竹の中へ

竹林


先日は祖父と向き合う時間があったがです。祖父言うても何十年も前に亡くなっちょります。けんど、今でも自分にずっと影響を与え続け、ずっと竹の事を教え続けてくれよりますので、本当の意味ではまだ亡くなってはいないのかも知れませんちや。


大阪で竹材商として創業した初代の後を継ぎ二代目として戦後の焼け野原から、母の里でもあり日本唯一の虎竹の産地でもあった、この地に本拠を移し真っ直ぐに走り続けた男。真っ暗い内から働きはじめ盆も正月も休まない仕事の鬼と言われた祖父も、自分には優しいおじいちゃんやったです。


県外への竹の仕入れには幼い頃からずっとついて回っていて、小学校にあがる時には日本で行った事のない県は北海道と沖縄くらいやと言われよりました。ある時、いつものように車で走っていると急に祖父がブルブルと震えだし


「おお寒っ~!ヨシヒロ、寒ないか?」


半袖の季節なので、まったく寒くないのでキョトンとしていると、目で道路脇の山肌を白く覆ったモルタル・コンクリート吹きつけを指して、


「あれ、雪とちゃうんかいな?」


「違うで~おじいちゃん」


「なんや、白いから雪かと思うたがな」


まあ、こんな調子でユニークな一面もあったがです。


不思議なものですちや。いろいろな事があるたび、今いるのが日本のどのあたりかも分かりませんけんど、人の格好や、町の景色、車、日差し、空気感、ニオイ、山や空の色で、高知から遠く離れた場所である事だけは分かる土地で、祖父と交わした言葉をフッと思い出すがです。そして、導いてくれる。


自分は、まっこと頭は悪いし、田舎者で何ちゃあ分かっちょりません。これと言うて人に誇れるものもないし、ここだけの話ですけんど社長とか人の上にたてるような器量がない男ながです。そんな小さい小さい男が竹林の中を歩きよましたら、ふと差し込む夕日の中に祖父がおる。こうやって竹虎四代目として何とか毎日立たせていただけちゅうのは、三代目の父のおかげであり、二代目の祖父のおかげ。その影の中には、そのうち会える初代宇三郎もきっとおりますろう。


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