山岸家の特製シチュー


老舗竹材店を営む山岸家には、昔からとても不思議な料理がありました。それは透明なシチュー。シチューと言えば白色のクリームシチューや茶色いビーフシチューが一般的かもしれません。しかし山岸家のシチューとは、牛肉、タマネギ、じゃがいもの入った透明な塩味のシチューのことです。
竹虎四代目がまだ幼い頃から何度も食べた味...大学を卒業し、竹虎の下働きとして勤めだす頃には実店舗や出張で忙しい母親に代わり、祖母が食事の支度をしてくれていました。そのため祖母秘伝の透明シチューは、何度も食卓にならんだものです。


今でも鮮明に思い出せる、祖父と祖母の大阪弁。大阪府育ちの二人は竹屋を営むため高知県へ渡ったあとも、ずっと大阪弁を話していました。子供の頃、全国の竹屋へ大好きな祖父に連れられて回った竹虎四代目にとって、大阪弁はとても馴染みの深い懐かしい言葉です。
そのため、祖母が大阪府の食堂「かね又」の娘さんで、ずっと店の切り盛りを手伝っていた事や、他では見かける事のないシチューが、食堂の一番の人気メニューだったこと...誰からともなく聞いて知っていました。しかし、それも何十年も前の話です。あの味をもう一度食べたいと願ってみても、すでに食堂「かね又」は無くなっているものだと考えていたのです。


ところが何と言う運命の巡り合わせでしょうか!祖母が遠く離れ、何年も経った時のことです。大阪府に住む親戚から、ふと食堂「かね又」の事を耳に挟みました。もしかして...いや、まさか。何故か胸騒ぎを覚え、祖母の食堂について調べてみたのです。
「天神橋筋六丁目に食堂『かね又』がある!?」
更にホームページの写真には「特製シチュー」と大きな文字で書かれています。間違いない...とたんに心臓がドクドクと脈打ってきました。ずっと自分が親しんで来たシチュー。何年も食べていない山岸家のルーツがここにあるかもしれないのです。

竹虎の工場が元々あった場所は、大阪府天王寺。随分と前の話ですが、太平洋戦争の前までは高知県から大阪府の間を、虎竹をずっと運びながらの営業でした。 虎竹の里には曽祖母の里もあったため空襲が激しくなると疎開をし、大阪府の自宅も工場も全て焼けてしまった後には、本社を現在の高知県須崎市安和の虎竹の里に移したという歴史があります。


大好きな祖母の食堂に、シチューに巡り合えるかもしれない...大阪府行きの電車に飛び乗るには十分すぎる理由です。ガタゴトと電車に揺られながら、自然と昔のことが思い返されます。

竹虎四代目が二十代の頃、田舎暮らしでコレと言った楽しみもなく、竹の事も全く分からない中で唯一楽しみだったのは、料理上手の祖母の食事です。中でも、特製シチューは大好物。 仕事で真っ黒に汚れた上着を勝手口で脱ぎ捨てドアを開けると温かいシチューの香りが漂ってきます。疲れて、うつむいた顔で帰ってきた自分に思わず笑顔が戻ってくるのです!手を洗う事も忘れて大鍋に走り寄って行ったものでした。


食堂「かね又」はどうやら天神橋筋六丁目にあるようです。駅を降り路地裏に入っていきます。表通りの喧噪から離れひっそりとした、それでもどこか人情味を感じてしまうのは、やはりこの場所に山岸家のルーツがあるからでしょうか...。









何十年と夢にまでみた祖母の食堂をついに発見です。駆け足で暖簾をくぐり、大声で店主に声をかけます。 「特製シチューをお願いします!!!」


出して頂いた特製シチューは、祖母のものと同じでした。ゴロゴロと入った大きなジャガイモに柔らかな甘い玉ねぎ、脂ののった牛肉...何一つ変わりません。立ち上る真っ白い雲のような湯気を黙って見ていたら、あぁ無性に視界がうるんできます。塩味のきいた特製シチューが更にしょっぱくなってしまいました。


現在「かね又」を経営されている方は、本店で修行されて暖簾分けされたそうです。かつては新世界、千日前、松島、福島という大阪の繁華街にそれぞれあった中で、ここが唯一残った、最後の一軒だとお店の方が教えてくださいました。
しかし、こうして伝統の味を守り続けてくれている事に本当に感激です。それも竹虎創業の地、ここ天王寺で、です。他では見かけない特製シチューは、ロシアの船員さんから料理を習ったことがベースになっているとお伺いしました。そんな自分が今まで知らなかった事まで聞く事ができたのです。



そして実は、この透明シチューは織田作之助の小説「アド・バルーン」にも登場しています!ちょうど織田作之助生誕100年目という事もあり、「オダサクグルメ」とも呼ばれ、巷で注目も浴びているようです。「難波自由軒のカレーでも知られた作家が祖母の食堂にも来たのだろうか?」そう考えただけでも、この一皿が繋ぐ不思議な結びつきについつい面白さを感じてしまいます。
それにしても、織田作之助さんはダンディーな方です。ズボンの折り目がピシッと入ったスーツをビシッときめて、帽子までも格好良くお洒落。有名な作家の方が書かれた小説の中に食堂「かね又」が描かれているとは、喜びが隠し切れません。こんな格好良い人が店に入り、名物の特製シチューを食べていたのか...祖母には、この方が一体どんな風に見えていたのでしょうか?


コロナ・ブックス発刊「織田作之助の大阪」のページをめくると、現在ただ一店残っている天神橋六丁目のお店が掲載されています。小説「アド・バルーン」には、当時営業していた複数のかね又に、織田作之助が全て訪れたという下りありました。更にこの本には、どて焼きも「オダサク好み」と書かれています。テリテリとした色合いにつられて、シチューに続き、どて焼きも2本、お皿に入れて頂きました。


「熱々で大ぶりのすじ肉に、大好きな甘味噌が絡んで、まっことたまらん!」一口頬張ると、口いっぱいに幸せが広がります。「オダサク好み」と呼ばれるのも納得です。しかし、良く考えるとこの味は「竹虎四代目好み」でもあります。それもその筈、この味は自分達のルーツの味でもあるのですから、好きなのは当たり前の事です。昔から甘味噌が好きだった理由が分かったようで、風は冷たくとも、心はポカポカと温まります。
あんまり美味しいきシチューとどて焼きだけやなく、シチューうどんや出来立ての玉子焼きまで食べてしもうたがです。さっぱりした塩気と肉の旨味がじんわり絡みあううどんに、シンプルなのに味わい深い玉子焼き。まるで昔に戻ったような気分で、ついつい箸が進むちや。皆様も是非一度「竹虎四代目好み」を食べに来とうせや!

食堂を後にしても、真っ直ぐ虎竹の里へ帰る気が何故か起きませんでした。作家、織田作之助にも地元の人にも愛される食堂「かね又」の特製シチュー。けれど竹虎四代目にとっては、世界にただ一人の祖母のシチューです。かつて祖父母が竹屋を営んだ町...その頃の二人の面影を探すように、町を何時間と歩きました。


祖母は生まれ育った町から遠く離れた南国土佐で、この場所を懐かしんであのシチューを作ってくれたのだろうか?大阪府のにぎやかな都会から、決心を胸に祖父とともに竹しかない田舎へ来た後も、ひそかに帰りたい事も思うこともあったのではないのだろうか?きっときっと辛いことも沢山あったでしょう。歩き疲れて空を見上げたら、いつの間にかとても綺麗な夕暮れになっていました。


祖母が弱音をこぼした姿はあまり記憶にありません。自分には何一つ弱さを見せない、いつも優しく真っ直ぐな祖母。振り返れば、あの塩味のきいた一杯のシチューは、ずっと日本唯一の虎竹を支え続けてきてくれた味でもあります。改めて大きな意志の中で自身が生かさている事を思うと、まだまだ竹虎四代目として何の使命も果たせてはいないのです。


虎竹の里へ戻ってきてから、もう一度空を仰ぎます。大阪の町にも広がる同じ空。その眼下には、同じくふたつの町を繋ぐ安和の海がゆるやかに流れます。安和の浜はその昔、初代宇三郎が虎竹を求めて小舟で降り立った浜でもあり、そして祖父である二代目義治、三代目義継が竹を並べて働いた浜です。この空と海の先で、二人は自分を見守ってくれゆうろうか?
まだまだ会えないけれど、待っていてほしい。竹虎四代目として自分が成すべきことを遂げた後で、竹虎の100年を見届けた後で、またあの熱々の特製シチューを作ってほしいのです。

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