竹弁当箱の温故知新について

虎竹ランチボックス


長角という長方形をした細長く使い勝手の良い虎竹ランチボックスが新しく登場したのは昨日のブログでも少しお話しさせてもらった通りです。通気性が良く、蒸れない弁当箱として根強い人気があって竹虎の若い社員の中にも愛用者がいるのです。


風呂敷に包んで持ち運ぶのは他のプラスチックのお弁当箱などと同じですが、結んだ包みをほどいた時の感激が違います。


スズ竹弁当箱


虎竹ランチボックスをハードタイプだとすると、スズ竹弁当箱はソフトタイプと言えます。手触りも優しく弾力がある網代編み、柔らかいと言えども竹の中でも最強と思えるようなしなやかな性質を持つ竹なので本当に丈夫です。ずっと昔から定番として愛されてきたのが納得できるのがこの弁当箱ぜよ。


渡辺竹清作煤竹パーティーバック


さて、ここで登場したのは網代編みの第一人者として活躍されてきた渡辺竹清先生の作品です。ニューヨークの有名宝石店の注文で創りはじめた籠はアメリカではパーティーバックとして販売されて大人気となっていた伝説の逸品ぞね。


このパーティーバックをデザインされたのも世界的に高名な方ですが、創作時にインスピレーションを受けたのは日本でずっと使われてきた竹弁当箱だそうです。その話を先生の工房で伺った後に、ふらりと入った古道具屋さんに同じような形をした昔の弁当箱が吊り下げられていてビックリした事があります。


スラリとしたモデルさんと一緒に写っているお洒落なパーティーバックを見ていると、まさかそのモチーフが暮らしの中で使ってきた弁当箱がヒントとなっているとは思いもよりません。普通ならそのまま見過ごしてしまうところかも知れませんが海外のデザイナーだからこそ日本の良さに気づくことができたのだと思います。まさに温故知新、最高に愉快な話ですが自分たちは元来、合理的で素晴らしく美しいモノに囲まれているのだと改めて感じるのです。


虎竹ピクニックバスケット、その圧倒的な存在感

虎竹ピクニックバスケット


虎竹ピクニックバスケットはやはり存在感が違います。一つ一つ違う虎模様で同じ形を作っても風合いが違うのも面白いものです。湯抜きして晒した白竹は、真竹ですので比較的に節間も長く、身部分も厚みがあり、さらに柔軟性と粘りに富んだ竹なので竹細工には非常に適した竹材です。


虎竹ピクニックバスケット


ピクニックバスケットが白竹で多く作られてきたのは虎竹の希少性もありますが、その竹材の扱いやすさにあります。しかし、歩留まりが良くなくて多少は竹材コストが高くなっても、あるいは製作時間が多くかかることになっても、この虎竹の籠を見てしまうと魅力的です。


虎竹ピクニックバスケット


虎竹は淡竹(ハチク)であり、真竹に比べると難しい素材だと言う職人がいる一方、この淡竹の方が馴染みがあり竹細工にこんなに使い勝手の良い竹は他にないと言って淡竹の籠編みを続ける昔ながらの古老の職人が何人かいます。


虎竹弁当箱


そこで少しづつ時間をかけて虎竹のピクニックバスケットの製作準備を続けてきましたが先日は長角の虎竹ランチボックスなども出来あがりました。日本唯一の虎竹を使った製品を作り楽しんでもらえたらと思っています。


竹林マジック

虎竹の里


緑の少ない都市部に暮らす方々からすると、もしかしたら意外に感じる方がおられるかも知れませんが日本は国土の約7割り近くを森林が占める森林大国です。特に自分たちの暮らす高知県などは更に日本一の森林県なので県土の84%が森林なのです。そんな自然豊かな日本にあって竹林の占める割合はどれくらいかと言うと実はわずか0.6%しかありません。


生まれ育った虎竹の里が竹ばかりですし、出かける地域も竹が多い場所ばかりなのでこの数字がしばらく信じられませんでした。しかし、数字は間違いありませんので虎竹の里など山を見渡せば虎竹の林だらけという光景は日本の中ではかなり珍しい地域という事ですろう。


竹は木材とと違って成長が早く、毎年どんどん生えてすぐに親竹の大きさになっていきますので人の手入れが出来なくなると途端に荒れ放題となります。しかし、よく耳にする放置竹林などの問題は、全国の竹林面積の比率から言えばそう問題にならないようにも思われませんでしょうか?


実は、ここに竹林マジックがあるのです。全体の森林面積からすれば本当にわずかな面積しかない竹林ですが、ずっと昔から人の生活に密着し様々な用途に活用されてきた竹は、いつでも伐採できるように身近に植えられてきました。ですから実際の統計的な数字から言えばごくわずかな量であっても、人の生活圏に近いため非常に大きなインパクトがあるのです。


夜の竹林


そこで、そんな竹林を自分たちの手で美しく管理しようというグループが各地にありますが、そのひとつに日本の竹ファンクラブというNPO法人があります。横浜市に小机城というお城があった小高い山が竹林に覆われてますが、ここの竹を伐採し綺麗に管理されています。昨年の日本唯一の虎竹電気自動車竹トラッカーでの「チャレンジラン横浜」でも近くを通りがかりましたので立ち寄りたいくらい見事なものでした。


ちょうど今夜は、その竹林で夜の散策ができる「竹灯篭まつり」というイベントが開催される予定でした。生憎の雨で今夜は中止のようですが、前にお伺いした時には自分たちでも夜の竹林はあまり馴染みがなくて感動した事があります。これも、まさに「竹林マジック」。竹の違った一面であり、神秘的な竹の風情をたっぷりお楽しみ頂く事ができるのです。


生誕百四十五年、竹芸家・二代飯塚鳳齋「竹を編み竹に生きる」

飯塚鳳齋展示会


生誕百四十五年、竹芸家・二代飯塚鳳齋「竹を編み竹に生きる」という展示会の案内を頂いておりました。飯塚琅かん斎という天才的な竹芸家がおられて主に海外でコレクターの方に高い人気を誇っているようですが二代飯塚鳳齋は、実兄にあたる作家です。


会場は生まれ故郷である栃木市にある、とちぎ蔵の美術館という所で高知からは随分と遠いのですがいよいよ最終日となった日曜日にどうしても観たくなって台風接近で帰りはどうなるか分からないと思いつつ駆けつけました。


竹虎が創業123年ですので、そのような昔に竹に取り組み、まだまだ低かった竹工芸の地位向上に尽力された作品だと思うと、ガラスケースに入れられて展示されているはずの50点が、蔵を改築した静かな会場の中から息苦しささえ覚えるほどの迫力で自分に向かってくるようです。


二代鳳齋の刻銘は何種類かあるようですけれど「鳳齋」には手彫りと焼印があると聞きました。そこで気になったのが網代編みで凝りに凝った飾り台です、当時は花活けを飾る台として使われていたという二種類が展示されています。この飾り台には焼印が押されているとの事です、つまり一品作ではなく工房で複数の職人が手をかけて創作していく大量生産されたものだと言われます。こんな凄い技法を駆使されている飾り台が沢山製造されていた当時とは一体竹にとってどんな時代だったのか?さぞかしエネルギッシュで面白い時代だったに違いありません。


夕立花籃という大正中期に製作されたという花篭にも足がとまります。籠の下半分で田園を、上半分にはそこに降り注ぐ雨を表現したという竹籠は粋です。


竹縁台


この日は台風の関係でしょうか全国的に雨でした。美術館を後に雨やどりしながら歩くと通路のテント下に竹縁台が並べられています。高名な竹作家が技巧を凝らして創り上げる究極の竹も素晴らしいですが、垂れこめた雲の下、自然という大作家が時間をかけて創作した錆びた竹にも心魅かれます。


虎竹カード入れが欲しかったのです。

虎竹カード入れ


虎竹名刺入れをリニューアルしたばかりなのですが同じタイミングで製作したのが前からずっと欲しかったカード入れなのです。


免許証と言っても、ほとんど取り出す事がないので今までは免許センターで支給される免許証入れに入れてそのまま鞄のポケットにしまっておいたのですが何かのはずみで免許証入れの表紙が取れてしまいました。そこで、古い虎竹財布を使っていましたがサイズが大きいし、どうもしっくりきません。


日本唯一の虎竹カード入れ


皆様も同じかと思いますが車を運転される方でしたら免許証、JAF会員証などはいつも携帯していますし、その他にも頻繁には使わないものの携帯したいポイントカードなどが何枚かあるものです。これらをコンパクトに一つのカードホルダーとしてまとめておきたいとずっと思っていたのです。


ジッパー付虎竹カード入れ


そこで虎竹名刺入れと同じ型を使い、ジッパー付のカード入れを製作する事に決めました。小型でジッパー付のものは今までありませんでしたので、どんなものに仕上がるか本当に楽しみにしちょりました。


虎竹カード入れ


革職人さんとは何度も何度も打ち合わせをして、革を選び、ジッパーの見本も取り寄せ試作してもらいます。最初は名刺も入れられるようにマチ部分の片方には革を縫っていませんでした。その方が名刺の出し入れがしやすく、角が傷むことも少ないからとの理由でした。


しかし、ジッパー付の方はカード入れに特化することにしてマチの革は両サイド取り付けて、より安心して使えるように変更、カードならば8枚程度入れられようにしています。


虎竹コイン入れ


中央の間仕切りには100円玉なら数枚入れられる小さなポケットになっている所も気に入ってます。ちょっとした小さなメモ用紙など大事なものを失くすことなく持っていられますので重宝しているのです。


虎竹カード入れ


虎竹の里に生える竹の色合いは一本づつ全て違います。色目の濃淡はお好みですから黒っぽく色づきした竹から虎模様が少なく明るい色目のものまで色々な虎竹で製作するようにしていますが、本当に一つのとして同じものがないまさにオンリーワンの虎竹カード入れぜよ。


使い込んだ虎竹名刺入れ


これは同じ虎竹を使った名刺入れなのですが、長くご愛用いただいた虎竹と出来あがったばかりの風合いはビックリするくらい違いまうので参考にご覧いただきたいのです。元々オンリーワンである虎竹カード入れですが、更にお使いいただく方によってそれぞれ違う虎竹に進化して行くという事なのです。


今年もやって来た、虎竹カマキリ

虎竹カマキリ


毎年この時期になると、どころからともなくやってくる珍客がいます。おっと、ここには仲間がいると思って店に入って来たように思えてならない一匹の大きなカマキリ。自分が近寄ろうとすると仲間をかばって、こちらを威嚇してきますぜよ。


しかし、皆様お気づきかも知れませんが実は後ろの茶色のカマキリは虎竹製です。


虎竹カマキリ


当の本人も分かっているのか、いないのか、それくらいな精巧さ。竹は人形などにも昔から多用されてきましたが竹の加工性の高さを証明するものですし、それを活かしきる職人の手技も素晴らしいものです。


虎竹カマキリと本物のカマキリ


さすがにカマキリ君も、どうやら仲間でないことに気がついて退散してくれました。メデタシ、メデタシ。


ミュージシャン西口龍さんの虎竹ウクレレ!

西口龍さん、竹虎四代目


ウクレレと言いますと皆様はどんなイメージを持たれているでしょうか?自分ならまず牧伸二(古い!)が舞台に出てきてポロロン♪ポロロンとつまびく姿が思い浮かびます。ギターに比べて見た目にも小さいですし、エレキギターのように大音響が出る事もなく、どちらかと言うと地味なイメージです。


西口龍さん


そうそう、あと芸能人ではドリフターズの高木ブーもウクレレを弾いてました。ハワイアンシャツを着て、ゆったり、のんびり、南の島で気ままに演奏する、そんな感じを自分は持って見ていました。


西口龍さん、竹虎四代目、虎竹ウクレレ


ところが、高知在住で世界に飛び出して活躍されるミュージシャンの西口龍さんの演奏を聴いてビックリぜよ!なんと情熱あふれる熱い演奏ですろうか。




まっことしびれました!格好イイのです。


虎竹ウクレレ


演奏も素晴らしいけんど、実は何とこのウクレレには日本唯一の虎竹が装飾に使われています!この高知をベースに活動されている方なので、地元にしかない特産の竹はピッタリなのです。


虎竹ウクレレ


ウクレレの先端にも美しく使っていただいていますが、このデザインもなかなかのセンスの良さぜよ。大事なウクレレに虎竹を使っていただいて本当に感謝ですが、今までの既成概念が吹っ飛びましたので西口さんのコンサートには一回行ってみたいと思うちょります。


雲の上の町、梼原と手漉き和紙作家のRogier Uitenboogaart( ロギール アウテンボーガルト)さん

手漉き和紙作家のRogier Uitenboogaart( ロギール アウテンボーガルト)さん


高知県には梼原町という山に囲まれた町があるのです。この町に自分が興味を覚えたのは実はかなり古くて小学生の時なのです。位置的には、虎竹の里から東にひと山越したところを流れる新庄川を上流に上って行ったところにあり、今なら車で一時間程度なのでそう遠い町でもありませんが、当時はあまり訪れたことありませんでした。


それなのに町名を知っていたのは、当時の担任の先生から「辞職峠」という少し穏やかでない話しを聞いていたのが最初です。転勤になった方が梼原までの行く道があまりにも曲がりくねって遠いので、とうとうある峠まで来たら職を諦めてしまうほどなので「辞職峠」と呼ばれると話していたのを覚えています。なので子供心にも、一体梼原とはどんな山奥なのだろうか?と思っていたのです。


ところが、この認識は中学、高校、大学と地元を離れていて社会人となって帰ってきてすぐに一変します。これは凄いと思い始めたのは「雲の上のホテル」という高知では見た事もないような斬新なホテルが建てられた頃からぜよ。設計を担当された建築家の隈研吾さんの名前も存じ上げていませんでしたが、たまたま雲の上のホテルさんのロビーに吊るされることになった大きな竹照明を製作させていただいてました。それをご縁に、その後も何度かお伺いする度に、まさに雲の上にあるような山深い町とは思えないようなモダンな建造物が建ち、環境モデル都市として中山間地域のお手本のような素晴らしい取り組みをされている事も知るようになります。


そういえば、町の人口は昔からいえば減り少子高齢化が進んでいるのは同じのようですが高知新聞では高校の生徒数が増えたと掲載されていました。そして、今年の高校野球県大会では強豪ひしめく中で何と初めて決勝戦まで勝ち抜いてきています。何やら関係のないと思われるような事を書いていますが、梼原町はそのように活気にあふれ、日々変わりつつある、目の離せない面白い町なのです。




さて、つい前置きが長くなりましたが今日お話しさせていただきたいのは、この注目すべき町梼原町にオランダから移り住んで活動されている手漉き和紙作家のRogier Uitenboogaart( ロギール アウテンボーガルト)さんです。


ロギールさんとは、もう随分前から知り会いで工房にもお伺いした事もありますが、最近は長い間ご無沙汰してました。それがこの夏にLIXILギャラリーという東京のど真ん中に創作された土佐和紙の洞窟を拝見させてもらい感動して、久しぶりにお会いさせてもらいたいなあ思っている所に連絡いただいて虎竹の里にお越しいただいたのです。


昔ながらの和紙漉きにこだわり涼しい気候、綺麗な水を求めて梼原に移住されて25年程だそうですが、現在では紙漉きだけではなく紙すき体験民宿「かみこや」を作られて和紙漉きの楽しさを伝える活動もされています。そして、驚いたのが「銀座和紙プロジェクト」ぜよ。銀座でミツバチを飼ってハチミツを作っているのは聞いたことがありますが、銀座のビルで和紙の原料の楮を育てて、その和紙を漉くなど聞いたこともありません。ロギールさんのこれからの活躍は益々楽しみなのです。


今日は竹虎にちなんで楮の一種で木肌に虎模様のできる「虎斑」の葉を持って来てくれました。竹に虎斑が入るように楮にもそのような種類があるとは知りませんでした、竹繊維も古くから紙に使われいて竹虎でも土佐市の和紙メーカーさんに虎竹和紙を漉いてもらっています。


もちろん紙に漉くと竹でも楮でも虎模様も何もでませんが、虎模様が出るような方法で強い竹和紙ができればロギールさんにお願いして作ってみたいと思っているものがあります。できるようなら来年の夏には大活躍するのですが、それは又それまでのお楽しみぞね。


バリ島の鶏籠と鵜籠

鶏籠


昨日、竹虎の工場でも編まれていた玉入れ籠のような竹籠が反対に向けられてズラリと並んでいますが何かお分かりでしょうか?これは9月にJohn Hardyさんにお会いするためにバリのbambu indahを訪問させてもらった時に道端で見かけた光景なのです。


竹製鶏かご


別段普通の光景なのでドライバーさんは通り過ぎようとしますか、自分にはどうしても行き過ぎる事はできません。遠回りして戻ってきてもらって停車してもらいました。


竹籠の中をよくご覧いただきますと何やら入れているのがお分かりいただけるかと思います。そうです、鶏が籠の中に入れられているのでした。


玉入れ籠編み


この時にバリの田舎道で見かけた鶏も日本の庭先で遊んでいた地鶏とよく似いていましたが、かっての日本でも先日竹虎で編んでいた玉入れ籠に使うような六ツ目編みの竹籠に全く同じように鶏を入れていたものです。まっこと、このような懐かしい光景に出会えてうれしく思いましたぜよ。


鵜籠


ところが、日本でもこのような光景がすっかり無くなってしまったか?というと実はそうでもなくて、たとえば鵜飼に使う鵜を入れる籠はやはり今でもこのような竹籠が使われています。それは、そうです。鵜飼船で鮎を捕まえるのに活躍する鵜たちを入れる籠が竹編みのもの以外では考えられるでしょうか?


鵜飼は全国各地にあって、その土地ならではの籠の形があり竹の伝統がわずかながらも続いているのです。


玉入れ籠を編む竹工場

竹虎工場、玉入れ籠製造


若い皆様が竹と触れ合う機会が少なくなっているのは今に始まったことではありません。しかし、自分の小さい頃には当たり前であった「竹」が消えていくことに危機感ような気持ちを覚えて2001年の春から取り組んだのがインターンシップでした。今年の夏で17回目となりましたので田舎の小さな竹屋とすれば何とか続けられて来たこと、毎年お越しいただける大学生や専門学校の学生さんに感謝するばかりです。


さて、そんな学生さんの小学校や中学校の体育祭、玉入れ競技が気になっていました。玉入れ競技と言えば、玉入れ籠!自分の小さい頃には当然であったもののひとつですが、それがどうやら竹ではなくて他の代替品に変わっていると知って寂しさを感じました。


竹虎工場、玉入れ籠製造


どうにか竹籠が少しでも復活しないかと思っているうちに、嬉しい事にちょっとづつ竹籠を使っていただける学校が増えて来て、いつでしたか数年前になりますが全国放送のテレビニュースにご紹介いただいた事もあったのです。


竹虎の工場でも体育祭のシーズンという事もあって玉入れ籠を編んでいます。虎竹の里の竹はすべてと言っても良いくらい虎竹ばかりですが虎竹だから全ての竹が虎模様になっているという事ではありません。


竹虎工場、玉入れ籠製造


材料は色つきの良くない虎竹もあって、これは虎竹製品としては使うことのできない竹も沢山あるのです。そういう付加価値のつけらない竹の利用がこれからの自分たちの課題でもあり、虎竹生産を続けていくひとつの鍵でもあります。


玉入れ籠は学校の運動会の時にだけ使われるものではありませんでした。農家さんなどなら、庭先に2~3個いつもあって様々な用途に使われてきた籠でもあります。そう言えばそんな懐かしい光景を先日バリ島で見たのを思い出しましたので明日お話しします。


一生使い続けられる石鹸とは?

竹炭石鹸


「顔の色艶がよいですね。」「お肌がキレイですね。」こんな事をたまに言われる。県内外、色々なところで年齢、性別様々な方に言うてもらうのであながちお世辞でもないように思うちょります。女性の方なら嬉しい言葉であるに違いありませんが、そもそも、おんちゃん(おやじ)の自分にそんな事を言ってみても褒言葉としては少し違うようにも感じますので言ってくださる方には恐らく本当にそう見えているのですろう。


もちろん顔のお手入れなどするはずも無いし、若い時分より虎竹の里の強烈な紫外線を浴びまくっていたし、お肌をきれいに保つ環境とすれば良い条件ではなかったと思っています。


しかし、それなのにこんな事を言っていただけるのだとしたら何を隠そうそれは、この竹炭石鹸の力だと確信するのです。小さい頃からアトピー体質で肌が弱く、皮膚科で出されるステロイドを手放したことがなかったのですが、出張先のホテルに備え付けられた石鹸が肌にピリピリと刺激があって、どうしても使えなくなった事が始まりでした。それでも仕事から帰って来たなら石鹸を使って汗はスキッと流したいので自分が使うのに肌に刺激のない安心して使える石鹸を作りたいと思ったのです。


竹炭ソープ


そうして、最初の石鹸が出来たのがもう15年以上も前の事になるでしょうか。当初は石鹸メーカーさんに用意いただいた薬用炭を使用していましたが、せっかく作るのなら産地や炭窯までしっかり管理できる最高級の竹炭を使いたいと考えて県の工業試験所さん、石鹸メーカーである地の塩社さん等の協力を得て薬用竹炭の開発に取り組み完成させたのが虎竹の里 竹炭石鹸なのです。


自分の場合は、まさに頭からつま先までコレひとつでスッキリ、しっとり。最近では新しく作った竹炭シャンプーを使う事もありますが、基本的に竹炭石鹸です。アトピーなど肌のトラブルというのは50年来の付き合いですので、簡単でないと思っていますが、少なくとも気持ちの良い入浴は続いています。これからも一生使いつづけられると喜んでいるのは、間違いなく他の誰でもない自分自身ながです。


飾り竹炭を製造した理由について

飾り竹炭


銀色に輝く竹炭肌、驚くほど心地よい金属音、これが1000度の土窯で焼き上げられた最高級の飾り竹炭なのです。もちろん電気伝導率も高く精錬度計で測定しても針を一瞬で振り切るほど。ただし、ご覧いただいてもお分かりのように硬く焼き上げられてはいますが竹は空洞ですのでウバメガシを焼いた備長炭などのように丈夫ではありません。繊細なガラス細工のように取り扱わないと折れたり、割れたりしてしまいます。


また、備長炭の炭窯は高さがありますので長い炭を飾りにしているのを見た事もありますが、竹炭の窯は低いので最大の長さでも焼き上がりは、この70センチサイズとなります。


飾り竹炭


お陰様で沢山のお客様にご愛用いただいておりますが、このような商品を作ろうと思って出来たわけではありません。実は日本唯一の虎竹には全ての竹に不思議な虎模様が入っているわけではないのです。


そもそも虎模様の入るハッキリとした原因が解明されておらず神秘的な、まさにミラクルバンブーながですが、どうやら気温の変化はひとつの要因ではないかと思っています。昔から「霜が降りると虎模様が出る」と言われてきました。近年の温暖化で霜も雪も本当に少なくなると同時に虎模様の付き具合も芳しくないからです。


しかし、虎模様の付いていない竹も山では伐採せねばならず土場に運ばれてきます。自分の入社した頃でしたら、色つきの悪い竹はそれなりの活用法が沢山あって、様々な商品に製造していましたが安価な海外製品に取って変わられて今では活用方法がありません。


この大問題を解決すべく考えたのが「飾り竹炭」であり、これからの虎竹の里を考えていく上でも大事な商材のひとつとも思っています。最初は皆様に受け入れていただけるか心配でしたが、少しづつご愛用いただけているようで少し安堵もしちゅうのです。


蓬莱竹(シンニョウチク)と虎竹と

蓬莱竹(シンニョウチク)四ツ目籠


蓬莱竹(ほうらいちく)のお話しは、これまでに何回かさせて頂いてきましたぞね。火縄銃の火縄に使われていた竹ですので戦国時代なら全国から注目されていたでしょうが(笑)、今の時代にあって、注目しているのは日本中でも恐らく自分だけかも知れません。以前のブログでもお話しさせてもらったように、この竹には名前がいくつかあって職人によって色々な名前が出ますが結局同じ竹の事を言われているのです。


蓬莱竹の他には沈竹(チンチク)、土用竹、高知ではシンニョウチク、山口県では孝行竹と呼ばれたりしますので面白いものですちや。けんど呼び名は違っていても株立ちの竹の性質を活かして農地や山林の境界に目印に植えられたり、護岸のために川岸に植えられたりしてきた歴史は同じぜよ。


蓬莱竹(シンニョウチク)網代編み


蓬莱竹のゴザ目編みの竹ざるを紹介させて頂いたことがあります。見事な網代編みの竹ざるも作られますし、九州では日置の箕や寿司バラと呼ばれる酢飯を作るためのザルにも作られます。先日のブログでお話しした、まんじゅう笠も竹皮は淡竹ですがその竹皮を留める極細の竹ヒゴは竹節が低く伸びがよく粘りのあるこの竹が使われます。


さらには竹虎には蓬莱竹の弁当箱や小物籠までもありますが、実はあまり一般的には使われる竹材ではなく他社ではまず見ることのないほどの貴重な竹細工でもあります。しかし、ただ珍しいから自分が蓬莱竹に魅かれてるわけではないのです。


では何故か?


竹虎は123年前に大阪天王寺で創業しましたが、太平洋戦争の空襲で焼け野原になり疎開してやって来たのが自分から言うと曽祖母の里であった虎竹の里でした。戦後は日本唯一の虎竹生産地である此処に本社を移すわけなのですが、当時は余所者の自分たちが勝手に伐採できるような竹は一本たりとも無かったといいます。


江戸時代かから地域で守り続けてきた竹林です、誰も口にだしませんが自分も小さい頃から山の職人だけでなく、山主までもが自分たちの竹にただならぬ誇りを持っている事を肌で感じてきましたので当然の事だったと思います。


虎竹の里


今でこそ焼坂の山に一番広大な虎竹の竹林を持たせていただき、竹の商いを続けさせてもらっていますが、たとえ特産の竹を伐りたいと願っても好きに出来なか
ったのが祖父の時代がありました。護岸用に植えられた蓬莱竹は所有権があまり無く自分の竹林を持てなかった職人に多用されてきた歴史があります。そんな名もなき竹職人の姿と昔の竹虎の姿が、どこか重なって見えているからかも知れません。


老舗味噌屋さんの別注竹ざる

別注竹ざる


直径が70センチ近い大きな竹ざるを持ち込んで来られたのは老舗味噌屋さんでした。仕込みで使われるというだけあって大きさもさる事ながら、一目でその堅牢さが伝わってくる丈夫な作りとなっちょります。


古くなってきたのでそろそろ新しいモノが欲しくなって馴染みの竹屋さんを当たられたそうですが、時すでに遅し。今まで作ってくれていた職人さんもいなくなり、途方にくれて遠くからわざわざ竹虎までお越し頂いたとの事でした。


別注竹ざる


一昔前ならこのような真竹を使って籠やザルを編む、いわゆる青物と呼ばれる竹細工をする職人さんは全国各地におられたのです。ところが、安価な輸入製品が大量に入ってくるようになり竹籠や竹ざるはホームセンターで手軽に買える使い捨て容器のような扱いになってしまうと昔ながらの竹細工をされていた職人の多くが竹を諦め、伝統の技の中でも一番最初に次々と消えてしまったのです。


別注竹ざる


しかし、今回お客様が求められている「竹」は、プロが本気で何十年と使いたい品質。使用して傷んでしまえば修理しながら又使うという、まさに失われてしまいつつある熟練の手仕事が必要とされていたのでした。


この大きさで、これだけのタフな竹さるを編む職人は日本に何人おりますろうか?もちろん費用がいくらかかっても良いというのなら話は別ですが、味噌屋さんや酒屋さんが何個か注文できるお値段となれば極端に少なくなります。


別注竹ざる


工房の入り口には職人自ら山に入り伐採してきた思わず手で撫でたくなるような見事な真竹が数本置かれちょります。良い仕事をする竹職人は、とにかく手も早い。大きく、丈夫な竹ざるで決して簡単ではないのですが2個、3個と編み上げられているのです。


このような頼もしい竹職人は皆いわゆる世間一般で言うところのお年寄りばかりではありますが、50歳は青二才、60歳は若手です。70歳や80歳、時には90歳の現役がバリバリ活躍する竹の世界は、これからますます進行する超高齢化社会には最先端の仕事なのです。


チビタケナガシンクイムシ、ヒラタキクイムシの竹材食害

チビタケナガシンクイムシ、ヒラタキクイムシの竹材食害


真竹の切り口に竹粉が沢山見えています。これはもちろん鋸で切った切りクズなどでは無く、竹がチビタケナガシンクイムシに食われているのです。


虎竹の油抜きなどをガスバーナーで始めますと工場中に甘い香りが漂ってきますが、例えば知らない町でも竹の香りで近くに竹工場があるとすぐに分かるくらい竹には糖分が含まれていますので、竹にとって虫害は永遠のテーマとも言える問題です。


チビタケナガシンクイムシ


竹を好んで食する虫にはタケトラカミキリ、ベニカミキリといったカミキリ虫をそのまま小型にしたような虫もいます。「タケトラ」と名前がついているのが昔から気に入りませんが、虎模様の虫であり、「ベニ」と名前のつく方は鮮やかな紅色をしています。


このカミキリの方は比較的に身体が大きく目につきやすいのですが、チビタケナガシンクイムシ、ヒラタキクイムシ等は小さく目立たないので知らない間に竹に潜んでいます。それこそ竹粉が落ちてくるまで虫害を察知することは難しいのです。


チビタケナガシンクイムシ、ヒラタキクイムシの竹材食害


小さいとは言え、その食欲は旺盛で竹繊維にそってどんどん食害をしていって、酷い時には竹ヒゴがボロボロになってしまうほどです。出来るだけ虫害を防ぐために竹伐採には時期を選び、竹の栄養分が少なくなったタイミングでしか伐りませんがそれでも完全に防げるわけではありません。


チビタケナガシンクイムシ、ヒラタキクイムシの竹材食害


竹が必需品であった時代には台所で使われる竹笊、竹籠にしろ屋内や屋外で使われる竹製品は頻繁に手で触り見られていましたので虫が喰うといってもそこまで多くはありませんでした。ところが現在では年に一度しか使わないとか、棚に入れっぱなしとか普通にありますので久しぶりに出してみたら虫害にあっていたなどと言う事も、まま起こります。


薬剤処理などせずに編まれた竹細工ですので、虫害にあいましたらまず、小さな穴を見つけてください。そして、その穴を中心に熱湯消毒をお試しいただいております。一度ではなかなか退治できない場合もありますので熱湯消毒のあと陰干しをして様子を見ながら何回かされることをオススメいたしています。


チビタケナガシンクイムシ、ヒラタキクイムシの竹材食害


竹など自然素材はプラスチック製品などと違い、日頃のお手入れが必要です。強い素材ではありますが丁寧に扱うことによって竹ならではの愛着が沸いてきて、その結果虫害にも早く気づく事ができて更に長くご使用いただく事ができますぞね。


真っ黒!まんじゅう笠(竹の子笠)

まんじゅう笠(竹の子笠)


まんじゅう笠と言うて昔ながらの製法で竹皮と細い竹ヒゴを使って作る笠があるのです。地元高知の芸西村で作られるこの笠は、竹の子笠とも呼ばれますが材料には淡竹(ハチク)の竹皮を使いますので、孟宗竹や真竹を使用する竹皮草履などとは同じ竹皮でも出来映えが違って上品な白い色合いとなっているのです。


ご存じの方も多いかと思いますが竹の皮というのは筍の皮の事ですぞね。筍が伸びる時に竹皮が地面に落ちるのを毎日のように竹林に入って集めていくのですが、実は孟宗竹、淡竹、真竹、それぞれに筍の生える時期というのはが少しづつズレています。


竹皮草履の素材を集める苦労はよく知っていますが、まんじゅう笠の材料である淡竹の竹皮もちょうど時期的に梅雨にかかり大変だと言うことです。


まんじゅう笠(竹の子笠)


ところが先日見かけた真っ黒いまんじゅう笠があります。自分の知っている白く繊細な竹肌とは似ても似つかぬ風体。確かに形、編み方など同じ笠には間違いはありまんが、まるでわざと色を染めたかのようにも見えるほどぜよ。


すっかり色合いの変わった淡竹の皮を渦巻状に留めているのは蓬莱竹の竹ヒゴですぞね。職人さんは土用竹とも言いますし、高知ではシンニョウチクと呼ばれる事が多いのですが、とにかく節が低く、節間が長くて丈夫でしなやかですので、このような細い竹ヒゴにヒゴ抜きして使用するのにも最適な素材なのです。


まんじゅう笠(竹の子笠)


拝見したのは高知歴史民俗資料館の展示品の一つだったかと思います。あの真っ白い竹皮が、飴色を通り越して「黒い」と表現しても良いくらにいなるまでには一体どれくらいの時間が経過したのでしょうか?


龍馬の脱藩にも使われたとの逸話のある竹皮の笠、当時はこのような色合いに変わるまで大事に長く長く愛用されてきた事を物語っていますし、竹皮の耐久性をも知る事ができるのです。


青竹踏み、竹素材そのままならではの憂い

青竹踏み


青竹踏みは単に竹を半分にしただけの物というように思われているかも知れませんが、実は同じ頃合いの竹材を選別するところから非常な苦労があるものなのです。よくご覧いただきたいのは竹節です、強度確保のため青竹踏みの中に必ず節が2つ入るように材料を取っています。竹はウラ(先端)に行くほど節間が伸びますので青竹踏みの材料は、竹材の元に近いある一定の部分しか使用できない事がお分かりいただけるかと思います。


竹にも個性があって、節間の長い竹、短い竹など様々です。なので、竹林に行って伐採する竹を選別する時にも太さはもちろんの事ですが青竹踏みに使う節間まで考慮しながら職人は伐採をしています。しかし、そうやって伐採した竹であっても一本そのままを全て使い切ることができません。


竹製品が沢山製造されて売れている時代であれば、この使わなかった竹材部分も別の竹細工に活用できていましたので無駄もなく、全体的なバランスでコストを下げる事もできていました。ところが今の時代は違います。


竹栓


節を2つ入れて加工が出来たて青竹踏みが無事完成した後も苦労は続きます。竹材を自然素材のまま使用していますので乾燥により収縮する場合があるのです。この竹栓は一体何かお分かりになりますでしょうか?


実はこれは半分にした青竹踏みが縮まないように数カ所にはめて乾燥させるためのものなのです。しかし、しばらく縮みや伸びがなくなったと思っていましても、やはり竹は生きています。微妙な湿度や気温によって縮んだり、反対に伸びる(広がる)こともあるがぜよ。


青竹踏み


こうして時間をおいて良く乾燥させたつもりでも、いざ出荷前の検品となると竹のサイズが変わっている事もしばしばなのです。一定に伸び縮みするわけではありませんので当然歪みができてきて加工時には平らにしていてガタつきのなかった青竹踏みの接地面を再度削り直す必要もあります。


青竹踏み


生しい青竹を乾燥させて使いますのでカビには常に注意していますが、最近では温暖化のせいでしょうか?10月も半ばに差し掛かろうかと言うのに蒸し暑い日があります。こんな気候では、梅雨時だけでなく真冬以外は定期的にチッェクしていないとカビが生える場合がありますので保管時にはエアコン、扇風機などを多用せねばなりません。


こうして考えてみますと、元々はインターンシップの学生さんたちが青竹踏みを知らなかった事から若い世代に竹が忘れられると危機感を感じて、一人でも多くの方に手にとって頂きたい気持ちだけで来ましたけんど、まっこと手間のかかるものなのです。


虎竹玉ペンダントライト

虎竹玉ペンダントライト、竹虎四代目


虎竹で作られた球形の竹編みが沢山出来あがりましたぞね。これほど一杯作る機会もあまりないので近くの草原に持ってきて転がしてみたのです。しかし、この球体一体何に使われるのかお分かりですろうか?体育祭の時期でもありますので、これに和紙を貼りつけて玉ころがしにするのも有り?かも知れません。


虎竹玉ペンダントライト


けんど、それにしては編み目が少し粗いですし、サイズも小さすぎますぜよ。和紙を貼ってボールにするのなら別の競技になりそうです、いやいやそもそも一閑張りのような加工をするのなら竹ひごは外側からは見えなくなりますので、わざわざ虎竹を使う必要もありません。


虎竹玉照明


恐らく予想されちょった方もおられると思いますが、実は虎竹玉ペンダントライトになるのです。竹灯りは、それだけでも竹編みの美しさを楽しめて存在感があるものなのですが、電球が灯ると更に素晴らしい雰囲気に包まれます。まるで室内が一瞬にして別世界になるように感じることもあるほどです。


ちょうどこんな感じでご使用いただくのだと思いますが、クリア球を入れると竹模様が壁に浮かびあがります。これだけの数の虎竹玉ペンダントライトが同じくらいの高さでズラリと並んでいても良いですし、高さを違えて変化をつけて使っても面白いものです。そして、さらに光を放ちますと、さぞ壮観だろうと想像しよります。


大名竹、孟宗竹、そして四方竹

 
大名竹


実は竹と一口に言いますが、日本だけでも600種類という様々な竹があります。もちろんこれは竹類、笹類を合わせた数ではありますけんど、それにしても多いです。だから、竹の中で竹細工、竹製品として活用されているのは本当に極一部の竹だというのが分かります。


竹には食品という側面もありますが、そういう意味あいでは食用としても全体から考えれば極わずかしか活用されていないという事だと思います。そんな竹の中に大名竹(だいみょうちく)とう竹があるのです。


大名竹


その何の通り、一昔前なら大名しか食べられなかった美味な竹だと言われます。アルミホイルで包んで炭火でじっくり焼いてホクホクのものを塩を少しだけつけて頂きますと、これは確かに大名しか食せなかったのが納得するような歯ごたえと味わいでした。


孟宗竹


そもそも日本の里山にこれだけ植えられて、まるで日本古来の在来種のように繁殖している孟宗竹も元はといえば食用として中国から運ばれてきたのだと思います。美味しさは当然ですが、特筆すべきはその大きさです、満足に食べられない事もあった江戸時代にはさぞ重宝され大事に管理されてきただろうと推察できます。


それが短い期間に日本の津々浦々に広がった理由でもありますが、筍の食用としての価値が下がると人目につく場所に植えられてきただけに放置竹林として扱われるのは皮肉なものです。


四方竹収穫


雑誌「とさのうと」に竹虎の椀籠が掲載されましたが、偶然にも同じ号に旬を迎えた四方竹も特集で取り上げられていました。来月開催される全国竹の大会高知県大会では2日目に、この四方竹の産地を巡り昼食には四方竹づくしの料理も予定されています。


四方竹


全国竹の大会に集うのは志の高い竹業界のプロの方々ばかり。大名しか食せなかった竹にも全く引けを取らない四方竹の美味しさが更に全国に広がる契機となればと思っています。


続々・虎竹名刺入れリニューアル

虎竹名刺入れ


虎竹名刺入れリニューアルが進んでいます。今回の製作では革部分でどうしてもミシンが使えない工程があって予め細かい穴を開けたところに職人の手縫いで一針一針糸を通していっています。


虎竹名刺入れ金型


革部分を一新しますので、革の形にあわせたそれぞれの金型が必要です。このような金型ひとつにも別誂えで製作していただく職人さんがおられますので、思えば素材加工からはじまり沢山の手仕事を経て商品が完成するのだと改めて感じます。


虎竹名刺入れ革材


今回の大きな一つの課題であります名刺の収納力アップのためにデザインされた革の設えです。何枚もの革を重ねて厚みのある枠を作り、そこに蓋をかぶせるような形でホルダー部分を製作しようと考えているのです。


虎竹名刺入れ、革細工工房


竹工房には竹細工用の機械や道具がありますが革細工には革用のミシンが据えつけられ、色とりどりの縫い糸がズラリと並びます。随分と違う様相ではありますものの新しいモノが作り出される同じ空気感に包まれています。


虎竹名刺入れリニューアル


名刺入れは今月中頃には試作ができあがり、少しづつご紹介できるようになってくると思っています。カード入れの試作も同時進行していますが、こちらはジッパー仕様にしました。小さいサイズの竹製品でジッパー付きのタイプは初めて作る事になりましたが一番最初の試作品を自分が試しにしばらく使ってみて非常に満足できる使い心地でした。


実は免許証入れが古くなってしまい探していましたが気に入るモノがなかなかありません。そこで、今回のリニューアルではまず名刺入れとカード入れを製作することにしました。出来あがりを一番楽しみにしているのは、やはり自分なのです。


生誕百四十五年、竹工芸家・二代飯塚鳳齋展

 
竹工芸家・二代飯塚鳳齋展


飯塚琅かん斎と言いますと竹芸家界に燦然と輝く誰もが認める大作家ですが、その実兄である二代鳳齋の展示会のお知らせを頂いています。時の過ぎるのが早いのは「往ぬる、逃げる、去る」という一月、二月、三月だけではありません、先月に行きたいと思いつつ、あれよあれよという間に10月になっちょります。


生誕145年という事ですが、この時代の竹工芸は魅力的で秀逸なものが多いのです。思わず引き込まれてしまいます。竹が日本独自の芸術へと進化を遂げていたからでしょうか、背景には煎茶文化などがあり竹芸を応援するパトロンの存在などがあったと言われます。しかし、関西によ、関東にせよ根底にあるのは竹の地位向上という竹を手にする者が誰しも一度は感じた共通の想いであったと思っています。


竹工芸家・二代飯塚鳳齋展


日本を代表する竹芸家二代飯塚鳳齋ですが、今までまとめて紹介されてる機会が少なかったようです。チラシに掲載されている作品だけでも見応え十分!籃火鉢など素晴らしいのですが、なんと50点が揃って展示されていますぞね。会期今月22日(日)まで、会場はとちぎ蔵の街美術館、栃木というと遠い感じはするのですが東京駅から最速だと1時間程度で到着するそうです。芸術の秋でもありますので、この連休など竹の世界に浸り豊かな時間を過ごされたい方には是非おすすめですので足をのばされるのも良いのではないかと思っています。


スズ竹手提げ籠の持ち手の修理について

スズ竹手提げ籠バック修理


スズ竹は竹の中でも丈夫で耐久性が高いので、大切にご使用いただいたら一生どころか、娘さんに譲って親子二代に渡ってご愛用いただけるほどの竹細工なのです。板前さんや料理人の方が使っている市場で見かけるスズ竹市場籠はボロボロになっていて、底の四隅にガムテープで補強されていたりましすが、あれは毎日毎日酷使しているからであって普通にお出かけや、お買い物での使用でしたら全くビクともしない竹素材ぜよ。


長く使われているだけに年期が入って風合いの渋くなった籠を見かけることも多いのですが、唯一傷みの出やすい箇所がやはり持ち手部分なのです。今回の修理では、この持ち手付けをすべて取り換えとなりました。色合いが段々と飴色っぽく良くなってきた本体編み込みに対して、真っ白な籐巻きの持ちて。


竹籠バック修理


以前、白竹の手提げ籠の底編みの竹を一本だけやり替えた事がありました。飴色に変色した竹の中に真新しい竹というのは目立つものです、今は若干の違和感があったのかも知れません。しかし、そんな感じを持ったとしても本当に一時の事です、気づかないうちに色合いが馴染み、修理した事すら忘れてしまう日がやってくるのです。


虎竹の竹灯り、クリア電球とLED

虎竹フロアライト、竹虎四代目


昨日まで連日お話しさせていただきました30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」bambu indahのバンブーテントに吊り下げられていました竹灯りを思い出すような虎竹フロアライトぜよ。


竹の灯りには、まっこと心和ませる不思議な力があります。浮かび上がる、ゆるやかな竹ならではのラインがその秘密かも知れません。


虎竹フロアライト(丸)


秋の夜長にはもってこいの静かな灯りでありますが大小ふたつの大きさがありますのでお部屋の広さやお好みに合わせてお選びいただいて楽しんでもらえたらと思うのです。


虎竹フロアライト(丸)改善前


実は、この虎竹フロアライト(丸)には最初クリア電球を入れていました。土佐和紙を下の部分だけ竹ヒゴに合わせてジクザグに切取れば、このような美しい灯り模様を照らしだすことができます。


たまらない魅力のひとつではある事に間違いありませんが、クリア電球は非常に熱を持ちますので床に置くタイプのライトでは少し安全性において不安があると感じていました。


虎竹フロアライト(丸)LED電球


そこで、せっかくの竹の影絵は消えてしまいますが安全性と節電性に優れたLED電球に交換する事にしたのです。この電球でしたら熱を持たず誤って触れても火傷をする事はありません。


虎竹フロアライト(丸)LED電球


LEDの灯りは土佐和紙を通して優しく、優美に室内を明るくします。


虎竹フロアライト(丸筒)


今回、新登場した虎竹フロアライト(丸筒)にしても、虎竹フロアライト(卵)にしても同じように熱を持たないLED電球にしており昔ながらの風情と共に安全性も十分に確保されています。


もう、随分と前の事ですがアメリカ在住のバンブークラフト作家の方のご自宅に宿泊させていただいた時に全部電気をつけずに、わざと暗くしているのかと思ったことがあります。


虎竹フロアライト(卵)


しかし、元々照明器具がそんなに多くはないのです、革張りの立派なソファが置かれた広い室内ですがスタンドライトなどが少し灯っているだけ。しかし、そこに座っているご家族の方々の表情を見ていると本当にリラックスされていました。


日本の夜は少し明るすぎると聞いた事があります。心安らかに過ごしたい夜には、こんな竹灯りがちょうどですぞね。


バンブーナイト「僕は竹の声が聞こえるんです」

bambu indah、バンブードームの夜


いよいよバンブードームが漆黒の闇に包まれます。聴き慣れない鳥の声、虫の音、そして辺りが見えなくなったからでしょうか、「ゴォォォォォーーーーー」と下を流れる川の音がやけに大きく聞こえてきます。


bambu indah、バンブードームの夜


山頂に立ち並ぶ、別棟のバンブードームにも、竹の手すりが伸びる通路にも電球が灯ります。しかし、今夜の宿泊客は自分の他は誰もいません。この山の上には自分ただ一人なのです。


bambu indah


唯一の出入り口である螺旋階段への通路もこの通り。そう言えば幼い頃にこんな電球が灯っていた電信柱があったなあ...などと懐かしく思い出している場合ではありません。懐中電灯ひとつなければ、どこにもいけない闇の中にいるのでした。


bambu indah


何も食べていない事を思い出し、昨日サークルKで買ったビスケットをポリポリ食べながら竹テラスに出てみます、川の方を見下ろすと灯りがあんなに小さく見えていました。


bambu indah、竹灯り


今夜はこの竹編みに入った裸電球が頼りです、それにしても竹編みの灯りは本当に美しい...。見慣れた竹編み、遠く離れたバリ島であっても技法は日本と同じです。そう思って見つめていると、ふと気持ちが落ち着きました。見知らぬジャングルの断崖絶壁の暗闇にいるのではない、自分は竹の中にいるのです。


bambu indah、バンブードーム


ゴロリ...ベットに横になり天井の竹を眺めます。さっきまで感じていた心細さは、もうありません。感じるのは「平安」でした。




今年の1月に、たまたま高野山に連れて行っていただく機会がありました。名前はよく耳にしますが自分には縁のない場所だとばかり思っていたのに、この夏から、ふとした事で思い立ち四国八十八カ所を巡りはじめてから偶然でなかったと気づきます。虎竹の里の山道でお会いするお遍路さんの被る竹傘には「同行二人」という言葉が書かれていて、この意味は一人で歩いているのではない、いつも弘法大師と共に巡礼しているという意味だと中学生の時から聞かされていました。


John Hardy、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


ここに来たのも必然ですろう。John Hardyさんが、ここに泊まっていけという意味が分かった気がしました。


竹虎火災


あれは大学四回生の夏、小雨の降るこの日と同じように真っ暗な夜でした。日頃は寝つきのよい自分が、どうしても寝られず誰かに呼ばれている気がして竹工場に行って火災の第一発見者になった事がありました。翌日になってようやく鎮火した大火災で竹虎の工場も店舗も全焼しましたが、あの夜から竹虎四代目の道が始まったのです。


竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


あの時の声は何だったのか?「僕は竹の声が聞こえるんです」と言うています。一体どんな風に聞こえるのか?こんな風に聞こえます。あの夜の声と、今夜は違っていましたが感じる事は同じでした。


bambu indah、バンブードーム


気づくと蚊帳の外は白みはじめていました。真新しい朝のような気分がします。長い人生の中で、こんなに新鮮で清々しい朝を何度迎えることができるでしょうか?この朝の時間だけでも、このbambu indahにやって来る価値があります。


bambu indah、バンブードーム


竹テラスに出ると向こうのヤシの木々には朝靄がかかり、ヒヤリとした心地よい空気感です。


bambu indah、バンブードーム


21世紀は竹の時代と言い続けてきました。竹の文化圏は、もちろん日本だけでなく中国、台湾、韓国はじめ東南アジアにも素晴らしいものがありますしオーストラリア、アフリカ、ブラジルをはじめとする中南米など温暖で湿潤な地域には広く分布しています。


それぞれの地域で違う竹があり、違う竹文化がありますがbambu indahから感じる圧倒的な竹へのこだわり、深い竹への愛着は万国共通です。ここで過ごさせて頂いた一晩の何と貴重で幸運な事かと感謝します。




本当に世界は広いです、こんな朝があるとは...。竹の事も何も知らないと教えていただきました。


竹炭歯磨き


まあ、そう言うても朝の歯磨きにはもちろん作ったばかりの竹炭塩歯磨きぜよ。


竹の吊り橋、bambu indah


裏手の下をゆったりと流れていた川をヤライ竹の吊り橋を渡って帰ります。


bambu indahの川


昨夜大きな音に聞こえていた川は昼間に見るとこんなに美しい流れですが、そんなに特別大きな川幅があるわけでもありません。明るいうちは岸辺を歩いても川音が気にもなりませんでしたが山の上のバンブードームでは違いました。暗闇は目で見えない分、大切な何かを、きっと増幅させて見せてくれるのです。


John Hardy、竹虎四代目(山岸義浩、YOSHIHIRO YAMAGISHI)


それにしても今回はGreen school, green village, bambu indahと素晴らしい竹の世界を体感させてもらいました。竹は無限と言われますが、John Hardyさんの湧き上がる竹へのエネルギーこそ無限です。


バンブードームまでの「結界」とは?

bambu indah


実は、とても大事な事をもうひとつ申し上げておかねばならない事がありました。ここbambu indahの施設は自然豊かな中にあり、とにかく広大なのです。レストランも併設したホテルフロント棟から川に挟まれた高台のバンブードームまでは、かなりの距離があります。


しかし、どれくらい離れていて、その道のりが一体どのようなものなのか?これを知っておいていただかねばバンブーナイトをご理解いただく事もできませんろう。実は、いくつかの「結界」とも言えるポイントを通過して、この異空間とも言えるバンブードームまで辿り着くのですが、その道のりをご案内したいと思います。


bambu indah、バンブードームの竹テント


まず、フロント棟から出てるとレストランの食事にも提供されている青々と健康的に育つ野菜畑のある中庭を通り抜けます。


bambu indah、竹橋


最初の「結界」は大きな池にかけられた、この竹の橋です。日本でいうメンチクのような節の低い竹が無造作に並べられただけの質素な橋から始まるのです。


bambu indah、竹エレベーター


この橋を渡り、遠くの緑まで眺められる美しい庭園を横切って暫く歩きます。突然現れる小さな建物の中に入るのですが、内側には細い竹で設えた見た事もない部屋となっています。これだけでもビックリ仰天なのですが、更にこれがエレベーターと聞いて腰を抜かすのです!


しかもJohn Hardy氏の世界です、もちろんただのエレベーターではありません。動力部分は金属であるものの、その他のエレベーターの箱の部分であるとか、入り口のドアだとか、スイッチ部分にいたるまで全てが竹!竹なのです!


bambu indah、竹エレベーター


3人乗りの小さな竹エレベーターで井戸の穴のような地下に降りていきます!ここで完全に今までの日常を忘れ去ってしまっています。本当に信じられない気持ちでした、下に降りるにつれて暗くなる竹のエレベーター!もちろん初体験!




そもそも、どうして竹のエレベーターなど作るのでしょうか?まさに「クレイジー」、ワクワク感はマックスです!


bambu indah


竹エレベーターの竹ドアを開けると一人がようやく通れるような細いトンネルが出口まで続きます。


bambu indah


トンネルを出てもこの切り立った小道、ここまでが第二の結界です。お気づきのように、ここではコンクリートなどは全く使われていません。エレベータの穴もトンネルも、この小道も自然の岩肌や土がそのままだからこそ知らず知らずのうちに本来の人の感性が磨かれてくるように感じました。


bambu indah、竹の橋


ここまででも結構凄いのですが、実はまだまだこれからです。バンブードームの小山の裏手をゆったりと豊かな水量で流れている川をここで渡ります。


bambu indah、竹の橋


竹ヤライに挟まれた竹の吊り橋です。四国にも祖谷(いや)のカズラ橋というのがあり、渡るとかなり揺れるのですがこの竹橋も揺れています。




この竹ヤライの吊り橋で第三の結界となります。


bambu indah、バンブードームへの道


竹ヤライの吊り橋を渡って辿り付いた対岸からは川沿いに作られた石畳の小道を歩きます。欄干などはありません、自然そのままです。当然夜は夜真っ暗です、遅い時間になってからは懐中電灯で足元を照らしながら歩くのです。何のことはありません、昔のままなのです。しかし、これは何と凄い事かと思います、他では経験できない第四の結界です。


bambu indah、バンブードームへの道


石畳みの小道から更にもうひとつ竹の橋を渡って進みます。


bambu indah、バンブードームへの道


緑の中に突如現れる半ドーム型の近未来的な竹建造物はこの辺りです。野外コンサート会場のようにも見えていましたが、そこも客室で宿泊のお客様がおられました。


bambu indah、バンブードームへの道


今度は、この細い山道を登っていきます。


bambu indah、バンブードームへの道


ややっ!?ここはまるで、虎竹の里にも竹林の中に残る1200年前から続く四国八十八カ所の遍路道のようです。ふと、先ほどの竹エレベーターの暗闇を思い出しました。


そう言えば35番札所清滝寺の薬師如来像の「胎内くぐり」と言うものがあって、細く真っ暗な回廊を手探りで進みます。厄除けにご利益があるとされていますが、明るい出口が見えるとホッとして新しい自分に出会えた気持ちになりました。あの竹エレベーターも、もしかしたらJohn Hardy氏が、そんな思いを込めて作られたのでしょうか?


bambu indah、バンブードームへの道


しかし、確かにここに来ると何かが変わる気がします。日常をすべて脱ぎ捨てて本当の自分でいられるのがbambu indahかも知れません。そんな事を感じながら、しばらく歩くと階段に通じているのです。


bambu indah、螺旋階段


最後の結界は、この螺旋階段です。大きな荷物を持っていると一苦労するような狭く急な階段を登り切って、ようやく竹のバンブーテントに辿りつきます。


bambu indah、スタッフ、竹虎四代目


自分のトランクを運び上げてくれたスタッフの方には本当に感謝です。自分は荷物を肩から一つしょっていただけですが、すっかり汗になってしまいました。


数々の結界を越えて、ここまで来ました。このスタッフの方が帰られたら、この高台に、たった一人。いよいよ静寂が訪れます。


バンブードームとバストイレ

bambu indah、バンブードーム


夕闇迫るバンブードーム、バンブーナイトの前に、ここの説明をもう少しだけ詳しくしておきたいと思っているのです。都会の夜と違ってbambu indahの夜は真暗です、明るいうちでないと分かっていただけません!


bambu indah、バンブードーム


まずホテルとなると気になるのがベットです、ここバンブードームの中央にはドーーーンとふかふかのキングサイズのベットが置かれていて大型まくらも4個用意されていますので寝心地は最高です。


bambu indah、バンブードーム


テントと言うか日本の蚊帳のようなものですが、ジッパーを開けて外に出ると竹のテラス。座布団も2組用意されていて、景色を眺めながらゆったりと過ごせます。


日本には竹の月見台があって、なかなか贅沢なものなのですが、このバンブーテントでも素晴らしい緑に囲まれ竹の感触が心地よく一度座ったら極楽ぜよ。


bambu indah、バンブードーム


この竹テラスを支えているのも当然竹です。絶壁に張り出した建物の足元を複数の竹でしっかりと固定されています。まったく揺れもありませんので、竹で出来ている事など忘れてしまう程、通常の鉄筋コンクリートのホテルで休むのと何ら変わらないのです。もしかしたら、あんな細いたけで心配だと思われる方がおられるかも知れませんが、複数の竹を組み合わせるほど強いものはありません。


例えば、香港の高層ビルの足場はすべて竹で組まれています。建築作業員の方々は竹に命を預けて仕事されていますけれど長年の経験から固く、それでいて柔軟性があり、しなやかな竹に100%の信頼を持たれていると思います。なので竹にとっては、こんな小さな竹ドームを支えるなど何ともない事なのです。


bambu indah、バンブードーム、バストイレ


次はバストイレですろう。割竹で囲まれた通気性バツグンのスペースとなっています、右側がお風呂場で左側がトイレです。


bambu indah、バンブードームトイレ


トイレも開放的、素晴らしいです。


bambu indah、バンブードーム


座って目の前に広がる景色はこんな感じです!こんな、ゆったりした気分のトイレなど他にあるでしょうか!?まっこと、ここでしか体験できません。


トイレは普通ですが、右側のバスルームが、ちっくとだけクセがあるのです。ここはフロントからも遠く離れた高台に作られています。水道は通っていますので水は出るのですがお湯はありません。


なら、どうやってお風呂に入るのか?


bambu indah、バンブードームバスルーム


実は、この壺がお風呂なのです!すごいサプライズです!


bambu indah、バンブードームバスルーム


この魔法瓶に入っている熱湯を壺に注ぎ、水でうまえて適温にします。それから、ぶら下がっているヒシャクでお湯を汲んで使うのです。


bambu indah、バンブードームバスルーム


シャンプー、リンス、ボディソープも揃っています。良さそうな石鹸類ですが、敏感肌の自分は持参した炭石鹸を使います。


竹扇風機


この日の気温は過ごしやすかったのですが暑い地域です。風呂上りも涼しく快適にいられるように扇風機が置かれています。これも竹製!画像後ろ側にある丸いのが竹扇風機、竹工場でも見かけたものでした。ユニークな形ですが、風向きを自由に変えられるのです。また、電話がありません。フロントとの連絡は「WhatsApp」というSNSを使うようでした。スマホが重要になってきますが充電器まで竹です。


bambu indah、バンブードーム


さて、いかがだったでしょうか?


おっと忘れるところでした。このバンブーテントのベットの枕元には耳栓が置かれています。障害物が何もないからでしょうか?遠くの川のせせらぎが思ったよりも大きく聞こえるのです。しかし、これは使いません。せっかくbambu indahに来たのだから、ここの音も楽しまねば。川の音、虫の音、鳥の音...都会では自然な音は何ひとつ無いのではないですろうか?それがどうでしょうか、ここでは大自然の音に溢れかえっています!


bambu indahジャングル大合唱団、特等席を用意してもらっていました。