大阪の下町で感じる曾祖父の血筋
地下鉄の駅から降りて初めて通る道だと思うのに、まるで前から知っているかのような不思議な感覚に包まれました。大学入学後、東大阪・長瀬の商店街を歩いた時にも、同じような気分になったのを思い出します。大阪の下町が心にしっくりと来るのは、やはりボクには天王寺で創業した曾祖父の血が濃いからでしょう。
そうして辿り着いたのが、新世界にあるあづま食堂さんです。ここあづま食堂の名物はシチューうどん。朝の開店からお客様が並ぶほどの人気ぶりなのです。一口食べて感激しました。「ああっ、美味しい!この味、この味!」実は、このシチューの味が、「かね又」仕込みの祖母が作ってくれた山岸家特製シチューとそっくりだったのです。
祖母の実家「食堂かね又」
祖母の実家がやっていた食堂かね又は、最盛期には新世界、千日前、松島、福島など、大阪の繁華街に数店舗ありました。三姉妹だった祖母の姉たちは二人ともお米屋さんに嫁いでいたそうで、食堂の仕事関係でご縁があったようです。随分と昔のことだし、今では店などどこにも残っていないだろうと勝手に思っていました。ところが、実は本店で修行された方が暖簾分けし、天神橋筋六丁目に店を構えられていたのです。その事を知ったのは10年以上前ですが、いてもたってもいられず大阪に向かったことを今でも覚えています。
祖母を偲ぶシチューの味
大阪に用がある度に、機会を見つけては食堂かね又でシチューをいただきましたが、何度行っても祖母を思い出します。あまりにも懐かしくて、一度は父や母を連れて訪ねて行ったほどです。
今回訪れた、あづま食堂さんは、かね又とは関係なかったそうですが、当時はこの町にもかね又はありました。これだけ特徴ある、同じ味のシチューを出されているのですから、もしかしたら何か繋がりがあったのかもしれません。シチューだけでなく、玉子焼きの見た目も味も、何度かかね又で食した味を思い出させてくれました。
かやくご飯も最高です。大阪は食い倒れの街と言われますが、このような古き良き伝統の味を繋いでこられたのは本当に素晴らしいことです。
株式会社 山岸竹材店
ところが、このあづま食堂さんが今月の19日で閉店されるそうなのです。昭和28年からなので72年間もの長きに渡ってお疲れ様でしたと言うべきですが、このシチューの味がとうとう食べられなくなるかと思うと残念でなりません。
もしかしたら、これが最後のシチューでしょうか。これほど、味わいながら食事をすることも珍しいと思いながら頂きました。
ボクの生まれた家はボロボロでしたが、家の周りは意匠を凝らした立派な竹垣に囲まれていました。その前で写真に写る祖父と祖母の姿。かね又で働いていた祖母の娘時代、戦前そして戦後。閉店されるという、あづま食堂さんを通して長い歴史を振り返り、当時に思いを馳せています。ボクたち竹虎は、74年前の昭和26年(1951年)10月6日ですからまさに今日、株式会社山岸竹材店として設立しました。祖母の食堂から続く大阪の歴史、そして今に繋がる自分たちのルーツを改めて感じています。
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