竹虎の倉庫で棚の奥深くに仕舞われていた竹手提籠バッグは、ただ古いだけの「竹」ではありませんでした。箱を開けた瞬間に、まるで何かを語りかけてくるような存在感、本物の煤竹だけが醸し出す雰囲気にボクは一瞬で心を奪われます。煤竹(すすだけ)と白竹を組み合わせて、丁寧に編み込まれた網代編み、特徴的なのは竹籠バッグが作られ始めた頃に良く使われていた、持ち手と本体を繋いでいる金具です。今ではあまり見かけないデザインに昭和レトロを感じる逸品でした。
深い飴色に輝く竹肌の煤竹とは、古民家の囲炉裏やかまどの煙で、100年、150年、時には200年という気の遠くなるような年月をかけて自然に燻されて生まれた竹です。昔の日本家屋では、竹材が天井や屋根材に多用されていました、そこに日々立ち上る煙が、長い時間をかけて竹の表面を深く美しい色合いに変えていったのです。まさに「時間職人」だけが作り出す事の出来る、宝石のような竹材。囲炉裏の生活がなくなった現代では手に入れるのが非常に難しい、希少な素材です。
一方で白竹も、晒したばかりの真っ白な色合いが経年変色して落ち着いた色目になっていて、煤竹の編み込みに馴染んでいます。この二つの異なる竹が、網代編みされて一つの籠の模様を作り出している所が、この籠のひとつの魅力です。重厚な煤竹が時間の重みを語り、白竹が現代の空気感をまとわせる...もしかしたら、作家の方がそんな感覚を持って創作されたのだろうかと想像してみました。
実はこの手提げ籠バッグは、竹虎二代目・山岸義治が特注で製作を依頼したものでした。祖父である義治は、虎竹の里にしか成育しない虎斑竹の育成と普及に尽力した人でした。江戸時代には、土佐藩の特産として藩外に出す事を厳しく制限された虎竹ですが、それ故に、知名度が低かったのです。その竹を全国区にして、土佐の竹虎として名声を広めたのが義治でした。
この煤竹バッグは、そんな義治が特別に注文して製作されたという事が、ボクにとっては更なる重みを与えてくれます。製作を依頼されたのは、竹虎二代目と非常に懇意にして下さっていた竹工芸家・白石白雲斎(しらいし はくうんさい)さんではないかと思っています。白雲斎さんは、伝統を重んじながらも、常に新しい表現に挑戦してきた職人で、多くの秀逸な作品を遺されています。特に虎竹を使った花籠などは、オーソドックスでありながら、他の竹人が真似のできない高みの技を感じます。
決めてとなったのは、生前に白雲斎さんから譲られたフィリピン製の籐編み籠と同じショルダーストラップ用部材が取付られている事です。国産の煤竹バッグに、一見このような違和感のある設えができたのは、祖父の注文なのか?作家の遊び心なのか?今となっては正確には分かりませんが、おそらくその両方だったのかも知れません。
更に、この竹籠の魅力は、昭和らしさが漂う、懐かしい持ち手と本体を繋ぐ金具や、どこか男性的な力強さを持った直線的で凛としたフォルムも印象的です。煤竹という和服はもちろん、現代の洋服ともよく馴染む、自然素材が長い年月をかけて醸し出す風合いを眺めていると、おのずと竹虎の創業から百年以上、竹と共に歩み続けてきた歴史に思いをはせます。この手提籠バッグも、四代繋いできた社歴の中で生まれた物語のひとつです。
コメントする