
42年前の大火災
42年前の今日、竹虎を大きな火災が襲いました。ご存じの方も多いかもしれませんが、竹という植物は非常に油成分が多く、一度燃えだすと手のつけようがないほどの凄まじい勢いで炎が広がります。消火に駆けつけてくださった消防士さんが、火に照らされた顔をすすだらけにしながら「まるで化学工場の火事みたいだ...」と漏らした一言は、今でも耳から離れません。

工場も本店も灰になる
一夜にして、竹虎の本社工場はすべて灰になりました。そしてすぐに、カンカンと照りつける灼熱の太陽の下、復旧作業に追われる日々が始まりました。ボクは中学から全寮制の学校に進んでいましたので、大学四回生になるまで10年間は工場に足を踏み入れたこともあまりありませんでした。しかし、父や祖父など自分が心血を注いできた竹が、このような無残な姿になったのを見て、よくこの地で立てていたと思います。今頃にして、ようやく二代目、三代目の大きさに気づかされています。

不思議な竹の声
実はあの夜、不思議なことがありました。普段ならすぐに寝入ってしまうボクが、なぜかどうしても寝つけなかったのです。まるで誰かに呼ばれているような胸騒ぎがして、小雨が降る中、傘もささずにパンツ一丁で真っ暗な工場へと向かいました。火事を発見したのは、まさにその時でした。これまでの30年ブログでも何度か書いてきたことですが、現場に到着したとき、そこには小学校高学年か中学生くらいの男の子が二人、ただ茫然と燃え上がりだした火を見つめて立っていました。当時の竹虎の工場は、川岸に突き出すように板を並べた構造になっていました。きっと彼らは、雨宿りのためにその下にやってきて、そこで焚き火か何かをしていて火が燃え移ってしまったのだと思います。

あの夜のふたりへ
最近、ふと思うことがあります。そうだとしたら当時子供だった彼らも、今ではもう50歳を過ぎているはずです。きっとこの季節が巡ってくるたび、消したくても消せない過去の過ちとして、苦い気持ちであの夜のことを振り返っているのではないでしょうか。もし、どこかでこの30年ブログを読んでくれているなら、ボクは伝えたいです。「確かに大変なことにはなったけれど、どうかそこまで自分を責めないでほしい」と。

ありがとうございます、竹虎四代目です。
あの出来事があったおかげで、ボクは竹虎を継ぐ決意を固めることができました。あの夜の火災は、間違いなく竹虎にとって大きな悲劇でした。今、こうして書いていても息が苦しくなります、けれど、あの炎があったからこそ「竹虎四代目」が誕生し、全国の皆さまに支えられながら今の竹虎があります。そう思えば今では、あの日そこにいた二人にお礼を言いたい気持ちすらあるのです。大きな困難を、地域の皆様と、社員と家族と乗り越えたからこそ見えてきた景色がありました。あの暑い夏の日の焼け跡から始まった再出発の誓いを胸に、これからも竹虎は日本唯一の竹と共に歩み続けていきます。
