竹虎四代目(山岸義浩)紹介

NO BAMBOO NO LIFE
創業明治27年(1894年)の老舗竹屋、竹虎(株)山岸竹材店の四代目、代表取締役社長の山岸義浩です。竹虎が100有余年にわたって竹一筋にやってこれたのもご愛顧いただきますお客様のお陰と深く感謝しています。田舎の小さな竹屋です、自分には竹がなければ何もありません。


老舗竹屋の四代目として誕生
小さな頃から身近に竹がありました。今の工場の前の浜辺には長いもやら、短く切ったものやら、割った竹やらがズラリとならんで沢山の職人さんが竹をかついで、あっちへこっちへしていました。 工場にはいると竹のなんともいえない甘い香り、竹と家族にかこまれて幸せでした。明治27年に創業以来ずっと竹で商ってきました。だから私は生まれながらの竹屋。大きくなったら竹をかつぐ...ホントに漠然となんですけど自分の使命のようにずっと思ってきました。

明治27年より現代に繋がる竹のバトン
竹虎の歴史は、明治27年(1894年)に初代 山岸宇三郎が大阪市天王寺区で竹材商として創業した時までさかのぼります。その頃竹は、人々の生活に深く根ざし欠かせないもので、どんな小さな村にも竹細工職人が一人はいると言うような時代でした。そして、宇三郎が良質の竹材を全国をまわり探すうちに出会ったのが、竹の表面に虎模様の浮き上がる虎斑竹(とらふだけ)でした。昭和に入り、二代目義治の代に屋号を「竹亀」から心機一転「竹虎」へ、さらに工場を大阪から安和の虎竹の里へ移しました。ゼロからのスタート、お盆も正月もなく働いた義治、タネ子夫婦の苦労が今の竹虎の礎を築きました。苦労のかいあって昭和26年(1951年)10月6日株式会社を設立、今の(株)山岸竹材店が誕生しました。

竹の声
自分が大学4年の夏に本社と工場が全焼しました。 もう寝よう、そう思って2階に上がると誰かが工場の方で呼んでいる気がします。全寮制の学校から県外の大学と10年間も自宅にいなかったので、工場も数えるくらいしか行ったことがありませんでした。それなのにどうも大事なことが待っているような気がしてシトシトと雨の降る中、傘もささずに母のサンダルを引っかけ歩いていきました。
今でもなんであの夜に、真っ暗な道を一人歩いて行ったのか?時々考えることがあります。でも、あの大火災の第一発見者にしてもらったこと、そして火災翌日の二代目義治の「何も残してやるものがなくなった...。」という言葉を聞いたときに「あなたの熱い、竹への熱い思いは、しっかり僕に受け継がせてもらっている」と、今まで感じたことのない感情がわき上がりました。自分は竹のために生まれてきた、そんな事を教えられた気がしました。あれから数十年、今でもはっきり覚えている祖父の背中。そして、あの夜の不思議な声は、きっと竹の声。「僕は竹の声が聞こえるんです。」冗談のように言っていますが実は本気なんです。

竹虎へ入社
ところが、入社しても竹屋の仕事は典型的な3K。キツイ、汚い、危険。景気のよい時代だったので周りの皆が輝いて見えました。年々落ちていく売上げ、自分ではどうしようもない閉塞感の中で、もがいて、もがいて、大きな借入金の中、会社の倒産も時間の問題かと思われました。

あなた方の仕事は素晴らしい
いよいよ自信も無くなり、なんの光も見えなくなったと思い詰めたある日、お客様から二十数年前に二代目義治が設置した門セットの作り替えの依頼が来ました。その施工後にお客様から伝えられた言葉が胸に刺さりました。
「あなた方の仕事は素晴らしい、私は竹を見ると癒される」
あんな誰も見向きもしない竹を素晴らしい?癒される?信じられませんでした。でも、お客様の真剣な目を見た時、涙があふれて、止まらなくなりました。ようやく思い出しました。自分はどうして生まれてきた?老舗竹屋として生まれるも、竹虎四代目としての道が見つけることが出来ず自分はずっと真っ暗闇の中にいました。ですがこの時に、ようやく気づかせていただいたように思います。

竹虎四代目誕生
2005年に代表取締役社長に就任しました。

竹虎工場長の存在
弟の山岸龍二は竹虎工場長(専務)として現場をとりしきってくれています。猪突猛進、常に前に進むことしか考えていない自分は、社員へのフォローや細かな部分に目が行き届かないなど至らない点が山ほどあります。その足りない部分を竹虎工場長が補い、支えてもらいながら今日までやってきました。祖父や父が竹をかついで働く姿をみながら遊んだ2人が、こうして同じように虎竹と向かい合える幸せに感謝です。


虎竹の里
高知県須崎市安和に虎竹の里はあります。虎斑竹(とらふだけ)の竹林が広がる焼坂の山の中腹より虎竹の里が一望でき、遠く須崎湾の向こうには横浪半島まで眺められます。虎斑竹はこの虎竹の里わずか1.5キロの間口の狭い谷間でしか成育しない貴重な竹なのです。


次の100年
竹表面に虎皮状の模様が入っているところから虎斑竹(とらふだけ)と呼ばれます。この模様は幹に付着した寄生菌の作用によるとの学説もありますが、全国でも安和の虎竹の里でしか成育しない不思議な竹なのです。最近では職人の高齢化、地球温暖化による虎模様の色づきが芳しくない等大きな変化の時代に来ています。次の100年に虎斑竹を繋ぐため、これらの問題と向き合いながら竹林を守り続けていかねばなりません。


虎斑竹で世界を笑顔に
ユニークな竹細工で注目を集め、関心を持ってくれた一人一人に竹の魅力を伝えようと日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」やボックスカート「REIWA-125号」を製造しました。

日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」
光岡自動車の2人乗り電気自動車「Like-T3」をベースに虎竹の車を製造したのは2016年のこと。車のシートやハンドルをはじめ車体部分をすべて虎竹で編み込んだ日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」の誕生です。資金はクラウドファンディングで募り多くの方々のご協力で達成することができました。

虎竹の里から世界へ
竹トラッカーの製造には「環境にも人にも優しく無限の可能性を秘めた竹を多くの人に知っていただきたい、日本人にずっと寄り添って来た竹の事を見直して欲しい、竹を愛し、竹に携わる全ての人に竹の未来を感じてほしい、新しい竹の時代を信じてほしい」などの想いが込められています。そのため虎竹の里から全国へ、さらには世界へ竹トラッカーを走らせました。


ボックスカート「REIWA-125号」
2019年には創業125周年を記念して、日本唯一の虎斑竹でボックスカート「REIWA-125号」を製作しました。スペインで開催されるボックスカートレースがEUの環境都市にも選ばれたビトリアであったことや、エンジンを搭載せず重力のみを動力に走るという点が自分達と共鳴する部分あったのです。竹は成長スピードが早く継続利用可能な唯一の天然資源と言われており環境に優しい植物だからです。


世界竹大使
世界各地で3年に1度開かれる「世界竹会議 (World Bamboo Congress)」には50カ国の国と地域から竹の専門家が集まって竹の未来について語り合います。2018年8月14日(火)~2018年8月18日(土)の5日間開催されたメキシコのハラパ(Xalapa)の会議には日本人でただ一人、Keynote Speaker(基調講演者)として登壇しました。そして、日々の「竹の天然資源の可能性を見いだし、世界に示すために積極的に関与した」点が認められ国内で2人目の世界竹大使(World Bamboo Ambassador)に任命いただきました。何か特別な事をするわけではありませんが、今までどおり竹のように真っ直ぐに自分のせねばならない事をしていきます。


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