ブラジルから虎竹の里へ、里帰りの古谷さん

ブラジルから虎竹の里へ里帰り、竹虎四代目


高知の国道沿いでは歩き遍路の方々が休まれることは珍しくないのでこの時にも店先の日陰に座って休んでいるお遍路さんかとばかり思っていたのです。ちょうど夏期休暇明けの日でしたので仕事もたまっていましたし来客の方も多く、電話も鳴っています。バタバタしていても、何やら様子が違うようですので気になって話しかけてみたら何とブラジルから里帰りされていた方やったのです!


これには、まっことビックリ仰天しましたぞね、最初は耳を疑ったほどなのです。なんせ、この6月に初めてサンパウロで高知県人会の皆様に温かく歓迎いただいたばかりなのに、こんな身近にも新天地目指した方がおられたとはっ!


お名前は古谷さんと言います、狭い虎竹の里ですが古谷さんのお宅は会社からも目と鼻の先、そこから遠く南米目指して移民したのが60年前の事だそうです。自分が生まれる前の事なのですが時間も距離も超えて、今こうして偶然お会いさせてもらえた事に感謝したのです。


古谷さんの虎竹の里の昔話は、こじゃんと面白い、そして熱い。無人駅となっている安和駅には、当時大きな駅舎があり国鉄職員が数名働いていて、今では乗り降りする人もまばらな長いホームには通学する学生さんで溢れていたと言います。


竹虎社員


自分は知らない時代ではありますが、まるで昔の安和に戻ったかのようなワクワクする楽しいお話しをしていただきました。そして虎竹は当時から特産として生産されちょりましたが、そんな竹の事も地域の事も全く知らない二世の息子さんにの目にも古里の山々の光景をしっかりと焼き付けてもらいましたぜよ。


古谷さんが海を渡って新天地を目指して行った頃は、竹虎が大阪から安和の地にやって来て念願の株式会社を設立した数年後の事、会社は借地に穴だらけのトタンの倉庫ひとつ、海岸に竹を並べて干していた時代です。学校を卒業してすぐに竹虎で働きはじめて定年まで長く長く働いてくれちょった職人さんの同級生という事もあって祖父の事もよく知っていてくれました。


祖父を知る人の言葉は胸に響きます。中学を出ると同時に故郷を離れた古谷さんですが土地の特産の竹をずっと誇りに思っていてくれたのです。その竹を活かし、今に繋げている自分達を遠くから応援してくださっているのだと感じました。


「サンパウロの新聞で竹虎の事は知っちょった。頑張ってやりよ。」


そう土佐弁で話してくれて振り返りもせずブラジルに向かって帰って行った古谷さん。60年前もそうやったがですろうか?


日本唯一の虎竹は、実に様々な人の思いを宿した竹でもあるのです。


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