虎竹のへの愛情を肌で感じて育ってきた。

虎竹、竹虎四代目(山岸義浩)


虎竹の山々には竹林に通じる細い山道が沢山あって、そこに自分が行くと結構な人気者だ。「使ってくれ、使ってくれ」と今日も山から竹が下りてくるのである。虎竹の場合、江戸時代から土佐藩に年貢として納められる付加価値の高い竹だった。


現在の山の価値は、あまり高いとは言えないがその昔のは森林が富の源泉であり地域が大いに潤った。だから杉や檜に持ち主の名前が書かれていたり、「木一本、首一つ」と言われ木を一本勝手にきれば極刑が待っているほど厳しく管理されていたりもしたのだ。高知県は岐阜県をおさえて森林面積84%の日本一の山王国だから山間部の町には華やかな頃の名残が今もあり、運び出されて行く材木などの中継点となった港もにぎわっていた。


虎竹


普通の山々でもそのような時代だったからかも知れないが、虎竹の里の竹林には他人が近づく事などあまり無かった事だと聞く。もちろん明治以降、大正、昭和と時を経て自動車も走るようになってからは虎竹の古里である焼坂の峠に向かう山道は誰でも通行は可能だった。しかし、海岸に沿って通る新しい国道が開通すると、その道は行き止まりとなり用のない人が車で来る事はなくなった。


竹虎四代目(山岸義浩)


「あの車は一体誰だ、何のために来ているのだ?」


そこで、自分の小さい頃には竹林に通じる道路脇に自宅のあった職人は、山に向かう見知らぬ車はすべてチェックしていた。幼心ながら地域の虎竹への並々ならぬ愛情やこだわりを肌で感じて育ってきたのだ。


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