竹ざるの最高峰

竹ざる


竹細工は工芸品や美術品としてでは無く、生活や仕事の必需品やったがです。だから同じ竹籠竹ざるでも沢山の量が必要とされちょりました。同じ形の竹籠などでも、それぞれ少しづつ大きさの違う物があったのも、毎日使う道具なら当然の成り行きですし、大量の竹籠を効率よく遠くまで運ぶためには、籠を重ねられるように形を工夫させたり大量生産、大量消費ならではの事情があったのです。


名人と呼ばれる竹職人が生まれたのも、こうやって同じ竹籠なり竹ざるが沢山必要とされちょりますので同じ物を繰り返し、繰り返し作る、そんな中で技が磨かれたと思います。スピードも同じこと。必要に迫られ、仲間の職人と早さを競い合う中で、竹編みのテクニックは研ぎ澄まされきたがです。なので、昔の職人さんの竹編みの技術、精度は今とは比べるられないような物を感じる事があります。


縁まき


この竹ざるも、そんな中のひとつ。まっこと、これ以上の竹ざるは無いのではないろうか?竹ヒゴの一本一本までに神経を通わせるような繊細さただ、そこにあるだけで凛とした空気にしてしまいそうな美しく端正な姿形。用の美とは、たまに聞かれる言葉ですけんど、実際にお米を入れたり、野菜を入れたり生活の中で使われてこそ輝く竹籠ではありますが、まっこと、手にとって眺めると惚れ惚れするような出来映えぞね。


竹の表皮は丁寧に薄く剥いでいます。「磨き」と呼ばれる竹細工ですが、この技術も一流。手に持つ部分の縁巻きは、均等に割った竹をグルグル巻いていますが、ここの仕事の正確さ美しさというたら見とれてしまいそうなレベルぜよ。竹の伝統を伝えてきた先人の声が聞こえてきそうな魂の入った竹ざるに出会えて、まっこと感謝ながです。


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