戦国時代と蓬莱竹

蓬莱竹、竹虎四代目(山岸義浩)


2月19日の30年ブログ「これぞ土地の守り神!百年蓬莱竹」を書いて以来、どうも蓬莱竹が目につきます。ご関心のある方など多くはないと思いますけれど、一度意識して周りを見渡してみてください。気候の暖かな西日本の田園地帯や里山にお暮しの方でしたら結構な確率で出会う竹です。


ちなみに高知などの場合、虎竹の里から半径10キロ圏内に少し思い浮かべるだけでも10数カ所くらいは植えられています。洪水対策のために川岸に見られる事が多いですが、それだけでなく山林の境界として利用されていているであろう蓬莱竹を所々に見つける事ができるのです。




ところで、このYouTube動画はご覧いただきましたでしょうか?今では洗濯籠に編まれているメゴ笹が、実は戦国時代にはお城の守りに一役買っていたという意外なお話です(笑)。

 
蓬莱竹、竹虎四代目(山岸義浩)


しかし、この蓬莱竹につきましても元々は南方系の植物だったものが遠く日本まで運ばれてきた理由に、これまた戦国時代が関わっているから驚きです。まず種子島に伝わりましたから当時は「タネガシマ」と呼ばれていた火縄銃、これによって戦国の世は大きく変わりました。長篠の戦いで織田信長が武田騎馬軍を打ち破ったのはまさにこの新兵器の登場によるものでした、そして銃の火縄に使われていたのが節間の長い蓬莱竹でした。


戦など好ましいものではないものの竹はどこまでも人と共にあり、さらに平和な世の中になってからは防災に役立っているという事なのです。




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