矯めるということ

竹を矯める


竹は立っている時は真っ直ぐに伸びているイメージがあると思いますが、伐り倒して見てみると、曲がっている竹が多い事に気づかされます。竹は筍の状態から生えてきて、たった3ヶ月で大人の大きさに成長します。しかし大人の大きさに成長しても、身はまだ柔らかく、2~3年をかけて固く成長し、虎竹のような色の付く竹は少しずつ色がついてくるのです。その柔らかい時期に風に吹かれたり、隣の竹や木に邪魔をされたりしながら曲がってくると自分は考えています。


その曲がったままの竹では内装材や細工物に使うのに、使いづらいので、油抜きをしながら、その熱を利用して竹を真っ直ぐにすることを矯めると呼んでいます。固く大きく、厚みのある木の板に、竹に合わせていろいろな大きさの穴を開け、その穴に竹を差し込んで、曲がった部分を矯正していくのです。節の部分を起点に、曲がりとは逆の方向に曲げて、熱によって柔らかくなった竹の繊維を伸ばしていきます。そのことを竹虎では「ころす」と呼んでいます。しっかり曲げてその部分をころしておくことで、竹の熱が冷めても竹が元の曲がりに戻らないようになります。


1本の竹の中にあるたくさんの節のその1節1節、その竹の曲がった部分と方向を見極め、的確に曲げてころしていくことには経験が必要になってきます。竹虎でも今では自分ともう一人の職人しかできない仕事なので、最近になって若い職人に覚えてもらうことにしました。曲がっている竹を真っ直ぐにするということは、なんとなく分かるようなのですが、どこをどのように、どの方向に、どれくらいの強さで押していけばいいのかが、まだわからないようです。またその押し方は竹への熱の入れ方の具合や、その竹の性質によっても微妙に違ってきます。


また竹によっては同じ方向に曲がっているものばかりではなく、捻じれているものや、あちこちに曲がっているものも少なくありません。それを見て、押すべきところだけを的確に押して、ころしておき、竹が冷めてから、真っ直ぐに仕上げていきます。前にいる人がバーナーで油抜きをして、熱を加えた竹をどんどん後ろに流してきます。それをどんどん捌いていかなければなりません。熱の入った竹をしっかりころして置いておき、冷めたころに真っ直ぐに仕上げていきます。真っ直ぐにする技術も必要ですが、同時に早さも必要です。遅ければ矯めかけの竹がどんどん自分のところに溜まってきてしまいます。


職人というのは綺麗にうまくやることは当然ですが、速くやるということがコストを抑える面でも非常に大切です。捌けなくてどんどん溜まっていく竹は自分の技量不足でしかありません。隣の職人がどんどん捌いていってるのに自分のところはどんどん溜まっていくことは自分の技量不足を思い知るいい機会です。私もやり始めたころは、なかなかうまくいかず、どうやったらいいのかわからず、どんどん溜まっていく竹に苛立ちながら仕事をしていた時期がかなり長い時間あったことでした。それが少しずつ分かってきて、少しずつ早くなり、なんとか人並みに捌けるようになりました。


「百聞は一見にしかず」という言葉がありますが、その後には、「百見は一考にしかず」、「百考は一行にしかず」、「百行は一果にしかず」と続きます。自分たちの仕事は見て知っているだけでなく、その後考え、行動し、成果を出してこそ本物になります。今まではなんとなく見て知っているつもりの矯めるという作業を実際にやることによって、その難しさや技術を理解し、竹が1本1本違うことを肌で感じ、そして成果を出してこそ、本当の意味で矯めるということを知っていると言えるように思います。


いつになるのかわかりませんが、この若い職人が矯めるということを本当にわかってくれて、竹というものをまた一つ知り、わかってくれるのを期待しています。と、同時にそういう自分はどれだけわかっているのだろうか、竹という素材や竹の仕事をどれだけ本当に知っているののだろうかと考えた時、知らないことがまだまだ多いと思わずにはいられません。