鮎籠で蘇る

鮎籠


ちょっと贅沢なお話しかも知れませんが、虎竹の里のある須崎市は海の幸の豊富な高知にあって更に新鮮で魚の美味しい土地柄です。小さい頃は連日の大きな切り身のカツオに飽き飽きしていました。新鮮なカツオはタタキにはせずに刺身で食べるのが普通でしたので「おナマ」と呼ぶ厚みのあるズッシリとするような切り身の並ぶ食卓を見るだけで、ため息がでたことを覚えています。


鮎かご、竹虎四代目


そんな贅沢な食材は他にもあって、それが実は鮎だったです。父親が川漁師の免許を取るほど鮎が好きで、シーズンになると投網漁にいつも出かけていました。すぐ近くを流れる新荘川は日本で最後にカワウソが確認されたような清流で当時は鮎がいっぱい、いつも大漁で帰ってくるので専用の大きな冷凍庫を購入しなればならないほどだったのです。


そこで鮎の季節は、毎日のように鮎ですが、焼き鮎だけでは追いつかず日持ちのよい自家製の燻製なども作っていました。大人になって鮎の味が分かるようなり大好きになりましたが、小さい時には鮎も嫌いで今にして思えばもったいない食べ方していたのだと思います。


あゆかご


最後のひとつ残ったものでしょうか?奥の方に何年も置かれていたかホコリをかぶった竹籠が目にとまりました。何に使う魚籠かと聞きますと「鮎」と言います。


魚籠は日本全国にいろいろな形があって、それぞれ本当に面白いのですがこのようなシャープな三角形の籠はあまり見かけたことがありません。それ以上に「鮎」という一言で竹仕事の合間に夜な夜な投網を手入れする父の姿を懐かしく思い出し、ふと手に取った籠なのです。


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