幸せな時代の竹籠背負い籠

御用籠を背負い籠に使う

 
今ではほとんど見かけないけれど、小さい頃には行商の方が頻繁に家にやって来ていた。行商という言葉さえ近年では消えかけてしまっているのかも知れないが、訪問販売のようなものだ。ちょっと違うのは、訪問販売と言うとスーツを着たセールスマンが少し高額なものを売り歩く印象があるけれど、行商はもっと生活に近い日常品を携えられていた。


御用籠


そう言えば行商とは少し違うけれどポン菓子作りと言うのがあって、見かけるやいなや子供達は家に帰ってお米を持って行く、するとおじさんが機械に入れて作ってくれるのだ。グルグル手で回していたような記憶があるが、ある一定の時間が経過すると「ポンッ!」と大きな音と共にポン菓子が飛び出してきて完成だ。田畑の続く長閑な田舎道に真っ黒い機械が置かれていて、真っ赤に染まる夕焼けの空を今でも鮮明に覚えている。


御用籠の丈夫な力竹、竹虎四代目(山岸義浩)YOSHIHIRO YAMAGISHI


その他、農具を含めた刃物類や珍味などは30年ほど前までは定期的にやって来られていた。ホームセンター等が出来てからでも高知県では竹籠や竹ざるは、地元で編まれたしっかりした物でないと長く使う事ができないので、生活に欠かせない道具として求められる農家さんが多かったそうだ。


角背負い籠


そんな行商の中でボクが一番印象深いのは、やはり干物売りのおばちゃんである。その方は、虎竹の里の隣町カツオの一本釣りで有名な漁師町久礼からやって来られていた。コゲ茶色の風呂敷に包まれた中には渋い色合いになった縦長の御用籠、数段に分れるようになっていて玄関先に広げられるようになっていた。おばちゃんが来ると干物から鰹節やイリコの香りで玄関が充満される、母が目をキラキラさせていたのを覚えている。季節の美味しい魚や、食べ方は、行商のおばちゃんに教わっていたようだった。当時は料理番組などいらなかったのだ(笑)。




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