土佐網代(あじろ)の竹籠

土佐網代(あじろ)の竹籠


たまたま見かけた「土佐網代(あじろ)」という名前の書かれた竹籠に足が止まりました。網代と言いますのは底編みが網代になっているので、そう呼ばれているのだと思いますが高知では誰も編む人がおらず見かける事さえない籠なのに、どうして「土佐」だろう?


えび止め


試しに地元の古老に見せてみましたが、このような竹編みはしたことがなく詳しくは知りませんでした。竹職人でさえ知らない籠です、かって編まれていた事など誰も知る人はいないような竹籠のひとつなのです。


土佐網代(あじろ)の竹籠


持ち主の方は、飴色の良い色つやに年期の入ったこの籠は40数年前の物だと言います。当時、高知からデパートの実演販売に行っていた竹職人さんから購入したもので、その頃には生活用品として間違いなく編まれていた籠であり複数の職人さんもいた事だとでしょう。土佐網代と名前が付いていた訳ではないと思いますが、高知の職人さんが編んでいた籠だから「土佐」と命名されていました。


竹職人尾崎さん


今となっては全く面影すら残っていない竹籠ではありますがこの竹籠を拝見して思い出すのが鹿児島に移り住んで竹細工をされている尾崎さんです。元々高知で生まれ育ち、竹職人として腕をふるわれていた方が編むのが、まぎれもなくこの「土佐網代」でした。


尾崎さんと竹虎四代目


「何十年ぶりかに土佐弁を使うたちや」と喜んで編み上がったばかりの手提げ籠をひとつ頂いたのが懐かしく思い出されるのです。


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