竹虎初代宇三郎の海

竹虎初代、山岸宇三郎


すべては、この曽祖父である宇三郎から始まりました。竹虎初代宇三郎が大阪から海を渡ってこの地に辿りついて虎斑竹と出会ったのは約100年前の事です。以来、天王寺にあった和傘の材料を加工していた工場には虎竹がうず高く積み上げられるようになり、いつしか「竹亀」だった屋号が「竹虎」へと変わり今日に至っています。


虎竹の里


遍路道の難所としても知られた安和地区は険しい山に囲まれて奇跡のような小さな浜辺があり、ここから土佐藩政時代には高知城の山内家へと虎竹が船で運ばれていました。自分の小さい頃には竹を干したり選別したりと土場のような役割をしていた海岸でもあります。


竹虎四代目


今年も虎竹伐採の季節がやってきます。年貢として運ばれた海、宇三郎が渡ってきた海、竹の加工に欠かせなかった海、そして日本唯一の虎竹の不思議な虎模様もこの海からの風が一因ではないかと言われています。海・山・空、大自然が生み出す恵みの中で生かされているのは四代目になっても全く同様に続いていきます。




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