言葉はいらない盛り籠

古い盛り籠


一体何十年前のものか分かりません。ひとつの盛り籠を見せて頂いたのです。


持った瞬間でした...。


指先に伝わる竹の感触、もう言葉はいらない感じです。


普通のどこにでもあるような盛り籠です。今でも似たような籠は製造され、竹虎でも販売している盛り籠。けんど、残念ながら今の技では到底及ばない風格。ちょうど今の時期ならミカン籠として、昔は一家に一つはコタツの上などに置かれちょった竹かごです。時代の流れと共に需要も生産も減って、今では職人さんも少なくなった竹細工ですが、多い時には一つの工房に何十人という内職さんが関わり分業化され、流れ作業でドンドンと大量生産されていた製品の一つぞね。


この盛り籠、持っただけで分かる質感、ヒゴの厚み、編み込みの確かさ、堅牢性、そして竹表皮を薄く剥いだ磨き加工特有の竹肌の美しさ!まっこと、話すことは何ちゃあないがです。これが沢山の職人さんが役割分担しながら作られていたとは、今の時代では少し信じられない気もしますが、このような盛り籠を一日に職人さんたった2人で、何と数百という単位で編み上げていたと聞きます。竹ヒゴ取りはじめ、あらかたの編み込みなどは専門の方にまかせて、最後の大事な仕上げだけを次々とこなしている、一心不乱に竹と向き合う職人さんの姿が浮かびますぞね。


日本のモノ作りには、かつて活気がありました。より良いものを、より早く、一つでも多くという職人魂が、竹製品に命を吹き込みよった時代だと思うがです。古老の職人さんが誰も口にする、一番大切にされたスピード。この時間との戦いこそが籠の無駄を削ぎ、磨き上げ、惚れ惚れとして見飽きない機能美を今に伝えてくれちょります。


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