華麗な大傘

和傘


岐阜県のイメージというたら皆様はどんなですろうか?飛騨高山とか、長良川の鵜飼いとか、戦国時代が好きな方には金華山の岐阜城...。まあ、色々とあるかと思いますけんど、自分の場合には圧倒的に和傘ながですそね。だから、他の方と話していて「和傘」が出て来ないことに違和感があったのです。


和傘は、その昔には全国各地に生産地がありましたが、日常品として大量生産されるものでしたので、その工程が細かく分かれていて、地域に和傘製造に関わる方が沢山集まり、ひとつの産地を形成しちょりました。これは、和傘に限ることではなく様々な竹細工にも言えることなのですが、特に和傘の場合は、竹と木と和紙という複数の素材を使う事や、複雑な部品や工程があることから、専門職の職人さんが多く必要やったのですろう。


何を隠そう今年で創業121年になります竹虎は、元々はこの和傘職人さんに素材を提供させて頂く竹材商からスタートしちょります。だからという訳ではありませんが二十代の頃から和傘は好きで、ずっと使っていました。母から譲られたものでしたが、使ったの後の管理が悪かったのか、ボロボロに紙が破れ、ヨレヨレになっちょりましたが、和傘など使う方は周りに一人もいなかったし、かえってその使い込んだ番傘が、どうにも愛おしく、格好がエイと思っていたのです。実際、町でさして歩きよりましたら、道行くひとに良く褒めてもらいましたぞね。


けんど、今回拝見させていただいて岐阜で開催された古い和傘の展示には、まっことビックリ仰天やったがぜよ。中でも京都の老舗和傘店「かさ源」さん所蔵という、豪華絢爛な大傘には魅せられましたにゃあ、四尺三寸の大迫力!現在、日本でたったの二本しか確認されていないそうなのですが、普通なら傘の竹骨の表面にしか張ることのない和紙が内側にも丁寧に張られていて、一体どうやって細工したのが?お話をうかがう和傘職人さんでさえ分らないと話されちょりました。


この大きい傘を広げると、空一面に鮮やかな色合いの花が咲き乱れたよう。傘の下にいると一体どんな晴れやかな気持ちになったがですろうか?今ではこの大傘の産地をはじめ、誰のために、どんな風に使われたのか、まったく分らないそうですが、それは、それで歴史のミステリアスな魅力ですちや。この大傘の美しさを拝見しながら、あれこれ想像してみるがです。


この和傘の展示会には、傘の表面の紙を張った竹骨部分に、更に、その上から竹を一本ずつ貼り付けて凝った化粧をしたものや、これぞ昔の職人芸という、ただそこに閉じてあるだけで姿が美しい和傘など、今では想像することすら難しいような素晴らしい和傘が並びます。和傘の向こうに見え隠れするのは当時の職人さんたち、自分の腕に自信と誇りをもった彼らに認められてはじめて一人前、そんな厳しいプロの世界で竹虎初代宇三郎は生きていたのですろう。「NO BAMBOO NO LIFE(竹のない人生などない)」と思うちゅうけんど、自分の竹など一笑に付されるかも知れませんにゃあ。


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