龍馬脱藩の道

つま先履き


虎竹の里から車でものの数分も走ったら日本カワウソで有名な新荘川があるがです。その川を上流にそって檮原街道がのびちょります。昔は曲がりくねった道やったけんど、最近は、こじゃんと(とても)道の整備が進んでのうが良う(便利が良く)なりました。車やったら1時間足らずでもう檮原の町に着くがです。


ここは、龍馬が脱藩の時に通った町。龍馬の脱藩を手助けした志士の活躍した町として知られちょって、最近は脱藩の道を歩くツアーやガイドさんもなかなか充実しちゅうと言いますきに、関心のある方は、いっぺんコチラにも来られたらどうじゃろうか?さて、ワシが感激したがはここの町の資料館にたまたま立ち寄らせてもろうたがですけんど、ワラで編まれた防寒用のつま先履きと、それを作りよった木型を見つけたきです。


木型


鼻緒の履き物を履きよったら分かりますけんど、冬はつま先が寒い、寒い。たまに靴を履いたら、「お~の、まっこと(本当に)ぬくい、ぬくい。」と改めて靴の暖かさを見直すこともあるばあです。ほんで、昔の人は寒さ対策どうしよったろう、と思いよりましたら。こんな、工夫をしちょったがです!まあ、竹虎にたとえたら竹皮草履を素足で履くのは寒いきに五本指ソックスで履くようなもんぜよ。


龍馬が脱藩するために檮原に到着したのは3月25日。もう寒さもゆるんだ頃やったろうけんど、標高の高い檮原のことやき、まだ雪も残っちょったかも知れん。こんなんを使うたりしたがやろうか?いやいや、もっとエイもんがあったろうか?いずれにしても檮原の志士の道案内で、龍馬は脱藩の道を駆け抜けていったがです。


コメントする