7月7日。竹の日そして、かぐや姫の誕生日

 
雨の孟宗竹の若竹


本日、7月7日はあまり知られていませんが「竹の日」。日本の竹人にとっては記念すべき日であり又竹取物語に登場するかぐや姫の誕生日とも言われています。さて、そこで以前も話題にさせてもらった事があるのですが皆様にもっと良くご理解いただきたいと思い改めて30年ブログでお話させてもらいます。


「これぞ竹取の翁が竹林で見つけた、かぐや姫の竹です。」


そう言ったら、いかがでしょうか?なるほどと信じられる方もおられるのではないでしょうか?それくらい光輝いて見える竹があります。一年中いつでも見られるわけではありません、今年の梅雨は長雨で困っていますけれど日中でも薄暗いような曇り空の日に竹林に行くとこのような竹を見つけられる事があります。


孟宗竹


晴れた日に行くと普通の竹にしか見えないのに、どうして白く光っているように見えるのでしょうか?実は二つの要素があります、一つは若竹、そしてもう一つは湿度です。孟宗竹の若竹には産毛のような細かい毛が表面に沢山あります、筍から竹になってドンドンと成長していく時期にちょうど梅雨があって竹達にとっては水分豊富で好都合なのですが、その湿気が生まれたばかりの竹表皮について少し暗いような竹林の中では輝きを放ち本当に浮かびあがって見えるのです。


ただ孟宗竹というのは渡来種で1728年に京都に移植されたという説と1736年に鹿児島に移植されたという説がありますがどちらにしても300年足らず前の話です。かぐや姫の登場する「竹取物語」は日本最古の物語と言われていて9世紀から10世紀に出来たそうなので当時の日本には孟宗竹はなかったのです。


それでは一体、かぐや姫の生まれた竹は何なのか!?


光の中の虎竹


それは淡竹(はちく)に間違いありません。淡竹のひとつの特徴として白く粉が吹いたように見える竹表皮があります。何を隠そう日本唯一の虎竹も淡竹の仲間ですが、独特の虎模様はこの白塗りした下に隠されています。虎竹と言っても全ての竹に色付きがあるのではなく、一級品の色合いになるのは一部の竹だけです。ずっと色付きのない竹も多いのですが、そのような竹に何かの拍子に日の光が当たった瞬間、「光輝く竹」が表れ竹取り物語の秘密が解けた事を確信するのです。遥か昔、翁は淡竹の林でこのように光る竹を見つけて、かぐや姫が誕生したのです。




海と竹とプラスチック

女竹


を伐採する職人が減って良質の竹材が少なくなりつつありますが、それでも盛んに竹を伐って流通させているのが漁業用の竹材です。大型トラックに太い孟宗竹を積み込んでいる様子を何度か拝見したことがあって、どこに行くのかと言うと広島や遠くは東北の方まで運ばれて牡蠣の養殖筏に使われるとの事でした。

 
メンチクの葉


そんな話を思い出したのは沢山の女竹の葉を訪れた竹屋さんで見かけたからです。このだけの量の葉を落とすとは、かなりの本数の女竹だと思って聞くと、何と有明海で赤貝養殖に使われているそうなのです。


女竹


女竹のウラ(先端)の方は枝分かれしていて海中を浮遊する赤貝の幼生を付着させるのに良いのです。先の牡蠣筏にしろ、赤貝にしろ広い海で使うので大量の竹材が必要で、現在でもそれだけの伐採を続ける伐り子はいるようで心強いと感じました。考えれば海も穏やかな日ばかりではありません、漁場で使っていた竹が流される事もあるではないかと思います。しかし、竹ならどこに流れついても腐って無くなりますので最近よく耳にする海洋プラスチックのような心配もありません。自然の中では自然素材ほどよいものはないのです。


竹皮で巻かれたお菓子

 
あくまき


竹皮で巻かれた「あくまき」と呼ばれる食べ物があります。南九州独特の餅菓子だそうですが、保存性の高い食料として古くは関ケ原の戦いにも持参されたという由緒あるお菓子で端午の節句に食されています。あくまきと言われるくらいですから灰汁(あく)を使って作られます、抗菌性が高い竹皮に加えて灰のアルカリ性物質の作用で腐敗を抑えているのです。


さとまき、砂糖巻


さとまき


使われる竹皮は孟宗竹との事なので表皮の産毛はどうなのかと思いましたけれど、竹皮に包んでから煮込まれているので全くなくなっています。そんな竹皮から出てたのは実はあくまきではなくて砂糖巻きから縮まったされる「さと巻き」という羊羹に似たモッチリ触感の美味しいお菓子。実は竹皮ごと包丁で切って頂くのが正しいようです。


虎竹の竹皮、竹虎四代目(山岸義浩)


同じ竹皮でも虎竹の竹皮と見比べていただくと一目瞭然、こんなに違います。淡竹である虎竹の竹皮には孟宗竹にあるような黒い模様がないのです。模様のある竹皮を脱いだ孟宗竹には模様がなく、竹皮には模様がない虎竹にには虎模様が出てくるとは不思議なものだと、いつも思います。


五三竹(布袋竹)の川辺

護岸竹、ホテイチク


徳島の竹職人さんが五三竹(ゴサンチク)と呼ぶ竹は高知県では布袋竹と言うのが一般的で文字通り竹の下部分が布袋様のお腹のようにふっくらと膨らんだようになった竹なのです。ちょっと亀甲竹にも似たところがありますけれどマダケの仲間で全長はせいぜい6~8メートル程度、直径も4センチ程度と小振りな竹で密集して生えますから護岸用の竹としても植えられています。


遍路杖


独特の節の曲りが面白く釣り竿の柄に使われてたりしますが、竹虎では遍路杖として皆様にご愛顧いただいている竹です。こんな画像をご覧になられると、一体何人の水戸黄門さんが居るんだ?と思われるかも知れません(笑)。


布袋竹、五三竹、遍路杖


五三竹(布袋竹)の魅力は、このしっくりくるグリップです。


布袋竹、五三竹


この川岸にビッシリと生えた竹の向こうには水田が広がります。この竹たちは洪水の被害から農家さんを助ける守り神として風に吹かれているのです。


布袋竹、五三竹


さて、しかし今回は護岸竹としての五三竹ではなく、もう一つの物凄い作品になっていく竹の姿をご覧いただきたいと思っています。一緒に竹林にやってきた竹職人さんが「ここの部分がいいねえ、ここ使うんや」と指で触っています。すでに筍が生えていて伐採には不向きな季節なので竹を伐る事はありませんが、やはり竹を見る目は鋭くもあり、優しくもあります。


(明日の30年ブログにつづく)


竹の紅葉と落葉

 
竹の秋


は生命力にあふれ一年通して青々とした葉が茂っているイメージがありますけれど、実は他の植物と同じように紅葉もすれば落葉もします。ただ、あまり皆様がご存じないのは季節が秋ではなく春から初夏にかけてというタイミングと、落葉したのに気づかないくらい早く若葉が芽吹くからなのです。


竹の落葉


竹林がいつもの元気な青さではなく黄色く色づいているのは紅葉しているからです。自らのエネルギーを筍の成長に使い切り落葉する時期があるのです。


竹の落ち葉


ほんの一時のため竹が落葉するのが信じられないほどです、しかし竹林に入り足元を見るとこの通り、敷き詰められたように竹の葉がビッシリ。


竹の新芽


そんな竹のパワフルな所は、落葉するやいなや新しい若葉が芽吹いている事です。元気がないように見えても次の瞬間には立ち直って前向きに進んでいく、竹の姿には見習ってばかりです。


竹と笹と

黒竹、竹虎四代目(山岸義浩)


は木でもなく草とも違う、まさに「竹は竹」という他にない特性を持ち、身近で手に入りやすいため古より人々の暮らしに深く根差した自然素材でした。その竹の生育域を世界的にみると日本や中国が思い浮かびますが、東南アジアやオーストラリア、中南米、アフリカなどの温暖で湿潤な地域に広く分布していて何と世界に約1300種、日本には約600種があると言われているのです。


雪と孟宗竹


もともと南方系の植物なので孟宗竹などは日本の北限が青森か函館あたりと言われていて、随分前になりますがデパートの売り出しに行った北海道では竹細工・竹製品は結構珍しがられた覚えがあります。竹は他の木と違って、受精しなくても地下茎から毎年筍が伸びてきて生育域を広げていきます。ところが、60年とも120年とも言われる間に一度、竹が花を咲かせるのです。竹の花が開花すると、群生している竹が一斉に枯れてしまいます、虎竹の里の古老に聞くと虎竹の林も一部で開花した時期があり、やはり一帯の竹がすべて枯れたそうです。


孟宗竹の開花


では竹の花というのはどんなものでしょうか?実は竹はイネ科の植物です。なので竹の花もまるで稲穂のような姿をしています。日本の竹の品質が世界最高だと機会があればお話ししているのは、ササニシキやコシヒカリといった海外の食通もうなる美味しいブランド米ができる日本だからこそ、同じイネ科の竹の品質が良いのは自然なことだと考えているからです。


竹皮


まあ、そんな竹ですが実は竹と笹があります(笑)。皆さん日ごろあまり疑問も持たずにおられますけれど、それでは竹と笹の違いはどこでしょうか?まず最初に答えを言ってしまいますと実は「明確な違いは分からない」が正解です。もちろん大まかな選別はされていて背丈の高いものが竹、低いものが笹。そして、両方とも筍から成長していきますが、その筍の皮が稈からすべてなくなるのが竹、皮が一生ずっと残ったままなのが笹という大まかな分類はあります。


メゴ笹、オカメ笹


しかし、背丈の低い竹もあって例えば洗濯籠の材料に多用される高知ではメゴ笹と呼ばれるものがあります。これは全長で1メートルから2メートル程度の小さいものですが竹類なのです。浅草の酉の市でオタフクの面をつける素材なので「オカメザザ」とも神楽に使うので「カグラザザ」という名前もあります、「ササ」と名前がついているのに竹類なのです。


反対に背丈の高い笹もあって、たとえば幕末に新選組の副長として活躍した土方歳三が「将来武士になったらこれで矢を作る」と決意をこめて生家の庭に植えたという話がある矢竹など高さは長いものだと5メートル程度になりますが笹類です。また、数寄屋建築に使われるという事で昔は竹虎でも結構取り扱っていたメンチク(メダケ)も稈の高さは4メートル程度になります、両方とも大きくて「ヤダケ」「メダケ」と竹のような名前がついているのに笹類なのです。


根曲竹


この根曲竹も竹とついているのに笹の仲間。野趣あふれる丈夫で秀逸な竹籠が編まれるので、竹でも笹でもどちらでも良いのではないか?そう言われればその通りなのです。




筍は10日で竹になる

 
孟宗竹の筍


今の季節、孟宗竹の竹林に入ると頭を出している筍を見ることが出来ます。日本三大有用竹と言われる竹の中では一番早く、その次に淡竹(はちく)、真竹と筍のシーズンが続きます。ちなみに日本唯一の虎竹は淡竹の仲間です、美味しい竹の種類ではありますものの虎竹の里では100年間この虎竹を食した話は聞きません。もちろん山岸家では父も祖父も、そしておそらく曽祖父も食べた事はないだろうと思います。


筍から竹へ


「筍は10日で竹になる」という言葉を聞いた事がありますでしょうか?雨がふって十分に水分がある山の状態なら1日に1メートル以上も伸びることがある筍です。10日もあれば筍の時にかぶっていた竹皮を脱ぎ落しながら竹へと成長...というより変身くらいのスピード感で大きくなります。


極太孟宗竹


それこそ毎日のように景色が変わる竹林で実感するのは「筍」の文字。竹冠に「旬」と書きますけれど「旬」とは10日間を意味していますから、まさに筍です。そして、驚異的なのがこんなに大きな孟宗竹もわずか3ケ月で成長しきってしまう事です。


天を目指す孟宗竹


樹木なら数十年かかるであろう20数メートルの高さにスクスクと伸び、真っ直ぐに天を目指す姿勢は神々しささえ感じます。


孟宗筍


神秘的で愛すべき子供たちです。


黒穂の竹林

黒竹、黒穂、竹虎四代目(山岸義浩)


黒竹の竹林に来ています、伐竹や山出しは随分前に終わっていますが今日は黒穂集めに来ているのです。竹を伐った後、枝打ちと言って小枝を全て取り除きますが実はこの小枝も竹製品に欠かす事のできない素材です。まさに竹は根っ子から稈、枝、葉まで余すところなく活用できるスグレ物と言えます。


黒穂


黒穂と聞いてもどのような物かイメージできない方も多いと思いますが、このような竹の枝です。以前は竹枝を集める専門の方が何人もいて10トン車で何回も往復するほど出荷量も多かった事を思い出します。


黒穂集め


竹の葉はなかなか落ちにくいので暫く竹林に放置してから来ています、小枝同士を叩きあって竹葉をできるだけ取り除いてから集めていきます。


黒竹の竹林


黒穂、竹虎四代目(山岸義浩)


このような竹枝が何になるのだろうか?と不思議に思う事もありました。けれど、穂垣といって竹穂ばかりで作られる庭垣もあれば、袖垣の部材としても使われますので竹虎でも年間で言えばかなりの量を使っています。他にも伐採している竹がありますので、その竹枝も集めれば良さそうにも思われませんでしょうか。しかし、孟宗や真竹、淡竹などの竹枝は黒竹の枝のような黒さがありません。黒々と美しい竹枝はやはり黒竹でないといけないのです。




戦国時代と蓬莱竹

蓬莱竹、竹虎四代目(山岸義浩)


2月19日の30年ブログ「これぞ土地の守り神!百年蓬莱竹」を書いて以来、どうも蓬莱竹が目につきます。ご関心のある方など多くはないと思いますけれど、一度意識して周りを見渡してみてください。気候の暖かな西日本の田園地帯や里山にお暮しの方でしたら結構な確率で出会う竹です。


ちなみに高知などの場合、虎竹の里から半径10キロ圏内に少し思い浮かべるだけでも10数カ所くらいは植えられています。洪水対策のために川岸に見られる事が多いですが、それだけでなく山林の境界として利用されていているであろう蓬莱竹を所々に見つける事ができるのです。




ところで、このYouTube動画はご覧いただきましたでしょうか?今では洗濯籠に編まれているメゴ笹が、実は戦国時代にはお城の守りに一役買っていたという意外なお話です(笑)。

 
蓬莱竹、竹虎四代目(山岸義浩)


しかし、この蓬莱竹につきましても元々は南方系の植物だったものが遠く日本まで運ばれてきた理由に、これまた戦国時代が関わっているから驚きです。まず種子島に伝わりましたから当時は「タネガシマ」と呼ばれていた火縄銃、これによって戦国の世は大きく変わりました。長篠の戦いで織田信長が武田騎馬軍を打ち破ったのはまさにこの新兵器の登場によるものでした、そして銃の火縄に使われていたのが節間の長い蓬莱竹でした。


戦など好ましいものではないものの竹はどこまでも人と共にあり、さらに平和な世の中になってからは防災に役立っているという事なのです。




メゴ笹(オカメザサ)と戦国時代

 
メゴ笹手付き籠


メゴ笹細工は竹ヒゴを作ることなく伐採した素材を使ってすぐに編むことができ、出来あがった籠は丸竹のままでケバ立ちもなく脱衣籠などにもってこいの籠だったのです。それが一時は「幻」と言われるまでに見られなくなった理由は、メゴ笹の扱いの難しさにあります。


メゴ笹竹林


伐採して青みのあるうちは柔らかくしなやかに曲り編みやすいのですが、すぐに乾燥してしまい硬くなってしまい籠にできないのです。そこで仕事のできる分だけ伐採しては編み、伐採しては編みという事を職人は繰り返すのですがメゴ笹を伐る時期も決まっているため沢山作ることはできないのです。


根曲竹


それにしても細い稈がまるで髪の毛でも生えているかのようにビッシリと詰んで生えています。根曲竹の竹林も入るのにも歩くのにも苦労すると職人から聞きますけれど、メゴ笹の密集具合はその比ではありません。


城址


かって戦国の世には日本国中に砦のような土塁で固めたお城がありました。そこにメゴ笹を植えていた話を古老の職人から聞いたことがあって、とても面白いと思いました。密に生えているメゴ笹の特性を上手に活かしているのです、いざ戦が近づくとなれば周りのメゴ笹を短くハス切りにするそうです。するとお城の周りは丈夫なハリ山となり何と防衛機能として役立つのです。衣食住すべてに関わって人に寄り添ってきた竹が更に意外な力を発揮していたという事です。