1コレ

めかい作り


メカイ籠に限ることではないかと思いますが、大量に生産されちょった竹製品は、製造そのものは当然大事ですけんど、できあがった竹製品をどうやって消費地にまで運ぶかという事も、大きな課題のひとつだったと思うちょります。


たとえば、大きな箱物のような竹行李などの場合なら、中が空なので空気を運んでいるようなもの、これは輸送の発達した現在でも、こじゃんと無駄な気がしますが、運搬手段が乏しかった昔なら、さらに切実な問題やったと思います。そこで、箱物の竹細工には中にちょうど入るサイズで同じ箱物を作り、中に二重、三重と重なるように作られました。それと同じように多摩のメカイ籠もちょうどお茶碗が何枚も何枚も重なるように、底が口部分に比べて小さく作られちょって、数十枚と重ねられるようになっていました。当時は60枚をひとくくりとして「1コレ」と呼び、効率的に運び出されて行ったようです。


めかい


東京など都市部で小売りをされていた店舗さんたちが、お歳暮用の容器しても大量に購入していたと聞きますので、家庭用の竹籠として使われていた他には、ちょうど今でも見ることのできるお見舞いに使われちゅう、果物の入った竹バスケットのような感覚だったのかも知れませんちや。


かってのメカイ生産の中心地とお聞きしていた地域を、車で送迎してもらいましたので辺りの景色をずっと見よりましたぜよ。けんど、立派な道路が通り、近代的な街並が続く中、すぐ近くには大きな駅のロータリーまであるがです。篠竹が生い茂る丘が続き、その竹を使う竹細工があったなどと、まったく昔を想像できない多摩のメカイですが、「1コレ」のような竹籠が行き来した古き良き時代を想像してみるがです。


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