続・インターンシップ2023

竹虎インターンシップ2023


今日もインターンシップ2023の続編だ。今回はいつもの大学生と違って、県外から参加された中学の方がいた。しかし、ただの中学生ではなく、何とこの若さでに日本中のスーパー竹とんぼのお歴々が知らない人がいないという期待の星だと言う。確かに、竹を見る目が普通ではない、竹に関する知識も並外れに凄かった。


竹虎インターンシップ


竹虎インターンシップ


竹虎インターンシップ


ただ、彼の本領が発揮されたのは店舗生命が終わり、スペインや東京で開催されたレッドブルの坂道レースに参加したREIWA-125号に乗って一息ついた後だった。


竹虎インターンシップ本社工場


実は、孟宗竹や真竹を使ってスーパー竹とんぼを製作し、コンテストに参加する彼だが、前々から虎竹で竹とんぼを作ってみたかったと言うのだ。どんな形であれ、虎竹が役立つことは本当に嬉しい。そこで自由に選んでもらうと目の色を変えて選んでくれる、こういうのも嬉しい。


竹虎インターンシップ


インターンシップ虎竹花籠作り


インターンシップの大学生は、虎竹花籠研修で自分だけの逸品を完成させた。記念のトロフィーとして、大切にしてください。





竹虎インターンシップ2023

インターンシップ2023竹林


夏のインターンシップがはじまった。今回は、地元大学生2名と県外から親子で参加された合計4名様でスタートした。学生さんのインターンシップは、在学中に自分が進みたい進路や希望する職種を体験するためのものと、自身の就職する仕事とは全く異なる世界を体感するための二種類があると思う。竹虎のインターンシップは多くの場合、後者だ。


インターンシップ2023


地元の人さえ特産の虎竹の事を知るようになったのは、そんなに昔ではないように思う。そもそも市場が県外にあったからなのだが、若い方なら尚更竹の事は全く未知との遭遇ではないだろうか。


インターンシップ2023


本店、本社工場、竹林見学と例年どおりのスケジュールではあるが、今回は特に店舗にある竹細工や竹製品の説明に時間を割いた。


竹虎店舗

インターンシップ竹虎本店


インターンシップ竹虎本店


インターンシップ竹虎本店


インターンシップ竹虎


竹虎本店に隣接する本社工場で竹材の原材料や加工する様子をご覧いただく。


竹虎工場


ちょうどタイミング良くお一人様の茶碗籠などが出来ていた。「竹は世につれ、人につれ」とお話しさせていただく、茶碗籠や脱衣籠など家族で使う竹細工は、家族当たりの人数が少なくなるに従い少しづつ小さくなってきた。大家族だった時代には考えられないような、小振りの竹籠が今では主流となっている。


インターンシップ竹虎


竹虎インターンシップ


竹虎工場


インターンシップ2023、竹トラッカー


会社説明の最後には、日本唯一の虎竹電気自動車「竹トラッカー」試乗がある。虎竹ヤタラ編みシートの座り心地はいかがだったろうか?かなり独特なので、忘れられないのではないかと勝手に想像している。





リアルたけのこの里!日本唯一の虎竹の竹林に伸びる次世代のスターたち

虎竹筍、竹虎四代目(山岸義浩)


今の季節の虎竹の里は、まさにリアルたけのこの里状態だ。皆さんは、凄まじい筍の成長スピードをご存知だろうか?30年ブログをご覧いただく方はご存知のように、筍が生まれてからわずか3ヶ月でスクスクと伸びて行き、親竹と同じ大きさになってしまう。だから昨日まで何も無かったはずの空間に突如現れる筍に、連日竹林の様子が変わるように感じるのだ。


竹林取材、竹虎四代目(山岸義浩)


JAグループの発行されている雑誌「家の光」さんが取材に来られた日は、明るい陽射しが差し込むものの竹林は暑くもなく、心地よい風を吹き抜けて最高だった。このような竹林には蚊がいないので、山道を登る時に虫除け代わりにスプレーしてきた竹酢液は不要となる。


筍食害


さて、育った後は硬さが変わったり、色合いが変わる事はあるものの大さきは変わらない...、などと言う話をしていて、ふと足元を見ると何と!筍の先端が無残に食いちぎられてるのを発見した。


筍食害、竹虎四代目(山岸義浩)


これはイノシシではない、彼らは優れた嗅覚でまだ地中から出ていない筍を狙って食べるから、これは鹿だろう。


虎竹の筍


一日に120センチも伸びる事もある竹は、この神秘の生命力があるからこそ、日本では「松竹梅」と縁起の良い植物に数えられている。大きく育ったあとは色づきだ、今年のルーキーたちに期待したい。





昭和39年、株式会社山岸竹材店

虎竹の里


この小さな集落に竹虎が本社移転したのは戦後の事、空襲で焼け野原となった大阪天王寺の工場からだった。曽祖母さんの里を頼り疎開していた高知の片田舎への拠点移動は、さぞ大きな決断だったに違いない。しかし、この地は日本で唯一の虎竹の生産地であり、竹虎を応援してくださる多くの人に恵まれていた。


竹虎四代目(山岸義浩)、竹林


最近、地元の古老とお話しする機会を何度もいただいている。ご自宅でお話しを伺っていると、昔の話に胸が熱くなってくる。そして、どこのお家からも言葉にする、しないはあるけれど竹虎への期待と応援と、何より大きな信頼を感じる。これはもちろん、自分へのそれではなく父や祖父や曾祖父が、この里でどれだけの汗を流してきたかの証だと心から思う。


竹虎社員


「須崎市 昔の記録」というYouTube動画を教えてもらった。昭和39年撮影だから今から60年前の竹虎の様子が映っている。当時の須崎市内を紹介する動画の中で、1分余りの短い時間だけれど、ヨーロッパへの輸出用釣り竿を製造している様子や、大正2年頃に虎竹移植をして生産を増やしてきた事などナレーションで語られている。懐かしい工場、忙しそうに働く沢山の職人さんたち、見覚えのある方もいる!60名もの方々に仕事に集まっていただいていた頃の活気が伝わってきて魅入ってしまう。


虎竹の竹林


地域の皆様に頂く期待や信頼は、かつて藩政時代には「哀れむべき浦にて候」とまで言われた農作物が乏しい安和で、年間5万束もの虎竹を製造し特産品にまで成長させてきた先人に対してだ。動画では曲がりくねった未舗装の道路を、虎竹を満載にした三輪車が走って行く。あれから国道は整備され、トラックは最新型に変わったが、焼坂に見える竹林は変わらない。


虎竹の里を彩る花火

 
夜の虎竹の里


虎竹の里にあるJR安和駅はホームのすぐ下に須崎湾、さらに太平洋が広がる美しい景色が眺められる駅として鉄道ファンならずとも有名な場所だ。ボクが小さい頃には2名ほどの駅員さんが常駐する大きな駅舎があった、海の広がる景色が当たり前だと思っていたので、何かのポスターに選ばれて東京の山手線に貼られているのを見た時にはビックリした。


実はこの場所も竹虎とは非常に縁が深い。トラック輸送が中心になるまでは日本の物流は貨物列車だった、竹虎で製造された竹材や竹製品はこの駅から貨物に積まれて全国各地に運ばれて行ったのだ。汽車の時刻はカッチリ決まっていて、出発が遅れるなどは許されなかった、貨車一両分の製品を作るために当時は24時間3交代制で仕事をしていたのだから日本の経済成長と言おうか、凄い時代だったようだ。


虎竹の里の花火大会


そんな安和駅を見下ろす事ができる峠道も、1997年に公開した竹虎ウェブサイトで写真公開して以来、割りと知られる場所になった。ここからの景色は本当に素晴らしい、少し季節はずれだが焼坂の山々を彩った花火も良く見える所だ。




続々・命名の父・牧野富太郎博士生誕160年!日本唯一の虎竹移植プロジェクト掘り上げ

牧野植物園ふむふむ広場


虎竹の里で掘り上げたを移植する先は、牧野植物園でも新しく整備されている「ふむふむ広場」と言う土佐の中山間地域に行くと見られるような石組みか印象的な高知の植物を集めた広々とした公園のような場所だ。サンサンと降り注ぐ太陽が眩しいくらいに日当たりの良い斜面が続いている、休日には家族連れの方などで賑わっている事だと思う。


牧野植物園ふむふむ広場の虎竹、竹虎四代目(山岸義浩)


この広場に通じる小道の両脇に虎竹を移植いただいた。気持ちの良い風が吹きぬける最高のコーナーなので、きっと元気に成長して多くの方を楽しませてくれるに違いない。


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植
 

慣れた手付きで移植が行われている、さすが専門の職員さんたち、こうしたプロの皆様の手で管理いただけて安心だ。


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


ふむふむ広場案内


ふむふむ広場は、高知市内を眼下に望んで本当にのんびりできる広場だ。ボクは県外から来られた方に高知観光を訪ねられたら、真っ先に牧野植物園をオススメしているけれど、この美しい景色を見ると、もっともっと薦めたくなる。


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


虎竹移植


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


牧野植物園ふむふむ広場に虎竹移植


虎竹移植


この5株の虎竹たちがドンドンと成長し、何年か後には虎竹の里のような竹林になって、この小道が竹のトンネルとなれば素晴らしい。


牧野植物園虎竹移植


ふむふむ広場は五感を使って植物に触れ合うセンサリーガーデンだ。虎竹の里に見学に来られるお客様の中には生きている竹に初めて触ったという方も多いので、この虎竹がしっかり根付き成長した暁には竹肌を撫でて愛でてもらえるようになれば良いと思う。




続・命名の父・牧野富太郎博士生誕160年!日本唯一の虎竹移植プロジェクト掘り上げ

日本唯一の虎竹、竹虎四代目(山岸義浩)


虎竹の里には竹林に向かう細い山道が沢山通っている。季節になればこの道を通って虎竹が運び出されてくるのだが、今回運び出されて来た竹は根ごと掘り上げられているから特別中の特別だ。


虎竹の里


竹虎初代宇三郎が虎竹と出会った100年前、竹林面積は今のように広くはなかった。そこで、少しでも生産を増やすため山主さんを説得しながら竹林を増やしてきた歴史がある。初代は魅了された虎竹の可能性に心躍ったのだろう、そしてその当時も、きっと今日の自分たちのように竹を掘り上げ隣の山、さらにその隣の山へと植えていったのだ。


虎竹根巻


虎竹は不思議な竹で、この地域でしか美しい色づきを出してくれない、まさに地域の宝だ。しかし、強い生命力をもった竹だから移植した竹が年々増えていき竹林に変わって行く山々を眺めた時、宇三郎は感無量だったに違いない。


虎竹根巻


虎竹を移植して増やしてきた当時を知る山の職人が、まだ残っておられるのも幸運だ。虎竹の里は昔から田畑も少なく「哀れむべき浦にて候」と代官が書き残しているほど貧しい土地柄、年貢としても献上されていた虎竹は地元の宝として希望の光として守られてきた。


虎竹根付き


その「希望」をスコップにのせると急峻な坂道をスムーズに下ることができる。


虎竹移植


山道を下ってきた竹達、アドバイスを頂戴して細めのものばかりを選んだけれど正解だった。


日本唯一の虎竹


色づきは最高の虎竹たちだ、虎模様が全体にしっかりと入っている。


虎竹積み込み


虎竹積み込み


トラックに積み込まれて、竹葉が乾燥しないよう養生してもらう。これから40数キロ離れた牧野植物園まで運ばれていき新しい土地に根付く事になるのだ。




命名の父・牧野富太郎博士生誕160年!日本唯一の虎竹移植プロジェクト掘り上げ

虎竹移植プロジェクト、牧野植物園職員


命名の父・牧野富太郎博士生誕160年ほ記念した日本唯一の虎竹移植プロジェクトは、ついに虎竹の掘り上げの日を迎えた。竹虎の職人に加えて、日頃から植物の管理に精通された牧野植物園の職員四名に加えて、アドバイザーとしてもプロの方にお越しいただいて本当に心強い。


虎竹根堀り


そもそも虎竹は伐採するものであって、根堀りが許される竹ではない。山主は元より、竹林管理を任されている山の職人は何年もに渡って竹林を見続けているから竹根を切ることすら全く良い顔をしないのだ。


日本唯一の虎竹林


しかし、今回だけは牧野博士の生誕160周年であり、来春からのNHK朝ドラ「らんまん」効果があり県内外からのお客様に日本唯一の虎竹を知っていただく絶好の機会でもある。日頃から一度移植できるチャンスがあればと思っていたので、今このタイミングしかないと思った。


竹虎四代目(山岸義浩)、虎竹林


厳選した虎竹


山の職人と共に厳選した虎竹。しかし、本当にこれで良かったのか?周りの竹達に何度も訊ねてみたくて3日もかかってしまったけれど、それでもまだ迷いがないと言えばウソになる。


虎竹根堀り


虎竹根堀り、竹虎専務


虎竹根堀り


選んだ五株に、ほぼ同時にスコップが入った。これが最初で最後の虎竹掘り上げだ。


虎竹根切り


竹は天然の鉄筋コンクリートと言われるほど、丈夫な地下茎が縦横無尽に伸びて竹同士で繋がっている。この地下茎を丁寧に切り離していないと掘り上げた竹にも良くないし、残った地下茎にも良くないそうだ。


虎竹根切り


地下茎が切断されるが何か見覚えはありはしないだうか?今では少なくなっている竹根の印鑑はこの地下茎を使う。虎竹ではないけれど、昔はこの竹根を堀集める職人もいた。だから根に近い竹材を使う尺八の材料なども割と手軽に揃えられた時代があった。


虎竹根


掘り上げた竹根には、竹葉が落葉して積み重なりできた栄養タップリの腐葉土が付いている。この土に独特の虎模様を浮かび上がらせる特別な細菌がいるかと思うと不思議な気持ちだ。


虎竹根


竹の落ち葉と聞いてもピンと来ない方が多いと思う。竹も紅葉するけれど他の植物のように秋ではなくて春に葉が枯れた色目になり落葉する、すぐに青々とした新葉がでるので多くの方は気づかない。一年中、清々しく元気な竹だと思われていると思う、だがその実、落葉した竹葉は豊かな土壌を作り、そのお陰で美しい竹林が育まれているのである。


虎竹根巻


さあ、いよいよ掘り上げた虎竹根を養生する根巻きが始まった。




牧野富太郎博士生誕160年!牧野植物園に虎竹移植プロジェクト

 
日本唯一の虎竹


虎竹の命名の父である牧野富太郎博士生誕160年の節目に、牧野植物園に改めて虎竹を移植したいと思っていた。植物園のリニューアルを機に虎竹を移植させてもらってから早いもので20年が経っている、下に掲載しているYouTube動画「牧野植物園、あれから20年!(The Kochi Prefectual Makino Botanical Garden)牧野富太郎博士命名の虎竹は!?」でも話しているけれど、どうも虎竹に元気がない。




テングス病など抵抗力が弱くなってきた竹に見られる症状もある。そんな折に生誕の節目と共に、来春からはNHK朝ドラ「らんまん」で牧野博士がモデルとして登場されると聞いて、これはちょうどタイミングではないかと感じたのである。


牧野植物園に虎竹移植プロジェクト


虎竹移植プロジェクトは、幸いにも牧野植物園さんからは移植の快諾を頂いた。後は虎竹の選別という事で候補の竹林に数日通って植え替えに適した虎竹を探す事になった。


日本唯一の虎竹


100年近い前には虎竹の竹林面積は今のように広くなくて、虎竹の里では竹を移植しながら竹林を広げてきた歴史がある。当時は植え替えと言っても同じ気候、土質の狭い地域だったから虎模様など全く気にすることなく移植したそうだ。最初は色の付かない虎竹も、時が経つにつれて色づきの良い竹に育ったそうだから、さすが虎竹の里だと思う。


牧野植物園に虎竹移植プロジェクト


ところが、今回の移植は40数キロも離れた五台山の牧野植物園。全く違う土地では虎竹がうまく育った例は今までにない、だから出来るだけ選りすぐった竹を持って行きたいと思っているのだ。若いうちは色づきは良くないけれど、元気な若竹でしかも色づきがあり、太さも頃合いの竹となると数は限られる。しかも、ただの伐採ではなく、根切りして運んでいくのである。竹根に触れる事を山の職人は極端に嫌がる、今度も山の職人と同行して許しをもらった竹だけを大事に持っていく。竹林を繋いできた先人に最大限の感謝と敬意を払いながら、命の山道を今日下って行く。




職人曰く、「竹以外の物があれば、即座に分かる」

 
羽田空港で落としたメガネ


視力はずっと2.0だったから、急に目が悪くなって初めて眼鏡屋さんに行った時には何を選ぶのかサッパリ分からず、店員さんの言われるままにLunorと言うドイツ製のものを買った。凄く気に入って使っていたが、ある日の出張で失くしてしまった。落とした場所は羽田空港の搭乗口付近だと見当がついていたのでANAに電話しておいたけれど、正直あれほど大きな空港で見つからないだろうと諦めていた。


ところが翌日には連絡があって、数日後には見た事もないような丁寧な梱包で自宅に届けられて本当に感動した。清掃担当の方が一日に何度も巡回しているので、紛失物はすぐに一か所に集められるらしい。さすがANAだと思ってすっかりファンになり、以来他の航空会社には乗らなくなった。


虎竹の里職人


さて先日、久しぶりの最終便で知り会いの社長さんと隣同士になった。いつもチャレンジされている方で、今回もまるで夢のような仕事をされていて話に夢中になった。気がつくと高知龍馬空港で、飛行機は着陸したがそのショックでワイヤレスイヤホンが転がり前の壁にコツンと当たった。「それ、竹虎さんのと違う?」ああ、そうだ席に着いたら使おうと思って作務衣のポケットに入れておいたものが飛び出たようだ。


聞いたばかりの話に少し興奮気味の中、何気に拾って持ち帰ったものの、あれ...?自分の物は鞄に入ったままだ。同じワイヤレスイヤホンを使っているので、てっきり自分が落としたものだと勘違いしていた。今頃失くされた本人は、自分が眼鏡をなくした時のようにガッカリしてANAに連絡しているかも知れない。すぐに届けられて連絡があれば同じように喜ぶだろう。送るより空港に持っていく方が早いな...そう考えていると、たまたま翌日に空港近くの会社に行かねばならない用事ができた。そこで、会社に訪問する前にANAの社員の方に手渡してきた。


竹林で落としたメガネ


こんな風に人の多い空港や乗り物の中なら誰かが拾ってくれる事があるだろが、虎竹の里の竹林ならそうはいかない。ある時、頭に引っ掛けていたメガネを落とした事がある。すぐに気がついたけれど、失くしたと思われる辺りを探しても全く見つからない。とうとうその日は見つけられず、翌日は社員二名に助けてもらい熊手まで持ってきて竹の葉を掘り返しながらの捜索活動を敢行した(笑)。


見つけられずにクタクタになった頃に、竹林の上から降りてきた職人に出会った。そして、あれだけ探しても見つからなかったメガネを、ものの数分で探しだしてくれた時には驚いた。「竹以外の物があれば、即座に分かる」あの言葉を、このキズが付いたまま使っているメガネを見るたび思いだす。