竹炭ねずみのスポンジケーキ

竹炭芋キントン(Bamboo charcoal)


芋きんとんは、薩摩芋を蒸してつぶしたあと団子状に丸めて作る食べ物ですけんど、「何っ!?黒い団子とは...?」想像していた芋の色合いとは随分と違う色合いに面食らっていましたが、おっと、それそれ!その黄色いが自分の知っている芋きんとんだと思っていたら外は普通の黄色い芋金団ですが、半割にした中身を見せてもらうと又謎の黒い物体が...!?


一体、この黒さは何かと言いますと、多くの方が予想していましたように実はこれは竹炭パウダー入りの芋きんとんぜよ。きんとんのような口辺りが滑らかな食材に入れると粒の大きな竹炭だとザラザラしてしまいがちですが竹虎の竹炭パウダーは15ミクロンと微粉末ですきに舌にも残らず美味しくいただけますぞね。


竹炭スポンジケーキ(Bamboo charcoal)


可愛いネズミのスポンジケーキにも竹炭が入れられちょります。竹炭の分量を調整することによって色合いを変えられるので綺麗なグレーが出ていて、まっこと素晴らしいがです。アーモンドの耳、秀逸なのは竹炭を混ぜ込んで黒くしたチョコレートで描かれた目や口、ヒゲなどちや。


チョコレートに竹炭とは考えた事も無かったですが、最近は海外でもBamboo charcoalと呼ばれて竹炭は静かなブームとなって料理に使われる事が増えているのです。今回のスポンジケーキでも漆黒の色合いがケーキ全体を引き締めて、こじゃんと(とても)美味しそうにもしてくれちょりますし小さなケーキですが高級感を感じさせてくれるがです。こうして見たら竹炭のスイーツの世界はまだまだ広がりそうに思いよります。


致知出版さんでの取材

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、致知出版


人間学を学ぶ月刊誌「致知」をご存じですろうか?田舎者の自分は恥ずかしながら全く存じ上げていなかったところ、こちらの致知出版さんの社員の方が嬉しい事にたまたま竹虎のお客様であったご縁から雑誌のコーナーに商品を掲載いただいた事があり初めて手にしたのです。


致知という言葉は、東洋古典に「大学」というものがあって、その中の格物致知(かくぶつちち)に由来すると書かれちょります。知識や情報だけでなく実際の行動が叡智を身につけるという事だそうですので、まさに現代のインターネット時代にはピッタリなのかも知れませんぞね。月刊誌「致知」は書店で購入する本ではなくて、定期購だけで全国の方にお届けしているそうですが何と読者が11万人もおられるがです、この数字だけ見ても、どれだけ多くの方に支持されちゅうのかが分かります。1978年創刊という事で今年で38年の実績、まっこと凄い出版社様のようながです。


こんな素晴らしい会社様にお声をかけていただき、ちょうどニューヨークのCOTERIE展に東京から発つ前に今回インタビュー取材という事になったがです。そして近いうちに「致知」に掲載いただけることをフェイスブックに書きましたら自分の周りの3社がこちらの月刊誌をご存知で、しかも、木鶏会という月刊誌購読社様の間から自然発生的に出来てきた会議を社内で取り入れられちゅうとの事を知り、ビックリしたがです。木鶏とは文字の通り木の鶏の事ですが、闘鶏がどんな戦いの時にも木彫りの鶏のように動じないという中国の「荘子」の言葉やそうぜよ。ちょっと変わった事があれは、右往左往する自分などには憧れるような言葉ちや。


まさに本の知識だけでなくて、実践こそ大切という本の神髄が木鶏会という形で各地に出来ているがですろう。このような集まりで学ばれる方々は素晴らしいですし、その素晴らしい会社で働かれる方に竹虎を支持していただいていると言う事です、しつかり手綱を引き締めて日々精進せねばと思うがです。


ニューヨーカー、ニューヨーカー

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、COTERIE展竹虎参加


30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」は、ここしばらくずっとニューヨークのJAVITS CENTERで今月22日(月)から24日(水)まで開催されよりました全米最大のファッション展示会COTERIEに参加させてもらっていた事ばかりです。けんど何せ、この展示会はファッション業界の中では最高峰のように言われちょって、今度の竹虎のように新規に参加させていただく場合にはスクリーンテストという商品を事前にCOTERIE側に見せて審査いただかねばならず、その競争率が200倍の難関だと聞きますきに、まっこと参加させてもらえた事だけでも自分にとっては意味のある展示会やったのです。


コーテリー展、Tiger Bamboo bag


参加させて頂けた事に大きな成果がありましたが、更にアメリカ全土だけでなくてアジア、中東、アフリカ、ヨーロッパなど世界各国からお越しになられていた多くのバイヤーの皆様がの足を、まったく無名であり誰にも知られていない虎竹バックニューヨーカーが見事に止められる事が出来て、デザイン性の高さと豊かな独自性とを再確認できて本当に感激したがぜよ。


もちろん手放しで喜べるワケではないがです。この竹バックを世界に発信する上での課題も実は多くてまだまだ改良すべき所もありますので一応目の前の道筋はうっすらとではありますが、少しづつ確信に変わりながら見えてきたという段階にすぎないがです。


Tiger Bamboo bag


さて、今回のCOTERIEはファッションの展示会だけあって会場にはオシャレな方々が行き交いよります。ブランドによりましては自社ブースにて洋服をモデルさんに着せてテレビなどで観た事のあるファッションショーさながらのデモンストレーションをされている所もありますぜよ。


なので会場には雑誌でしか見たことのないようなスラリとしたスタイル抜群のモデルさんなども沢山歩かれています。お陰様で大好評をいただいてる虎竹バックニューヨーカーですがこのような女性の方々に持っていただき実際にご愛用いただくような感じを是非見たいという事でコーディネーターの中野和代先生にお願いして声をかけて頂く事にしたがぞね。


Tiger Bamboo bag


けんど正直、こうして声をかけさせていただいても竹バックを手にしてくれたり、ポーズをとって写真を撮らせてもらう事などは難しいのではないかと思いよりました。


声をかけられた女性の皆様にしてみましたら自分の気に入らないバックは当然手にすることはイヤだろうし、アメリカではその辺りの自己主張はしっかりされるだろうから、この声かけはある意味で虎竹バックニューヨーカーの「試験」のようにも思えたがです。


Tiger Bamboo bag


試験結果がどうなるかにゃあ?ちっくと心配しよりましたがそのような気苦労は全く必要ないと言う事がすぐに分かりましたぞね。中野先生が話しかけて立ち止まる皆様は、最初は何だろうと少し怪訝な目をされるのですが、虎竹バックを一目みるなり顔の表情がパッと明るくなるがです。


モデルをされている方もおられましたので流石にポーズを取るのも慣れたものです、興味を惹かれるバックだからこそ、こうして手に提げていただけるし撮影への協力もしてくれるがですろう。


Tiger Bamboo's


竹のバックだから和風の雰囲気でしか持てないという自分の既成概念を改めて見直す事になりましたが洋服でも、海外の方でも、年齢に違いがあってもニューヨーカーは馴染んで全く違和感などないがです。


まさに、「ニューヨーカー、ニューヨーカーを持つ」。


このような女性が颯爽と通りを歩かれよったらまっこと格好がエイがぜよ。


ニューヨーク五番街、ティファニー本店の竹籠

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、newyork Tiffany 、ニューヨークティファニー


自分は恥ずかしながら本当に田舎者で宝石だとか時計など高級装飾品を扱うブランドのお店かあまり好きではないがです。だからデパートの一階には、ほとんど用事がない男ながですぞね(笑)。高級ブランドのお店様は、気軽に入る事ができませんし、緊張するし、ウィンドウショッピングをしたり遠くから眺めてみたりすると純粋に美しいとは思いますが、そもそも買うあてがないし、まっことご縁がありませんにゃあ。


ただ、唯一このニューヨーク五番街にあるティファニー本店にだけは行かねばならいと思いよりました。20数年前にバンブークラフトの作家の方を頼って単身来た時にも、真っ先に訪ねた店がここでしたし、一昨年もそう、そして、今回もながぞね。せっかくこの大都会に来ているので他にも素晴らしい色々なお店があるかと思いますが、よく考えたら他のブランドのお店、いやいや考えたらデパートにすら一軒も行った事がないがぜよ。


日本にいる時にさえ、ティファニーのお店には入った事もないのに、何故ニューヨークの本店には行かずにおれないか?不思議に思われるかも知れませんが、どうしてかと言うたら昔からこの店舗の事を祖父から聞かされちょったきですろう。


この店にはオープンハートなどで有名なデザイナーの方がおられます。もう随分と前の事ですけんど、わざわざ日本にまでお越しになられ竹職人の技を活かした作品を発表された事があるのです。その竹作家の先生とは祖父が昔から、こじゃんと(とても)懇意にして頂いていましたのでアクセサリーなどには、あまり興味ありませんけんどニューヨークティファニーの名前にはずっと耳にしており親近感を持っていたのです。開発当時のプロトタイプ(試作)の竹パーティーバックを譲り受けて自分の宝物の一つになっちょりますが、丁寧に仕上げられたバックを桐箱から出すたびに行ったことのない、遠い異国の店舗を思い、この日本の極みの技が見た事もないアメリカの大都市の煌びやかな店頭に鎮座する姿を夢見て来たがぜよ。


だからですろうか、お店にはまったく似合わしない格好ですし、キラキラまぶしいほどに輝くきゆう宝石などには関心があるワケでもありません、入り口で門番をされている体格の良いスーツ方々は、あんな前掛けした料理人のような男が来る店ではないと思っているかも知れません。けんど、自分では、自分が来るべき店として勝手に思い込んでいるのです。


COTERIE(コーテリー)展


そういうワケでCOTERIE展にやって来た今回も、このお店にだけは行きたいと思うて閉店間近でありましたがタクシーを飛ばしてやってきましたぞね。今では祖父と懇意な竹作家の先生は引退されていますが、そのデザインを踏襲するような作品が2点陳列されています。そう言えば、竹籠に金箔を施す技を初めて見たのがティファニーの竹パーティーバックでしたにゃあ、竹編みに金とは日本の発想ではなかなか生まれません。しかし、何度拝見しても竹の編み目によくぞあれだけ美しい金をあしらう事ができると感心するがです。まっこと日本の技というのは凄いちや。


もうひとつの作品には漆で仕上げらた網代編みを底にして巾着をつけた手提げになっちょります。かっては、年間通して個数を限定した販売やったそうですが発売すると即完売という大変な人気やったと言う事を竹作家の先生からお聞きした事がありました。この場所で、こうやってアメリカのお客様に購入いただいていたのだろうか?今の人気はどうながやろうか?この店に置かれている竹を見たら祖父なら、どうするろうか?


世界中の人とモノが集まる中心地とも言えるような街、そして誰もが知る有名な宝石店で、日本の竹が見いだされ、そして輝いちゅう。本当に沢山の思いが駆け巡りますぜよ。お金で買えない大きな価値の幸せを感じて頂いて帰る事にしたがです。


ニューヨークCOTERIE展と、手のひらサイズの可愛い飯籠

ニューヨーク、COTERIE(コーテリー)展


昨日もお話させて頂いちょります、ニューヨークのCOTERIE(コーテリー)展は、今まで参加した経験のないファッションの展示会だけあって、とにかく華やいだ雰囲気ながです。普段は雑誌でしか見たことのないモデルのような男性や女性の方を横目に、ああ...本当にこんな人達が普通にいるがやにゃあ...。そんなCOTERIE展ですので来場される皆様も、なかなか感性の豊かな方が多かったように思います。だからでしょうか?虎竹バックニューヨーカーのユニークなデザイン性は全ての方が大絶賛して頂くがです。竹虎のブースは一風変わっていて、地味であるはずなのに、やはり今まで見た事のない形に惹かれ予想以上に沢山の方にご来場いただき、こじゃんと(とても)参考になる意見も多々いただく収穫の多い一日やったがぜよ。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、ミニ飯籠


そんな中でふと思い出したのは、新しく製作いただいた小さなミニ飯籠ぞね。その飯籠は、何度も行っているはずなのに、つい見過ごしていたのか先日職人の工房に行くと面白いものが出てきたのです。聞けば、もう40年近く前に製作したものだと言うがぜよ。毎日同じものばっかり作っている職人さんですけんど、たまに遊び心がでて少し違ったものを編んでみたり、一番多いのはご自身や、ご家族が使うためのものを創る時には今までとは全く作風の異なるものに挑戦したりする事があって、そうやって出来た竹細工の中に面白い物があるのですがこの手のひらサイズの可愛い飯籠もそんな竹編みのひとつながぜよ。


数個だけ創って人に譲ってなくなったけんど一つだけ残ったと言われよりました。さすがに古い竹だけあって赤茶けた本当に渋く綺麗な色合いになっちょります。飯籠のサイズは家族構成が少なくなるにしたがって、段々と小さくなってきました。一昔前の飯籠や味噌こしざるなどは驚く位大きなものがあって「これが味噌こし用のざる?何かの間違いでは...」そう思う事もある程ですが当時は大家族でご飯の量も多かったし、みそ汁も沢山作っていたという事なのです。竹細工は日本人の暮らしにずっと密着してきたものですきに、竹の歴史を辿ることは自分たちの先人の生活を知る事になって、まっこと(本当に)興味が尽きないがぜよ。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、ニューヨーク、COTERIE(コーテリー)展


サイズが時と共に小さくなってきたとは言え、さすがに飯籠でこの大きさというのは他にはありませんろう。実は竹編みを小さくするのは、こじゃんと(とても)難しく、竹材料は少なくて済むものの技術が大変なのです。簡単に縮小すれば良いと思ってしまいがちですが高度な技術力がないと綺麗な籠にはなりません。その点、この匠の職人さんに任せちょったら間違いないぜよ。


出来あがって来た籠を手にのせてみたら自然に笑みがこぼれてきましたぞね。どうやって使おうか?今まで持った事はないし、もちろん見た事もない竹細工。あれこれ、考えるのも楽しみのひとつ。アメリカ最大のファッション展示会COTERIE(コーテリー)展に出品中の虎竹バックニューヨーカーは、かなり個性的であり日常的に使うというバックとは違うがぜよ。沢山のハンドバックを持たれちゅうオシャレ上級者の方向けの特別な鞄と言えますぜよ。


中野和代先生


バックデザイナーの中野和代先生のお知り合いのカメラマンの方がニューヨークのモデルさんを使って撮影いただいたパネルを拝見すると、このバックを使うシュチエーションや合わせる洋服のイメージが自分にも沸いてきますので、さすがはプロの方々ちや。


けんど、虎竹バックを手にされる一人一人が、どんなファッションに合わせようか?いつ持って楽しもうか?そんないくらあっても嬉しくなる悩ましさがあるバックかも知れませんにゃあ。


初日、ニューヨークCOTERIE(コーテリー)展

虎竹バックニューヨーカー(Tiger Bamboo's


いよいよ本日から全米最大のファッション展示会COTERIE(コーテリー)展がニューヨークJAVITS CENTERで開催されますぜよ。ちょうど去年の同じ2月にはストックホルムでの家具国際見本市に参加させて頂いちょりましたので何かここだけ見ていると、竹虎が何かこじゃんと(とても)インターナショナルな会社のように思われるかも知れません。けんど実際には田舎の小さな小さな竹屋で、海外に出るなどそれまで一度も考えた事もありませんでした。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、中野和代先生


ドイツ人デザイナー、ステファン(Stefan Diez)さんのデザインした竹家具でストックホルム・ファニチャー・フェアに行く事になったのはジャパンクリエイティブさんのお力添えのお陰でありましたし、今回のCOTERIE(コーテリー)展への出展はニューヨークで活動されよりますバックデザイナー中野和代先生とたまたま、お知り会いにさせて頂いたご縁からスタートした事なのです。まっこと人との出会いで全てが動いていくものだと、つくづく思うがです。


虎竹バックニューヨーカー(Tiger Bamboo's


自分が初めて目にした虎竹バックニューヨーカーの元となるバンブーバックは、その独特の構造と機能性が、まるでモダンアートのようにキラリと光っちょりました。今回の展示会用に新しく製作したセルロースアセテート素材のバックが、この美しさを更に際立たせてくれるのではないかと期待しちょります。けんど、自分が思わずデザイン性に惹き付けられた、この竹バックの完全な虜になったしまったのは竹の歴史の中で辿った数奇な物語を知ったからなのです。


何を隠そう今年で創業122年を数えます竹虎も、かって古い時代には神戸にも工場を構えていた事もありました。どうして神戸に?と思われる方がほとんどですろう。これは何を意味するかと言うと輸出ぞね、昔の竹製品は今では考えられませんが、大量生産されて欧米向けに販売されていく輸出品の一つだったのです。神戸から貨物船でヨーロッパ向けへの竹製品を加工していた頃には、竹工場も港に近く交通の便のよい場所を選んで建てられていました。


Tiger Bamboo bag


ニューヨーカーは、もちろん当時はこのような名前ではありませんが「Bamboo basket」として沢山製造されていた物でした。竹フレームの構造を今でも竹細工に残しているのはピクニックバスケットなどの角物ですが、この角物細工の熟練の職人さんに昔の製造工程を聞くと凄まじい量産体制であったことが分かります。「Bamboo basket」も恐らくは、同じように量産できる事を念頭に置いてデザインされたであろう事、そして更に凄いのが360度近くまで開いて、それぞれを重ねられる構造としているので一度に沢山の製品を運べられるという事、大量生産と効率の良い大量運送、この二つの課題を見事にクリアしつつ美しいフォルムと機能性を実現した、まさに神業と言いたいような竹製品だったのです。


今から60数年前の日本、竹産業自体にも元気があり勢いのあった頃のお話ですぞね。自分の小さい頃でさえ、工場には沢山の職人さんがいて、三輪車のトラックには満載された竹がどんどん運ばれて活気に満ちていました。竹虎ロゴマークは今のように竹の葉の下に「虎」の文字ではなく、本当の虎の絵が描かれちょりましたが、この虎の顔が自信たっぷりに格好良く見えちょりました。


昭和30年代、竹虎本社


別に虎竹の里だけの事ではなかったですろう。黒塗りの大きな車で来社される取引先の皆さんは、ビシッとした髪型に、自分の周りの大人が特別な時にしか着なかったようなスーツ姿を着こなされちょりました。上着をサッと脱いで、ピカピカの靴が汚れるのも気にしないで土場をノシノシ歩いて来る、祖父や父と大声で笑い合う。何か楽しそうやにゃあ...そんな竹の良き時代が続いていた頃に太平洋を渡った「Bamboo basket」が平成になってニューヨークから里帰りして、そして今度は又再び海を越えてニューヨークまで来たがです。


「ヨシヒロ、お前何やっとんねん」


虎竹バックニューヨーカーの向こうに見たいのは、そんな懐かしい竹のある光景であり、優しかった祖父や愛すべき職人さんの笑顔なのかも知れません。


虎竹バック、海外女性向け22日からNY展示会

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、虎竹バックニューヨーカーCOTERIE展、高知新聞掲載


朝早くから嬉しいニュースが届きましたぞね!今朝の高知新聞に掲載いただいたようです。この虎竹バックニューヨーカー(Tiger Bamboo's"New Yorker"bag)のルーツは60数年前にさかのぼります。かって日本の竹細工は欧米への輸出品のひとつとして大量に製造されよりました。竹虎も港のある神戸に工場を持ち、黒竹などは釣り竿用としてヨーロッパに運ばれていった時代がありました。そんな竹の歴史を人に話すと皆様「えっ!?」と驚いた顔になるがです。いやいや驚かれるのは、まだ反応が良いほうですろう。日本に暮らして、山々の竹に囲まれていると思うのに多くの方は竹の事を何ひとつ知らず、まったく気にされず生活されよります。


愛の反対の言葉をご存じですろうか?確かマザー・テレサの言われた事やったと思いますが「無関心」やそうです。だから、「山で竹が泣いている」と嘆かれる竹の研究者の方もおられるのだと、少し残念に思う事もありましたけんど確かに里山には竹が多く自分達は毎日一緒に暮らしているからそう思いよりますが、それは自分の勝手な思い違いやったがです。


Tiger Bamboo's


実は、ほとんどの方が竹を知らず、見た事も、触れた事もないというのが今の現状ですぞね。そして、それは他ならぬ竹に関わっちゅう自分のような者の責任かも知れません。竹はイネ科ぜよ。世界で認められるほどの美味しいお米の育つ自然のある日本では、お米同様に竹の品質も世界最高峰ではないかと思うちょります。そんな高品質の竹素材と日本人の繊細な感性が竹達を磨き上げたと思うのですが、その竹の事をお伝えしてきたろうか?まっこと反省するのです。


「素晴らしい日本の竹を、日本に暮らす皆様にこそ見直してもらいたい。」


竹の歴史から、数奇な運命を辿って日本に里帰りした竹バックが、不思議なご縁で繋がって竹職人だけでなく様々な異業種の職人さん、竹を表舞台に出したいとご協力いただく本当に沢山の方のお力添えによって再び海を渡る事になりました。来週月曜日からニューヨークで開催されますCOTERIE展には、たまたま自分達が関わらせて頂いちょりますが、竹虎というよりも日本の竹の美しさを世界の舞台で輝かせたい、そして日本で竹が再び注目される存在にしたい。この挑戦の意味は、まさに此処にあるがです。


竹職人のダブル-X

十字割棒


「ダブル-X」などと言えば何やら格好がエイですが別に竹職人さんの工房になら普通にある十字割棒ぞね。本当は「+」ですけんど斜めになって「X」になっちゃあるがぜよ(笑)


そう言えば随分と前にもお話させていただいた事があったかと思いますが、この十文字とも呼ばれて使われている十字型の木製の道具ですが一体に何に使うかというと竹割りの工程で使うのです。


竹割


真竹や淡竹など普通の竹は小さい十文字で、孟宗竹など太く厚みのある竹を割る時には大きな十文字を使うのです。竹細工では「竹ヒゴ8割、編み2割」と言われ、名人ほどヒゴ取りが早く、上手で、この工程を見れば腕前が分かるがです。熟練の職人になれば、指先の感覚は下手な物差しよりも余程正確ですので触っただけで厚み幅の違いを見分けられちょります。


竹編み(Bamboo craftsman)


これは竹細工だけには限らず、どんな仕事にでも当てはまる事かも知れません。例えばレストラン、竹ヒゴという素材が良くなかったら、また下ごしらえが上手くいかなかったとしたら、いくら職人(料理人)の腕があったとしても最高の一皿にはなりませんろう。華麗に宙を舞う竹編みの技は、実は工房の隅の方に地味に置かれている十文字から始まる...。


竹籠


そして、しっかりした編み込みは美しさであり、使いやすさであり、丈夫さになるのです。そう思うたら「ダブル-X」くらいの洒落た呼び名を付けてあげても良いように思えてきますぜよ(笑)。


孟宗竹を「磨く」機械

孟宗竹を「磨く」機械


竹の表皮を薄く剥いで加工する技術を「磨き」と言うのですが、この磨きの竹細工は昔から生活の中で使われる籠に多用されてきました。表皮をつけた場合に比べて経年変色に特有の渋さがあり古い竹籠なら「何かで染色したのではないですか?」と聞かれるくらい美しい変化をしているものもあって新品より価値が高いくらいぜよ。


孟宗竹を「磨く」機械


ただ、竹虎にある竹製品でも磨きの技を使う竹の場合には、その大半が真竹であり加工も職人が刃物を使い削って手作業でするのが普通です。こちらの竹工場のように大きな孟宗竹を機械で自動的に削るというのは本当に珍しいかと思うがです。まず、竹を金属製の丸い穴に入れてガッチリと固定させます。


孟宗竹を「磨く」機械の刃


職人さんが、おもむろにスイッチを入れると竹を挟んだ二枚の刃が音をたてて前後に動きだすがぜよ。なるほど、見る見る竹表皮が削られていきます。


孟宗竹を「磨く」


竹は丸いと思われがちですが決して丸いものではなく、形はそれぞれ違いますし、一本の竹でも元は太くウラ(先端)に行くほど細くなっています。一番の難題は堅い節があることだと思いますので、恐らく微調整は頻繁に必要な事もあるのかも知れませんが、それらの問題をクリアして動き続けている磨きの機械は本当に素晴らしいと思うのです。



牧野富太郎博士とニューヨークのCOTERIE(コーテリ)展示会用バナー

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、日本唯一虎斑竹(Tiger Bamboo)


虎竹の里にだけ生育する虎斑竹(とらふだけ)の命名が世界的に有名な植物学者であられた牧野富太郎博士とお話したら、少し植物や造園に詳しい方でしたら皆様けっこう驚かれる事が多いのです。やはり、それだけ有名でもありますし偉大な方やったがですろう。


高知県は佐川町のご出身ですが、晩年は東京に暮らし活動されていたからでしょうか?また、練馬区東大泉のお宅が牧野記念庭園となって様々な展示もあり、書斎なども残されていますので人によりましたら東京都の出身と思われちゅう方もおられるようです。しかし、紛れもなく土佐生まれ。生誕の年にはペリー来航、坂本龍馬脱藩などがあった、まさに幕末動乱と共に育ち、新しい時代に命をかけた志士と同じく植物に一生を捧げた「いごっそう」ぜよ。


おっと、「いごっそう」は高知の方言やった...自分の考えを曲げない頑固者の事を言いますが、ずっと植物一筋やった博士のような一本気な方は高知には多いがです。けんど、この山に一人で来て腰を下ろしちょったら思う時があるがです。静かな竹林の向こうから、あの少年のような方のザッザッと竹葉を踏みしめてくる音が聞こえてくるかも知れん。もちろん気のせいに決まっていますが、まぎれもなく、あの方もこの竹を見てきっと今の自分のように思うたはず。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、ニューヨークのCOTERIE展示会バナー


そんな不思議な虎模様の入る竹ですが牧野博士に一つお聞きしたいにゃあ。その当時なら竹虎の工場は大阪の天王寺にあって、製竹はされていなかったですろう。けんど、もしかしたら初代宇三郎とは会うて言葉ばあは交わしてたがではないろうか?牧野富太郎博士は自らを「植物の精」と言われよったそうですし、曾じいさんの宇三郎は虎竹を求めて昔なら海外のように遠かった土佐まで船でやってきた、同じ変わり者同士のような気がするがぜよ。さぞ、話は合うたがではないろうか?


牧野先生、虎竹は山で見る模様は淡竹特有のもやの下で隠れちょりますが油抜きしたら虎模様が、こじゃんと(とても)浮き上がるのを知っちょりますか?糖質の多い竹から吹き出る竹瀝(ちくれき) の甘い香りを知っちょりますか?


先生も、きっと虎竹の里で今まで見たことのない竹を発見されて小躍りしましたろう(笑)自分も今度のニューヨークJAVITS CENTERで開催されるCOTERIE(コーテリ)展のために製作してもらった横幅270センチ、高さ200センチの虎竹バナーを吊り提げて見た時にいつも工場で見ゆう竹の美しさを、沢山の方に伝えられると思うて小躍りしましたぞね。


虎竹バック、Tiger Bamboo bag


正式名称、土佐虎斑竹(とさとらふだけ)、まっことエイ(良い)名前を付けていただき今さらながら感謝します。展示会でご覧いただく虎竹バックニューヨーカーも、ようやく完成しましたぞね。いずれ、お会いさせて頂く時には、面白い土産話ができるようにしちょきます。


竹ざるの耐久性

匠の横編み竹ざる


昨日は竹ざるの強さ、耐久性についてお話しさせて頂いたがです。竹ざるが30年も40年も、いやいやい場合によっては50年も使えるなど少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、新しく編みあがってきたこの淡竹の竹ざるの美しさをご覧いただきたいのです。


「ほっ~ぉぉぉ」


ご覧になられた皆様の、ため息が虎竹の里まで聞こえてきそうですけんど見た目の端正な作りだけでく手に触った質感、持った時の手に伝わるグッとくる重さ、編み込みを指で押した時の堅牢さ、実際に確かめていただけないのが残念な一枚ぜよ。


新品同様、13年前の竹ざる


幅広の芯部分には孟宗竹を使い、自らが山に分け入りコレと選んだ淡竹(はちく)でギッチリと編み込んだザルは、ただ丸いだけ、ただ竹を使っているだけの竹ざるとは異次元と言うても決して間違いではないですろう。子供の世代や、もしかしたら孫の世代まで残りそうな強者なのです。


確か13年前だったかと思いますが、製作して職人さんが何故かそのまま納屋に置いていた網代編みの竹ざるも年期を感じさせる渋い色合いにはなっちょりますが新品同様に使えそうな程、時間を経過を全く感じさせないがです。


数十年前の竹笊


そう言えば、ひとつ思い出す竹編みがあるがぜよ。希代の名人が、名人と認めて目標としてきたと聞くそれは、飴色を通り越して、焦げ茶色になった色合いは、一体どれくらい前のものか分からない位の竹ざるです。


縁部分を新しい竹で修理している所を見ると、ずっと使用されてきたモノに違いないと思うのですが大切に扱われてきたのが伝わって来ると共に、熟練の職人が編み上げた製品が長く長く使う事ができる、まさに生き証人のように思えるのです。


竹ざる30年、40年、50年。素晴らしい素材

国産竹ざる


高知の古い竹職人さん達は竹ざるを「さつま」と呼ぶのです。一般的に、この辺りで「さつま」とい単語を聞くのは「薩摩揚げ」くらいではないかと思いますので、昔からどうしてだろうと不思議やったのです。土地の古老に聞いても誰も知らなかったので随分と前の時代の事かと思いますが、かってこの竹ざるの技術が鹿児島から伝えられた名残と知り、なるほどと納得した事があるがです。


「親父がそう呼んでいたから゛さつま゛だよ。」


何とも無邪気な笑顔で話す職人さんは、香り立ちそうな新しい竹を使うて竹ざるを編まれよります。


干し大根に使う竹ざる


思えば竹細工にも色々ありますけんど、このような平たい竹ざる等は誰もが知っていて、地域を問わず広く愛されている竹の一つですろう。使われ方は実に様々だったのですが、現在では主に干し野菜などに使わる事が多いのです。食材により天日干しすると、新鮮なものよりも保存ができるし旨味が増すので本当に不思議ぜよ。


干し筍と竹ざる


日本だけではなく東南アジア一帯で大活躍しよりますが、台湾で見かけた竹ざるには何やら見慣れないものを干していました。何やろうか?と思い近寄ってみましたら筍ぜよ。竹ざるに筍とは、さすがに竹の産地である南投県だと感心した事があるのです。


竹笊


もちろん、今でも収穫したばかりの新鮮な野菜や食材を入れたり運んだり、竹ざるの活躍の場は人の暮らしの数だけあると言うても過言ではないかと思いますぞね。


古いサツマ(竹ざる)


木の家具は温もりがあって大好きですけんど、木製チェアを見ていたら50年経った木材から出来た製品は50年、100年の木材から出来た製品は100年使えると木工職人の方に教えていただきました。さて、竹ざるは一体何年間くらい使えますろうか?もちろん使い方にもよるのですが大切に使えば10年、20年、30年、いえいえもっともっと長く使えるのではないかと思います。


職人が手にしているのは、長年の使用で縁が壊れたのですが竹に愛着があるからと修理を頼まれた竹ざる。こうやって手直しできるのが竹の良い所ちや、こうして使えば40年、50年使えますろう。木なら成長に50年、製品で50年。竹は同じ50年でも成長には3年しかかかっちょりませんぜよ。まっこと(本当に)効率の良い素晴らしい素材であるとしか言いようがないのです。


虎杖(いたどり)×虎竹

虎竹ヒシギ張り


築地市場には、ご存じにように場内と場外があるがですが場内には日曜日だけでなくて、週によるのですが水曜日もお休みで入れない日があるようですぞね。その日も、たまたま場内が閉まっちょりましたので、せっかく来たからとお客様でにぎわう築地場外をウロウロとしよりましたら「虎杖」という文字が目に飛び込んできましたぜよ。


虎(とら)に杖(つえ)と書いて普通はなかなか読む事は難しい漢字ですが「いたどり」と難なく読めるのはやはり虎という文字が付いている事と、イタドリを高知では普通に家庭料理として食べるからながです。煮付けてして食べると、こじゃんと美味しいのですが子供の頃にはオヤツとして土手に生えているものをポキッと折って皮をむいてそのまま食べる事もありました。


日本唯一の虎竹(Tiger Bamboo)


さて、けんど今日は虎杖のお話では無いがぜよ。このお店で使われていた日本唯一の虎竹についてお話したいがです。たまたま「虎」という文字に惹かれるように通った細い路地には虎竹ヒシギが一面に張られていて何という大迫力ですろうか!?まっことビックリしたがです。壁に虎竹、ドアにも虎竹、カウンターの下にも虎竹、何というこだわりですろうか...。恐らく虎杖の「虎」にふさわしい竹という事で「虎」の付いた虎竹を使うて頂いちゃあると勝手に想像したのですが、さすがにこれだけの設えは、今まであまり見た事もありませんぞね。


日本唯一の虎竹(Tiger Bamboo)ひしぎ


この虎杖という店舗は築地だけでも十数店舗あるようですが、日本橋や銀座、京都、軽井沢など全国に展開されている凄いお店様のようですぞね。こりゃあ時間を見つけて他のお店も覗いてみたいですにゃあ。虎竹ヒシギの原材料はいくらでも見ていますが、実際に沢山の方の目にふれるように店舗に使われている虎竹は又、まったく別モノぞね。圧巻の虎竹ヒシギ張り、名残惜しく思いながら後にしたがです。


COTERIE(コーテリー)ニューヨーク2016に日本唯一の虎竹で出展決定

COTERIE(コーテリー)ニューヨーク2016出展決定


ニューヨークはJAVITS CENTERで開催される全米最大ファッション展示会COTERIE(コーテリ)展に出展させていただく事が決まったがぜよ!会期は何と今月の2月22日(月)~2/24日(水)までの3日間、後何日もないと言うエラく急なスケジュールとなりましたにゃあ。と言いますのも、虎竹バックニューヨーカーが何とかリニューアル出来て完成しそうなものの、このCOTERIE(コーテリ)と言うのは申し込み順とか、出店料さえ払えば誰でも出展させてもらえるというものではないそうなのです。


COTERIE出展の虎竹バックニューヨーカー試作


初めて参加を検討している、しかも海外ブランドでもあり審査が二度もあってパスするのが難しいと言われちょりました。第一次審査は通ったものの、その後の連絡がなかなか無くて、最後の最後までハラハラしよりましたが、今回のプロジェクトに最初から関わって頂き、企画からデザイン、製作など全てにお力添え頂いたニューヨークで30年バックデザイナーとして活躍されている中野和代(kazuyo nakano)先生のお名前とご威光で出展させていただけるチャンスを頂戴したがぜよ。


COTERIE出展の虎竹バックニューヨーカー


この虎竹バックニューヨーカーについては今まで何度かお話させて頂きましたけんど本当に不思議なご縁が繋がってここまで来ました。アメリカから日本に里帰りした、この竹バックと初めて出会ったのは渡辺竹清先生の工房でした。そこで、このバックの物語と、かっての日本の竹産業の歴史に触れ、心が震え感激し、何とか多くの方にも同じ感動を伝えたいと思うてきたのです。


道を指し示して教えてくれた熟練の竹職人さん、日本唯一の虎竹で復刻していただく職人さん、そしてルーツとなる竹芸家小菅小竹堂さん、偶然のニューヨークのショップでの展示と講演、そこに、ご来店いただいた中野和代先生、眼鏡メーカーの町である鯖江の何人もの職人さん、何度も試作頂いた糸メーカーさん、日本でただ一人というハンドバックの金具職人さん、企画を後押ししてくれた中小企業庁のジャパンブランド、地元商工会さん、誰ひとり抜けても今回のCOTERIE(コーテリ)展には辿り着くことはなかったですろう。


COTERIE出展の虎竹バックニューヨーカー試作


自分では何をした訳でもないのですが、この数年のバラバラだった出会いのパズルが集まって、一つの大きな形になった感じがするがです。どんなCOTERIEが待ちゆうのか、まっこと楽しみにしちょります。


竹炭を入れて10年観察してみました。

竹炭(Bamboo charcoal)


竹炭(Bamboo charcoal)の浄水機能、消臭機能は多くの方から喜びのお声をいただく事がありますぜよ。竹がこうやって姿を変えて皆様のお役に立てゆう事に感激するのですが、先日竹炭職人さんを訪ねて行ってみると何やら数字の書かれたペットボトルが置かれていました。


片方のペットボトルには「竹炭」と書かれて、もう一方の方には「水」としか書かれていません。「H18 8/10」と見えますが平成18年の8月10日に両方のペットボトルに同じように水道水を入れ、片方はそのまま、もう片方には竹炭を入れキャップをして約10年間そのまま室内に置いて変化を見続けてきたと言うのです。えらく気の長い実験のように思いますが、実は昔ながらの山の竹炭職人さんたちの中には、大学の研究機関のような高度のデータは取れない代わりに、このように自分たちなりに色々な実験をされている方が少なくないのです。


片方の水は10年の歳月を表すかのように茶色く濁り何やら沈殿物が底にへばりついていました。その横で竹炭を入れたボトルは同じ時期の水とは思えないような透明感ぜよ、黙って出されたら飲んでしまうかも?竹炭を入れる、入れないで、単純にこれだけ違うという証明ぞね。


竹炭を入れた石臼で金魚を飼っていた


そう言えば今では使っていませんが石臼に水を入れて金魚を飼っていました。石臼に浄水器などは少し格好が悪いので、竹炭(バラ)を沈めていたら、いつまでも水が綺麗ながです。お客様が透明感のある水に泳ぐ赤い金魚をご覧になられて、いつもビックリされちょったのを思いだします。


地元の孟宗竹を原料に、昔ながらの土窯作りの高温で焼いた竹炭はキンキンと金属音がするような堅さぜよ。これをピッチャーの水に入れて冷蔵庫で冷やしておいたらミネラルウォーターは必要ありませんぞね。まだ、寒い日か続きますきに少し早いかも知れませんけんど、夏場はまっこと重宝するがです。飲料水だけでなく、最近では竹炭パウダーを料理に利用したり、スイーツに使われる事もすっかり定着しましたけんど、戦国の世には忍者の解毒剤としても使われていた炭がこれだけ広く知られるようになるとは、忍びの人達も思いもしていなかった事ですろう。


日本唯一の虎竹茶が年に一度の茶摘みの季節ぜよ

虎竹茶摘み


虎竹の伐採のシーズンは晩秋から1月いっぱいの寒い季節だけという事は、いつもブログででもお話させていただきよります。虎竹に限らず、生産地や竹の種類により季節が多少異なることがありますが概ね冬場が竹の伐採の時期ながです。


日本唯一の虎竹茶摘み


さて、そこで伐採して枝打ちした虎竹林に職人や竹虎社員が分け入り虎竹茶の竹葉摘みが始まるがです。この竹葉集めの大変なところは期間中伐採された竹葉が何でも良いと言うことでは当然なくて瑞々しいフレッシュな葉を集めねばならない所ぜよ。


日本唯一の虎竹茶摘み


もしかしたら七夕などで竹をそのまま一本枝葉の付いたまま伐って運んだ経験のある方はおられませんろうか?運んだ事はなくとも、ショッピングモールや商店街などに短冊を付けて建ててる竹をご覧になった事はあるかと思います。竹は一年通して青々とした生命力にあふれた植物なのですが、いったん伐採すると意外と早く竹葉が乾燥してしまい見る見る青さを失っていくのです。竹稈がついたものでもそうなので竹の小枝だけの場合ならもっとスピードは速くしおれてしまいます。


虎竹葉


虎竹茶を何度も製茶してきましたので、美味しさや香りのためには新鮮な竹葉をいかに短い時間で集めて出来るだけ早く加工するのかが大事になってきます。そのために製茶工場のスケジュールも合わせて頂いて竹林に入っているがぞね。


日本唯一の虎竹茶摘み


職人が伐り倒した後には女子社員も総出で竹葉摘みです。ちょうど時期は寒さ厳しい頃、太陽の日差しが差し込むと暖かいものの特に朝は冷たい風の中の作業です。


日本唯一の虎竹茶摘み


竹葉は枯れて乾燥すると葉が落ちやすくなります。だから袖垣に使用する穂先などは枝打ちした竹枝をそのまま山に置いておき、あえて時間を空けてから竹枝を集めるのですが、虎竹茶の場合にはこの竹葉を集めたいのです。枝が新しい内には竹葉は簡単には落ちてくれませんので、小枝から一枚一枚剪定鋏で切り取って集めよります。


虎竹葉集め


丸一日作業しても黄色いプラスチックケースに一つも集める事はできません。まっこと(本当に)手間と労力のかかる虎竹葉摘みですちや。


虎竹茶


竹葉は、創業90年を超える漢方や生薬など様々な健康茶を製造される製茶工場に運ばれちょります。加工は既に開始されていますので今年の新茶をご案内できる日も、そう遠い事ではないかと思いよります。竹ならではの甘い香りと清々しさ満点のお茶を味わう時には、虎竹の里の茶摘みを思い出していただけると嬉しいがです。


伝統の籠師、新たなる挑戦

伝統の竹籠職人(Bamboo craftsman)


孟宗竹を編組細工、つまり丸竹を細く割って竹ヒゴを作り、そのヒゴを編む事によって籠やザルを作る竹細工に使用する職人さんは結構珍しいのではないかと思います。ついでに言うたら淡竹(はちく)を使われる職人さんも少ない、真竹に比べると竹編みが難しいのではないかと思われがちですけんど、淡竹を使う職人さんはコレでないと使えないと言われますので面白いものながです。


ただ、淡竹を使われる方は九州にもおられましたが、孟宗竹を小さな籠編みに使う職人さんは他では聞いた事もないので、もしかしたら地元高知にしかおられないのかも知れませんにゃあ。まあ、そんな事など全然気にもとめず今日も竹職人さんは元気に竹籠を編みゆうがぜよ。直径も太く、身も厚い孟宗竹は重さもハンパでありませんので伐り出すのには骨が折れる作業ですが、それでも籠の力竹などには、どうしても強いこの竹を使いたいと職人さんは言うがです。


代々続けてきた竹の仕事の場合、往々にして新しい細工に挑戦したり、変化に対応できない事が多いのです。頑なに自分達のやり方に固執してしまいがち。けんど、今回ばかりは少し様子が違うちょりますぞね。ほんのちょっとの事ですが、今までとは変わった竹編みをする事になりました。「何だ、たったのそれくらい...。」もしかしたら、そう思われるかも知れません。しかし、何十年と同じ手仕事をされてきた職人にとって、ほんの少しでも新しい事を始めるのは周りが考える以上の労力を必要とするがぜよ。


伝統の竹籠職人(Bamboo craftsman)


古くある竹細工は、長い時間の中で品物が鍛えられ、何も足せないし、何も引けない、言うなれば究極の形であり、作りになっています。だから熟練の職人さんは、傍らの父親や師匠の技を見ながら教わり、恐らく先人もやって来たようにずっと続いてきた技を繰り返し、繰り返し、自らの精度を上げてきたと思うのです。


ところが新たしい品物にチャレンジしようとする時には、初めて編んだ籠が二回目、三回目となる度に自分自身の気づきや工夫があって変わっていく事があります。そして、そうこうしている内に、初期に編んだ竹籠を使ったお客様からフィードバックがあり生活の中の竹は更に完成度が高くなっていくのです。


雑誌「瀬戸マーレ」さんが日本唯一の虎竹の里へ取材に来られましたぜよ。

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、雑誌「瀬戸マーレ」


雑誌「瀬戸マーレ」さんは本州四国連絡高速道路さんが発行されゆう旅雑誌で、中国四国の高速道路サービスエリアや道の駅などに置かれている雑誌との事でした。高速道路を使うて車の旅行される方なら、立ち寄ったSAのフリーペーパーを一度や二度は手にした事がありますろう?


何を隠そう自分も気軽に読めて地元の旬な情報満載の冊子は大好きで新しいモノを見つけると必ずチェックするがぜよ。だから、今回の雑誌「瀬戸マーレ」さんの取材は、こじゃんと(とても)楽しみにしちょりました。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、虎竹の里山出し取材


ちょうど取材のタイミングとしては良い時期でもあるがぜよ。日本唯一の虎竹伐採は1月末で終了していますものの、まだまだ竹林からは伐ったばかりの竹達が運び出されている最中。実際の仕事の様子を感じとっていただけるのではないかと思うのです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、竹虎本社工場取材


工場では虎竹の油抜き、矯め直し作業を見て頂きます。取材の皆様はドライバー、カメラマンの方、そして文章を書かれる方や、取りまとめの方など総勢7名もの大所帯ぜよ。

雑誌の名前から勝手に判断して、もしかしたら四国の方もおられるのかと思っていましたら皆様が神戸や大阪など都会に暮らされる方ばかりちや、なるほど竹林や竹工場で驚かれるのも当然やと納得したがです。


虎竹網代編製作


日本唯一の虎竹自動車プロジェクトの締め切りは刻々と迫ってきちょります。今の時期は山や土場など外周りの仕事に追われる事が多く、このような日常業務の合間をぬいながらの事ですので完成までには、まだまだ程遠い状態ぞね。当日は、虎竹を細く割った竹ヒゴを緻密に編み込んでシート台座部分の製作が最終段階になっていましたので、網代編みの仕上げをしている所をご覧いただく事ができました。


遠くから取材に来られていますので、時間的な制約かありつつも長い間ご覧いただきましたけんど、この日の内容は3月25日以降の本に掲載されるそうながです。春の観光シーズンに中国、四国へ車で走って来られる方は是非覚えちょってご覧いただきたいと思います。


作務衣のご縁

竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI、TAKETORA)、,作務衣,さむえ,SAMUE


今年に入ってから、どういう訳は分かりませんけんど海外から来られる方が多くなっちょります。一昨日はシンガポールから見学にお越しになられた方々がおられましたぜよ。本店や工場、そして日本唯一の虎竹の竹林などご覧いただきましたけんど同じ東南アジアの方なら、竹などそんなに珍しくないのではないろうか?と心配しよりましたが、竹細工などを本当に喜んで手に取っていただき嬉しく思うたのです。


考えてみたら日本でも、これだけ竹が沢山あって海外の方からすると「日本=竹」というイメージを持たれているのにも関わらず実際は竹林などには足を踏み入れた事もないという方がほとんどなので、竹文化圏のお客様と言うても竹に日頃触れ合われている方は自分が思うよりも、ずっと少ないのかも知れませんにゃあ。


さて、そのシンガポールからのご一行様の中に、最初からずっと気になる方がお一人おられました。一番ご年配で貫禄のある方でしたのでリーダー格の方に違いないと思いよりましたが周りの方の気遣いなど見ていると、どうやら間違いないようです。名刺には「Dr.」と書かれちょりますので何かの博士ですろうか。けんど博士には、あまり似つかわしくない普通のズボンに上着だけ作務衣を着用されちょります。恐らく日本に来られてから何処かで手に入れられて羽織られている感じでしたが、その作務衣がどうも自分が30年近く愛用していて、今日も着ている笹倉玄照堂さんのもののように思えて仕方ないのです。正面から見てハッと思いましたが、後ろ姿の肩のステッチを見て確信しました。そこで思い切って作務衣の事を聞いてみる事にしたがです。


「ステキな作務衣ですね、お好きながですか?」


そして、背中裏側についたタグを拝見させていただくようお願いしました。快くご了承いただけたので、襟首をつまんで見てみると...


「笹倉玄照堂!!!」


見事に見慣れたブランド名がありましたぜよ!しかも、驚いた事に白文字ではないですか!?実は、現在のタグは全て赤文字になっていますが、かっての笹倉玄照堂は白文字でした。いつの頃に文字色が切り替わったか定かではありませんが自分も20着持っている中で白文字は4着しかないので時代としては、かなり古いモノのはずぞね。


むむむ、、、古い時代の作務衣を何故シンガポールの方が!?


不思議に思いよりましたが謎はすぐに解けました。案内をされている日本の方が、珍しいものを見て頂こうと骨董品屋さんにお連れしたそうなのです。そして、そこで日本的な上着という事で目にとまり購入されたとの事でした。


なるほど、デッドストック。それで新品のような生地やったのか...。


その作務衣の生地はメーカーさんに何度も問い合わせしたものの今では生産できない自分の大好きな厚手の生地でした。形自体は笹倉玄照堂なのに生地に違和感があって、ちっくと迷ったのもこのせいやったのです。


それにしても、体格の良い海外の方にピッタリの上着がよくあったものちや。もしかしたら、あまりに大きなサイズなので着られる事なく今まであったのかも知れませんにゃあ。まっこと、ご縁で遠く海外に行くことになった笹倉玄照堂ですが、この方とは、言葉は分からないのに作務衣で意気投合しましたきに必ずどこかで又作務衣姿でお会いできると思うちゅうのです。


NHKテレビ放映「潮風が育む幻の竹」

竹虎四代目


この虎竹の里は、まっこと美しい所ぜよ。山に囲まれちょりますので山深い所という印象を持たれる方もいるのですが、実は海が近く昨日の夕方に放映されたNHKさんのテレビ番組の特集でも早朝の海からスタートしたがです。


高知県の西の端にある宿毛(すくも)には、だるま夕日というのがあって結構有名ではありますが、だるま朝日というのは知る人ぞ知る早起きする人だけへのご褒美みたいなものですかにゃあ。まっこと、早起きは三文の得というのは本当の事のようですぞね。


土佐虎斑竹


そうやって始まった番組ですけんど何故海からスタートするかと言うたら番組タイトルに「潮風が育む幻の竹」となっちょります。実は何を隠そう日本唯一の虎竹は、どうしてこのような虎模様ができるのか研究者の間でも解明されていない謎なのですが、ひとつ海風の塩分が原因の一つではないかと昔から言われちゅうのです。


実は、これには科学的な根拠がある事が最近分かってきちょります。いつだったか塩分と植物の関係のお話を聞いた事がありましたが、植物によっては色が黒く変色するものがあるそうですから、もしかしたら虎竹もそのような作用のひとつが虎模様として現れているのかも知れません。


黒竹という、名前の通り真っ黒い竹があります。直径でいうと1~2センチ程度の細い竹で、竹虎では縁台の座面に多用している竹ぜよ。虎竹の里からもすぐ近くの久礼あたりから生育地が広がりますが、良質の竹の育つ地域は海岸に沿っています。確かに塩分と竹の色づきとは何らかの関係がありそうに思うのです。


竹虎工場長


「ここには日本で、ここにしかない竹が出る...」番組の中で竹虎工場長がそう話します。海風の作用だけなら海に囲まれた日本です、他の地域にもあるのでは?そんな事も思いますけんど、もう数十年前になりますが、この地に来られたご高名な京都大学の竹博士は虎竹の色合いを土中の特殊な細菌の作用だと話されたがです。


海風と土中の細菌か...?


いやいや、それだけではないだろうと話すのは土佐藩の時代から代々、虎竹を扱ってきた土地の古老達。不思議な虎模様の理由は海からの風、土中の細菌、日当たり、そして一番の決めては気温だと言うがぜよ。「霜が降りるくらい寒い日が続かないと虎が出ない」昔から土地に言い伝えられる事で科学的な根拠などあるわけではないのですが、様々な要素が複雑に絡み合うて生まれる土佐虎斑竹が、この地だけの恵みというのは間違いない事ながぞね。


虎竹の里、山の職人


レポーターの方が思わず声を上げるような急な斜面を、ずっと登った竹林での山仕事を慣れた手つきでこなしている山の職人さん。何気にされているように見える仕事ひとつひとつにも熟練の仕事師の技があるのです。竹虎を退職された後に内職さんとして自宅で竹の矯め直しの仕事や、地元ならではの虎竹を使うた細かい竹細工をされる職人さん。ここには独特の竹を中心に今も昔ながらの竹文化が静かに息づく里であるのです。


日本唯一の虎竹


わずか1.5キロの間口に深く入り込んだ谷間の山々に育つ、不思議な虎模様をつけて天を目指して真っ直ぐに伸びている竹達が映ります。今度のNHKさんのテレビ取材では、日頃は一人で黙々と仕事をする事の多い職人たちが、自分たちの竹の向こう側を感じてもらえる良い機会になったと思うちょります。竹を扱う時とは、まるで別人のような辿々しさも時には大切な事かも知れませんぞね。


竹虎四代目(YOSHIHIRO YAMAGISHI)


この小さな里の虎模様の入る特産の竹。今回はNHKさんにお越しいただいちょりましたが、かっては遠くイギリスのBBC放送さえ来たような地域の伝統でもあり、誇りでもある竹。ところが、そんな灯火でさえ、ほんの少し前には消えそうになっちょりました。転機は何やったろうか?ほんのちょっとした気づき、何も新しい事ではなく自分たちの足元にあった、そのまま価値を「価値」として思いなおした事ですろうか。もちろん、今でも前途多難、大きな課題は目の前に立ちふさがります。


「我身自らたいまつとなりて世界を照らすなり」


中学の頃に恩師より習った言葉です。田舎の小さな竹屋の自分には世界は広すぎると思いよりましたが、この世界は自分で言うなら、ここから見える虎竹の里。地域の人の笑顔や虎竹のために自分が出来る事を今やる。それが運命であり、喜びであり、今ここにいるただ一つの理由ぜよ。百年前に初代宇三郎が小舟で辿り着いた浜辺を見下ろす峠で思いを新たにするがです。


竹鶴

白竹フォーク


竹鶴などと言うたら、まず思い出すのがウイスキーの名前ですにゃあ。ご存じの方も多いかも知れませんけんど、少し前にNHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」という番組があって、その主人公のモデルでもニッカウヰスキーの創業者、竹鶴政孝の名前から来ているようです。まあ、「竹」は縁起のエイ植物ですし「鶴」は鶴は千年亀は万年という長寿の象徴ですきに竹と鶴で更にめでたさパワーアップという所ですろう。


この白竹フォークも、きっとそんな事を思いながら竹職人が一本づつ手削りで仕上げたものに違いありませんちや。母が数十年前に手にしたものと聞きますので、どこの誰が製作したのかなど詳しい事は全く分からない竹細工の一つではありますが、飴色になった竹肌、優美なライン、丁寧な仕事ぶりは長い時間を経た今でも昔と何ら変わる事なく食卓で愛用できるがです。


いえ、むしろ、新品の時よりも渋さが増して値打ちが何倍にもなっちゅうと感じるがぜよ。このフォークで食べるリンゴは金属製のそれとは比べられないほど美味しい、手に持つ感触、口に当たる感触、そして竹鶴。まっこと最高のデザート時間やったのです。


祈願成就 天狗の羽うちわ

 
竹の葉


竹製玩具を製作される工場にお伺いさせて頂いちょりましたぞね。年期の入ったテーブルは長い社歴と、伝統を感じさせてくれるのですが「これは一体何ですろうか?」その作業台の上に小山のように積まれたものがあるので近寄って手にしてみたのです。薄く剥いだ竹の身部分で出来た何かのパーツのようでしたが、まるで白い竹の葉のような形をしています。


竹の葉型打ち抜き


確かに竹を薄く剥いで作られたモノではありますが、これが何に使われるのか全く想像もできませんちや。近くの作業台にには、竹の葉型に打ち抜く前の素材もありましたが、打ち抜かれた素材をみせてもらうと、まっこと良く分りますちや。


竹の葉型打ち抜き機械


そして、打ち抜く機械がこちらぜよ。中央奥に竹の葉型に金属の穴が開いているのが見えます。ここに竹素材を通しておいて次々に打ち抜いていくのです。こんなに軽くて小さい竹パーツなのに、それを作り出す機械はそういう訳にはいきませんぞね。大きく、重たく、どっしりとした重厚な機械が据え付けられられちゅうのです。


祈願成就、天狗の羽うちわストラップ


さて、これらの小さな竹パーツが何になるのか?と言うたらコチラの「祈願成就 天狗の羽うちわストラップ」。なるほど、確かに天狗の持っている団扇は羽根で出来ていたはずです、それを竹で表現したものがコチラやったのです。


まっこと(本当に)何気に見られている、ちょっとした縁起ものやお土産に使用される細かな竹材も実はこうして、ひとつひとつ丁寧に作る職人さんがいるのです。そう思うたら、まっこと自分にも羽根が生えたようじゃ!願いも叶いそうな気がしてきませんろうか。


またひとつ、驚きの竹

 
図面竹


昨日のお話させていただいた曲ったような珍竹は実は大変価値があり、当然一点モノでもありますので大切に室内装飾などに使われてきた竹素材なのです。以前、琵琶湖のほとりに建てられていてる山元春拳という方の旧邸「蘆花浅水荘」に行った際にも、こじゃんと(とても)面白い竹が床の間に使用されちょりました。このような竹が、どのように使われるのか?特に床の間の生活をご存じない若い方にはイメージできにくいかも知れないので一度ご覧いただきたいと思うのです。


さて、今回ご紹介させていただいている図面竹も腰が折れ曲がったかのような格好ですが、実はこの竹は図面竹の模様の色合いが人工的に付けられた柄であるのと同様に、この曲り自体も竹職人さんの技術で曲げられているのです。どうですろうか?凄い技ですろう!?


それでは一体どうやって曲げているのかと言うと...、おっと、竹虎の事を少しご存じの方はガスバーナーの加工を思い出されているのかも知れませんにゃあ(笑)日本唯一の虎竹はガスバーナーの炎で高温に熱してから竹の曲がりを真っ直ぐに矯め直す加工をします。なので、こうやって面白い曲がりを出す時にも熱を入れて矯め木を使い曲がりを出すのではないかと思われる方もいらっしゃるかも知れません。


図面竹の木枠


ところが...。


それは大ハズレながぜよ。昔からお取引をさせて頂いちょります京都の清水銘竹店さんにお伺いした際に木枠を沢山拝見させてもろうたのですが、この図面竹の曲がりは筍の時に、このようなカーブを描く曲がった特別な木枠をかぶせて作っているのです。竹職人と自然の竹との共同作業のようなものですぞね。こうやって木枠を設えても、人の思惑どうりに竹が曲がる事ばかりでもないし竹をそのまま置いておいても、このような曲がりには絶対に成長する事はないそうぜよ。


あの大きな孟宗竹を四角い形にしつつ、しかも曲げを入れるという高度なテクニックで出来あがる図面竹は、まさに京都の熟練竹職人の技の結晶とも言えますろう。まっこと、竹の世界は驚きに満ちちょりますぞね。


たったひとつ、希望の竹

銘竹


京都の銘竹市に行った時には普段あまり目にすることのない珍しい竹達に出会いましたぜよ。そんな中のひとつに根元から90度に曲がった珍竹があったのです。


竹は一日に最大で120センチも伸びた記録があるくらい成長力のある植物ながです。この竹は筍として生まれ、その驚異的な力で上を目指して伸びようとした時に、たまたまその進行方向に石があったのか?何があったのか?とにかく真っ直ぐに伸び上がる事ができず折れ曲がり、それでもその障害物を回避したところから逞しくスクスクと大きくなった、言うなればこじゃんと(とても)苦労した竹なのです。


人間にたとえるとするなら、ちょうど伸び盛りの子供の頃ぜよ。この竹も、もしかしたら思うたかも知れませんぞね「どうして自分だけ、こんな大きな岩の下敷きになって真っ直ぐ伸びられないのだろうか?」。同じ竹林では仲間の若竹がドンドン伸びて行っているのに、自分が望んだわけでも悪いわけでもなく、たまたま置かれた運の悪さを嘆き、悲しんだのかも知れんがぜよ。


けんど、その時にはマイナスとした考えられなかった事で、辛い思いもしたかもしれませんけんど迷いながらでも道を探した結果はどうやったろうか?朝の来ない夜は無いと言われますけんど、本当にその通りで大きな岩はどこまでも続いちゅうわけではなく、しばらく我慢したら上に伸び上がれる場所が見つかった!


望まない境遇で不幸にも思えなくもありませんけんど、そのハンデを乗り越えてみたら他の竹にはない魅力と価値がついて、数え切れないほどの竹が生まれて来る中にあっても選ばれ、竹の本場である京都の銘竹市のような輝かしい舞台に立つことが出来るちゅうのです。


この竹は希望です。人は皆が強く、順風満帆ではないと思うちょります。けんど、大きな壁を前にして泣くのか、笑ってみるのか。諦めない事の大切さと、いつでも人には明日がある事を教えてくれるために、この竹は此処にあるがです。