奇跡のデッドストック!45年眠り続けていた昭和レトロな竹バッグ

2019年7月27日

竹ビーズハンドバッグ


現代人は竹を忘れています。ほんの数十年前までは日本の住宅には竹が多用され、台所や居間では竹製品があちらこちらで使われていました。家の中だけでなく休日にお洒落して出かけて行く時にも竹は大活躍、竹のヘアーアクセサリー、竹のブローチ、竹のベルトなどもありました。そして手には竹のハンドバッグやお買い物には竹の手提げ籠が定番だったのです。


竹ビーズハンドバッグ


懐かしく思い出される方もおられませんでしょうか?しかし、ほとんどの方にとっては初めてご覧になられる、ちょっと目新しい感覚のハンドバック達かも知れません。それもそのはず、この竹ビーズハンドバッグは国内で45年以上前に販売されて一世を風靡していた製品達なのです。


竹ビーズハンドバッグ


バッグに中には一つ一つに綺麗に折り畳んで白紙で包んだ新聞紙が詰められていました。「輪島ツナの意地」などと相撲の見出しを見るだけで時の流れを知る事ができますが、日付をみるとなんと昭和49年(1974年)ちょうど45年前。


竹ビーズクラッチバッグ


長い長い眠りから数十年ぶりに復活した竹バッグたち。おそらく今の時代に日常使いしているのは自分の母くらいではないかと思っています。先日も会合にこの黒いクラッチバッグを手にしていました、すでに50年近く愛用しています。


虎竹バッグニューヨーカー


思えば復刻した虎竹バックニューヨーカーも元々のデザインは60年も前に編み出されていたもの、昭和は竹にとっても幸せな時代だったに違いありません。


竹ビーズハンドバッグ


奇跡のデッドストックの中には母が使うのと同じような竹クラッチバッグもありました。ジッパーの中を開けるとシミになっているものもあるものの外側の竹ビーズは自分の小さい頃の記憶のまま。当時の竹製品の技術力の高さに感激しつつも在庫限りながらご紹介できる幸せに浸っています。













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笠を支える竹骨

2019年7月17日

菅笠


梅雨が終わって暑い夏が、すぐそこまでやって来ています。強い日差しの中、外での農作業や漁業などには必需品だったのできっと江戸時代や明治、大正、昭和のはじめ頃にはこの様な菅笠姿の人はどこにでも居たのではないでしょうか。


菅笠


そんな菅笠の値打ちは一針、一針丁寧に手縫いで仕上げていく職人の技、この縫い目です。


菅笠


そして菅のやさしく、それでいて陽の光や雨を防いでくれる軽い手触りは本当に魅力的。


クバ笠


しかし、少し硬めの表面が大粒で勢いのある南国の雨さえも力強く防いでくれる石垣のクバ笠も頼もしいものです。


菅笠竹骨


いずれにせよ大事なのは笠全体を支える骨組み。竹ならではの粘り、しなりがあっての笠です。笠は竹骨に感じ入るのです、自分など竹骨を被っていると言っても過言ではありせん。


それが近年、伝統の技をここまで繋いできているのに骨組みをプラスチック製にしたものが流通しています。価格や製造量など多くの課題があることは日本の手仕事を考えると痛い程分かります、しかし「残念」という一言では片づけられない思いです。













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番傘と空梅雨

2019年7月16日

番傘、和傘


そう言えば番傘を知らない方も増えているのかも知れません。いやいや、さすがにテレビや雑誌などでは頻繁に登場していますので昔の雨傘という事は皆様ご存じかと思います。


しかし、日常的に使った事があるという方となりますとグッと少なくなるのではないでしょうか。もしかしたら旅館などで貸し出してくれる傘を初めて持って、その重さや独特の雨音を知ったという若い世代もいるかと思います。


竹林


番傘は竹で出来ています。細く均一に割った竹ヒゴを様々な寸法に切って糸で留めて和紙が貼られています。スムーズに開閉し、弱い雨、強い雨にも柔軟に対応する耐久性を持ち、身近で大量に手に入れられる素材は竹しかありませんでした。


竹虎初代宇三郎


竹虎は皆様にご愛顧頂きますお陰で今年は創業125年を迎える事ができていますが、そもそもの始まりは大阪天王寺にて初代竹虎宇三郎が傘の骨材にする竹を取り扱うようになった事が原点です。


番傘、和傘


若い頃ずっと母から譲られた和傘をボロボロになるまで愛用していました。そう言えば最近は使っていません「今度の雨でさしてみよう」梅雨なのに今日も降りそうにない空を見上げて思っています。














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竹編みの天井

2019年7月10日

竹編み天井


これは凄い!職人さんの自宅に招かれて上を見上げてビックリ仰天です。広い居間の天井一面に美しい竹編みの細工が続いています。


竹編み天井


それにしても年期が入って見惚れるような色艶です、画像で見るとまるで200年前の煤竹のように見えてしまいます。


竹編み天井


ところが、この竹編みは虎竹と白竹を組み合わせて製作されていました。白竹も厳選されていますが虎竹の色合いには特にこだわったために竹の選別だけに半年かかったそうです。


竹天井


しかし、それだけの手間をかけただけの事はあって、その後1年かけて編み上げられた大作は数十年たった今でも当時の迫力のまま下でくらす職人さんご家族を見守られています。


竹編み天井と時計


もう荷二度とこのような作品を作ることはできないと職人は話しています。ああ、この時計の針を戻して懐かしい輝いていた頃に戻ってみたい気分です。














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鳥籠の思い出

2019年7月 4日

鳥籠


「鳥籠」などと書くとウーロン茶の事しか思い浮かばないかも知れません(笑)しかし、ウーロンは「鳥龍」ですので竹冠が付いていません。まあ、鳥籠と言ってもそれだけ馴染の薄い物になっていますが、自分の小さい頃には多くの家庭にもこのような竹製のヒゴで作ったコバンと呼ばれる鳥籠がありました。そして、今でも竹林に入るとあちらこちらから聴こえてくる様々な小鳥達を籠に入れて普通に飼っていたのです。


鳥籠工房


自分も多い時はに5~6羽のメジロを飼っていました。メジロのエサは大根葉だったと思いますが道端や空き地に生えている雑草の中にも適した草があり、それをスリコギでつぶしてキナコと混ぜ合わせます。草の種類や混ぜる分量、エサの粘度にいたるまで細かい飼育の仕方は先輩や地域の大人達から教わりましたので良い時代だったと思います。


鳥籠


鳥モチでメジロやウグイスを獲りに行く事は楽しみでした。良く鳴くメジロの周りには同じようなメジロが沢山飛んできます、そして鳥モチの枝にとまって面白いように生け捕りにできるのです。近くの万屋に行くと置いてあった鳥モチも最近はホームセンターでも見かけません。手にベチャベチャくっつく鳥モチも水気があれば大丈夫なので自分達は口に入れてガムのように噛んでました。柔らかくなり粘度が増します。


参加した事はありませんでしたけれども当時はメジロの鳴く回数を競う大会も開かれていたほどですので良く鳴くメジロが好まれて、そのようなメジロの見分け方も教わりました。


鳥籠材料


そう言えば、コバンには山で捕獲した小鳥を沢山入れられる大きなタイプもあったように覚えています。自由を奪われた鳥達が籠の中で暴れないように上かに布をかぶせると静かにおとなしくなるのが不思議でした。水浴用の特別な鳥籠もありました、水を張って置いておくと気持ち良さそうに水浴びをして遊ぶのです。そうやって野鳥が目の前で観察できるというのは今にしても思えば非常に貴重な体験だったとつくづく感じます。


鳥籠材料


今ではメジロやウグイスを捕獲するのも飼育するのも禁じられています。しかし楽しみの少なかった昔から人々は山の小鳥を飼い、その美しい鳴き声を自宅で愛でていたのです。そして、必然的に近くには鳥籠を作る職人さんがいました。


鳥籠


鳥が出入り口から飛び出さないようコバンにはロック機能が付けられています。これが人真似のキライなこだわりの職人によって様々な違いがあって又面白しろかったのです。


鳥籠製作


ところで、山に連れて行ったオトリ役のメジロがさっぱり鳴かない事があります。そのような時にはどうするのかと言いますと自分で口笛を吹いて鳥達を呼び寄せます。


これは山で何度も何度も練習しているうちに上手くなっていきます。実は明徳中学の当時、山に囲まれた学校ですので近くにウグイスも沢山いましたので呼び寄せて友人達を驚かせた事がありました。別に特別なことではなく田舎では誰でもある程度はできた事だったように記憶しています。


鳥籠竹材


いつだったか竹林に社員といた時の事です。向かいの谷間にウグイスがいたので、


「ちょっと此処に呼んじゃおうか?」


驚かせてやろうと久しぶりにやってみましたが思うように吹けません、技が衰えていたようで全くダメでした。














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何者かに、かじられたスズ竹市場籠

2019年5月30日

市場籠


今月のはじめにお客様からお預かりしたスズ竹市場籠の持ち手の修理のお話しをさせていただきました。製作する職人がいなくなってパイプ持ち手に比べて珍しい籐持ち手の籠なので是非これからもお使いいただきたく手直しさせてもらったのですが、実は何を隠そう自分が持っている籐持ち手の市場籠も随分前に何者かが、かじってそのままになっていました。

 
市場籠


通常の市場籠よりも浅めに編んだ別注品です。ずっと雑誌入れに使っていたものを外に持ち出すようになって縁巻部分のキズを思い出しました。竹は加工性の高さがあったからこそ古くから生活の中に溶け込んで来ました。使って壊れたら破棄するしかない製品と違い、修理して更にまた長く使えるという無駄の無さも竹の魅力のひとつです。














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もうひとつの創業125周年記念製作

2019年5月16日

竹虎四代目、網代アタッシュケース


今年になって出来上がった竹網代アタッシュケースは、やはり渋い。ずっと近くに置いて毎日、毎日、何度も見ているが格好いい。これを独り占めしていいのか?という気持ちになってきたので特別に製作してみることにした。実はこのケース本体は、かっての築地などでプロの料理人達に愛用されていた市場籠と同じスズ竹で編まれている。


網代編み


色合いが全く異なるので気づく人もいないのだが冷寒地の雪で気候で鍛えられた竹は粘りや堅牢さが違う。男の持つバッグには最適の素材を2年間じっくり時間をかけて色艶を出したのが自分が手にしているアタッシュなのだ。


これを特別にもう一つ、今年の竹虎創業記念製作として取り組んでみることにした。さすがに材料作りに2年もの時間はかけられないので染めにしたがこの通りの素晴らしい出来映え、これは今から完成が楽しみで仕方ない。少し高額になるものの10月6日の設立記念日をメドにお披露目できそうだ。


虎竹網代編み


竹アタッシュは網代編みという昔ながらのオーソドックスな竹編みをしているが虎竹を同じように網代編みした長財布も製作中だ。現在の虎竹長財布は無茶苦茶気に入って肌身離さず愛用している、紙幣がもう少し入ればと言う方もいるが来年のオリンピックに向けてキャッシュレス化がますます進んでいく。


海外に行くとカードやスマホさえあれば支払いに困ることはなくなっているが、日本もおそらく近い将来は同じになる。スマホどころか手の甲に埋め込んだチップで全てを管理する時代、財布の役割も大きく変わるかも知れない。とは言え、カードや明細など細々したものを一つにまとめて持ちたいとも思っているので今度の日本唯一の虎竹網代長財布は収納力にこだわった。


虎竹網代編み、腰掛張り


同じ虎竹編みでもコチラは椅子の座面に貼るためのもの。ヒゴ幅で表情やニュアンスはガラリと変わる。本当に面白い。













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日置箕の不思議

2019年4月 6日

日置箕


不思議なのは日置の箕です。日本一の竹林面積を保有する鹿児島にあって竹でなくビワの木、かずら、桜皮を多用しています。もちろん竹も使用されますが蓬莱竹という株立ちの南方系の竹が使われているのです。


高知で「サツマ」と呼ばれる網代編みの大きな竹笊は、きっと鹿児島から伝わった技術ではないかと考えています。だから網代編みの土佐箕と同じような箕は容易に作ることができたはずの土地柄で、このような桜皮と蓬莱竹(シンニョウチク)、さらにはビワの木、カズラといった山の素材が使われる事に違和感があったのでした。


日置の箕(桜皮の箕)


実はこのようなゴザ目編みの箕は日本の北から南まで各地で見られるものです。樹皮を使った皮箕など今では何処を探しても見つけられないこの高知県でさえ、かっての山間部ではヒノキの柾目を薄く削って作られたゴザ目編みの箕がありましたので、現在のように流通が発達していない当時はその地域にある素材を活かして作られていた事を物語っています。


日本で数ある箕の中でも東北の面岸(オモギシ)箕、ニギョウ箕とも呼ばれる箕が一番美しいとも聞いています。確かに素晴らしい出来栄えです、しかし自分が挙げるとするなら断然日置箕。


箕


最盛期には50人の作り手が家族総出で製作して九州から中国地方まで売り歩いたと職人の奥様にお話しを聴いたことがあります。そして、東北は秋田のオエダラ箕作りでイタヤカエデの材料が不足したように、通常はフジカツラで作っていた日置の箕も材料が無くなり地元の方がヨマと呼ぶ蔓で代替えしていました。


当時はそれだけ需要があったという事です。まさに昨日の30年ブログでのお話しの通り、目の前のお客様に手に取ってもらいたい一心で編み上げられた美しさなのです。


日置箕


ところで、この日置の箕を良くご覧いただきますと上半分と下半分の編み込みで色合いが違うのがお分かりいただけますでしょうか?青く見える下半分の部分は蓬莱竹の表皮部分を上側に向けて編み込んでいます。上半分、つまり箕の手元近くは反対に竹ヒゴを裏返しです、こうする事によって選別する穀物類の滑りが良いように使い手の事を良く考えて工夫されているのです。


これは全国的に見られるゴザ目編み箕の細工ですが、竹表皮を使う編み幅はマチマチです。藤箕は先端部分少し、手元側に少しだけ竹表皮を使っています。その地域で生産される農産物の違いであったり、農家さんの細かい注文に対応してその都度変化したものだと思われます。














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極められる箕の技 

2019年4月 5日

土佐箕


の事をどうお話ししようか随分と考えた。箕が特殊とか言われるが自分にすれば全く同じ竹細工のひとつだ。「箕作りさん」と呼ばれた箕専門に製作することを仕事とされた人々がいた事を聞く機会もある。しかし確かに美しい箕の製作には高度な技術が必要ではあるが、熟練の竹細工職人なら作れないという事はない。実際、土佐箕は竹笊や籠を編む職人が色々な製品を作る中で普通に編まれている。


箕には大きく別けて網代編みとゴザ目編みの技法がある、網代編みの箕が副業でゴザ目編みの箕は専業と言われるが本当か?実用性が高く、農家の必需品であったがゆえに専門職が生まれ、民間信仰や風習とも密接に関係したおかげで一部の職人たちが箕作りを独占したのだろうか?西日本の竹材を使う箕も、東日本の樹皮主体の箕も製品自体の違いはあるものの限定された地域でのみ生産されていた事は同じである。


竹職人


そこで、一番の大きな疑問は昔から農業になくてはならない道具でもあり、お祀りにも使われてきた神聖なはずの箕の製造を社会の最下層にいた人たちが担ってきたという事だ。どんな籠や笊でも器用に編み上げる腕を持っていても箕は作らない竹職人もいると言う。どうやら東北地方では箕作り職人の事情も違うようだが、何か目に見えない特殊性があり箕については多くを知る程に分からなくなる。


自分は学者でも研究者でもない、机の上で箕を語るのではなく毎日の仕事の中で箕に触れ、声を聞き、肌で感じてきた。「市場経済」と言えば大袈裟だが、一番人の気持ちが正直に表れる商いの現場で箕を見続けて思うことがある。


オエダラ(オイダラ)箕、竹虎四代目(山岸義浩)


先日の30年ブログでは行商の方に触れた。さすがに今では肩に背負って売り歩く方はいないが現在でも山村を廻って竹籠や箕を販売する行商は行われている。確かに多くはないが、きっと日本のどこかに自分の知らない行商の方もいるに違いない。


自身で編んだ籠を自分や家族が売り歩く、これが職人の技をどれだけ進化させるか分からない。箕が、まるで工芸品のような美しさにまで昇華した理由は簡単だ。何かで見た記憶によれば当時の価格で箕は米一俵(60キロ)と交換と読んだ事がある、つまり非常に高価な「道具」であった。


購入する立場の農家の人にしたら「高い」。しかし絶対に必要な道具であるだけに、どうしても買わねばならない。そこで自然と、箕の品質、それにそそがれる眼差しは厳しいものになる。箕職人はこんな繰り返しでお客からの要望や声に鍛えられ、磨かれて究極の箕を完成させたのだ。














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オエダラ(オイダラ)箕の行商

2019年4月 3日

オエダラ箕行商


オエダラ箕の事をもっと知りたくて秋田は太平黒沢の箕作り名人として有名な田口召平さんを訪ねました。谷間に開けた集落が点在する静かな地域ですが、この黒沢地区の三つの集落で昭和30~43年頃には120軒のお家が箕作り、5軒が行商、4軒が仲買だったと、かなり詳しい内訳までご存じで本当に興味深いお話しを沢山伺う事ができます。


中でも感激したのは、オエダラ箕を行商されている方の白黒写真でした。当時の様子を知る資料として良くぞ残っていたと思います、写真を撮ってくださった方に感謝です。


竹虎四代目


行商は今では知る人も少なくなりつつあるかも知れませんけれど別に箕だけのお話しではありませんでした。印象に残っているのはNHK大河ドラマ「龍馬伝」に登場する岩崎弥太郎です、背中に鳥籠など竹細工をいっぱい担いで畦道を行く姿を覚えておられる方も多いのではないでしょうか。バイクや自動車のない時代、行商は持てるだけの荷物をいっぱい持って出かけていったのです。


自分の小さい頃には虎竹の里にも様々な方が御用籠のような丈夫な竹籠や、背負い籠を持って歩かれていた事を思い出します。当時の交通機関は何といっても汽車でした、朝到着する車両からは肩に大きな風呂敷を背負ったおばちゃん達が一斉に何人も降りて来ました。


一番強烈に覚えているのは隣の漁師町から海産物や干物を売りに来られる行商の方。母が玄関先に出迎えると荷物をほどいて竹籠の蓋を開けるのですが、その瞬間に魚の何ともいい香りが辺り一面に充満して思わず籠を覗き込みました。香りの記憶は鮮明です、母の足にしがみついて行商のおばちゃんの笑顔を見ていたあの日の事をハッキリ覚えているのです。


オエダラ箕行商


さて、田口さんによれば、この白黒の写真は由利本荘岩谷という所で撮られたものだと言います。そして白黒画像なので正確な確認は難しいけれど、当時売り歩いていた箕はイタヤカエデが使われたものでは無かったそうです。実は昭和40年当時、オエダラ箕が大量に販売されたお陰で材料のイタヤが枯渇し、代替え品としてヤマウルシで箕を製作していたのです。


オエダラ箕


商店の少ない田舎では行商の方々が持って来られる新しい品々を、そして聞いた事もないような楽しく面白いお話しを幼い自分などは心待ちにしていました。箕を肩に担がれた方の向かう農家さんでもそうだったのでしょうか?


オエダラ箕一枚であの時のワクワクするような気持ちが蘇ってきました、ほんの50年前の日本のお話しです。














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