竹は社会的に低く見られてきた

竹虎四代目(山岸義浩)


竹の仕事は社会的に低く見られてきた歴史があるからだろうか、特に年配の職人は仕事を見られる事を嫌った。写真などもっての他だと怒りだす、「竹細工と知られると、めんどい(恥ずかしい)から材料は家の裏に置いてくれ」とも言う。しかし、本当にそうか?これだけ美しく、機能的で人々に喜ばれる竹がそうか?家業を継いでから、そのような場面に出くわす度にずっと違和感を感じてきた。


虎竹の里


この成り立ちには、おそらく竹特有の性質も関わっている。竹は生活のあらゆる場面で活用されてきたが地下茎をしっかりと張って伸びていくことから防災面でも大きく役立ち沢山の財産や人命を助けてきた。台風銀座とも言われる高知のような豪雨地帯に暮らしていて、荒れ狂う川の流れを頻繁に目にする自分などからすると現在のように土木工事が発達していなかった時代に護岸用として植えられた竹はどれだけ頼もしく見えた事かといつも思う。


職人の手


そして、そんな川岸に生える竹には、山林で一本づつ厳しく管理されていた樹木と違ってハッキリとした所有権はなかったのだろう。しかも、毎年どんどんと生えて3ヵ月で親竹と同じように繁るので少しくらい伐ったとしても誰に咎められるでもない。自分の土地も持てなかった人々にも元手不要の生業として歓迎されたと想像するのだ。


何せ本物の竹職人は刃物ひとつあれば何でも作りだす。竹を伐り倒して束にする際にも紐すら不要だ、近くの柔らかい若竹をパッと伐ったかと思うとパンパンと割ってロープ代わりにする。縛り目をクルクルッとねじって重たい竹をまとめてしまう、何と格好が良かったことか!


箕


思うに竹は柔と剛の相反する性質を併せ持つ不思議な素材だ、その加工性の高さで日本人との数千年の共に歩んできた。そして、竹をとりまく人々の向き会い方も、時と場合によって「聖」であったり「俗」であったりまるで正反対なのだ。このことは竹の世界を深く魅惑的なものにしていて心を掴まれたら離してはくれない。



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