア


座ったらこんな感じぜよ。この顔で判断していただきたいがぜよ。


竹特有の優しい腰当たりと、何と言うても「しなり」、竹繊維はこれに尽きますぞね。そう長時間座っていた訳ではないのですが、座面の堅さなどは全く感じず快適に使う事ができそうでした。


高知など高温多湿の地方では特になのですが、デスクワークをされる方で座面の蒸れを気にされる方もおられます。だからメッシュ素材の事務用椅子など人気とも聞きますが、竹椅子なら、そんな心配はゼロですにゃあ。


竹の曲線美


細い白竹を同じような曲線に仕上げて座面を作った椅子もあったがです。まるで滝が流れるような美しさに見とれましたけんど、ただ、ラインの優美さとかの外観だけでなく、これが実際に人が腰かける椅子というのに興味が湧いてくるがです。


仕事場の竹家具


およそ考えつく限りというたら大袈裟かも知れませんが、竹の可能性をとことん追求するような台湾の竹工芸は想像以上に凄いです。伝統と革新という言葉がピッタリくるように思うちょります。特に竹家具にこれだけ進んだ作品があって、実際に色々な場所でも使われている背景は何やろうか?


やはり思いうかぶのは昔から多用されてきた伝統的な竹家具ですろうか。南投県という地域性がもしかしたらあるのかも分かりませんが、自分がお伺いした十数軒のご自宅や店舗、工房、事務所には必ず竹家具が使われちょりました。


来客を迎え入れる所にはもちろんですが、職人さんが働く現場にでも椅子や机は竹製ばかりと言うてもエイくらいでした。こうやって竹に親しみ、竹を自然に使い続けている生活そのものが、アッと目を引く作品づくりの基礎になっちゅうように思うがです。


雑誌「Fielder」掲載の鰻ウケ

雑誌「Fielder」掲載の鰻ウケ


小さな頃には自然の中で遊ぶのが当たり前の事でした。春、夏は近くの川や海で、秋から冬は虎竹の里の山々で、今から思うたら、まっこと幸せな子供時代を過ごさせてもろうちょります。海の幸、山の幸、そして川の幸にあふれちょった。


海に行けば魚釣りから貝取り、変わったところでは穴ダコ捕り、マテ貝の穴に塩を入れて貝捕りされる方は多いかも知れませんが、タコの穴に灰を入れて小さな穴ダコ捕りは珍しいですろう。山では山菜やアケビなども取りましたが、野生の果実の木があって、まるで全員が猿のようになって木に登り、むしゃぶり食べていましたにゃあ。特にビワなどは後から考えたら贅沢品、けんどあの時は上着がビショビショになるくらい食べよりました。


コブテと言われる鳥用のワナも上手な先輩に習って良く仕掛けましたぞね。まっこと猟師ではないですけんど、ひと冬毎日ずっと山に通いよった事もあるがぜよ。捕った山鳥は竹職人さんの所に持っていくと毛をむしり下ごしらえしてくれたりしていました。皆で焼いて食べるのですが、食べられる所は少ないものの、これが美味しかったにゃあ...。今では山鳥を捕ること自体禁止されちゅうようですし、虎竹の里でも全く見かける事はなくなりましたぞね。


自然と向き合う事は、子供心にも本当に面白く、刻々と変わる自然の表情に感動さえ覚えるような事が多々あったがです。川もそうですちや、朝靄のかかるヒンヤリした初夏の空気のなか、清々しい川の流れに足を踏み入れると、川原特有の何ともいえない香りがするがです。


前の日に仕掛けた鰻ウケを上げに行く楽しさ、数十年経った今でもハッキリ思い出されますけんど、先日雑誌「Fielder」という雑誌に鰻ウケの事を掲載いただいたがぜよ。野生食材図鑑とありますけんど、自分達にしたら先輩や親に習ってきた事が本になっちょります。鰻ウケの他には千葉の魚捕りの方法である「ボサ漁」、福島の「ズ」、新潟の「モジリ」など色々な漁具が掲載されちょります。どうも東に行くと竹の違いからか竹編みの漁具よりも細い丸竹を何本も使った漁具が沢山あるようですにゃあ。日本の昔からの道具というのは気候、文化、生活が見事に表れて、まっこと色々拝見させて頂いても興味が尽きませんぞね。


高知県でずっと編まれたきた鰻ウケですけんど、前に大学の先生や民俗研究の方が来られた事もありますが、別段珍しいとも思わなかったものが雑誌に掲載いただいたり、遠くからお越しいただくことを考えたら、やはり貴重な存在になりつつあることを思わずにおれませんちや。そうそう、それを裏付けるかのように鰻ウケの職人さんの動画を掲載しちょりますが、何と再生回数が42000回越しちゅうがです、よかったらご覧くださいませ。



小菅小竹堂氏と飯塚琅かん斎氏

「燦」小菅小竹堂作


圧巻の竹編みに足が止まって動く事が出来ませんでした。銘を「燦(さん)」と言う小菅小竹堂さんの手による竹の飾皿を拝見した時の事ですぞね。細かく割った竹ヒゴを、まとめて編んでいく極限の技は、日頃はあまり目にする事のない竹編みの一つなのです。


小菅小竹堂さんという方は、実はあまり知られていない竹作家の方で、ある方によりますと「幻の作家」とも言われちょります。お名前こそ表にあまり出ることはないのですが、その創作された竹の数々は美しさ、緻密さは尋常ではありません。観る者を魅了してやまないまさに天性のものを感じさせる素晴らしさにゾクゾクしたがです。


先日、飯塚琅かん斎さんの花籃「あんこう」はじめ「八窓」、そして盛籃「国香」など束ね編みを駆使して編まれた作品群をまとめて拝見させていただく機会がありました。日本の竹には血か通いゆうと思います。それは遙か縄文時代の数千年の昔から竹と日本人は密接に関係し、竹が生活の中で、毎日の暮らしの隅々に活かされ、使われてきたからですろう。そんな血の通うた竹そのままを日常から芸術の域まで高められたのが飯塚琅かん斎さんであり、誰もが知る竹の巨匠として輝き続けちょります。


小菅小竹堂さんは、この琅かん斎さんのオマージュもあるほど。ただ一人の尊敬して認める竹芸士とされていたと聞きました、この束ね編みのが飾皿ひとつを拝見させて頂いても、琅かん斎さんに一歩も引けを取らない凛とした堂々たる風格です。これだけの竹の技術と、そして何より感性を持たれた小竹堂さんぜよ。琅かん斎さんも認めた数少ない竹芸士であったと言われますが、まっこと、うなづける話しですぞね。一度お会いしたかった...心からそう思いながら作品に面影を探して、また魅入るしかなかったがです。


飯塚万里さんと生野徳三さん

飯塚万里さん


飯塚琅かん斎さんは竹を語る上で必ずお名前の出てくる偉大な竹工芸家ぜよ。亡くなられて既に50数年も経つというのに作品には一目見て圧倒される迫力と、他の誰にもない何処にもない、この方だけの世界に引き込まれるてしまう独自性があるがです。今でも初めて出会うた時の興奮が蘇ってドキドキして来ますちや。


あの竹に会えると思うて、ずっと前から楽しみにしちょりましたのは、栃木県立美術館で開催されよります「竹のめざめ」と言う企画展。まっこと、これだけの多くの逸品の作品達がよくぞ集まっているにゃあと、日本一ではないかと思える充実した内容に感激する事しきりながです。開会式とギャラリートークでの美術館の研究員の方のお話からも、こじゃんと(とても)作家の方と作品に愛情を持たれちゅうのが伝わってくる。栃木県というのは勝城蒼鳳(そうほう)さん、藤沼昇さんという竹工芸の人間国宝の方がお二人もおられるような他には例のない土地柄でもあり、竹への思いの深さを感じる企画展に、まっこと嬉しゅうになるがです。これほど飯塚琅かん斎さん、その人に迫る展示会は、そうそうありませんろう。気がついたら閉館時間やった、時間があればもっとここに居たい、まっことそんな気持ちにさせる展示会やったがぜよ。


「竹のめざめ」という題名は一本の竹が竹芸家の手により創作され、ひとつの作品になっていく、竹のめざめという事もあるかと思いますが、この展示会を拝見された方が忘れられつつある日本の竹にめざめる、そんな機会になればとも思うたがです。


さて、そんな会場で思いがけずお会いさせていただいたお二人がおられます。お一人が飯塚万里さん、そして、もうお一人が生野徳三さん、それぞれお名前は、ずっと昔から存知上げちょりましたが、なかなかお会いさせて頂く事がなかったのです。今回は偶然にもお目にかかる機会を得て、まっこと光栄やったです。


飯塚万里さんは琅かん斎さんのお孫さんにあたり、生野徳三さんはご自身も竹工芸家としてご高名な方ではありますが、竹の世界で初めて人間国宝となられた生野祥雲斎さんを父に持ちます。飯塚琅かん斎さん、生野祥雲斎さんとも竹の世界を変えたいと強く願った挑戦者であり、変革者でもありますろう。このお二人は竹を芸術の域にまで昇華させたという大きな功績と、その後の竹芸界への働きは計り知れないものがありますぞね。竹の作家として認められる事は、竹そのものを認めて頂く事であり、日本全国で竹に関わる名も無き多くの職人や作り手に勇気と希望を与えたがです。この「一隅を照らす」生き様こそが自分が素晴らしいと感じるところであり、それぞれの子孫の方にお目にかかれた事は本当に有り難い事ぜよ。


いつも竹の神様に好かれているような気が、勝手にしよります。今回も、ちょうど上手い具合に導いていただいた、そんな目に見えない大いなる力に、まっこと感謝しよります。


すべての田舎者に

竹虎四代目


好きな事を力いっぱい全力でやりたいですろう、自分は、いつもそう思うちょります。そして、自分は、小さく、弱い事を知っちょります。大きな会社や有名なお店、資金力のある所、人財の豊富な所とは正面から勝負はできませんろう。田舎で不便、お金もなく、人もおらん、マイナスばっかりと思うて、諦めちょったけんど、キラリと光るものがあるきに、一言でエイきにモノ申したい、ずっと、そう思うてきたがです。


自分達には日本唯一の虎竹がある、これを曾じいさんの代から120年ばかりやりゆう、まあ一言で言うたら、ただそれだけの事。それしか無いきに他の事は何ちゃあ知らんし出来ませんろう。ただ、これだけを言いたいと思いよったがです。


いつも仕事着である作務衣を着ちょります。地元の会でも、何かの集まりでもコレしか持ってないきに、いつも作務衣。先日の受賞式でも国会議員の先生まで来れていましたので、


「オマン、たまにはスーツでも着たらどうぜよ?」


最近は言われる事もなくなりましたけんど、久しぶりに言われて思うた事があるがです。そうそう、それから作務衣だけならまだしも、前掛けにタオルまで首に巻いちゅうやいか。空港や駅で地元の知った方に会うたら可笑しく見えるのか、


「チンドン屋やにゃあ」


そう笑うていただくけんど、本当に、そう思われますろうか?


物見遊山で東京に行きゆうがやったら何も言うことないけんど、自分など田舎者には仕事以外で何処か行くような余裕は無いがです。そんな暇があったら虎竹の竹林で座って竹と話しよりたいぜよ。そんな時間を使うて虎竹の里の、地方の物産を人を売りに行くのに都会の人が着ちゅうような格好のエイ同じスーツで行ったら、東京着いたら、どこの誰か分からんがではないですろうか?


たとえば空港で、駅で田舎では見た事もないような、こじゃんと沢山の方とすれ違いますろう、この方達は、まぎれもない地方の自分達のお客様ぜよ。もしかしたら忙しそうに歩きゆうので他人の事など、まったく誰も気にしていないかも知れませんが、一日にたった一人でもエイがです、「竹虎」と言う文字を見て、ロゴマークを見て「あれ?」と思う人はおらんろうか?話かけてくれる人は、おらんろうか?


本気で「地産外商」を言われるがやったら、地方の空港や駅からはスーツの上に地方のハッピを羽織るなり、会社の名前の入ったジャンパーを着るなりした情報発信の先陣をきる人達がおるのが本当やと思うがぜよ。そんな小さな、ささいな事やけんど、さっき言うたように自分達は、小さく、弱い。だから負けるか言うたら、そうではないですろう。小さく、弱いなりのやり方がある、価値がある、まっこと自由自在、やり方など無限にある、今の世の中は言いたい事が言える、やりたい事がやれる、本当にありがたい、最高に素晴らしい時代に生かされちゅうと思うがぞね。


柳細工のミニ弁当箱

柳おにぎり弁当箱


随分前の事ですが柳行李の職人さんの工房にお伺いしたがです。もしかしたら柳細工などはご存じない方もおられるかも知れませんが、プラスチック製の衣装籠が普及するまでは、この柳で編まれた行李が家庭の荷物の整理には欠かせないものやったのです。自分も実際に使うた事はないのですが、若い頃の引っ越には荷物を柳行李に入れて運んだという話しを聞いて、まだ現役の頃を知る方がおられると思わず嬉しくなったりするがです。


自分の小さい頃には、どこの家の押し入れにも一つ二つは角を革や布で補強された柳行李がありましたぞね。この角のあしらいがワンポンイトになって格好がエイがですが、柳行李が全国で広く使われていたのは、そのしなやかな強さですろう。かくれんぼ等して遊んでいて柳行李の上にのったりしても、多少きしむ音がするのですが弾力があり全く平気やった覚えがあります。重さや衝撃で割れてしまうプラスチック製の箱とは、やはり耐久力に大きな違いがあるように思うがです。


そんな柳ですが自分も「ネコヤナギ」くらいしか知りませんでしたので、大きな木から細い枝を伐るのか、あるいは細かく裂いて材料を取るのか、現場の製造となると、その程度の知識しか無かったのですが、柳と言うても種類があり、また栽培品種まであるという事を教えていただいて、ビックリもしましたが、かつては大量に作られていた製品です。当然その材料は効率的に栽培されていても不思議ではないですぞね。


毎年冬に2メートル前後になった材料を集めて皮を剥ぐのですが、黒っぽい樹皮から、柳細工で良く目にする白く綺麗な素材が表れるのを見ると、マタタビ細工等の素材と同じような感動を覚えるがです。日本には、本当に沢山の自然素材を上手く活用した細工がありますちや。柳も見た目の美しさはもちろんの事、その堅牢さなど、野山に生えていた時には想像も出来なかったに違いないがです。それを先人が、あれこれ試行錯誤して沢山の素材から選びだし、丈夫な作り方を編み出して今に伝えられちゅうがですろう。


柳の産地は兵庫県や長野県、岐阜県などが有名でしたが、自分のお伺いした職人さんの工房では後継者もなく、行李の製造も、すでにあまりされていないようでした。ただ、こうやって大型の行李は見る事は少なくなったものの、柳の弁当箱は今でも少しづつではありますが見かける事がありますぞね。耐久性に加えて通気性にも優れちょりますので、知る人ぞ知るような根強い人気がある弁当箱ながです。


先日からご紹介させて頂いちょります柳おにぎり弁当箱は、小さめのオニギリを二つも入れると一杯になってしまうミニサイズ。珍しい弁当箱で、実は今後作られる事もない限定の商品です。手にする度に壁一面に柳が立てかけられていた、あの薄暗い工房と職人さんを思い出すがです。


虎竹三年、柿八年

日本唯一虎竹林


「虎竹三年、柿八年」...?あまり聞いたことないにゃあ...。何か間違うちゃあせんろうか?そうそう、「桃栗三年、柿八年」ではないかよ。桃や栗は実がなるのに3年かかる、柿は更に年月がかかって8年かかる事を成すには、それ相応の時間がかかるという諺ですぞね。おっと、こんな言葉が聞こえて来そうですが何ちゃあない、他のところではどうかは存知上げませんけんど、日本唯一の虎竹の里では「虎竹三年、柿八年」ながやき。


虎竹は虎竹の里の間口で言うたら、たったの1.5キロ程度の狭い谷間でしか成育しない不思議な竹ですけんど、だからと言うて、この里に生える竹に全て虎模様が付くかと言うと、実はそういうワケではなくて色付きの良くない竹も沢山あるがです。そして、竹は毎年どんどん生えるという事もよくお話しますけんど、苗木など植えなくとも地下茎で広がり、筍から、たったの3ヶ月で親竹と同じ十数メートルの高さにまで成長するのですが、大きさでだけ立派でも、やはり人間と同じで一人前になるには、それ相応の時間が必要になってくるのです。


今の子供達も背が高く、身体の大きさだけで言うたら大人と同じ、けんど、中身まで大人と同じですろうか?やはり学校などで教育を受け、色々な試練を乗り越えて一人前の人として成長していくがと思います。虎竹も全く同じ事ながです。背の丈は親竹と同じく立派に見えても、その中身は柔らかく、台風のような強風がくれば折れてしまう事もあれば、仮に伐採して竹細工に使おうと思っても若竹は使いものにはなりません。今年生えた竹は青々としちょりますので明らかに色合いが違うのが分かりますけんど、このように、そもそも虎竹で一番大切な、独特の虎模様が実は3年経たないと色付かないのです。


「虎竹三年、柿八年」こう言われるのも(勝手に言いゆうがですが)お分かりいただけるのではないですろうか。けんど、まっこと人と同じ、見栄えだけではイカンがです。


浪人笠と虚無僧笠

浪人笠


まっこと(本当に)田舎者で、何も知らない事ばっかりながせよ。また、そう痛感してしまう事がありましたぜよ、それが浪人笠ながです。時代劇などで良く見かける笠なので、どこかで製作されているとは思いよりましたが、実際に日本のワラ職人さんが伝統を守りつつ、このような素晴らしい笠を編まれていることに感激するがです。


竹で言うたら時代劇の大作映画などにも、ずっと使われていたと言う網代編みの笠を作られていた職人さんが仕事ができなくなったりして、自分の近くでも昔ながらの優れた道具達が姿を消す事が多い中、突然手元に表れた浪人笠、これはインパクトありますぞね。


これは...と思い、いつも何故か車に乗せているオモチャの脇差しを前掛けに差して、足が向くのは高知市五台山は竹林寺。そもそも「竹林」という名前自体が竹虎と縁を感じるがですが、なんと日本唯一虎竹の命名の父でもある牧野富太郎博士の偉業を記念する牧野植物園がある場所でもあるがぜよ。


虚無僧笠


ところが......ぜよ、浪人笠ときたら、こちらも当然ありますろう?


聞くと、やっぱり、ありましたぞね。そう、虚無僧笠!!!


実は何を隠そう、こんな良いものが、この現代に作られゆうとは、全く知らなかったものですので、前には縦長の竹籠を頭に被って楽しむ(?)事もあったがぜよ。けんど、これからはそんな事もないにゃあ。


もう、自由にこの虚無僧笠で出かける事ができますちや。ああ、よかった、よかった。おっと、そうぜよ、あまりに嬉しくて忘れるところやったけれど、虚無僧と言うたら尺八がつきものぜよ。ちょうどアメリカで創作活動を続けられるレベンソンさんの尺八があるきに、これを持って行かねばなるまいにゃあ。(注:本当に出かける事はありません)


レベンソンさんはサンフランシスコ在住ながですが、毎年のように竹の仕入れに虎竹の里にお越しいただくがです。前回来られた時には工場で演奏もしてもろうたぜよ。今度の機会には虚無僧笠姿でお願いしてみたいにゃあ、ははは。



ふたえばら

二重編み竹ざる


夏から楽しみにして、ずっと待ちよったがですぞね。旬の良い良質の孟宗竹を使うた大型の二重竹ざるが出来上がったがです。こじゃんと(とても)しっかりした網代編み部分と、磨きをかけた厚みのある縁部分が職人のこだわりを物語っちょりますが、一番の特徴は何というても二重編みになっちゅう事ですぜよ。


網代編みの表面からは見えませんが、裏返したら底部分一面を六ツ目編みでガッチリと補強されちゅうぞね。「ふたえ」=「二重」、「ばら」=「ざる」、つまり「ふたえばら」とは二重になった竹ざるの事。昔から竹ざるは色々な仕事に多用されてきましたので、強さが求められる中で、このような編み方になったがですろう。


ふたえばら


底の二重になった六ツ目編みは編み上がったばかりで青々としちょります。この青さはすぐに落ち着いた色合いに変わりますが、この竹にも職人のこだわりがあるがです。


実は表編みは孟宗竹を使うちゅうと言いましたが、底の六ツ目編みは真竹が使われちょります。磨きをかける縁部分などと違うて、ここは竹表皮そのままで使います。孟宗竹は時間がたつと表皮が白く剥がれて見栄えが良くありません。そこで底編みには、わざわざ真竹を使うちゅうがです。竹の種類を変えている事などは分からない部分ですが、こんな細かい所までにも神経を使うのが、自分の仕事に誇りを持つプロの竹職人というものながです。


ドイツから韓国から

虎竹の里にステファンさん


今月は嬉しい来客があるがです。ひとつは、この夏に一度ドイツから来日された高名なデザイナーのステファン(Stefan Diez)さんぜよ。


ジャパンクリエイティブと呼ばれるプロジェクトにて新しい製品づくりを目指しての取り組みながですが、前にお越しの際には日本に着くなり飛行機を乗り継ぎ、虎竹の里までお越し頂きましたので大変やったと思うのですが、新しい竹の可能性を探るような試みをご一緒させて頂いて、まっこと光栄に思うちょりますし、何か創り出してみたいと思うて、実はメラメラと静かに燃えちゅうがぜよ。


前回は日本唯一の虎竹の竹林も初めてやったですし、竹素材の事自体も未知の世界やったと思いますので、あれから数点お送りしたサンプルなど使いながら、どのような事を考えて、何を創作しようとされるのか、お話を伺えるの事を今から楽しみにしちょります。


韓国潭陽


そして、あとひとつは韓国潭陽からの金さんご一行ぞね。潭陽(damyang)は韓国を代表する竹の町であり、来年2015年の世界竹会議が開催されると言う事もあって、元々、素晴らしい竹林公園があったり、伝統工芸としての竹文化もあり、竹籠や竹ざるが山積みにされて取引されていた国内最大級の竹の市が、ほんのわずか数十年前まで実際にあったという材料としての竹も豊富であり、また竹細工での製造でも賑わってきた地域なのですが、更に来年に向けて公的機関、民間共に更に盛り上がっちょります。


そんな遠い異国の竹の本場から虎竹の里のような田舎まで、わざわざ視察にお越しいただける事は本当に嬉しい事ながです。ちょうど虎竹の伐採のシーズンに入ってきますので、山出しの作業などご覧いただけたらエイにゃあと考えちょります。


お陰様で今年、創業120年を迎えさせて頂いている竹虎です。長い間に渡って毎年繰り返してきた当たり前の仕事ですが、日本でここでしか行われていない貴重な仕事でもありますろう。せっかくの機会に存分にご覧いただきたいと思うちゅうがです。


融合する工芸

融合する工芸


銀座の和光と言うたら高級時計で有名なお店ですぞね。前を通る事はあっても田舎者の自分などは入った事は一度も無かったお店です。だから、最上階に和光ホールという立派な展示スペースがある事など、まったく知らんかったがですが、この素晴らしいギャラリーで、融合する工芸―出会いがみちびく伝統のミライ―と題された五人のアーティストによるコラボ展があると聞いて、ずっと前から、こじゃんと楽しみにしちょったがです。


いつもお世話になっちょります竹工芸の田辺小竹さんはじめ、漆芸の笹井史恵さん、截金・ガラスの山本 茜さん、陶芸の若杉聖子さん、蒔絵の若宮隆志さんと言うそれぞれ活躍の場所の違う個性が集まって、一体どんなやろうか?実は田辺さんの他にも、若宮さんと山本さんの作品は拝見した事がありましたけんど、それらがどう交わり新しい形になるのか、まっこと想像もつきませんぞね。


そうこうしているうちに素晴らしいダイレクトメールが届いたがぜよ。これが飾りたくなってくるほどに美しいがです。さすがに写真家ミナモトタダユキさんが並々ならぬ意気込みで撮影されただけの事はありますぞね。ビジュアルで足を止めていただかないと何も伝える事ができませんが、この引き込まれるような画像はインパクトありましたちや。


こうして更に待ち遠しくなったコラボ展ですが、会場に入ると五人それぞれの作品が壁際に配置され、その中央部分に合作とも言える新しい作品たちが鎮座しちょります。どれも今でに拝見したことのない独自の世界があり、まさに題名のとおり異素材で活躍する皆様の感性が見事に融合されちゅう。


作家の技が引き立て合うような面白い取り組みで、それぞれの作家のファンの方も新たな作品に触れる事ができるし、作風の広がりや可能性も垣間見れる意義のある楽しい作品展やったがです。境界が段々となくなり、混ざり合うのはアートや工芸の世界でも、きっと例外ではないのだと思うがですぞね。