極められる箕の技 

土佐箕


の事をどうお話ししようか随分と考えた。箕が特殊とか言われるが自分にすれば全く同じ竹細工のひとつだ。「箕作りさん」と呼ばれた箕専門に製作することを仕事とされた人々がいた事を聞く機会もある。しかし確かに美しい箕の製作には高度な技術が必要ではあるが、熟練の竹細工職人なら作れないという事はない。実際、土佐箕は竹笊や籠を編む職人が色々な製品を作る中で普通に編まれている。


箕には大きく別けて網代編みとゴザ目編みの技法がある、網代編みの箕が副業でゴザ目編みの箕は専業と言われるが本当か?実用性が高く、農家の必需品であったがゆえに専門職が生まれ、民間信仰や風習とも密接に関係したおかげで一部の職人たちが箕作りを独占したのだろうか?西日本の竹材を使う箕も、東日本の樹皮主体の箕も製品自体の違いはあるものの限定された地域でのみ生産されていた事は同じである。


竹職人


そこで、一番の大きな疑問は昔から農業になくてはならない道具でもあり、お祀りにも使われてきた神聖なはずの箕の製造を社会の最下層にいた人たちが担ってきたという事だ。どんな籠や笊でも器用に編み上げる腕を持っていても箕は作らない竹職人もいると言う。どうやら東北地方では箕作り職人の事情も違うようだが、何か目に見えない特殊性があり箕については多くを知る程に分からなくなる。


自分は学者でも研究者でもない、机の上で箕を語るのではなく毎日の仕事の中で箕に触れ、声を聞き、肌で感じてきた。「市場経済」と言えば大袈裟だが、一番人の気持ちが正直に表れる商いの現場で箕を見続けて思うことがある。


オエダラ(オイダラ)箕、竹虎四代目(山岸義浩)


先日の30年ブログでは行商の方に触れた。さすがに今では肩に背負って売り歩く方はいないが現在でも山村を廻って竹籠や箕を販売する行商は行われている。確かに多くはないが、きっと日本のどこかに自分の知らない行商の方もいるに違いない。


自身で編んだ籠を自分や家族が売り歩く、これが職人の技をどれだけ進化させるか分からない。箕が、まるで工芸品のような美しさにまで昇華した理由は簡単だ。何かで見た記憶によれば当時の価格で箕は米一俵(60キロ)と交換と読んだ事がある、つまり非常に高価な「道具」であった。


購入する立場の農家の人にしたら「高い」。しかし絶対に必要な道具であるだけに、どうしても買わねばならない。そこで自然と、箕の品質、それにそそがれる眼差しは厳しいものになる。箕職人はこんな繰り返しでお客からの要望や声に鍛えられ、磨かれて究極の箕を完成させたのだ。


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