
奥深い日本文化
日本の竹文化というものは、知れば知るほど、掘り下げれば掘り下げるほど、先人たちの知恵と想いが込められている事に驚かされます。たとえば、竹虎で製造されていて、普段は何気なく目にしている袖垣(そでがき)です。今では、あまりご覧なられる機会も少なくなった日本の伝統的な竹製品、その飾りに割った竹を斜めに交差させた格子の部分があります。その格子ひとつにも、昔から受け継がれてきた、ある約束事があるのです。

曲げわっぱの合わせ目
先日、曲げわっぱ(曲びつ弁当)の工場にお伺いした時のことです。職人さんが、薄く削ぎ落とした木材をくるりと丸め、その合わせ目を桜皮で丁寧に綴じていく様子を拝見しました。桜皮というのは、単に見た目が美しいだけではありません。非常に丈夫で水に強く、さらに木材と共に呼吸し、収縮するという性質を持っています。だからこそ、長い年月使っても結合部が緩みにくく、むしろ使うほどに一体感が増していく。まさに、日本の風土が生んだ最高の天然素材なのです。
けれど、ボクがその時、職人さんの手元をじっと見ていて、改めてハッとさせられたのは、その合わせ目の重なりの方向についてでした。実は、この重なりの方向には厳格な決まりがあります。右巻き(時計回り)に曲げ、合わせ目を作るのが一般的なのですが、これには二つの大きな理由があると言われています。

竹籠の口巻
一つは、実用的な側面。右利きの職人が製作する上で、この方向に合わせ目を作るのが最も自然で、力が入りやすく、美しく仕上がる。これは、竹の世界でも竹籠の口巻の方向が右利きの職人にとって編みやすい方向になっているのと、非常によく似た理由のように感じます。ある時、籠の口巻方向が逆だったので、もしかしたら?と思いたずねたら、その職人さんは案の定、左利きでした。そして、もう一つ。こちらが日本の文化として、極めて大切な理由なのですが、それが着物の着方と同じであるということです。

「右前」は生者の証、縁起のしるし
着物は右前に合わせるのが日本の伝統です。何を隠そうボクも365日作務衣を着用しています、今こうしてブログを書きながらも着用していますが(笑)もちろん同じです。仮にこれが逆の左前になってしまうと、それは死装束を意味し、縁起がよろしくないとされてきました。日本国内で製造される曲げわっぱが、たとえ産地が異なっても、申し合わせたかのように同じ方向に留められているのは、単なる作業効率の問題だけではありません。使う人が健やかであるように、この道具が、日々の暮らしにささやかでも福をもたらすようにという、職人たちの無言の願いが、その一巻き一巻きに込められているように感じます。

竹虎の袖垣に流れる、同じ血脈
さて、そこで改めて注目いただきたいのが、明治27年創業の竹虎が守り続けてきた虎竹袖垣の格子の方向です。袖垣とは、玄関先や庭の仕切りとして使われる、いわば家の顔とも言える竹垣のことです。住宅様式が変わって、若い皆様を中心に多くの方が忘れてしまっている竹製品ではありますが、虎竹模様を活かした格子の組み方は、竹虎の職人たちが代々受け継いできたものです。実は、この格子の組み方も、竹虎で製造する袖垣はすべて右前、つまり着物と同じ方向になっているのです。

細部に魂が宿る
「そんな細かいところまで?」と思われるかもしれません。けれど、細部に魂が宿るとも言います。京都でも有名な銘竹店で拝見した、輝くような綺麗な竹で作り上げられた最高級の袖垣も当然のように同じ方向に組まれています。

片方が丸くなった玉袖、両方の柱が真っ直ぐに立っている角袖垣には黒竹の格子が入れられています。整然とならぶ黒穂の下にみえる、白いジクザク模様がお分かりになるでしょうか?削った竹節部分を一本づつズラして表現された職人の手仕事です。

竹に命を吹き込むということ
なぜ、そこまでこだわるのか。それは、袖垣が単なる目隠しやフェンスではないからです。職人が一つ一つ手作りする袖垣には、その家の門口を整え、守るという、ある意味の結界としての役割があります。だから、縁起を尊び、文化を敬い、正しい方向に竹を組むという当たり前を愚直に積み重ねることが大事なのです。もし、皆様がお知り合いのお宅や、飲食店や旅館さんなどで竹垣を見かけることがあったら、ぜひその格子の重なりをご覧ください。そこには、職人の手のぬくもりと、和の文化を大切にする日本人の心が、静かに、けれど力強く息づいています。
