竹の世界

鰯籠


高知出身の漫画家、青柳祐介さんの作品「土佐の一本釣り」で有名な漁師町久礼。ここの大正市場には大きな鰯籠をアーケードから吊り下げちゅうのです。鰯籠とは、カツオの生き餌を運ぶための竹籠の事、まさに久礼にはピッタリの竹籠ですろう。この籠は、初めてご覧になられる方にしたら驚くほど大きいのですが自分の小学校の頃には、こんな大きな籠どうやって使うがやろうか?運ぶがやろうか?誰が作ったがやろうか?次々に疑問が湧き起こってくる程の、まだまだ大きな竹籠も漁港近くに置かれちょったがですぞね。


鰯かご


さて、この鰯籠でいつも思いだすのが、もう6~7年も前に一度見たことのある熊本は水俣で作られていた鰯籠ながです。高知で使われちょった竹籠は丸い壺型ばかりやったです。ちょうど川漁師さんなどが腰に提げている丸魚籠を大きく大きくしたような形ぞね。ところが、こちらの籠は角型。そして、その巨大さと言うたら、まっこと圧倒される他はないがぜよ。


鰯籠編み込み


実は、この巨大鰯籠の事は前にもブログでお話しさせていただいた事があって、その時に職人さんに聞いたサイズを記載しちょります。横3.6メートル、奧行き2.6メートル、高さ2.3メートル!図面も何もなしで職人さんのカン頼りに作られちょりましたので多少サイズには違いがあったかと思いますが、竹籠というより竹で編み込まれたひとつの家?今までに見たことのあった竹製品や竹細工の概念を覆すような迫力を感じたがです。


漁師さんの注文で仕事されゆうという事やったがですが青空の下で、昔ながらのやり方で、自分の全く知らなかった竹を使った仕事をされる姿にはシビれました。虎竹でもイベントなどで使われる特別大きな花籠を製作される職人さんがおられました、しかしそれも、せいぜい高さ1.5メートルたらず、幅1メートル程度のもの、まったく比べものにはならなかったのです。


鰯籠の材料、孟宗竹


さすがに、これだけの大きさになると竹材も柔なものでは役に立ちませんぜよ。材料は全て孟宗竹を使われていました。太くて長く、身の厚い丈夫な孟宗竹あっての巨大竹籠ですちや。


水俣の鰯籠


籠は一人の職人が編み上げるのが普通ですが、この職場では一つの竹籠を数人で役割分担して協力しながら作っていきよりました。


鰯籠製造


要所を締め込む針金は、籠の内側に一人が入り、二人がかりでの仕事ぞね。巨大な鰯籠は、ご夫婦と息子さんのご家族三人で作り上げる竹籠だったのです。


鰯籠力竹


力竹も半割した孟宗竹ですので、この豪快さと言うたら無いがぜよ。曲げ部分に焼け焦げた跡が残っちょりますが、こうして熱を加えて竹の曲げ加工をするのは、大きな竹であっても、小さな細工であっても同じながです。


鰯籠土場


広々とした土場には丸い孟宗竹が二列に置かれちょりました。その上に完成した巨大鰯籠が並べられていきます、まっこと初めて見た時には目を疑うような光景やったちや。恐らくこのような竹編みをされているのは日本でも、ここだけではなかったかと思いますし、職人さんも、もしかしたら他にはおられないかも知れませんぞね。


それだけ貴重で、凄い竹籠であり、まさに歴史のある竹文化ですが毎日ここで仕事される、ご本人達には、虎竹の里に生まれた自分達が竹と言えば虎模様があるのが普通の事と考えちょったように、いつもの仕事をされている意識しかないのではないですろうか。


竹虎四代目(山岸義浩),作務衣,さむえ,SAMUE


近くいると見逃してしまいそうな価値ある竹...この鰯籠などは、その最たるものの一つやったですろう。けんど、このような未知の竹には今年も何回も出会う機会を頂いて驚かせてもろうたし、竹を魅せていただく事になり感動したのは自分自身やったように思います。竹の世界が狭いなどとは、とんでもない事ぜよ、知ったような気になっていても、まだまだ広い、深いがです。そして、知る程に竹と古くから結び付いている日本の素晴らしさを感じましたぜよ。


日本の竹は、まっことエイがです。竹はイネ科の植物です、だから世界一美味しいお米の育つ日本は、竹の生育にも最適な環境やと思います。元々は外来種として中国から渡ってきた孟宗竹も、まるで昔からあった在来種の竹であるかのように日本中の何処の山に入っても青々と繁っちょります。豊かな自然と、美しい四季のある日本で最高の竹と、職人の感性が育まれ、長い歴史の中で磨かれてきたのが日本の竹文化ながぜよ。来年も、そんな竹と、皆様と一緒におられる一年にしたいと思うちゅうがです。


竹林景観ネットワーク第17回研究集会の皆様

竹林景観ネットワーク第17回研究集会


竹林景観ネットワークという竹の勉強会の皆様が虎竹の里に来られちょりました。年の瀬が近づいてくる中、今年最後の竹林見学会となったかです。ネットワークの皆様は日本各地からお集まりになられた方々ばかりですが、前日には当社とも縁の深い牧野植物園さんで竹研究の講演会を開き、翌日には現場研修という形でお越しになられたのでした。


竹林景観ネットワーク第17回研究集会、竹虎本店


メンバーの皆様は東京大学、京都大学、同志社、国連大学など大学の研究者の方が多かったように思いますが、団体職員の方、会社経営の方、学生の方と竹に関わる産官学民の方々やったのです。ちょうど日曜日とあって、会社には自分しかおりません。思うたよりも沢山の20名近い方々がお越しです、しかも少しお話しさせて頂くだけで竹への思いがヒシヒシと伝わる皆様です。挨拶もそこそこに、まず日本唯一の虎竹林にお連れさせてもらう事にしましたぜよ。


竹林景観ネットワーク第17回研究集会、虎竹の里


ちょうど虎竹の里では只今伐採のシーズンです、皆様をお連れした竹林にも先日まで山の職人さんが機械を入れて伐採しちょりましたので、もしかしたら山出しの仕事もご覧頂けるかと思っていましたが残念ながら他の山に移動しちゅうようです。


日本唯一の虎竹、竹林


手入れをされず放置されて立ち枯れが起こっているような場所を「竹藪」。しっかり手入れされて風通しも陽当たりもよい場所を「竹林」と呼びますが、まさに虎竹の里には、そんな美しい竹林が広がっちょります。


けんど、どうしてここの地域にだけ虎のような模様が付くのか?皆さんの興味もそこにあるようで沢山のご質問を頂戴します。こうやって打てば響く様な具体的な話しができるのは皆様が日頃から竹に関心を持ち、関わり続けられちゅうからですろう。まっこと嬉しい気持ちになるがぜよ。


竹林景観ネットワーク第17回研究集会、竹虎工場


虎竹は淡竹(ハチク)の仲間であり、山で見ていただく原竹は表皮の白く靄がかかったような下に虎模様が隠れています。それをガスバーナーの炎で炙り、高熱を加えて油抜きする事により、まったく見栄えの違う虎竹に生まれ変わるがです。


竹林景観ネットワーク第17回研究集会、竹虎工場


製竹作業を終えた虎竹は、これが同じ虎竹なのかと思うてしまうほど竹の表皮が竹林で立っている時とは違いツヤがあり輝いちょります。初めての方なら何かニスのような塗料でも塗ってあるのかと思われるようですが、この輝きは竹から出た自然な油質によるものぜよ。何かを人工的な塗料を塗るような事は無いがです。


竹林景観ネットワーク第17回研究集会、竹虎工場


工場長が虎竹を使った網代編みを途中までしかけて置いてあります。細かい竹編みに目がいきますが、実はその横に無造作にある竹ヒゴを作るのが大変ながです。竹細工を習われている方がおられて、編む事よりも竹ヒゴ作りが出来ないとお話しされよりましたが、竹細工の良し悪しは竹ヒゴで決まります。


日本唯一の虎竹自動車プロジェクト


虎竹の油抜きのガス窯や細工場などをご覧いただきますが、やはり自分達の一番の目の前の課題は日本唯一の虎竹自動車プロジェクトぜよ。クラウドファンディングを使うて全国からのご支援を頂戴しちょりますので何とか最高のものにしたいとプレッシャーを感じている真っ最中。来年は、いよいよ形にせねばならないのです。出来上がりましたら竹林景観ネットワークの皆様の、それぞれの地元などにも行かせてもらい何か協働できる事がないだろうか等とも考えているのです。


今回の牧野植物園で開催された講演の概要を拝見すると、中心課題はやはり竹の有効活用に尽きるようです。自分達にとりましても、今後考えていかねばならない大きく非常に関心のある問題ぞね。


一生涯一職人

篠竹細工


「篠竹の材料ならタップリあるよ」


そう言うて笑う職人さんは、まっこと格好がエイがぜよ。篠竹は真竹や孟宗竹とは違い笹の仲間で直径もボールペンか少し太いくらいの大きさにしか成長しない竹ながです。昔は沢山伐採されていた女竹(メンチク)のように節間が長く、節高も低く、真っ直ぐに伸びちょって使いやすそうな素材ではありますが高さが2~3メートル程度にしかならない竹でもあるのです。


11月~12月末くらいまでに材料集めのため自ら山に入り伐採するのですがこれくらいの大きさの竹なら伐るというより刈り取るという表現の方がシックリくるのかも知れませんにゃあ。


篠竹


刈り取られた篠竹は広い納屋のあちらこちらに束にしてビックリと積みこまれちょります。なるほど、これなら十二分に材料はあるなあと感心しますぜよ。普通、真竹、孟宗竹等などは品質のために3年以上経ったものだけを伐採して使用するがです。特に虎竹は淡竹(ハチク)の仲間ですが3年程度立たないと虎模様の色付きがないので3~4年竹しか伐採しちょりません。


ところが、こちらに積み込まれている篠竹はすべて新竹なのです。今年の竹を刈り取り3ヶ月程度こうして乾燥させたものは素材として竹編みに使っていくのです。伐採期間の違いは竹か笹かで異なっちょります、同じ笹の仲間のスズ竹なども1年竹を刈り取って細工に使用されゆうのです。


篠竹細工


籠の口巻き用に、細い木材を丸く曲げ込んで使う細工などもあるのですが、口巻き用の材料も沢山の籠を編む事が出来るようにズラリと作られ用意されちょります。篠竹細工は、かっては東京にも産地があったほどの竹細工です。素材が身近にあり、それだけ人々の暮らしに浸透していて需要も多かった細工なので、畑仕事のできない冬場の内職として受け継がれてきた仕事でもあります。


篠竹底編み足付きざる


篠竹は根曲竹などと同様に素朴で無骨な感じが好きなのですが、何というても強さとしなやかさが魅力ぞね。残念ながら、昔から続く手仕事は時代と共に少なくなりつつありますが、このような豊富で美しい竹材と若々しい表情の職人さんを拝見させてもらうと何やら自分の方まで、また新しい年も頑張っていこう!そんな覇気を頂くがです。


女竹の水鉄砲工房

竹水鉄砲工房


竹の水鉄砲も昔ながらの玩具として、竹屋の自分などには馴染みのあるものの一つですぞね。けんど、最近では竹製のものは少なくなってしもうちょりますろうか?子供達が海や川で遊ぶのにはプラスチック製の本格的なモノがほとんどやと思うのですが庭先のプールや、ちょっとした水遊び等でもあまり見かける事はなくなったようです。


ところが、夏場の需要に備えて竹の水鉄砲製造工房では今から製造を始められちゅうのです。自分達は水鉄砲は竹材料が周りにいくらでもありましたので買うものではなく、作るものであったものの、竹虎の店先には大きな竹籠の什器に山積みにされていた夏の定番の玩具です。もしかしたら子供が遊ぶ用という他に、ディスプレイ的な購買もあるのかも知れませんにゃあ。


とにかく、そんな季節の風物詩のような代表的アイテムでありながら今まで、どこで、誰が、どうやって、どこの竹材を使い、どんな風に製造しているのか?何が難しくて、大変なのか?ずっと知らずに来たがです。こんな身近に見ている竹ひとつとっても、この調子なので、まっこと竹というのは知らない事ばかりやと、つくづく思うがです。


ザ!鉄腕!DASH!!巨大水鉄砲


ところで、たまたま水鉄砲の工房に来たからという訳ではありませんけんど、こうやって出先で職人さんにお会いさせて頂いたり、来社頂く度に今でもテレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の話しが出る事があるのです。ちょうど、こちらの工房で製造される、わずか15センチの長さの水鉄砲を100倍の15メートルにするという前代未聞の話しなので、やっぱり全国の竹材店、竹職人はじめ竹に関わる皆様は関心を持ってご覧いただいたようぞね。


ザ!鉄腕!DASH!!巨大水鉄砲


「ザ!鉄腕!DASH!!」の放送は、もう2年前、2013年9月1日の事です。人気アイドルグループTOKIOの長瀬さん、松岡さんが来られるとあって地元商工会、高校、消防署はじめて多くの皆様、そして、ゆるキャラ「しんじょう君」まで集まっていただく一大イベントとなり、多くの皆様に、ご苦労もお掛けしたのですが、この時のテレビの様子をご覧になられたという職人さんの顔は、竹と向き合う時とは又違い、嬉しそうな表情をされて声も弾んでいるのです。


ザ!鉄腕!DASH!!巨大水鉄砲


竹虎の職人にも負担をかけた取り組みと撮影ではありましたけんど、日頃は違う部署にいて近くにいながら案外知らない他の仕事の事を分かったり、気づきがあったりして、このような機会は、心がけにより大きくプラスにもなるがぞね。そして、こうやって自分達のする事が例え小さい事であっても、滑稽であっても、もしほんの一隅でも照らしている事だとしたら、これからも自分の全てをかけて力の限りやっていかねばならないと思いゆうがぜよ。


ザ!鉄腕!DASH!!巨大水鉄砲


ニューヨーカー、新しい竹バックへ その2

中野和代先生打ち合わせ,作務衣,さむえ,SAMUE,竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)<br>


30年間に渡ってKazuyo Nakano New Yorkのブランドを掲げてアメリカのバック業界で活躍を続けられている中野和代先生は、ニューヨーカーをご覧になられた最初から、この構造の素晴らしさをずっと言われていました。そして、この造形をもっと際立たせるように違う素材感で同じ形を作る事によって、竹が更に引き立つのと同時に又違うアプローチが出来ると教えていただいちょりました。


中野和代先生虎竹の里


けんど、新素材とは何やろうか?ヒントは、何度も話しに出てくる、ひとつの眼鏡メーカーでした。ニューヨークに店舗があると聞きましたので最初はピンと来ませんでしたが、実は自分も近年ずっと愛用しちょってついつい欲しくなり5本も持っている福井県は鯖江市のメーカーさんと知って驚きます。ニューヨークでお会いさせて頂いた翌月、来日された中野先生は虎竹の里にやって来られるのです。


セルロースアセテート


今の虎竹バックも良いのだけれど、それを多くの方にご覧いただくには何かの工夫が必要とは自分もずっと考えちょりました。この竹バックの面白さは、戦後の竹産業の歩みにも触れていただく事ができ「古い=遅れている」という既成概念を打ち破り、もしかしたら新しい竹の世界が広がるツールとなりえる事ですろう。そうならなければ、せっかくの竹バック復刻の意味はないと感じちょったのです。


鯖江には運良く知った会社様があり、社長様のご尽力でセルフレーム素材のセルロースアセテートの原板を拝見させていただく事ができました。いつもメガネになって店頭に並んでいる素材は磨かれ最高に美しい状態ぞね、そんな素材感と一枚の大きなコンパネのような板とはあまりに違いに驚きましたけんど、まずひとつ試作してみるという事で細かな仕上げ加工を何もしていないアセテート素材のニューヨーカーが出来上がったがです。


セルフレーム眼鏡


アセテート素材はメガネの素材ですので、小さなサイズで使われる事ばかりで小振りであっても今回のようなバックのサイズ感では加工機械も無いという状態です。竹と同じ厚み、幅のフレームでは強度的にモノ足りない感じで、改めて竹という自然素材の強さ、柔軟性の素晴らしさを思う事にもなりました。


アセテートニューヨーカー用紐


磨き上げて美しい色合いになったアセテート素材を留めるには使用する紐も大事になってきます。ファッションの世界でモノ作りをされてこられた中野先生です、この辺りにも妥協はありませんでした。ご紹介頂いた紐メーカーさんでイメージにあった細くとも強度の強い糸を探し当てるがです。


出来上がったアセテートニューヨーカーを見ると、この色合いを同色にして控えめになった糸がフレームラインの輪郭をクッキリと強調させてくれているのが良く分かりますぜよ、まっこと流石なのです。


Kazuyo Nakano New York


竹の事なら多少は分かるつもりでおりますが、自分が今まで知らなかった異業種の皆様の多大なご理解とご協力があって今回の新バック作りがひとつひとつ進んできたのです。まだまだモノ作りが終わったワケではありません、これから更に手作りを考え、新しく取り組んでいくつもりながですが、今回の製作を通じても竹細工の世界同様に日本の作り手の問題は業種を越えて横たわる大きな課題だと痛感しちゅうがです。


阿部知代アナウンサー、竹虎四代目


さて、そう言うたら昨年の展示会場には、こちらでお仕事をされていたフジテレビの阿部知代アナウンサーもお越しになられちょりました。バッチリと決まったお着物姿、髪形も素晴らしいちや!まっこと、ここがニューヨークというのを忘れてしまいそうな程やったです。けんど、このような美しい和装の女性にも、そして今風な流行の洋服であっても似合うような新しいニューヨーカーにしたいのです。それが、いよいよ誕生間近、中野和代先生の熱意が最大の推進力となって、ようやく一つの形になろうとしちょります。

ニューヨーカー、新しい竹バックへ

虎竹バックニューヨーカー


この一年、ずっと静かに進めてきた企画のひとつに虎竹バックニューヨーカーがあるのです。竹のバックなのにニューヨーク...?初めて聞く方にとっては少し違和感というか不思議に思われるかも知れませんちや。けんど、「ニューヨーカー」という名前を付けたのには理由がありますぜよ。


虎竹バックニューヨーカー


そもそも原型となった竹バックは、ニューヨークの街中でアメリカの方が持って歩いていたものでした。たまたま、それを見かけた人が譲ってもらって日本に持ち帰った事から始まった物語ですぞね。自分が出会ったのは、いつもお邪魔させて頂く竹芸家渡辺竹清先生の工房やったがです、ふと壁に目をやると何ともユニークな竹の壁掛けがありました。白竹で造られたそれは飴色になっちょって随分と古くエイ感じになっていましたが、それがバックになると聞いてビックリ!その造形美と構造の素晴らしさに惹かれ、日本唯一の虎竹で復刻したいと思うたのです。


小菅小竹堂氏作


それから、まるで導かれるようにして辿り着く一人の竹芸士、小菅小竹堂氏にルーツがあると知って、巡りあった不思議さを思います。今からでは想像もできないかと思いますが、戦後日本の竹製品、竹細工は欧米への輸出品として大量生産され海を渡っていた時代があります、大きな港のある神戸に竹製造の拠点があり、そこで若い頃に修行した話は虎竹の里に暮らす古老の竹職人からも聞いた事があるのです。


この竹バックも、そんな輸出品のひとつとして開発、量産されていたものの一つでした、現在では資料が乏しく詳しい事までは分かりませんが、当時の品が日本国内にもいくつか残っている事が分かっちょりますので相当な数が製造されたがですろう。そう思って改めて見ると、従来の竹ヒゴを細く取り、編み上げていく編組(へんそ)とは違い、竹フレームを組み上げるという、ある種工業的な作りからも、当初より量産化を想定されてスタートしたデザインにも思えるのです。


竹虎四代目


実は、この伝統的な竹細工とは一線を画したフォルムがニューヨーク在住のバックデザイナー中野和代先生の目にとまります。あれは、昨年の11月の事でした、ニューヨークのあるイベントで竹についてお話しさせていただける機会があったがぞね。ほんの数点だけ虎竹の製品を一緒に持って行くようにしちょりましたが、せっかくならニューヨークにちなんだ虎竹バックをと考えて展示してあったのです。(つづく)


進まないのか?「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」

竹虎本店


日本唯一の虎竹の名付け親は、あの世界的植物学者の牧野富太郎博士ながぜよ。そんなご縁もあって、高知市五台山にある牧野植物園さんとは色々とご一緒させてもらう事もあるがですが、ランドスケーププランニング・デザイン等、こじゃんと魅力的なお仕事をされゆう株式会社ウインの稲田純一さんを竹虎までお連れして頂きましたぞね。


虎竹の里


ランドスケープと言うたら、その土地の景色や形を活かして町作りや空間作りをされる事のようですが、稲田さんは、牧野植物園でもお仕事されているとの事で造園などが専門の方なのです。前々から牧野植物園の子供の頃に遊んだ野山を思い出すかのような庭の造りには感動しちょりましたので、そのような方が虎竹の里にお越しになられるとは本当に光栄な事ですぜよ。


竹虎本店


今回お越しになられたのは、海外での大きなプロジェクトでの可能性をお話しにこられたのですが、進んでいるイメージ画など拝見しますと、まっこと外国には自分達のスケールでは測りしれないような事が普通にあるがですにゃあ。自分のような高知しか知らない田舎者も一度くらいはそんな度肝を抜かれるような規模を体感するのも悪い事ではないかも知れませんちや。けんど、自分が海外に目を向けようと思うた途端に色々な所からその糸口が見つかり広がっていく。本当に不思議でもあり、面白いものですにゃあ。


日本唯一の虎竹自動車


この日は、ちっくと自分の意識が変わりましたぜよ。いやいや変わったというより気づかせてもろうたがです。稲田さんは、前から日本唯一の虎竹自動車プロジェクトをご存じで当社の様子をご覧になってくださっていたようですが


「どうして進まないのか?と思っていたが、理由が分かった。」


と、言うてくださいました。自分も意識していないところで同じ事が起こっちょった。だから、こうして形になって表れちゃあるがですろう。まるでこれはクリスマスプレゼントぜよ、それほど大きく一歩を踏み出した瞬間やったがです。


銘竹としてのゴマ竹

虎竹林の胡麻竹


竹屋は夏痩せではなく、冬痩せすると言われる事があるのですが、それは竹の伐採が寒い時期に行われ、毎日のように急斜面を登って山仕事をせねばならない季節という事ながです。虎竹の伐採も晩秋から翌年の1月いっぱいと決められちょりますので今頃は竹林に行く機会が更に多くなっているのですが先日一本の立ち枯れしている竹を見つけたがです。竹の表面にはブツブツのゴマ状のものが出来ちょります、これはアピオスポレラ・バンブサエ(Apiosporella bambusae)、通称ゴマ菌が竹に付く事により発生するものながぜよ。


ゴマ竹


その自然に出来たゴマ竹を見て、改めて京都の清水銘竹店さんで拝見させていただいたゴマ竹の作り方を思い出したがです。ゴマ菌は枯れた竹に付きますので、自然に出来あがったゴマ竹は枯れてしまって製品にはならない状態ぞね。ところが、銘竹に仕上げる職人さんの技はゴマ菌を付けてゴマ状の模様はありながら竹製品として流通できるしっかりした品質の竹にする事にあるがです。


そのために、わざわざ高く成長した竹に梯子を掛けて竹の枝打ちをして裸の竹を作りだしゴマ竹を作り出します。自然に出来たカラカラに乾燥したゴマ竹を折って片付けながら、あの人の手を入れるからこそ表れるゴマ模様の美しさ、迫力を思うのです。


竹編みフロアライトの光

白竹フロアライト


前にブログで少しだけお話しさせてもらった事がありますけんど、例えば長い廊下などにも置けるような行燈というか、足元を静かに照らす竹灯りをご紹介したいと思いよりました。近年、いろいろな場所で竹をハス伐りにして中にロウソクを入れた竹灯りのイベントが開催されよります、丸い竹筒にゆらぐ自然な光というのは本当に素晴らしい物で、無数に並べられてずっと向こうまで続く幻想的な光景がずっと頭にあったのかも知れません。


白竹フロアライト編み目


洋室でも和室でも使えて、控えめに照らす竹のフロアライトの面白さは竹編みにありますぞね。様々な編み込みは、お客様が実際にご使用になられるお部屋では直線の組み合わせとなるのです。


白竹フロアライト


蝶々、三本縞、六ツ目花と、それぞれ名付けた編み込みの三種類を今回ご紹介しちょります。照明器具は、やはり中に光りが灯ってこそ、その美しさを発揮できますにゃあ。


白竹行灯


日本人の暮らしの中に竹は無数に取り入れられ、役立っていたという事をお話しさせていただく事がありますが竹の照明器具等にしても自分の小さい頃には今とは比べものにならないくらい製造されよりました。自宅にも吊り下げるタイプから壁に取り付けるタイプ、部屋の隅に置くタイプまで色々と使われよりましたし、又竹虎本店でも沢山販売もしよったのです。大手電機メーカーさんの分厚いカタログにも掲載されるような量産型の竹照明もあった頃ですので全国でみれば、かなりの数の竹職人さんが専門に製造されていたと思うのです。


白竹照明


しかし、それも今は昔。竹照明を製造される職人さんは、ほとんどおられなくなり、見かける事も本当に少なくなっちょります。随分前の事ですが高知の梼原町という所に雲の上のホテルという洒落た宿泊施設があり人気になっちょりますけんど、この入り口ロビー部分に大きな大きな竹照明を製作させていただいた事があったがぞね。


あまり行く機会のある所ではありませんが、たまに夜間に通りかかると、その優しい光は今でも健在でホッと心が和みます。暗闇の中に浮かび上がる蝶も、三本縞も、その灯りとは比べものにならない小さなものですが心がちっくと温くなるのは同じなのです。


ヒロタリアンさん来高

高知龍馬空港、竹虎四代目


今日は高知龍馬空港の空港到着出口で仁王立ちしちょりますぜよ。人もまばらなロビーで緊張した面持ちで一体何をしているのか?実は、次の羽田からの便でやって来られる方こそ、先のクラウドファンディング「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」にて最大のご支援をして頂いたヒロタリアンさんながです。


高知龍馬空港、竹虎四代目


思えば、こうしてプラカードを持って空港で待って頂く事が、今まで何回かあったがです。海外に一人で行った時や、国内でも初めての訪問の際などには出迎えて頂くことがありましたにゃあ。けんど、自分がこうしてお名前を書いたカードを持って待たせていただくのは実は初めての事ぜよ。自分がする立場になって、はじめて人の気持ちが分かるがですが、まっことドキドキですぞね。


おっと、空港に到着のアナウンスが流れましたちや。ヒロタリアンさんは、一体どんな方ですろうか?電話で何度かお話しさせてもらった、そのお声は若々しくハツラツとしちょりましたが...。色んな事を思うて、自分の笑顔もここまでながです。


高知龍馬空港、ヒロタリアンさん


不思議ぜよ。今まで一度も会ったことがないヒロタリアンさん。竹虎のクラウドファンディングで一番高額な「100万円の虎竹の里ツアー」をご購入いただいて、嬉しさもあってそのまま何のお約束もなく会社のある横浜まで飛んで行った時には、ご不在でお会い出来ずじまいやった。けんど、その活気ある職場の雰囲気、ご挨拶いただいた社員の方のキビキビした対応から、もしかしたらトップの方は、こんなお人ではないろうか?自分の中で勝手にヒロタリアンさん像が出来ちょったがです。


羽田からの便は乗客数が比較的多いのですが、到着口から出てこられる沢山の方から「ああっ!この方に違いない...!」遠くに、そう思える方の姿が見えるのです。


高知龍馬空港、ヒロタリアンさん


自分の方を、まっすぐに見て出てこられました。やっぱりそうやったぞね!ヒロタリアンさんです!さっそうとした足取りでスーツケース片手に到着出口のドアから出て来られます。今日と言う日を、ずっと待ちよった。まるで後光がさしているように思えましたちや。


ヒロタリアンさん、竹虎四代目


優しい笑顔を拝見したら、もう我慢できんかったです。そんなつもりは全然なかったけんど、人がおろうと、何処であろうと、あの不安で仕方なかったクラウドファンディングを助けていただいた時の有り難さが熱いものとなって流れ出し止まりません。


田舎の小さな竹屋、誰にも相手にされず、振り向いてもらないのが当たり前と思うて来ました。けんど、日本にここにしか無いもの、曾じいさんの時から今年で121年も繋いできたもの、他に何も出来ない自分にしたら命をかけられる、この世で、ただひとつの竹。色んな事に「大丈夫」と声をかけてもらったような気がしちょりました。


ヒロタリアンさん、竹虎四代目


高知龍馬空港には、名前の通り坂本龍馬像が土佐にお越しの皆様をお出迎えしよります。この像の前でも一枚撮らせてもらいましたぞね。「日本の夜明けぜよ」と言うて、この郷土の英雄は有名な言葉を残しちょります、未来が見えちょったがですろう。自分には、まだまだ何も見えません。けんど、こうやって応援いただくヒロタリアンさんのような温かい心の方がおられる。お応えできなかったら生きちゅう意味はないがです。自分が松明となって一隅を照らす、明徳中学の時に習った事が今になって少しづつ分かるようになってきましたぞね。


さて、お越しいただいたヒロタリアンさんは、1泊2日の日程で虎竹の里にお越しいただいて竹伐りや山出し、虎竹の油抜きなど製竹作業をしていただく事になるがです。虎竹の伐採は来年の1月末まで、その間にどうしてもお越しいただきたく、ご足労いただいたのですが、ここでご自身で伐採、製竹された、まさに日本唯一の虎竹を使い、竹虎でご希望の竹製品を作りあげたいと思うちゅうがです。


一般のお客様が虎竹の里の竹林に入り虎竹を伐るなど、この100年で初めての事ですろう。まっこと楽しく、最高に素晴らしい2日間やったけんど、それは又の機会にお話しさせてもらいますぜよ。


竹とら、見学、ありがとうございました。

竹とら、見学、ありがとうございました。


先月、竹虎の工場見学にお越し頂いちょった地元の安和小学校3年生の皆さんから嬉しい竹虎レポートが届きましたぜよ。子供達の素直な目で見てもらうと、自分達では気づかなくなっちゅう事や、鋭い意見まで頂戴する事があって、まっこと面白いがです。


竹虎見学


日本唯一の虎竹とは一体何なのか?説明書を印刷しちょりますが、その裏面には虎竹模様と竹虎ロゴマーク、そして「1894」という竹と創業年度を刷りこんでいるのです。ところが、こんな数字を子供達は見逃すことなく竹虎が100年以上前からの安和の虎斑竹と繋がっちゃある事を書いてくれています。


「お茶は米の味がした。」とスミに小さく書いてくれちょりますが竹は、もともとコメ科でもあり数十年に一度咲く花は、まるで稲穂のように見えるがです。まっこと、子供の洞察力はあなどれませんぞね。


竹虎のみなさんへ


竹とらのみなさんへ
竹とらのすみのおかしとか竹のお茶とかよういしてくれてありがとうございました。ぼくはバーナーがはじめてみました。かごとかよく手づくりできましたね。ぼくも竹とらのなかまにはいりたいです。山岸さんとみなさんほんとうにほんとうにありがとうございました。


竹虎へ感想文


竹とらの山ぎしさんへ
11月20日は、ありがとうございました。わたしが分かったことは、竹の曲がりをまっすぐにするには、バーナーというきかいでまっすぐにするというのが分かりました。これからもがんばって竹の品物を作ってください。


山岸さんへ。
いつもおせわになっています。わたしはとらふ竹は、さいしょに、もようがついていない、ふつうの竹をバーナーでやいてもようができていることが分かりました。いろいろな物づくりでやっているからすごいな、と思いました。


竹とらの山岸さんへ
いつもおせわになっています。ぼくは、竹についていろいろなことが分かってよかったです。また竹とらのせい品は、全部手さぎょうでしているのでたいへんだなと思いました。せかいしんしゅつおめでとうございます。


山ぎしさまへ
このまえはけんがくをさせてくれてありがとうございました。わたしは二回目でした。竹を切っているところがすごかったです。お茶がおいしかったです。くろいおかしも分けてくれたからうれしかったです。つぎの見学もよろしくおねがいします。


又、今度も子供達にお越しいただけて、そして、このような嬉しいお声がいつまでも頂けるように頑張ってやっていきたいと考えちょります。「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」も楽しみに待ってくれちゅうのは、どうやら大人達だけではないようだと言う事も分かりましたし、こりゃあますますやらなイカンにゃあ。


焼き杉の鍋敷き製造

焼き杉鍋敷き


お土産物屋さんなどで、動物の顔を模った焼き杉の鍋敷きをご覧なったことはないですろうか?クマさんの他にはサルやウサギ、パンダ、ネコ、フクロウなど人気のアニマルが勢揃いしちゅうがです。自分が小学生の頃に開店した竹虎本店は全国の竹製品、竹細工、竹工芸をズラリと並べた竹の専門店でしたけんど、当時からちょうど四万十川観光のお客様が増え始めた時期と重なった事もあって、沢山の観光バスにお越し頂くようになっちょりました。


そこで、竹製品だけではなく、このような、ちょっとした木製品のコーナーもあったがです。子供だった自分にとっては、高価な竹工芸品よりも見ていて楽しく、面白い玩具などと同様に焼き杉鍋敷きが実は割と馴染みのある商品のひとつでもあったがです。


金具


ところが、製品としては良く見ていたものの、どんな風に作られているのか?今まで一度も拝見する機会はありませんでした。今回たまたま工場にお伺いさせてもらう事があって職人さんが、ひとつひとつ手作りしている様子に出くわしましたぜよ。ジュージューと音をたてて置かれちゅうのは八の字型した金型ぞね、どうしてコレ程熱くなっちゅうかと言いますと...。


焼き杉鍋敷き作り


金型をフクロウの形に切り抜いた杉材の上に置いてガスバーナーの炎で焼いていくのです。


焼き杉鍋敷き製造


ジュージューの次はゴーゴーぜよ。激しい炎で杉材は、あれよあれよと言う間に焦げて真っ黒になっていきますぞね。


焼き杉鍋敷き作り


先ほどの八の字型の金型をのけたら、その部分だけ焼けずに白木のまま残っちゅうという寸法なのです。まっこと単純な事ながですが、思えばこのような簡単に見える製品ひとつにしても、実際に目で見れば気づいたり、分かったりすることが沢山あるのです。


焼き杉鍋敷き製作工程


次に裏面を一面ずっと焼き上げて、焼き上げ工程は終了なのです。もしかしたらベルトに載った木材が次々に焼き上げられゆうのかも知れないと思ってもいましたが、とんでもない、一枚一枚こうやって手焼きする作業の繰り返しですちや。こうして職人さんの手により焼き上げられたものは次の工程では綺麗に水洗いされ、乾燥、塗装という流れを経て出荷されて行くがぜよ。クマさんのルーツを知ることができて、ちっくと嬉しい工房見学やったのです。


煤竹について

煤竹


煤竹(すすたけ)は、高級竹材としてお茶やお花の道具などに多用される竹ですけんど、孟宗竹や真竹などと同じように竹の種類として自然にあるものではないがです。昔は一般的であった茅葺き屋根には、骨組みとして竹材が沢山使われていましたが、この竹が100年、200年と長い時間をかけて囲炉裏の煙に燻されている間に自然な深みのある色合いに変わっていくがぜよ。


茅葺き天井


薪やバーベキューの煙などを思い出していただきたいと思うのですが火を入れると屋外であってもモウモウと煙が立ちのぼります。現在のご家庭では室内で火を焚くのはガスコンロくらいですが昔は調理をしたり、暖をとるのにも囲炉裏の火が大きな役割をしよりました。パチパチと音をたてて燃える火は心安らぐ物ですが、この室内での煙は差し込む光がハッキリ見えるくらい、普通に思う以上に充満しちょります。


煤竹虫食い


この煙が竹の色づきを良くしますし、また茅葺き屋根の素材につく防虫効果などもあったと言われます。ただし、煤竹の場合には元々、虫が入っていたためですろうか、虫食いの穴がある竹材もあるがです。ずっと昔の竹材でありますので、虫穴があったり、乾燥しすぎちょって細工用として使えなかったりする事が煤竹の扱いが難しい部分なのです。


煤竹縄目


梁の部分に縄で縛られた部分だけが白く残っちゅうのも、この竹の景色に味を醸し出している所ですろう。使われた当時は青々としていた青竹が白っぽくなり、更に月日を重ねてこのような深みのある茶褐色に変わるがです。この色合いの違いは、時間的な事はもちろんありますが囲炉裏で燃やされてきたものに左右されると言われますので、地域によって竹の品質にも大きな違いがでてくるのです。


煤竹編み


これは職人さんがご自身で使われちょった竹テーブルでしたろうか。煤竹の自然な色合いの違いは編み込まれると更に複雑に絡み合い、面白い模様となって見る人、使う人を楽しませてくれるがです。


お祝いの三段ケーキ

e商人お祝いケーキ


これはっ!?美味しそうなケーキがぜよ!けんど、この30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」に、このようなスイーツが登場するという事は...むむむ、さては竹炭パウダーを使ったものやろうか?いやいや竹炭なら真っ黒い色合いになっちゅうはずなのに一面のホワイト。さては中のスポンジケーキに竹炭を使っているのでは!?白いクリームに覆われたケーキにナイフを入れると中から真っ黒な中身が表れるとインパクトありますにゃあ。おっと、けんど、これも違うのです。


e商人望年会2015


実は高知e商人養成塾という学びの場があって、たまたま自分が代表をさせて頂いちょりますので今年の反省と来年への展望を語る望年会に参加させてもらっていたのです。この日は年末の忙しい中、遠く宮城県石巻市からご講演にお越し頂いていた湊水産の木村一成・朱見夫妻、そしてe商人の2000年立ち上げから塾長としてずっとご指導いただく京都イージー岸本栄司塾長も来られて一年の締めくくりの会となっていました。


クラウドファンディング成功お祝いケーキ


宴もたけなわの頃、おもむろに運ばれてきたのは冒頭にご紹介させてもろうたケーキぜよ。三段ケーキスタンドに載って、まっこと豪華ながです。もしかしたら、誰かの誕生日か、それとも記念日か何かと思いよりましたら...何と今年自分達が挑戦した「日本唯一の虎竹自動車プロジェクト」クラウドファンディングの成功のお祝いとの事ぞね!ええっ!?本当に驚きましたぜよ。こんなサプライズを用意してくれちょったとは!?


しかも、このケーキは塾生のひとり土佐蒲鉾さんの手作り。こちらの会社様では別にケーキ製造会社を持たれているのです、使われているフルーツは井口フルーツファームさんから、ポップコーンはあぜち食品さん、美しさを演出するケーキスタンドは浜幸さん。それぞれ塾生の皆様が協力して今日のために、このような素晴らしいケーキを用意してくれちょったがです。


まっこと、ビックリして、嬉しくて、感極まって言葉になりませんちや。思えば、このクラウドファンディングへの取り組みも、塾生の一人に背中を押していただいてこそスタートしたのです。田舎の小さな竹屋ですきに自分だけでは本当に何もできないがですが、今年もこうやって多くの皆様に助けられ、教えられて何とかやらせて頂いちょります。


ケーキカット


本日お越しの木村夫妻は銀婚式が東日本大震災で流れてしまわれたとの事やったので、未曾有の災害を乗り越えられたお二人とは比べることもできませんが、この機会にという話しで一緒にケーキカットをさせてもらいましたぞね。


竹虎四代目


そして、今年最後にいただくお祝いのケーキは格別ぜよ。実は自分は何もしておらず、こうして心のこもったスイーツを頂戴せねばならないのは当社社員はじめ他にもおるがですが、まあ代表として食させてもらいましたぞね。2015年も後半月、色々あった一年ですが、e商人の塾生の皆様からは初夏の出版記念に継いで二度もお祝いのケーキをいただいた今までにない年でもありましたぜよ。この恩送りは、2016年にこじゃんとやる決意をしちょります。ありがとうございます!


出版記念ケーキ

美しい碗籠ができるまで

竹碗籠


碗籠には自分なりの思い入れがあって大好きでもあるし、多くの方にお使いいただきたい竹籠の一つながぜよ。高知には「お客」という文化があって、法事や神祭の度に親戚やら隣り近所から沢山の方が集まって宴会が始まるのです。こういう時には昔の家というのは良く考えられちょりますにゃあ。日頃は狭いと思っているお宅でも、襖を取り除いたら見事な大広間が出来上がるのがです。


神祭は地域ごとにあるのです。だから、一つの集落から何人もの職人さんが働きに来て頂いていた小さな頃には、この「お客」に一体何軒回ったか数えられなくなるくらい行かせてもらいよりました。思えば大人になってから、あんなに梯子する事は一度もないがぜよ。どこのお家にもズラリと皿鉢料理が並べられ機嫌の良さそうな大人達の笑い声でいっぱいやった。台所には何人ものお母さん、お姉さん達が割烹着姿で忙しそうにしよります、そして、そんな脇にいつもあったのが竹の碗籠やったのです。


竹籠


もちろん、今のように可愛いサイズではありませんぞね。両手で抱えるような大きな籠がありましたし、洗った食器を干せなくなったら、その辺りにある竹籠や竹笊でも何でも使うて庭にならべられちょったがです。竹籠にお茶碗や湯飲みが入れられているのを見て、何か心がホッと安らぐのは、きっとそんな賑やかで温かった当時の事を賑やかな笑顔と共に思い出すからですろう。


そんな碗籠は気づくと職人さんがいなくなり、ある時出来なくなってしもうちょりました。これはイカン!まるで自分の使命のように思って何とか復活させたいと走り回ったのは、もう何年前の事やろうか。最初は似たような形の竹籠は出来るものの、どうにもお客様にご紹介できる竹編みが出来上がりませんでした。熟練の職人ばかりではない竹の世界にあって、はじめて作り出すという事がいかに難しく大変な事か、誰もやろうとしないのが、まっこと良く分かったがぜよ。


けんど、だから大人しくできるならもっと上手く儲けられるかも知れませんにゃあ。竹の事となったら、やたらと熱くなり会社経営の事を考えない父親を軽蔑した事もあったけんど、気がついたら自分も全く同じになっちょった。おそらく祖父も、もしかしたら曾じいさんもそうやったに違いない。こんな竹籠ひとつに、どれだけ時間と労力をかけて、まったく売り物にもならんのに...。だから、どうした。自分がやらんで誰がやる。ただ、それだけぞね。


漆工房の茶碗籠

漆工房の竹籠


竹虎も竹材商として創業してから今年で121年という歴史を刻ませて頂いちょりますが、先日は更に古くからその道一筋にやってこられた会社様にお伺いさせて頂く機会があったがですぞね。こちら様は何と220年以上もの長きに渡って漆の技を継承し続け、伝統を守り続けられています。今では様々な塗装技術がありますが、かって漆も竹などと同様に日本人の暮らしには無くてはならないモノのひとつであった事が、この社歴を見るだけでも分るというものなのです。


室(むろ)


漆は湿度が高いほど乾燥すると言う事はあまり知られていないようです。普通は湿気があると乾燥はしにくくなるのが常識ですので、初めての方はまずここに驚かれるがです。この適度な湿度を保つために漆の仕事場には室(むろ)と呼ばれる、木製の箱形什器のようなものが完備されちょりました。竹細工でも漆は使いますけんど小規模にやっている所でしたら、それこそ大きめの段ボール箱を室にする事もありますし、押し入れを改造した室を拝見したこ事もありますぞね。


けんど、さすがに専門の会社様だけあって、こちらの室は湿度の調節、測定までできるように機械化されているのです。また、漆を塗った後の液ダレできないように、一定期間が経てば自動で回転するような仕掛けがあったり見かけは古い室であっても常に先進の技術を取り入れて製品の精度を高める努力をされていると感じます。長い伝統を守ると言う事は同じ事を繰り返すだけではなく、常に変わり続け今があるがぜよ。


漆工房の茶碗籠


漆器というと、皆様はどのような品を思い浮かべますろうか?木製品の生地に漆を重ねてピカピカと光沢のある美しい鏡面仕上げにされたお椀などが最初に思い浮かぶのかも知れませんが、こちらの工房で職人さんの仕事ぶりを拝見させて頂いていて、ふと目につく竹籠があったがです。漆が製品になるまでの工程も長く様々です、それぞれの作業場に製品が運ばれて行くのに使われる竹籠との事でした。ちょうど、お椀が100個入れられる籠と言われよりましたので、まさに漆工房の椀籠と言うてもエイですにゃあ。


プラスチック製の籠が沢山並ぶ横で、こうして竹もまだまだ仕事の現場で使われ続けているのは、耐久性であったり、使い勝手であったり、それなりの理由があっての事ながです。実は手仕事の現場でも、竹はこうして道具としても活躍の場があったものなのです。それが近年、仕事場の竹も少なくなりつつあって、ちっくと(少し)寂しく思う事もありますので、こうした籠に出会える事は本当に嬉しい事ながぜよ。


2016年竹虎ニューフェイスたち

虎竹網代文庫


竹の伐採シーズンは虎竹の場合ですと今月と来月一杯の残すところ2ヶ月となっちょります。新しい竹材料を伐採する具合や品質など見極めながら、来年に向けての新しい商品作りや企画を考えゆうがです。色々と面白い...いやいやと言いましても、どちら様にしても関心や興味があるという事ではなく自分にとって面白いと言う事ですけんど2016年もニューフェイスが続々と登場する予定ですぜよ。


日本唯一の虎竹を使った商品もあって、これは間違いなく素晴らしいものになると思うちょります。虎竹は独特の虎模様に価値があり、できるだけ竹の表皮をそのまま見せられるように使う事も多いのですが反対に細かく取った竹ヒゴを網代編みなどのように緻密な編み込みにしても白竹など他の竹では醸し出せない表現があって楽しいのではないかと思うちょります。


虎竹網代文庫


編み込みの模様に重きを置いて純粋に編み目を際立たせたい場合には、虎模様が邪魔をしがちですので白竹の無地の竹をが良い事もありますうろ。けんど、どうですろうか?この虎竹網代文庫の細かい編み込みをご覧いただきましても、細い竹ヒゴでの虎竹も模様が不規則に並び、濃淡が混ざりあうて味わい深いものになっているのではないかと思うがです。


手頃なサイズ、鍋の名脇役

磨き当縁ざる


磨き当縁ざるは足付きで安定感が良いだけではなく、笊の底面が浮き上がった状態ですので通気性が良く水切りが得意な所が優れた点ぜよ。更に細かく言うたら、良く注意してご覧いただきますとお分かり頂けますが竹ヒゴひとつとっても薄く平らな竹ざるもありますが、こちらの竹ざるは厚みがありカマボコ状に加工されちょりますので水が流れやすくなっているのです。


鍋の季節です、水洗いした野菜などをサッとのせて食卓に運ぶのには、まさに最高の竹ざると言うてもエイですろう。最近は一人暮らしの方も多いですし、ご家庭の人数が少なくなったり又同じ時間に食べる事ができなかったりで少し小振りの竹笊も人気のようですぞね。そこで25センチサイズを中心に用意しよりました、ざる蕎麦などを盛り付けるのも、ちょうどの大きさでもあります。


磨き当縁ざる


けんど、やはり少し小さい...そんなお声を何度かいただくようになりましたぞね。鍋は、やはり大人数で食べた方が美味しいですし大は小を兼ねるという言葉もございます。大きくしたのは、わずか5センチ。けんど、これだけでも1~2人前のご使用やったものが、2~3人のご家族で十分お使いいただけるサイズになりましたちや。自分などは野菜が大好きですし、本当はもっともっと大きなサイズの竹ざるに山盛りの野菜で食したい所ですが、まあひとまずこの冬は大、小二つの磨き当縁ざるでご紹介したいと思うちゅうがです。


2016奥四万十博サポーター募集!

2016奥四万十博サポーター募集!


2016奥四万十博サポーター募集!のチラシが出来上がってきましたぜよ。奥四万十博?ちっくと聞き慣れない言葉やにゃあと思いよりましたが「四国カルストから土佐の大海原へ」というサブタイトルが見えちょりますように実はあの有名な四万十川の源流は虎竹の里からもそんなに遠くない津野町という所にあるがですぞね。


ここの不入山(いらずやま)の中程に源流点があると言いますが、虎竹の里の竹が土佐藩に保護されちょったように、この山も森林保護のため用のない者の立ち入りを禁じために不入山と名前が付いているそうながです。そんな昔から守られ続けてきた美しい森林からあの大河が生まれちゅうのだと思うと、自然環境の大切さを改めて思うたりしますにゃあ。


チラシの中央に須崎市のマスコットキャラクターの「しんじょう君」がバッチリ写っていますが、なるほど奥四万十という括りで須崎市、中土佐町、四万十町、津野町、梼原町がひとつにまとまるとは、まっこと素晴らしいがぜよ。須崎、中土佐町という高知でも魚が美味しく、カツオの本場の地域と四万十町、津野町、梼原といった四国山脈までの山の幸豊富な地域、海と山とそれぞれの個性がお互いを引き立て合えば、こじゃんと凄いうねりになりそうながです。この奥四万十博を盛り上げようと只今サポーターを大募集しよります。年齢や性別、お住まいの地域、個人、団体など問わず、どちら様でも応募いただけるようですぞね。ホームページやSNSでの発信や活動は大歓迎との事です。


四万十川は最後の清流などと言われて前々から有名ではありますけんど、よくよく考えたらその源流にスポットはあまり当たってこなかったと思います。今でも川漁師が活躍できる196キロもの雄大な流れ、川の恵みも、元をただせは一滴の水滴が集まり小さな小川の流れがあってこそながぜよ。開幕は来年の4月10日となっちょります。是非一人でも多くの方に関心を持ってもらい、盛り上がればと自分も端っこに登場させてもらって応援しゆうがです。


竹灯り、天王洲アイル

天王洲アイル


東京は、まっこと何処に行っても人がいっぱいですちや。通勤時間と重なる時や何かのイベントなどの時は仕方ないとしても、普通に歩いているだけでも押し寄せる人波というのは田舎者にしたら何か落ち着く間がないですにゃあ。ホッと心が落ち着くような所は、この大都会で見つける事は、なかなか難しいのではないろうか?そう思いよりましたが先日行った夜の天王洲アイルの静かな空間は、まるでオアシスに行き当たったように嬉しかったがぜよ。


天王洲アイル


こういう場所をウォーターフロントと言うがですろうか。すぐ前には大きな水路があって人影もまばらな桟橋のデッキは広々として本当に気持ちがエイのです。このような場所に来ますと遠くに見える街の灯りというのも綺麗に眺める事ができますぞね。倉庫に使われていたらしい大きな建物を改築してカフェや雑貨店などが店を構える一角を、ゆっくりと歩いていくのです。


竹リース


ここら辺りは大人の粋を感じさせるようなお洒落な雰囲気が漂うちょります。ずっと前に見えてきた倉庫にの壁には12月らしい灯りの点るリースが掛けられています、綺麗な光に引き寄せられるように近寄ってみると、ありゃあ?どうやら、あまり見たことのないリースのようですぞね。


竹リース


ちかけんさんという熊本を拠点にして活動される竹灯りの会社様があるがです。実はこのリースも、こちらの製作で、数本の竹筒に小さな穴を開けて円形に固定した竹製リースやったがぜよ。竹灯りのイベントは九州を中心にして、今では全国各地で行われるようになってきました、街全体を竹灯りで点したり、小山の竹林に全て竹灯りを並べるなど大掛かりなものもあって何カ所か行く機会がありましたけんど、それぞれが工夫された光の演出をされちょります。


竹は日本人の身近にあって昔から人の暮らしの中でなくてはならない自然素材の一つとして大きな役割を持っちょりました。それが、生活様式や新素材への転換で忘れられ、放置竹林が里山に広がり、まるで竹が悪者のように思われている所もあるようですぜよ。けんど今まで竹が多くの恵みを人に与えてきたからこそ、こうやって日本全国あらゆる所に竹林が広がっている事を皆様に忘れて欲しくないがです。竹灯りのイベントも、活用されなくなった竹を今一度思い起こして新しい役割を見つけたい、そんな思いから始まったものですろう。大小のサイズを違えた丸い穴から零れる美しく面白味のある光が、自分には竹の希望の輝きのように見えてくるがぜよ。


竹灯り


静かで、センスの良い大人の街に突如現れた竹灯り。竹と言えば和風なイメージが強く、洋への活用が難しいようのに思われがちですけんど、この竹灯りをご覧になられる多くの方が、竹筒からの優しい光を楽しまれ心躍らせていただければ、それは又竹の新しい顔となりますろう。夏のイメージがあり今まであまり考えた事もない、縁遠いように思っていたクリスマスを、竹が盛り上げているのです。


竹灯り


2016年の竹虎年賀状とは!?

竹籠


「ゴゴゴゴゴ...」不気味な地鳴りが聞こえてくるようぜよ。確か前にもこんな事があったように覚えちょます。朝から忙しげに竹を切って何やら作っていたとは思いよったのですが、お昼休みになって人気のない静かな作業場に残されコレは一体何ながやろうか?


昔の籠かきのようやにゃあ...。


ハッピにネジリ鉢巻きをした威勢の良い若い衆が片手には杖をもって「エッホ、エッホ」と声を掛け合いながら颯爽と走って来る様子を時代劇でご覧になられた事のある方も多いですろう。テレビや映画に出てくる籠は木製ですが、さすがに虎竹の里ではオールバンブー、竹製ぞね。それにしても誰が乗るがやろうか?半割にしただけの竹なので、お尻には痛そうでもあり、いやいや青竹踏みが並んでいるようなものなので気持ちが良さそうでもあり何やら複雑な気分になっちょったがです。


ストックホルム国際見本市


けんど、この竹組の形はどこかで見たものにソックリだと思われませんろうか?「ああ、どこかで見た、見た...!」そんなお声が聞こえてきそうですけんど、そうです、そうながです。今年の2月にストックホルムの国際家具見本市に参加させてもらっていましたが、その出展作品にドイツ人のステファンさんがデザインしてくれた竹家具の形がまさにコレだったのです。さっき作りだしたばかりやと思っていたら、まるで前々から用意していたかのように手早く完成したので凄いにゃあと思いよりましたが、なるほど、これは納得したがぜよ。そしたら、後は、これをどうやって使うか?だけやにゃあ、どうするがやろうか?


竹虎四代目が1985年から続ける年賀状があるがです。元々は全国に散らばる友人に、この一年にあった事や来年の一年にしたい事などを一枚の写真に込めて年初にお知らせするという趣旨で始めたものですけんど、続けているうちに何やら止めづらくなって、ずっと続けゆうものながです。籠かきのような竹組は一体何に使われるのか...?この疑問の答は、2016年の元旦にありそうですぞね。


大根おろしのシロクマ君

竹籠と大根


大根や白菜が旬を迎えちょりますぜよ。まっこと冬は寒くて困る事もありますけんど野菜が美味しく、鍋料理を囲む楽しみがあるのは嬉しい事なのです。丸々とした掘ったばかりの大根を近くの職人さんから頂く事がありますが大根は煮物にしてもエイですし、サラダにしてもエイし、本当にいくらあっても余らない素材の一つですちや。


竹の鬼おろし


特に自分などは大根おろしをタップリ使う派なので、竹の鬼おろしでシャカシャカ擦っちょいて大きな丼ひとつに山盛りに作るのです。


大根おろし


普通のおろし金で大根を摺るのが一般的かも知れませんがこれだと細かく摺れすぎて水っぽくなってしまうのです。これは、これで焼き魚や天ぷらなどには相性が良いように思うちょります。ところが鍋料理の薬味として使う時や、肉料理、サラダに使うなどの時には水っぽくなく、シャキシャキとした食感が素晴らしいので絶対に竹の鬼おろしやと思うがです。


竹鬼おろしの白クマ君


さてコチラの白クマ君、よくよくご覧いただきましたら、お分かりになりますろうか?何と、大根おろしを使うて作られちょりますぜよ。粗めの粒がしっかりとした竹の鬼おろしで摺った大根おろしならではの遊び心満点の一皿。料理は、まず目で食べるとも言われますし、小さなお子様がおられるご家庭などでも面白いアイデアが色々ありそうです。


牧野富太郎博士の書斎

 
牧野富太郎博士の書斎


高知の観光名所と言われる場所で、自分が一番訪れる回数が多いのは何と言うても高知市五台山にある牧野植物園ぜよ。この植物園が、地元佐川町出身の世界的な植物学者牧野富太郎博士の業績を記念して開園されたものである事は昔からそれとなく知ってはいましたけんど、自分が小さい頃には遠足で行く事があるだけの正直あまりパッとしない退屈な施設でしかなかったのです。


ところが、この牧野博士が土佐虎斑竹の命名の父と知ってからは印象がガラリと違うたがぞね。遠い遠い存在の偉い学者さんとばかり思いよりましたけんど、実は虎竹の里にも足を運び、この竹林に入った事がある、そう思うだけで親近感が全く変わってきたのです。自ら「植物の精」と語られたというきに、明るい日差しが差し込む虎竹の美しい竹林では、きっと腰をおろして竹葉のサラサラと風にそよぐ音や小鳥のさえずりを聞かれた事やろう。谷川に流れる冷たいせせらぎに顔を洗ったかも知れんにゃあ。そうやって想像したら、それこそ牧野富太郎博士の見方が360度変わったぜよ!(360度いうたら元に戻っちゅう...)


1999年に内藤廣さんという高名な建築家の方が設計した新しい施設が開館し、2010年には温室がリニューアルされて益々魅力的で素晴らしい植物園として人気が高くなっちょります。若い方の間ではパワースポットとしても有名らしいですけんど、朝から晩まででもゆったり園内を歩いて居たい気分になってくるのは熱心に運営されるスタッフの方々が頑張って新しい企画や試みをされゆう努力の結果ですろう。何度かこのブログでもお話しさせてもらっているのですが、都会から来られた方に教えて差し上げますと、飛行機の便を遅らせてまで少しでも長く居たいと思っていただける素晴らしい場所ながです。


心地良い通路を歩いて一番奥の建物まで行くと、そこにも心安らぐ庭園があって又楽しめますけんど、建物の中に入ると牧野富太郎博士晩年の書斎がリアルに再現されちゅうのです。蝋人形の牧野博士が熱心に机に向かわれる、その後ろに注目ぜよ!竹のチリ箱置かれちょりますけんど、それが何と虎竹で編まれちゃあるではないですかっ!?


こちらの植物園には牧野博士の縁がありますきに、新館オープンの時に虎竹の里から日本唯一の虎竹を移植させて頂いちょります。外に虎竹、そして、中に入っても虎竹...。実は、職員の方に協力いただいて調べてみましたら、この展示のために東京の古物商から買い求めて来られた竹籠だったのですが、それが、たまたま虎竹とは、まっこと牧野博士の思いが通じちゅうがやろうか。


初めてこの竹籠を見つけた時の話しは「牧野植物園」として何故か、よさこい節でも唄われる、はりまや橋でかんざし買った純信が紹介しちょりますぞね。まあ、それはさておき、とにかくこの書斎に来る度に感激してしまうがです。


虎竹の里の竹根

 
日本唯一虎竹の竹根


「痛いっ!」そんな声が聞こえたような気がしたがです。さっきまで降り続きよった小雨は、ようやく止んだようで曇り空を見上げます。


竹の根は、しなりがあり、強く、昔から杖にしたり、様々な竹製品に加工されてきた素材でもありますが虎竹の里で竹根を採ることなど考えたら今まで一度もありませんでした。今回、作家の方のご要望で竹根を用意させて頂くことになりました、あまり深く考えちょりはしまんでしたので、山主さんも切り子の職人さんも快く了解いただけるものとばかり思いよりました。


その竹林から出される竹も、竹虎で全て引き取らせて頂きます。取材やインターンシップなど特別な機会の場合には季節外れであっても1~2本竹を倒すことがあり、その都度お断りをさせてもらうのですが今まで一度たりとも断られるなどという事は経験はなかったのです。たがら、まあ「一応お断りを入れておく」。軽い気持ちではありませんが、自分の中では、竹根も、竹と同じように了解いただけるものとばかり思いよりました。返事がなかなか来ないのも、当然大丈夫だからと思っていたのが思慮の至らない所やったがぞね。山の職人さんは困って、返事がしにくくて、どう言うてエイか分からず遅くなっていたのです。


「それだけは、どうぞ、こらえとうせ」


最初は何かの行き違いかと思うた程やったです。竹林の中の竹根を掘り起こすワケではありません、道ぶちなどに飛び出している竹根を切りたいと思っているのです。ところが、その竹根すら、竹の品質や竹林の成育に何の影響があるかも知れないと、どうしても首を縦に振ってくれないのです。


竹虎には、祖父が苦労して買った虎竹の里で一番広い竹林があります。竹根を用意せねばならない当日の朝、仕方がないので焼坂の上まで登り竹虎の保有する竹林にやって来ました。雨もあがりかけた竹林や木々には靄がかかり、優しい雰囲気で出迎えてくれます、川のせせらぎを遠くに聞きながら急な山道をゆっくり歩きながら考えました。自社の持つ、この竹林の竹根を切る事すら、山の切り子に言わせればエイ顔をしない...、この広い竹林を管理し、全てを知り尽くしている専務の言葉を思い返して立ち止まりました。


そこまで思うて、この竹林で仕事をされてきたのか。竹虎がこの虎竹の里の竹に出会うて、わずか100年。この地の竹はそれ以前にも土佐藩山内家へ年貢として運ばれてきた地域の宝。地域の誇り。誰一人として口に出す者はおりませんけんど、どこかにそんな受け継がれてきたDNAがあるがやろう。


まっこと、自分が浅はかやった。


虎竹の竹根


虎竹の山出しに使う、この細い山道には誰が築いたとも知れない石垣があるがぜよ。急斜面の窪地に小さな石を無数に運んで来て積み上げられちゅう、細く、曲がりくねった道やけんど、こうやって難なく通れるのは、この石垣を一つ一つ積み上げて下さった方のお陰。下の車道もそうです、舗装されていない、こんな山深い山道にも関わらず、ここまで石コロひとつ落ちていなかった、轍も綺麗に整備されちょった。虎竹の里は竹への愛の満ちちょります。


「痛いっ!」そんな声が聞こえたような気がしたがです。さっきまで降り続きよった小雨は、ようやく止んだようで曇り空を見上げます。


本当なら竹根は、地上に出てくる稈の部分と違い、この虎竹の里の地から離れず、ずっと此処にあって竹林を守っていくもの。だからか地面から離される時、そんな悲しそうな声が聞こえるのかも知れまんにゃあ。けんど、おまらあ心配せんでエイき。この竹根が、どんなに形を変えて、これから多くの人を楽しませ、喜ばせ、和ませるか。それを知っちゅうき、今日、おまんらあを連れていくがやき。


約束を違えるようなら、この気持ちに嘘があるやったら命までとは言わんけんど「ワシの指でも腕でも好きに切り取っとうせや。」そう竹の神様に言いながら竹根を切り取ったがです。


創業120年!田舎企業の挑む価値創造

富士ゼロックス(FUJI XEROX)ソリューション&サービスフェア2015


富士ゼロックス(FUJI XEROX)さんと言うたら誰もが知る大企業ですけんど、様々なイベントや展示会、講習会、セミナーなども開催される事があるようながです。そんな一つにソリューション&サービスフェア2015という大きなイベントがあって、なぜか田舎者の竹屋の自分も講師の一人としてお伺いしちょったかです。けんど、講演をするというよりは、自分が聴きたくなるような演目もあって参加してみたら面白そうなフェアながぜよ。


大阪国際会議場(グランキューブ大阪)


自分が話せる事は一つしかありません。今回は「インターネット×創業120年!田舎企業の挑む価値創造」というお題を頂いていたのは間違いありませんが、それよりもテーマは、結局やはり竹ぞね。竹虎四代目の講演履歴をご覧いただきますとお分かりのように、実は今まで北海道から沖縄まで100ヶ所を越える所で虎竹の里のお話しを恥ずかし気もなく披露させてもろうてきましたけんど、いつも思っているのは自分達にしか出来ない「竹」。


インターネットやら、何やら実はそんな事はどうでもエイと思うちゅうがです。まっこと主催の皆様には申し訳ないようなお話しをさせてもらいゆうかも知れませんけんど、モノの本質がないところに、いくら便利なツールや技術があったちイカンですろう?


大阪国際会議場(グランキューブ大阪)


ただ、まあこの時はちっくと会場が立派過ぎましたにゃあ...。大阪国際会議場(グランキューブ大阪)とは聞いた事があるようなものの普段は全く縁遠い場違いなビルながです。まっこと、こんな所で、竹屋のおんちゃんの話しなど大丈夫かにゃあ、堂島大橋のたもとから見上げて思うたがぜよ。


リーガロイヤルホテル


自分達が高知で開催する事のある手作りの勉強会と違うて、さすがに大手様だけあって会場の設営、運営など凄かったですにゃあ。案内された関係者通路にもパソコンがズラリとならんで沢山の方が仕事されよります。表から見えるだけでも圧倒されるような立派さやのに、こりゃあ大変なイベントやと感じました。そもそも当日は遅れたらイカンという事で前日入りとなっちゅう辺りにも本気度が伺えますが、手配いただいた隣接するリーガロイヤルホテルは何を隠そう学生時代に暫くアルバイトをした事のある思い出のホテルぞね。


当時はロイヤルホテルと呼ばれよったように覚えちょります。大学の下宿におられた先輩からの紹介で、ここの結婚式場で照明係として働きよったのです。ホテルの屋根裏部屋のような薄暗い事務所で慣れないスーツに着替えていた事など、すっかり忘れかけちょりましたが通い慣れた通路は、あの頃と少しも変わっちょりません。久しぶりに通ると、バイトした日々の事がアレコレと懐かしく思いだされてきたのです。


かね又、名物シチュー


大阪への進学が決まった春、明徳を卒業したてで右も左も分からなかったので祖母と一緒に大学近くにあった親戚宅に来た事がありましたにゃあ。米屋を営んでいた寡黙なおじさんの顔、いつも優しかった祖母のお姉さん、家中に染みついた精米の香りがまで蘇りますちや。かって祖母の実家は大阪で「かね又」という食堂をやりよました。名物やったシチューの味を今でも守り続けられゆうお店が天六にあるがぜよ。講演が終わって外に出ると、冷たい北風がビルの谷間を吹き抜けてきますきに温かい思い出の味を、どうしても食べたくなって飛行機の便を遅らせて立ち寄ったのです。


虎竹の里


さてさて、今日は今日で富士ゼロックス(FUJI XEROX)さんのイベントにて二回目の講演ぞね、会場はベルサール東京日本橋という行った事もない所。知った人もいない、大阪同様にアウェイ感満点ですにゃあ。高知を発つ時の虎竹の里は、こんな明るい日差しに溢れちょりましたが、ホテルから見る窓の外は寒そうな雲行き、ああ、又あのソウルフードが食べたくなってきたぜよ。


復活!龍馬ブーツ

龍馬ブーツ


「靴の汚い男は出世しない。」そう言われるのはあの小説「レッドゾーン」の主人公、鷲津政彦も特注したという銀座大賀靴工房の井場元社長さんぜよ。こりゃあ、イカン、自分の足元を見たら、もう何年前に長崎のドンシューズさんで別注してもろうた龍馬ブーツはヨレヨレのクタクタ。こじゃんと汚れちゃあるやいかっ!


けんど、それもそうですにゃあ、思えば今年もいよいよ来月で終わりますけんど北海道から九州までアチコチに行きましたきにゃあ。日本国内だけではないちや、もっと前の事だったかと勘違いしかけちょりましたがドイツ人デザイナー、ステファンさんと竹家具を作りストックホルム国際見本市に行ったのも今年の事やったし、フランス人のパティシエさんから竹炭スイーツの相談をうけてはじめてパリに行って、そこを拠点に虎竹をファッションショーに使うてくれたロンドンや、日本では増えすぎて仕方のない竹を、信じられないような規模で苗から育てられている会社を見学にベルギーOPRINS社に行ったのも今年の事やったぜよ。


その後も世界竹会議の参加に韓国行ったり、急に香港に行かねばならなくなったり...、他の方ならいざ知らず田舎者の自分の場合には、いつでもこの龍馬ブーツ一足で出掛けて行くので、ちっくと汚れたり傷んだりするのは当然ですろうか。


龍馬ブーツ


さっそく、帰ってきて龍馬ブーツを靴磨きしてもらっていたらカカトの部分の片ちびりが気になりましたぞね。これで3回目...いやいや4回目やったろうか?靴の修理屋さんに持ち込んだら何と、底も随分と傷んでいるとの事で張り替えて頂く事にしたがです。


龍馬ブーツを気に入っちゅう所のひとつがアメリカンバッファローの革を使用しちゅうところ。実際に龍馬が履いていたのも恐らく同じ革やろうと言う事ですけんど、バッファローと聞くと自分がいつも話しをする昔の野球アニメ「侍ジャイアンツ」に登場する主人公、番場蛮のライバル、ウルフ・チーフの逸話に欠かせないのがバッファローぜよ。どうも、不思議な縁で繋がっている気がしますにゃあ。


ジーンズファクトリーでの竹組

ジーンズファクトリーの竹組


あれは何だったがやろうか?今でもたまに思い出す事があるかぜよ。どんどん先の見えなくなっていく竹の世界、どうして良いか分らない真っ暗闇な中で押しつぶされそうな重圧感と閉塞感の毎日の中で、まるで何かが弾けたように竹の造形に取り組んだ事があったのです。


ある時はホテルや旅館のロビーを使わせて頂いて、ある時はお寺の客殿で、屋外競技場や医療施設などでも展示させて頂いたことがあったがぜよ。長い竹をそのまま街中に持ち込んでいくので、大型トラックに竹を積み込んで、職人達と共に行きよりました。まっこと、どうかしちょったかも知れませんにゃあ、竹の需要が右肩下がりに落ちていき明日はどうなるかも分らないような時の事でした。


日本唯一の虎竹と言えば、イギリスBBC放送が取材に来たり、オンリーワンやし聞こえもエイけんど、当時はその竹が売れなかった、余ってしょうがなかった。誰も振り向いてくれないので、どうせ行き先のない竹ならと思って「これでもか」と言うくらい使いよった。もちろん、虎竹だけではありませんぞね、真竹でも孟宗竹でも同じ事やちや、竹自体が誰にも振り向かれず、気にされず、消えていくだけ。そんな強い焦りの気持ちが全身から吹き出しそうやった。


ジーンズファクトリーという高知発のカジュアル衣料品店があるがです。こじゃんと人気がある店舗で、高知のみならず県外にも数店展開され躍進を続けられるファッション業界でも有名な企業様ですが、こちらの店内に孟宗竹を組み上げた時の写真は、1999年の年賀状にもしましたので、ちょくちょく目にする機会もありますぞね。地元高知店、高松店、岡山店と同じように組み上げて行ったけんど、もう随分と前の事、忘れかけている事も多いがです。ただ、竹を見てほしい、竹を見てほしいと思いよった、だから確か竹は一本たりとも切っていなかったと思うがです。竹虎から持っていったそのままを使うた、少しでも短くしたくなかった、竹の長いままを、そのままを見てほしかった。どうして?と自分に問い返してみても、
それが竹やからとしか言いようがないですかにゃあ。


今年も、そんな年賀状の季節。まっこと早いぜよ。