
古い白黒写真の中の高祖父
なんだか凄い写真が出てきました。紋付き袴の面々がズラリと並んだ白黒写真、その説明には「今宮第三小学校後援会役員」とあります。この小学校を調べてみますと、旧西成郡今宮村で3番目の小学校として、今宮第一、今宮第二という2つの小学校の校区を再編して、西成郡今宮第三尋常小学校として創立した、とあります。大都市大阪に郡があったのかと、時代を感じますが現在の地名ですと、大阪市浪速区の南東部から西成区の北部の地域のようです。土地勘のない方にも分かりやすくザックリ言いますと、あの有名な通天閣がある辺りでしょうか。

竹虎初代・山岸宇三郎
さて、この古い写真に付いている名簿によると、後ろから二列目右から三人目が、竹虎を創業した高祖父・山岸宇三郎です。大正13年(1924年)に撮られた写真のようなので、会社を興してからちょうど30年目の年です、和傘等に使う竹材商として創業していますが、この頃には土佐虎斑竹とも出会い、頻繁に行き来するなど精力的に仕事をされていた頃です。祖父には姉もいましたから、自分の子供たちが通っていた小学校で役員として名前を連ねていたのでしょうか。それにしても当時の小学校はこれだけ多くの役員がいるくらい、生徒数が多かったのかと驚かされます。少子化の現代と比べると大違いです。

山岸宇三郎の名刺
さらに、今回初めて見て感激したのが当時の名刺です。ロゴマークは山岸の「山」に、宇三郎の「宇」、渋いです(笑)。132年前の創業なのに、実際の名刺を拝見させてもらうと、そんなに昔だとは感じません。その頃の山岸竹材店は、大阪市今宮町南海十番踏切西入...京都みたいな住所、すぐに調べてみても、現住所はどこだろうか?分かりません。竹材を扱う工場を広い土地が必要でしたので少し離れた場所にあったようです。線路沿いの土地だったのは、当時の物流が汽車が中心だったからなのですが、そのうち時間ができれば、詳しく調べてみたい気もします。

虎竹の美しさに魅了された家業
先月お参りしたばかりの中央区谷町にある本政寺さんは、当時の会社からはすぐの場所にあります。もともとの菩提寺だった堺市の月蔵寺さんから、こちらに移ったのは、宇三郎の竹の商売が大阪で根付いた証かも知れません。古い話なので、推察する部分も多いのですが自分達の会社のルーツを知ることは大事だと思っています。自分がはじめた会社であれば、一生返せないと人になじられた大きな借金があり、将来性などまるで感じられなかった仕事であれば、ずっと前に辞められたはずです。けれど、初代宇三郎が小舟で降り立ち、見上げた山々の虎竹の美しさに魅了された安和の浜辺からは、昔と同じように優しい波音が聞こえてきます。それ以来、ずっと続いてきた家業だと思うとき、どうしても竹から離れることはできませんでした。

何をやっても中途半端で、頼りない自分が今こうしていられるのは、この写真にいる高祖父のお陰です。いずれ、ゆっくり竹の話をしながらお礼を言える日もくるかと楽しみにしています。
