
確かな技術で編まれた椀籠たち
いつの時代化のものか分かりませんが、時代を感じさせる竹編みの茶椀籠たちに出会いました。プラスチックなどの素材が普及するまでは、食器類を干すと言えば、水切れが良くて湿気にも強い竹しかありませんでした。そこで、その地域で身近にある竹材を活かした竹籠が色々と作られきて日本各地に豊かな竹文化の花が開いていたのです。日本の囲炉裏のある生活は昭和30年代の高度成長期から急速になくなってきましたので、この煤けたメカゴは恐らく1960年以前に使われていた籠だと推察されます。この古さでも、一本一本の竹ヒゴのハジキもなく堅牢さは当時そのまま、威風堂々とした貫禄を感じさせ、さすが昔の職人の腕は確かだったと改めて魅入ってしまいます。

根曲竹茶椀籠
この根曲竹の茶椀籠も、まるでスプレー塗装したものが剥げたようにも見えていますけれど、当時のカマドのある台所で使われた籠はこのような風合いになっていきます。

生活必需品としての竹籠
これも根曲竹を使った茶椀籠、面白いのは時代は古くても籠の形は完成されていて現代のものと全く同じことです。上げ底になった通気性のよさは重宝されたでしょうし、細くとも雪の重さに鍛えられて根元が曲がっていることから根曲竹と呼ばれる屈強な竹材は、数世代に渡って、そのご家庭で愛用されてきたと思います。

この籠も、前の椀籠と同じ竹素材、作り、大きさではありますが編み込みの目が少し細かく、縁巻も若干丁寧です。より小さい食器類を入れられる籠として編まれたものだと分かります。

土佐の「お客」と竹ざる
高知の「お客」では、部屋の襖を全て取り払って旅館の大広間のような設えにするのが普通でした。そこに、まさに温泉旅館などの宴会場で見るような低いテーブルをならべるのですから面白い!小さい頃には当たり前には思っていましたけれど、来客の方々は肩が触れ合うくらいギュウギュウに詰め合って楽しそうに飲み食いを始めます。料理はテーブルにドンと置かれた豪快な皿鉢料理、大きなお皿にオードブルからツマミ、お寿司まで盛り込んでいますから言うことありません。さらに、もうひとつの大皿が言わずと知れた鰹のタタキ、あるいはウツボのタタキ。ちなみに、ウツボを食べるのは高知の他には九州宮崎県と、和歌山県のみ、だから以前はウツボ籠という鰻筌の大きな籠も編まれていて漁師さんから注文をいただいてましたが、この三県以外からのお問い合わせは記憶にないのです。

籠に書かれた名前
沢山の人々が入れ替わり立ち替わりやって来ますから台所は戦場状態です。毎日使っている茶椀籠ではとても足りず、日頃農作業に使っている竹ざる、さらには倉庫にしまってある竹籠などが使われて、足りなくなったら隣のお宅から湯呑が沢山入れられた籠が届いたりします。竹籠は、生活や農作業、漁業に密着した道具であり持ち歩くことも多かったので、当時の竹製品には大きく名前を書かれたものが少なくありません。墨で屋号が入れられたザルを、訪れた農家さんの納屋で見かけたりすると、明るい田植えの光景や、にぎやかな裸電球の夜を思い出して温かい気持ちが呼び起されます。
