忘れられたスズ竹細工を、今だけ特別にYouTube動画で販売

スズ竹箕ざる


スズ竹も度々申し上げておりますように、120年ぶりの開花で竹材不足が深刻になっており、大きな製品ほどできづらい状態が続いています。そんな中、職人さんの倉庫に仕舞われたまま忘れ去られてしまっていた、デッドストックのスズ竹商品が登場して注目を集めております!竹ざるも色々ありますが、スズ竹細工のみならず、片口ざるに近年なかなかお目にかかる機会がありません。通常サイズはもちろんの事ですが、小さな竹ざるほど製作が面倒で難しいので、今回たまたま数十枚ご紹介させてもらっています幅15センチ、奥行き14センチのミニ箕がるは超レアな逸品です。


スズ竹箕かご


小ぶりでも造りは大きな竹ざると同じです。この矢筈巻の縁の作り、小さいだけにより細かく難しい細工です。


スズ竹ミニ魚籠


豆魚籠は実際の釣りには使えないほど小さいサイズで高さは15センチ程度だから、花籠などとしてもお使いいただけます。


スズ竹ミニ籠


スズ竹ミニ籠は12センチの高さ、これもベルト遠しまでしっかりありますから、小さいとは言え耐久性も十分で、もちろん実際にお使いいただける竹籠です。


スズ竹道具箱


更に今回は、多くの方が初めてみるようなスズ竹の道具入れが登場しています。


スズ竹道具箱


口部分は籐巻されていて、行李やスズ竹市場籠と同じ作りですが、細長いフォルムで本当に珍しい一品です。


スズ竹文庫


製作される職人さんがいなくなり、すっかり見ることのなくなった文庫も少しだけご紹介しています。詳しくはYouTube動画で是非ご覧ください。



鰻筌の季節に考える竹の多様性

国分川


土手を車で走っていると、あまりの天気の良さに川べりに下りてみたくなりました。ちょうど堤防があり、流れ落ちる水の音も心地よく、遠くまで眺められる空と雲を見ていると、他には何もいらないような幸福感を覚えます。しかしこの時期、清らかな水面を見ていると決まって思い出すのは子供の頃の記憶です。当時から早起きが得意ではありましたが、川へ鰻を捕りに行く日には朝日が昇と共に起きていたように思います(笑)。


竹製鰻筌


ボクたちが鰻を捕るのは(ウケ)と呼ばれている竹編みの筒状の道具でした。中には餌になるミミズを一塊入れて栓をすれば準備完了です。前日の夕方に鰻の通り道とおぼしき川底に、ブクブクと鰻筌を沈めて浮き上がらないように川石を上に積み重ねておきます。翌朝、早くにその鰻筌を上げにいくのです、漁を教えてもらった小学の先輩からは「明るくなると、中の鰻が逃げてしまう事がある」と聞いていたので、友人たちも皆早朝に河原に集合していました。


竹、エギ


当時は、まさか竹虎で鰻筌を編むようになるなんて考えもしなかったのですが、実際に製作するようになりエギという竹の弾力を活かした鰻の入り口は、一度入ると外には出られないようになっていて実際は必ずしも朝早く行く必要はなかったです。ただ、やはり、鰻が入っているかなあ?とドキドキしながら夜を過ごしていましたから、言われなくとも早起きしていたと思います。なにせ、学校に行くまでには帰らねばなりませんでしたので。


田園


さて、釣果のほどですが、すぐ近くの川に仕掛ける事が多かったのですが、当時は稲作も盛んで小さな用水路にも勢いよく水が流れていました。本当にそんな深さが20センチ程度の用水路に仕掛けた鰻筌にはも10数匹もの鰻が入る事もありましたので、それだけ川が綺麗で、鰻がたくさん生息できる豊かな自然が身近にあったということでしょう。あの頃の川の賑わい、生命力あふれる光景は、今も鮮明に心に残っています。この原体験があるからこそ、この文化を繋いでいきたいという想いが強くなり、地元で編まれていた鰻筌への復刻へと繋がるのです。


古いタガ、米研ぎざる


ちなみに、捕った鰻はすべて自宅で食していました。当時はどこの家庭にも鰻をまな板に打ち付けるキリが常備されていた程です。それで、鰻は店で食べるものではなく、川で捕まえて食卓にならぶものと、ずっと思っていました。前にも書いたように思いますが、はじめて鰻を店で食べたのは祖父に連れられて来た大阪千日前の今はなき「いづもや」さんです。学生時代は、その味が懐かしくてアルバイトして何度も通った覚えがあります。


竹虎四代目(山岸義浩)、鰻釣り用竹ヒゴ


現代では、天然鰻は高知でもあまり見かけなくなりました。鰻筌を仕掛けている方は、1シーズンに一人見かけるかどうかくらいなので川は昔と変わらずありますものの、獲物の鰻の数が少ないのです。そう言えば、昨年だったか鰻釣り用の竹ヒゴを十数本だったか作ったことがあったので、全くいなくなったという事ではないようです。しかし、鰻は養殖ばかりで、実際に鰻筌の最後の職人が仕事ができなくなってから暫くは製造できない状態でしたが困る事はありせん、でも、丈夫な孟宗竹を使い豪快に作り上げる鰻筌の伝統を少しでも繋ぎたい思いは消えません。


鰻筌、ころばし


そこで、何とか技術継承して復刻することにしたのですが、昔のように大量に安価に作るということではなく、竹の一番外側の竹表皮部分だけを使うことにしています。竹材は沢山使うので(竹が沢山あるから安いというような考えは、皆様どうが捨ててください、伐採にどれだれの技と苦労があるか)、コストはかかりますがより堅牢で付加価値の高い製品になります。


孟宗竹


ボクたちの鰻筌には、孟宗竹(もうそうちく)を使います。竹細工というと、マダケやハチクなどが使われることが多くて、孟宗竹を使って編組細工をするなど全国的にも皆無と言っていいほどです。けれど、孟宗竹はその太さや丈夫さから、鰻筌のようなある程度の強度と大きさが求められる籠作りには適した素材です。地域に根差した伝統の技を伝えていくには、地元高知で手に入りやすい孟宗竹しかないのです。


鰻魚籠


正直なところ、昔に比べて鰻が捕れる川が減り、鰻筌自体を知らない方も増えました。「今さら鰻筌を作っても...」と思われるかもしれません。ただそれでもボクたちは、この伝統の技法を受け継ぎ、鰻筌を製造し続けています。それは、単に昔を懐かしむだけではなく、この漁具に込められた知恵や、竹という素材の素晴らしさ、そして高知の川と共にあった文化そのものを、形として残し伝えたいからです。幸い、今でも鰻漁ができるような川が若干残っていているようです。この技が生きる場所がある限り、作り続ける意味があると考えています。


今日は、鰻筌という多くの方には、あまり身近でない竹細工のお話になってしまいました。でも、鰻筌は竹の多様な可能性を示すほんの一例にすぎません。竹は、竹籠やザルといった日用品から、インテリア、家具、建築材、楽器や庭園装飾さらには竹炭といった健康・環境分野、タオルや衣類などにする竹繊維、メンマや筍という食材、家畜の餌などへの活用など驚くほど幅広い用途を持つ、持続可能な天然資源です。皆様が、竹の持つ無限の可能性と、暮らしや文化を豊かにしてきたその魅力に、少しでも触れていただけるよう、これからも頑張ります。





時が磨いた竹の宝石「煤竹」の魅力とは?

煤竹バッグ


竹というのは本当に奥深い素材で、知れば知るほど魅力に引き込まれます。そんな竹の中でも、特にボクが「時間職人」なんて呼んでいる、特別な竹のお話をさせていただきます。それは「煤竹(すすだけ)」と呼ばれる、まさに時間が磨き上げた竹の宝石です。この網代編みのハンドバッグも煤竹であまれています、色の濃淡にも秘密があるので、そのお話はまた後で(笑)。


煤竹、古民家


日本には竹が600種類以上あると言われていますが、そんな竹の中で煤竹とは一体どんな竹でしょうか?普通は、ピンとこない方ばかりだと思いますが、この30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」をご購読の皆様でしたら、ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。煤竹は、孟宗竹とか真竹とかの品種ではなくて、昔ながらの茅葺き屋根の古民家で、100年、150年、長いものだと200年もの間、囲炉裏(いろり)の煙でじっくりと燻されて自然に出来た竹のことなのです。


囲炉裏


昔の家では、毎日のご飯を炊いたり、暖をとったりするのに、囲炉裏で火を焚いていました。ガスや電気じゃなくて本物の炎です、今でも風流な料理屋さんに行くと囲炉裏の煙が店内に漂い、見た目にも香りにも懐かしく心地よい気持ちになることがあります。その煙が、家の中、特に天井裏や屋根を支える骨組みに使われていた竹を、ゆっくりゆっくりと燻していくのです。


葺き屋根の家がなくなり、囲炉裏のある生活も遠い過去のものとなってしまった現代、ほとんど見られなくなった、日本の暮らしが生み出した竹。だからこの煤竹は、ただ古い竹というだけじゃなくて、失われつつある日本の原風景や暮らしの記憶が染み込んだ、本当に貴重な存在だと思っています。


煤竹


煤竹の一番の魅力は、何と言ってもその色合いと艶です。囲炉裏の煙に長年燻されることで、竹は自然に深い飴色や、こげ茶色、時には赤黒いような独特の色合いに変化します。これは塗装や着色では絶対に出せません、いくら熟練の職人と言っても、さすがに悠久の時には勝てないのです。


そして、煤竹をよくご覧いただくと、濃い部分と薄い部分があることに気づかれると思います。これは、昔、竹を梁(はり)などに固定するために縄で縛っていた跡なのです。縄が巻かれていた部分は煙が直接当たらなかったので、元の竹の色に近い色が残っている。これがまた、一本一本違う模様、いわゆる「景色」となって、煤竹の表情を豊かにしています。最初にご紹介している煤竹バッグの色合いが異なっているのも、このためです。


古民家から譲り受けた煤竹は、最初は煤で真っ黒だったりしますが、それを丁寧に洗い、時には少し火で炙って油分をにじみ出させ、磨き上げることで、しっとりとした奥深い艶が生まれます。まるで竹自身が内側から輝いているような、そんな美しさです。虎竹が一本一本、模様が違っているように、煤竹もまた長い年月での燻され方で同じものはひとつとありません。


煤竹


これだけ魅力的な煤竹ですが、今は本当に手に入れるのが難しくなっています。さっきもお話ししたように、煤竹が生まれる環境、つまり囲炉裏のある茅葺きの古民家が、日本から姿を消してしまったからです。新しく煤竹が作られることは、もうほとんどないと言ってもいいでしょう。


古い民家が解体されると聞けば、遠くまでトラックを走らせて、譲っていただいた事もありましたが、近年それもなくなりました。でも、そうやって苦労して手に入れた煤竹が、すべて使えるわけではありません。何しろ100年以上も前の竹です、乾燥しすぎていたり、虫食いの穴があったりして、細工物には向かないものも少なくありません。


使える部分を慎重に見極めて、丁寧に手入れをする。そういう手間ひまもかかるから、煤竹は竹材の中でも特に高価なものとして扱われています。京都の老舗竹屋さんで見せてもらった立派な煤竹が、一本100万円もすると聞いて驚いたこともありました。希少なだけでなく、その背景にある物語や、扱う難しさも含めて、煤竹は特別な価値を持っています。


煤竹筏花入


さて、このように時間と人の営みが作り上げた煤竹は、その希少性と美しさから、昔から特別な工芸品の素材として珍重されてきました。特に茶道の世界では、茶杓(ちゃしゃく)や花入、結界(けっかい)といった茶道具に煤竹が使われると、その場の雰囲気がグッと引き締まり、深い趣きが生まれる気がします。


もちろん、茶道具だけではありません。熟練の職人の手にかかれば、煤竹は繊細な編み込みの竹籠になったり、特別なお箸になったりもします。ボクも日常的に使っているペーパーナイフ、ペーパーウェイト、耳かき、ペン皿などは煤竹で作られた物を愛用しています。100年人の暮らしに寄り添った煤竹の良さを最大限に引き出し、美しい竹細工へと昇華させて次の100年への命を授ける。煤竹の作品には、自然が作り出した美しさだけでなく、それを活かす職人の技と思いが込められているようで気に入っています。


煤竹壁掛(白石白雲斎作)


今日はずっと煤竹の魅力についてお話ししてきましたが、実は、この貴重な煤竹を使って作られた竹製品を、特別にご紹介する機会を設けました。竹虎のYouTubeチャンネルで、店内で目にとまったいくつかの煤竹製品をピックアップして、特別価格で販売させていただく動画を公開しています。どれも長い年月を経てきた煤竹ならではの風格がある、特別な品々、中には長く竹虎の店舗で展示していたものや、一点限りのものもあります。


煤竹製品は、写真だけではなかなかその深い色合いや質感が伝わりにくいものです。なので少しでも、その魅力を動画とボクの言葉で直接お伝えできればと思いました。お時間ある方は、是非「時間職人」が生み出した煤竹の世界に触れてみてください。今回のYouTube動画が、一つ一つに物語が宿っているかのような煤竹と皆様との出会いになれば嬉しいです。





別誂えの竹細工について

虎竹


別誂えの竹籠にお問い合わせを頂くことがあります。オーダーの竹籠や竹製品は、たとえ一つであっても、そのためだけに竹を選び、寸法を測り、材料を整えるところから始まります。たとえば、定番で編んでいる普段の製品をほんの少し大きく、あるいは少し小さくするだけでも、竹材の長さや幅、厚みがすべて変わってくるため、既製品の竹素材を流用することはできません。


竹籠素材


場合によっては、普段使わない編み方や技術が必要となり、試行錯誤を重ねながら試作を何度も繰り返すこともあります。一つの籠のために、三つ、四つと試作を重ねることすら珍しくないのです。


竹手提籠


そうして出来あがる別注の竹籠は、まさに世界にひとつ。だからこそ、あまり簡単にオーダーできるものではないのかも知れません。価格だけを見て判断される方には、定番の籠をお選びいただきたいと思っています。


竹虎の竹職人


「どうしてもこの竹籠が...」「惚れ込んだから、とにかく一つ...」そんな熱い想いを感じられている方はおられます。いつでも、そんなお声には応えていきたいと考えています。ただ、日本のモノ作りは皆様が想像される以上に空洞化が進みました。質の高い竹細工の別注品は、ある種の志と覚悟とが必要です。



鍋島焼と虎竹の六ツ目編み

鍋島焼


以前も一度ご紹介した佐賀の鍋島焼だが、江戸時代に鍋島藩の御用窯として栄えた高級磁器で、細やかな絵付けや端正な造形が特徴だ。窯の歴史や製法について興味深い話を伺って美しい絵柄に魅了されけれど、ふと、ボクが目を引かれたのは、六ツ目編みを模した焼き物の皿だった。


その皿は、竹細工「一閑張り(いっかんばり)」の盛り皿が元のデザインになっている。一閑張りとは、竹や木の素地に和紙を張り、その上から漆や柿渋を塗って仕上げる伝統工芸の技法だ。しかし、今回見た皿は竹ではなく、まぎれもなく焼き物。まるで竹編みの質感をそのまま陶器に写し取ったかのような綺麗な仕上がりだった。


寿司バラ


実は、六ツ目編みなどの籠目には魔除けの意味合いがあるのをご存じだろうか?編み目の連なりが無数の目に見えることから、邪気を祓う力があると考えられてきたのだ。昔の人々が、単なる実用性だけでなく、安らかな暮らしを祈るお守りのような意味を込めて、六ツ目編みを取り入れていた事がうかがえる。


六ツ目編みの籠


六ツ目編みは、竹編みの中でも基本的な技術のひとつ。なので、農家さんの古い納屋をのぞけば、ひとつやふたつは六ツ目編みの籠が見つかるものだ。通気性がよく、丈夫で農作物の収穫や保管に最適だったため、長い間多くの家庭で重宝されてきた。竹虎でも、六ツ目編みの技術を生かした製品は多い。例えば虎竹六ツ目ランドリーバスケットは、軽さと耐久性を兼ね備えた実用的なアイテムだ。かつて魔除けとしての意味を持っていた竹編みが、現代では自然で温かみのあるインテリアとして活かされているとは面白い。


虎竹六ツ目ランドリーバスケット


鍋島焼の窯元で出会った六ツ目編みの皿をきっかけに、改めて竹編みの伝統とその奥深い意味を見直すことができた。竹細工と陶器、一見異なる分野に見えるものの、伝統の技と暮らしを守る知恵という共通点を持っているのかもしれない。時代を超えて受け継がれる技術や形状は、今の暮らしの中にも確かに根付いているのだと実感している。



京都のお茶農家さんが使う巨大な竹籠「大カゴ」の修理

京都お茶農家「大カゴ」修理


京都のお茶農家さんから、昔ながらの竹籠の修理依頼をいただいた。「おおかご」と呼ばれるその籠は、なんと約25キロもの茶葉を収めるという大型のもの。依頼主の農家さんは、小さい頃から祖父が使っている姿を見て育ち、今では自ら大切に使い続けているという。そして、その竹籠を愛情を込めて「この子」と呼んでいた。


京都お茶農家「大カゴ」修理


そんな大切な竹籠ならば、できる限り元の姿のまま修理し、お届けしたい。そう思いながらお預かりしたが、目の前にある竹籠は、現在では作る職人もほとんどいなくなった貴重なものだった。幅広の竹ヒゴや極太の力竹など、独特な構造が特徴的であり、以前、同じ京都で似たような竹籠を見た記憶がよみがえった。


京都お茶農家「大カゴ」修理


「こりゃあ、大きな籠じゃねえ」


京都お茶農家「大カゴ」修理


工場に持ち込むと、周囲の職人たちも驚きと興味を隠せない。編み方や作りの技術を見ては感心し、触れては頷く。近年では、竹籠を購入したお店でも修理を断られることが増え、行き場を失った籠が全国から届くようになった。そうした各地の竹籠を手にするたびに、日本のそれぞれの地方に根付いた竹細工の奥深さを実感する。


京都お茶農家「大カゴ」修理


やはり、日本は竹の国だ、そして南北に長いのが面白味を増している。籠や竹笊ひとつ取っても、使う竹の種類が違い、地域ごとに異なる特色がある。


茶カゴ縁巻


そして、そこには受け継がれてきた技術や知恵が詰まっている。修理を手がけるたびに、新たな発見があって、竹人としての挑戦心をくすぐられるのだ。


竹籠縁巻


「おおかご」と呼ばれる茶籠は、孟宗竹と真竹を組み合わせて作られていた。口巻にはしなやかな真竹を使用し、本体の編みには丈夫な孟宗竹と真竹が見事に組み合わされている。その一つひとつに、当時の熟練職人ならではの技が光っているのだが、やはり長年の使用によって竹ひごが折れていたり、無くなっている箇所もあったりしていくつかの修理が必要だった。


大カゴ縁巻


これだけの年季の入った素晴らしい竹籠だ。できるだけ当時の技法を再現し、孟宗竹、真竹と同じ種類の竹を使って補修させていただいた。


京都お茶農家「大カゴ」修理


ようやく修理を終えた茶籠は、またしっかりとした強度を取り戻し、これからも長く使っていただける状態に生まれ変わった。日本の竹製品は、一度壊れたからといってすぐに捨てるのではなく、こうして修理を施しながら長く使い続ける事ができる。それこそが、日本の伝統的なものづくりの精神であり、竹の魅力でもあるのだと思う。


京都お茶農家「大カゴ」修理


大量生産・大量消費が当たり前の時代が、少しづつ見直されつつあるけれど、竹細工のように手直ししながら使い続ける文化を大切にしていきたいものだ。今回の茶籠の修理を通じて、竹の持つ可能性や、日本の手仕事の素晴らしさを改めて感じている。竹虎では、これからも竹籠の修理でお客様の大切な道具を長く使い続けられるお手伝いしていきたい。





射手自らが完成させた流鏑馬笠

流鏑馬笠、騎射笠


復刻した流鏑馬笠は少しづつ愛好家の皆様に届けさせていただいている。そんな中のお一人が、ご自身で好みの形にされたいとの事で、柿渋と漆を塗布する前の、生地の状態で笠をお届けしていた。すると、ご自分流に形をアレンジされ、素晴らしい流鏑馬笠に仕立てられたのだ。


流鏑馬笠、騎射笠


ツバの両端か立ち上がり、笠の前頭部が狭くなった作りは、走っている馬上から弓を射らなければならない流鏑馬の射手が被るにふさわしい形になっていて目を見張った。


騎射笠


光の加減によって、深みのある色合いが浮かび上がる塗り重ねた漆も、耐久性と見栄えとの両方を兼ね備えていて魅力的だ。軽く丈夫でありながら、独特の美しさを持ちながら強い風や激しい動きにも、しっかり頭部に固定される流鏑馬。


流鏑馬笠、陣笠


しかし、その機能性を生み出す竹編みの下地こそが大事、一本一本正確な幅と厚みに揃えられた柾の竹ヒゴを緻密に編み込む竹職人の技がなけば、とうてい出来あがるものではない。




流鏑馬笠には、国産では本当に少なくなった竹網代笠の技術が活かされている。


流鏑馬笠、網代笠


五徳の取り付け方、直接頭に当たる枕、顎紐など本当によく考えて作られている。笠の竹編みばかりを考えていたが、実際の射手の方ならではの実用的な造作は非常に参考になる。


流鏑馬笠、竹笠


竹製品は、使う人によってさまざまな表情を見せる。職人の手による伝統的な製品も素晴らしいが、それを手にした人が更に自分流に手を加えることで完成するものもある。流鏑馬笠が、このようにして実践的な、個性的な笠へと昇華されたことを大変嬉しく思っている。


流鏑馬笠、鬼笠


竹の持つ可能性は無限大に広がっている。伝統と創造の融合によって生まれた今回の流鏑馬笠のように、竹製品をカスタマイズし、自分だけの特別なアイテムを作る楽しさも、ぜひ多くの人に知っていただきたい。





下地編み竹職人の執念に導かれた一閑張り文庫

一閑張り文庫


新しい一閑張り文庫を完成させた。異例のスピード感(笑)、どれだけの思い入れかお分かりいただけるのではないだろうか?この文庫は、四ツ目編みの下地に薄い土佐和紙と、色付きの土佐和紙を重ね、さらに柿渋で仕上げたもの。一見、伝統的な手法を用いただけのように思えるかもしれないが、その完成には名前も知らない超絶な技を持った、下地編み職人との奇跡的な出会いがあった。


一閑張り文庫


思えば、最初のきっかけは、古民家の薄暗い倉庫に眠っていた古い四ツ目編みの角籠だった。その編み目の美しさに心を打たれ、何とかこれを皆様のお手元に届けられる一閑張りの作品に仕上げたいと強く思った。たまたま、懇意にしてくださっている腕の良い一閑張りの職人がいる、そこに、これだけの端正な竹編み下地なら、箱物としては現在考えうる最高の強度と美しさを兼ね備えた逸品に出来る。


一閑張りと言っても、下地の竹編みの技が稚拙で和紙張から見える表情が芳しくなかったり、また下地自体を竹ではなく紙で製作されたりしている。この竹編みとの出会いは、古の熟練職人が自分の技の結晶とも言える下地編みを、ボクに完成させて世に出してくれと、本物の一閑張りを世に問うてくれと、引き合わせてくれたような不思議な縁を感じた。


一閑張り文庫


出来上がった一閑張り文庫は、竹編み、土佐和紙、柿渋という日本の伝統的な素材が、時を越えて融合し現代に蘇った。蓋を開けると現れる朱赤や、手に触れるたびに感じる和紙の温もり。その全てに職人たちの技術と情熱が宿っている。下地編みを作った匠は、空の上から満足されているだろうか?ボクに引き合わせた事を喜んでくれているだろうか?


一閑張り文庫


この一閑張り文庫は、単なる収納箱ではない。日本の風土が生み出した竹をはじめとする自然素材、そして職人たちの手仕事が織り成すアートであり、歴史の継承そのものと言える。この文庫を手に取った方に、日本の伝統文化の奥深さや素晴らしさを感じてもらえたら幸いだ。





また奇跡が起こった!驚愕の竹四ツ目編み素地の技

一閑張り素地、竹四ツ目編


「なんだ、これは...!?」これだから、竹の仕事はやめられない。はじめて、この竹四ツ目編文庫を見た時には鳥肌がたって、しばらくは声も出せなかったほどだ。一目で分かる事がいくつかあったが、とにかく凄腕の職人技に、出会えた幸せに心から感謝した。


一閑張り素地、竹四ツ目編


編み上がったばかりなら青々としていても不思議ではない竹肌が、このような飴色に変わっているから随分と前の作品だ。しかも、仕上げの加工がされていない。手に取ると、竹節の部分に曲がりを防止するために焼きを入れる焼き留めがされている。これは一閑張りの素地だ!小躍りしたくなった(笑)。


一閑張り素地、竹四ツ目編


竹ヒゴのあしらいは、じっくり見てもやはり素晴らしい。この辺りの真竹は、祖父の頃から品質が高いと音に聞こえていた、その竹の表皮を丁寧に薄く薄く剥いだ「磨き」と呼ばれる技法で仕上げている。磨き細工は、紫外線にあたるほど色合いが変化する。真っ暗な倉庫の中に、しっかりと箱に入れられていたので、製作年代はもっと古いと思われるのに経年変色は少し浅めだ。


一閑張り素地、竹四ツ目編


何より驚くのは、四ツ目文庫の蓋を開けた時だ。持った時の質感から入れ子になっているとは思ったけれど、その内側の文庫が、外側の竹枠にピタリとはまっているので惚れ惚れした。何という竹の技だろうか。なるほど、これだけの職人技が埋もれてしまっているのは惜しい、ボクがここに引き寄せられた理由が分かった気がする。


この職人の方には、お会いした事もないけれど、思いを引き継いで一閑張り文庫として完成させ、世に出さねば。そればかり考えながら虎竹の里に帰ってきた。





別注・オーダーメイドの竹細工が高額になる理由とは?

真竹腰籠


竹虎にある、竹籠や竹ざる等の竹細工をご覧になられたお客様から「この籠をもう少し大きく作ってほしい」あるいは反対に「小さめサイズが欲しい」といったオーダーをいただく事がある。しかし、別注の竹細工は、定番商品と比べて価格が大幅に高くなる場合があり、お客様の中には戸惑われる方もおられるようだ。


御用籠


小さな籠にするから、むしろ、安価にできるのではないか?そんな風に勘違いされる方もおられるのでご説明しておかねばならないと思う。まず、新しいサイズや形状の竹細工を作るには、元の竹籠を参考にしながら、改めてそのサイズにあった竹素材取りからはじめる。ご指定サイズに合わせる過程で、試作品を作りながら細部を調整するため、ここに案外と大きな手間がかかってしまう。


竹籠、竹笊のサイズを違えれば、竹ヒゴの幅や厚みも変えないと、お客様のイメージされる出来栄えにならないのだ。また、竹材は一本一本が形が異なり、性質も違う特性を持つ自然素材だ。定番製品を作るために確保していた竹材では使えない事も多く、ひとつの竹籠のために竹材選びから始めなければならない場合もある。


粗四ツ目角籠


さらに、別注品は特別な技術や工夫を必要とされる事が多く、熟練職人でないと製作できない事も多い。簡単に見える竹細工であっても、常に編んでいる籠は製作は効率的な仕事が進められるようにしている一方で、別注品では製作工程やスケジュールに調整が必要となり、通常の竹編みの数倍の時間がかかってしまう。


四ツ目竹ざる


オーダーメイドの竹細工は、こうした理由から思わぬ高価な金額になるものの、お客様のご希望に合わせた一点物であり、世界に一つだけの作品となる。自然と共生してきた日本人と竹は、密接で特別な関係だったけれど、その魅力を最大限に引き出した竹細工の価値は、あなたに特別な感動を与えてくれると思っている。