真竹茶碗籠、竹は世につれ人につれ

真竹茶碗籠


本当は「歌は世につれ世は歌につれ」らしい(笑)、ところが自分は昔から「竹は世につれ、人のつれ」と言い続けてきた。中学生の頃、校長先生に教わった、高い山は低くなろうと、深い谷間は浅くなろうとしている、つまり何でもこの世にあるものは全て変わり続けているという事だった。


真竹茶碗籠


昔からずっと続いてきた竹籠だって例外ではない。使われなくなった籠は忘れ去られ無くなっていき、新しい籠が生まれて、そして少しづつ変化している。


真竹茶碗籠


一番の目に見える変化は籠のサイズだ。昨夜、ちょうど40年前に放映された四万十流域のテレビ番組を観ていたが、家族が15人だと話していた。今は、そんな大家族はあまり聞かなくて、お父さん、お母さんにお子様一人かお二人、都会では一人暮らしの方も多い。


真竹茶碗籠


だから、自分の小さい頃には大の大人が一抱えするような竹籠があったものだけれど、家族の人数が少なくなると共にサイズも小さくなってきた。まさに暮らしの中に寄り添っている竹細工たちは「竹は世につれ、人のつれ」なのだ。現代の職人の中では突出した名人が編む真竹茶碗籠も、美しさそのままに小さく使いやすくなっている。





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