面白い竹皿

のし竹盛り皿


両端に節の付いた丸い竹を、そのまま半割にして簡易な食器を作った事はないですろうか?何かのイベントでは、底の浅い丸竹容器も作っておいて、こちらにはスープ、半割竹にはカレーライスなど入れて、ワイワイ楽しまれていたのを思い出しますぞね。竹は、こうやって稈の部分の空洞を利用すれば、食器などにも手軽に作ることができるがです。この、のし竹盛り皿は竹を半割にするのではなく、切れ目を入れた竹を平たく開いてお皿にしちょります。先ほどの簡易食器と同じように両サイドに竹節の跡が見えると思います。


孟宗竹(もうそうだけ)


材料は画像にある竹よりも、もっと大きめの孟宗竹ぞね。サイズは違うものの、こんな丸い竹が、パカリと開いて平たいお皿になるとは、まっこと面白いがぜよ。竹は一本づつ太さも形も性質まで違うので、同じように加工しても仕上がりの波打つ形や風合いが異なります。それが自然素材そのままを活用する商品の魅力でもあり、大袈裟な言い方をしたら世界でただ一つの形の竹皿とも言えるのです。


のし竹盛り皿に鮨


大型連休は、どこかにお出かけになられる事も多いですろう。親族やお友達が集まる機会もあるのではないろうか。そんな時には、こんな大きな盛り皿が場の雰囲気を盛り上げけますぜよ。竹は和の代表選手みたいなものです。日頃は、あまり意識していないのかも知れませんが、「日本=竹」と考えるほど海外の方などは竹に対して和のイメージを持たれちょります。お鮨はじめ和風な食材の器として使うなら季節的にもバッチリです。沢山のお客様をおもてなしされる場合などには、きっと皆さんが、大いに喜んでくれるのが目に浮かぶようですぞね。


のし竹盛り皿に柏餅


今が季節ですきに柏餅も置いてみましたけんど予想通り、こじゃんとしっくりまきすちや。柏の葉色も竹皿によく映えますにゃあ。丸竹を平らに開くだけという口で言えばそれだけですが、高度な技術とノウハウのある竹加工の技が七変化する無限の竹の力を引き出した皿だと思うがです。


柿の木350年

竹細工を見守り続けてきた樹齢350年の柿の木


その竹細工の名人の工房の横には大きな大きな柿の木があるのです。太い幹から見上げる樹齢は何と350年といいますので、この竹細工発祥の地にあって、ずっと見守り続けてきてくれた大木なのです。柿の木を庭や自宅近くに植えられている方は意外に多くて、虎竹の里にも沢山ありますし、日本の田舎ではこの柿の木のある景色が故郷を連想させて懐かしく思えるほど、よく見かける木のひとつですろう。けんど、この堂々とした圧倒的な風格はどうやろうか、これほど覇気の満ちあふれた、力強い柿の木は他に見たことがありませんぞね。きっと、この里の守り神なのかも知れないにゃあ...訪れる度に思うがです。


太い幹の横で竹編みを続けてこられた職人さんは、もちろん、この柿の木が大の自慢。同じように父も祖父も曾じいさんも、またその父も竹を編んできた、まさに、ご自身の誇りであり、唯一の帰る場所でもあるがですろう。虎竹の里の竹林で目を閉じる時、自分が一人でないと感じられるように、この熟練職人さんも一人ではない、大いなる温もりの中にあられると思うのです。


風蘭


ニコニコしながら職人さんが工房から出てきました。手には何やら小枝を持たれています。


「この柿の木の、風蘭(ふうらん)だよ」


柿の木の大木の枝には苔や自然に風蘭がついているそうですが、台風などの強風時には、それが枝が折れて落ちてくるそうなのです。風蘭は確か可憐な花を咲かせますので、その枝を集められていたのです。


「こんな貴重なモノを頂戴してエイがですか...?」


この地の竹工芸の歴史は200数十年といわれています。その長きに渡って、ずっと竹を見守り続けてきた、いわば竹の守り神のような柿の木。その小枝についた風蘭とあれば自分にとっては本当に特別なもの。どんな花を咲かせてくれるがやろうか?ブログを読んでいただく皆様にも是非ご覧いただきたいにゃあ...。美しい花が咲くのが今から楽しみなのです。


こじゃんと、お得な消臭用竹炭

お徳用竹炭


高知は何と84%森林という森林県ですので、その分、山の恵みをずっと享受してきた地域と言えるかも知れませんぞね。馬路村という村は柚子で有名になり「ごっくん馬路村」などの大ヒット商品を生み出しちょりますので、ご存じの方も多いですろう。その馬路村も高知でも山深い所にありますが、さらに、そこから奥に入った所に魚梁瀬(やなせ)という場所があり、ここは昔から有名な杉の産地ながぜよ。魚梁瀬杉と呼ばれて何と大阪城を建造する時にも運ばれていったそうなので、日本でも有数の品質なのは間違いないと思うのです。


そんな山の自然が豊かな高知ですので、炭焼きの文化も自ずと発達したのではないかと思うちょります。土佐備長炭は有名ですが、そのような本格的な製品にする炭窯でなくとも、大きさも、形も様々な窯が山間部には点在しているのです。そして、炭焼きの技術を継承されている方々がおられます。こういう一面を見ただけでも高知が昔から山と密接な関係を持って、森林と上手に付き合ってきたという事を垣間見る思いぜよ。竹虎で、こじゃんと(とても)お得に販売させて頂きよります。お達者クラブの竹炭も、そんな炭窯の一つで焼かれているのです。


もともと地域の元気なお年寄りの皆さんが集まって焼かれている竹炭なので「お達者」という名前を付けて皆様にご紹介させて頂いちょりますが、竹炭の材料となる竹は近くに沢山ありますものの、太くて長い竹の伐採や切断などは大変な力仕事です。無理をされないようにペース配分してもらいながら、できるだけ長く続けていってもらいたいと願うちゅうのです。


消臭用竹炭


竹炭は燃焼温度により性質が変わります。400度程度の低温で焼かれた竹炭は、アンモニアのようなアルカリ性物質の吸着や、湿度調節に向いていますので使い道によっては、低温で安価な竹炭でも十分にお使いいただけるがです。


ただ一点ご注意いただきたいのは竹炭自体が柔らかいので、形が均一ではありません、竹炭(バラ)と同じようにバラバラながです。更に窯出しや、持ち運びの際にも割れたりします。土窯で一回ごと性質の違う竹を気候条件の違う中で焼くものですから、それぞれ焼き上がりが違ってくるのですが、概ね、かなり細かい竹炭粒が入る事が多くなっていますぞね。


窯出しした状態でお届けしちょりますので、水洗いをしていただくようにしていますが、その際には細かいと多少洗いづらく手間がかかる事もありますろう。けんど、不織布の小さな袋にいれて消臭用などにご使用いただく場合には、かえって細かい粒の方が表面積も増えて効果があるがです。今後も続けられる限りお届けしたい竹炭のひとつですぞね。


竹筒の伝票立て

竹レシート立て


あれはもう、十数年も前の事になるかと思うのです。東京品川の大きなホテルで数人の仲間と一緒に喫茶店に入ったがです。ウェィトレスさんがオーダーを取りに来た後に、レシートを丸めて入れたの筒を見てビックリ仰天しましたぜよ!なんと、その筒は日本唯一の虎竹やったがです!東京のど真ん中、初めて入った喫茶店にあった小さな竹、何年も会えずにいた故郷の友にバッタリ鉢合わせした気分ぜよ。ええっ!?と思わず手にとって


「これが自分らあの虎竹ぜよ!日本にそこにしか無い竹ぜよ!」


と周りの皆さんに説明させてもらったのです。今にして思えば、あの時に近くにおった方々は、さぞ驚いた事ですろう。突然立ち上がって聞いた事もないような竹の話し始めるがです。けんど、当然の事かも知れませんが同じテーブルに座っていた方で、虎竹の事など知っちゅう方は一人もおられなかったし、そこで働かれている方や、もしかしたら店長さんでも、各テーブルに一つ置かれてる竹の事はご存じなかったのではないか?そう思うちゅうのです。日本全国どこで見かけても一目で虎竹の里の竹と分かる竹。気づき始めちょった「自分達の竹と分かる事の幸せ」を、ますます、これから加速させて、徹底的に伝えねばならない。唖然とする周りの顔がそんな気持ちを強くさせてくれたがぞね。


深夜になった懇親会の帰りに一人になっても静かに興奮が高まってきましたちや。全く知らない所で虎竹は、あんなにして活躍している、あれぞ、曾じいさんが命がけで探し求めた竹であり、100年にかけて守ってきた竹。だとしたら、自分は何ができるろうか?会社はボロボロの時でした。先行きも見えず真っ暗闇でどうしようもなかったですけんど、この伝統の灯を消したくないと心に誓った夜やったのです。あれから随分経つけんど入ったお店で、こんな竹のレシート立てを見る度に鮮明にあの日を思い出すがです。


北欧から凱旋した竹家具

ストックホルム国際見本市の竹家具


ストックホルム国際見本市から2ヶ月もの船旅を経て、巻き段で丁寧に梱包された竹家具が虎竹の里に帰ってきたがですぞね。寒い異国での展示会と長旅、まっことお疲れ様ぜよ、ありがとう!梱包を解くと、久しぶりに見る孟宗竹には想像通り、いっぱいのカビです、竹表皮の変色などもあって、見本市での美しい立ち姿とは随分と違うて見えるのです。


製作した者からしたら、こんな形で返送されて来るのは辛い事です。一緒に竹を見る専務が弱音をポツリ...。けんど、それは日本全国の竹屋のつぶやきですろう。竹は青竹そのまま使うこともありますが、その季節だけの、本当に短い、はかない命を愛でるものながです。青竹の杯が宴席に出される事がありますけんど、使った後は、よろしければ持ち帰ってくださいと言われます。その日だけの、もっと言えば、その方だけのために作る専用の酒器ぞね。それくらい生竹の使用期間は限定されたものなのです。


たまに見かける青竹の花器も、その時だけのものですし、新春を迎えるために設える青竹の垣や枝折り戸、竹の井戸蓋など、庭園に使う青竹は造形が大きく迫力があって辺りの雰囲気を一変させる力を持っていますが、やはり、目に鮮やかで清々しい期間は本当に一時のもの、見る見る色褪せていくのです。けんど、それが竹であり、その色合いの落ち着きや、季節の移ろいの中で枯れていく風情そのものを楽しめるのが竹ながです。ただ、青竹(真竹)もそうですし今回の孟宗竹もそうですが、油抜きしない竹は、水分を多く含み耐久性がありません。長い輸送でも極端な品質の劣化は避けられないがです。


ストックホルム国際見本市の竹家具2015


それでなくとも竹にはカビ、割れる、虫が食うなど、宿命的なマイナスを背負っている素材とも言えるのは事実ぜよ。だから竹を使うての家具と言えば集成材にして、形や強度をコントロールしやすくした上でのモノ作りになるのです。一本づつ太さも形も性質も異なるのが竹なのです。同じ規格のものを複数作る方法としては最適のやり方です。


自然な竹の形をそのまま活かしての家具づくり、最初のスタートはこんな形になりましたけんど、けんど、だからやめるのか?ドイツ人デザイナー、ステファンさんの斬新な発想と技術は、今まで自分達が考えた事もないもので心から感服したし、竹の可能性の種とヒントを残してくれちゅうと思わんろうか?1を2や3や10に、あるいは100にするのは簡単ではないですが割合出来る事ではないろうか?なかなか出来ない、本当に難しい事はゼロを1にすること。頭で思うだけで行動しなかったら決して到達できない領域がある。竹虎は「1」に少しだけ近づいちゅうがです。自分にはカビと変色で疲れ果てた「竹」が英雄に見えちょります。


土佐の男が、土佐の素材で勝負する!?

虎竹の里


ロンドンで開催される王立芸術大学のファッションショーで日本唯一の虎斑竹が使われることになって、しかも、そのデザイナーさんが高知県出身の方であり、自分のルーツとか色々考え抜く中でたどりついた和の世界。おそらく日本におったら竹など考える事もなかったかも知れませんけんど、外から故郷を思う時、そこに竹はなくてはならいものと気づいたのかも知れませんぞね。


まっこと、自分たちから見たら土佐の男が遠い異国で、土佐の素材で勝負するように思えて仕方ないですにゃあ。こりゃあ、どうしても応援したくなりますろう。地元の高知新聞さんも早速、竹虎まで取材に来られちょりましたぞね。けんど、今回の記者の方は須崎支局に着任間もない若い方なのです。


竹虎本社工場、虎竹油抜き


イカンイカン、須崎支局に来ちょってから、ここにしかない土佐虎斑竹を知らんかったら県外の方に笑われますぜよ!まっこと、余所から来られるお客様の方が高知の自然や人を、そして虎竹を、こじゃんと(とても)勉強して、ご覧になられよりますちや。今まで地元高知でも、あまり知られていなかった虎竹なのですが、せめて地元新聞の方には特産の竹の事も知っておいて欲しいがですぜよ。そこで、少しでも虎竹の里の事や、ここにしか成育ない日本唯一の竹の事を、この機会に知っていただこうと思うて色々と説明させもらうがです。


竹虎工場の虎竹


ちょうど今は筍のシーズンながです。筍は孟宗竹(もうそうだけ)が一番早くて、その次が淡竹(はちく)、最後に真竹(まだけ)となっちょりますが虎竹は淡竹の仲間なので、4月から5月半まで只今筍シーズン真っ最中なのです。皆さん、筍の美味しさは良く知っちょりますが、その筍がたったの3ヶ月で親竹と同じように高さに成長するなど、日頃あまり考えた事もない事かも知れません。まあ、無理も無い事ですが、お話すると本当にビックリされるがです。


「えっ?それなら筍は1日に、どれくらい伸びるのですか?」


「記録では1メートル20センチ伸びた事もありすまぜよ」


「ヒェェェ~!!!」


というような調子ですぞね。虎竹の色づきなどについても虎竹の里に育つ竹が全て綺麗な虎模様が付くという事ではなく、土場で選別され選り分けられた良い竹だけが油抜き加工され、こうして工場に保管されているというようなお話もさせていただきます。虎竹の里に生まれ育てば通学路に竹が積み上げられていたり、竹を見る機会も多ければ、触れる事もありますが、最近では田舎の方でも竹を知らない...というか忘れられちゅう、そんな方が多いように思うがです。だから、何も今回の記者さんが知らないという事でもなく、竹は、まだまだ皆さんに向けて声を大きくしていく必要があるがぜよ。


高知新聞さん取材


こんどのロンドンでのファッションショーが、どんな記事になるか分かりませんけんど、こじゃんと熱心に聴いて、メモを取っていただきましたので、きっと高知にお住まいのご家族の方にも喜んでいただけるような素晴らしい記事になると確信しちょりますぞね。


そして、その新聞記事を見た、高校生、中学生が、「おっと、高知にもこんな人がおるがやいか...」と思うてくれたらエイ。かつて自分が真っ暗闇のような中でインターネットに取り組む時にも同じ高知の方が、同じ田舎の条件の中で活躍されていたと聞いたからこそ、自分にも出来るのではないかと思うように、近くで刺激になるような方を見つけられるのは幸せな事ながです。今度の高知新聞の記事が、そんな嬉しい連鎖を産む事になるよう、自分も出来る事をしたいと心に決めちょります。



イギリス王立芸術大学のファッションショー

王立芸術大学ファッションショー用竹材


虎竹とイギリスの関係...?そう言われても一体何の繋がりがあるのかと思いますろう?あまりにも、イメージも掛け離れすぎていて、さっぱり分からないかと思いますが、実は、もう20数年前の事、イギリスからBBC放送が取材に来た事があるがぜよ。当時から海外のバンブークラフトの方が見学に来られたり、竹の好きな欧米の方がお買い物に来られる事はたまにありましたけんど、さすがに外国から、わざわざメディアの方が来られる事はありませんでした。


BBC放送は、ご存じのように日本で言うならNHKさんのようなテレビ局ぞね。イギリスを代表されるようなテレビ局にお越しいただいた事が嬉しくて、その時のプロデューサーさんが虎竹の模様をご覧になられて「ミラクルバンブー!ミラクルバンブー!」と連呼してくれた事が嬉しくて、それ以来、イギリスBBC放送の話しは1000回はしちょりますろう!いやいや、もしかしたらもっと多いかも知れませんちや(^^;)とにかく、外国は行った事のない所ばっかりではありますが、イギリスというのは自分にとって、そんな国なのです。


さて、そんな好感度抜群のイギリスはロンドンに王立芸術大学(Royal College of Art)なる有名な大学があるそうながぜよ。先日、そこの大学院で学ぶ方から連絡がきました。日本の方が遠くイギリスの大学院まで行ってファッションの勉強をしている事に驚きましたが更にビックリしたのが、竹を衣服のデザインに取り来れてコレクションを製作されている事でした。そして、若い方ですが異国の地で日本人としてのアイデンティティをご自身なりに解釈されて衣服に表現するファッションショーに共感しました。これは、竹で出来る事なら何でもやらせてもらいたいと思っていたら、


何と、オマン(あなた)高知県出身かえっ!?


それでなくとも「日本人×イギリスで竹を使う=虎竹」日本の方が海外で発信するのに日本唯一の竹を使わなくて一体何を使うのか?と思いよりましたが...。「高知県人×イギリスで竹を使う=絶対に虎竹しかない」に一気に最高段階までバージョンアップしましたぜよ。高知県出身者が自分を表現するのに世界でも高知にしかない竹を使わずして、どうするっ!!!自分の生まれ育った郷土の竹を使わずして、どうするぜよっ!!!


王立芸術大学ファッションショー高知新聞取材


6月にあるという王立芸術大学のファッションショーは、ちっくと特別なものになりそうですにゃあ。けんど、高知出身のデザイナーさんが高知の竹を使うてイギリスで洋服作りをするか...。高知新聞の記者の方も駆けつけて頂いてますので、今回作った竹ヒゴの事について工場長が詳しく説明させてもらいよります。


いかん、いかん、けんど、ゆっくりしている場合ではないにゃあ。早速土讃線安和駅発のダイヤを調べんとイカン。それから龍馬空港じゃあ、ボンバル機、いやいや海外ならYS11か...(もう飛んでません)。まあ、そんな事はどうでもエイ。大事なことは、熱い現場にワシが立つことぜよ。油は、いつでも満タンやきに燃え上がることぜよ。


老舗「うお嘉」さんの革新

老舗「うお嘉」小松さんと竹虎四代目


昨日は地元の筍をお話をさせてもらいましたので、今日は京都の筍料理の老舗「うお嘉」さんのお話をさせていただきます。こちらのお店は創業明治5年と言いますきに、何と竹虎より20年以上古い140年余の歴史を誇られちょります。手入れの行き届いた美しい孟宗竹の竹林が山全体を覆っているような、昔から竹の盛んな地域ですので当社の古いお取引先も何軒かあるのです。五代目当主の小松さんに虎竹の里にお越しいただいたご縁などもあり、一度は、本場の京都の筍を味わいたいと思い寄せていただくのです。


老舗「うお嘉」名物鏡煮


筍はクセのない食材で、いろいろな素材と合わせられたり、調理方法も様々に食することができるのですが、やはり、一番の味わい方は煮物にする事ですろう。うお嘉さんの名物、朝堀り筍鏡煮をいただきます。鏡煮とは、昔の女性の持つ手鏡のように丸く大きな形から、そう名付けられているとの事ですが、筍の中に、どうして?という程、お汁が染みこんでいて、お箸をいれると、そのお汁が溢れだしてきます。


何という幸せな味ですろうか?竹は素晴らしい素材だと、つくづく思いますぜよ。竹細工や竹工芸とて人々の生活や暮らしに役立ち、豊かにしてくれるだけではなく、こうやって命を繋ぐ食としても、こんなに美味しく楽しい時を演出してくれるがです。そこには竹職人と料理人という全く違う手仕事ながら、同じ竹に向き合う、誇りとこだわりを感じます。


箸置き


うお嘉さんは、趣のある店内一歩入ると竹の装飾が使われ、いたる所に竹の意匠を感じて嬉しくなってくるのですが、紙のランチョンマットに描かれる絵や箸置きからはじまり、使われちょります品のよい器なども竹を取り入れたものがあり、長い歴史を感じさせてくれるのです。五代目小松さんは、これからこの長い歴史の伝統を引き継ぎ、京都の筍文化を守られていかれると思いますが、伝統は革新だと言われよりました。これは、うお嘉さんの精神でもあるのかも知れません。常に新しい試みに挑戦し続ける事により伝統が守られるのは、食でも工芸でも同じやと思うたがです。


筍とうふ炭流し


小松さんの革新が最後の水物として出して頂きました「筍とうふ炭流し」でしたぜよ。豆腐と言いましてもクリームチーズを練り込んだ濃厚な味わいの豆腐に淡いシャキ感の筍が入れられちゅうのです。そして、そこに何と黒い縞模様のように見えるのは竹炭ぞね。


最近では竹炭パウダーを使う料理は日本だけでなくて、今や海外でも広く注目されてきています。元々は民間療法的に飲用されていたり、その昔は忍者が解毒剤として携帯したとも言われます。炭職人さんに胃腸の悪い人はいないと良く聞いちょりましたが、これはお腹の調子の悪い時には炭窯で炭をかじるからで、自分達には、そんなに特別珍しい事ではなかったのです。竹炭も竹から生まれるものです。今まで使った事のない新しい竹の素材を取り入れ、こうやってチャレンジを続け事こそが伝統に繋がると思います。最後のデザートはまさに伝統の味がしましたぜよ。


竹籠の筍

筍と竹籠


毎年この季節になると山の職人さんや近所の方から美味しそうな筍をいただく事が多かったのです。そこで、小さい頃から大好物やったのが筍と豚肉の甘辛煮ぜよ。大鍋に一杯煮込んでもらい、温めなおしながら毎日のように食べよりました。この時期には連日続く事もあったがですが、少しもイヤではなかったのです。最後の方には煮詰まって味が濃ゆくなりますが、これを卵とじすると、最高の丼ができ上がるのです。玉子の柔らかさの中に、シャキシャキした筍の食感が何とも言えず、豚肉にも、こじゃんと(とても)味が染みこんで何とも言えず旨い!一番好きな丼を選べと言われたら迷う事無くこの筍丼と言うくらい好きやったちや。


こうやって季節には沢山頂く機会がある筍ですが、虎竹の里の竹は筍で食することはないのです。料理に使うのは、孟宗竹と決まっちょります。たまに「日本唯一の虎竹も食べるのですか?」と聞かれる事がありますが、虎竹は3年くらい経たないと、どんな色づきになるか分りません。美しい虎模様が出る事が、この竹の一番の価値です。だから、もったいなくて誰も虎竹の筍は食べないのです。


孟宗竹は皆様が一番目にされる機会の多い竹かも知れません。全国各地どこにでも普通にある国内最大級の竹ですので、お近くに竹林があれば少しご覧になって頂きたいがです。背の高い竹の足元に真っ黒い竹皮に包まれた筍が、まさに今頭を出して伸びゆう所ではないですろうか?筍の季節は地方により異なりますが、「筍」と言う字は「竹」の「旬」と書きます。それぞれの土地の「今」しか楽しめない竹の滋味ぞね。四季を大事にする日本人には、たまらない味なのです。


けんど、筍が顔をだしてからの「今」というのは実は本当に短く、昨日まで筍かと思いよったのに、今日見たら、すでに竹になっている、それほどの凄い成長力とパワーを秘めています。特に太い孟宗竹が天を目指して真っ直ぐに伸びていく迫力は尚更なのです。竹虎本社前の石碑に刻まれている言葉があります。


「竹の子の、また竹の子の、竹の子の子の子の末も茂る、めでたさ」


残念ながら現代の日本の孟宗竹は十分有効に活用されているとは少し言い難いのか現状なのです。筍が大量に輸入されるようになってからは有名な産地を除けば、昔のように筍掘りをして収穫する竹林も減っちょります。けんど、次から次と育つ若竹の逞しさは、やはり嬉しいものです。その姿には元気と勇気をいただくのです。


竹ランドセル

背負い籠(かるい)


ランドセルは昭和20年当時からあるようですので、その歴史は、結構長いようですにゃあ。今の子供達が使っているものと同じような革製の物があったのです。それが、太平洋戦争の物資不足の中で革も少なくなり、代用品として竹ランドセルが作られちょったという話しを聞きましたぞね。


どのような物か一度見たいと思いよりましたが、機会があり拝見させてもらったのです。一目見て、なるほどと思わせるような竹ランドセルやったがです。ランドセルの形を竹網代編みで見事に再現されちょります。かって日本の竹製品というのは安価で大量に製造するものだったので、竹ヒゴの取り方ひとつでも今とは随分と違います。一本の竹から、少しでも沢山の製品を作り出すために、竹表皮だけでなく、竹の身部分でもヒゴを取り編まれちょります。なので、多少の竹繊維の粗さは感じますものの、それも素朴な風合いとなって好感の持てる籠だったのです。昔の職人さんの事だから、こんな手のこんだ竹ランドセルでも、さぞ沢山編む事ができたのだろうなあ...。全体のバランスも美しく、しっかりと作られた網代の編み目を見ながら、そんな事を思うたのです。


そして、思い出したのが、かってお会いさせてもらった竹職人さんから聞いたお話ぜよ。その地方では「かるい」と呼ばれていた背負い籠は、当時は一つ一つ背負う人の肩幅に合わせて別誂えて編まれたそうながです。だから細い山道でも小枝が籠に当たったりする事なくスムーズに歩けたそうぞね。本当に竹が人の生活に欠かせない大事なパートナーやった頃のお話です。そんな話しを聞くだけでも、ゾクゾク鳥肌が立つ思いなのですが、土地の子供達は、そんな「かるい」にお母さんが思い思いに取り付けてくれた余り布で作った背負い紐で学校に通ったと言います。


この、「かるい」は凄く良く出来ちょりまして、平地では立てる事ができない代わりに、急斜面では使い勝手が良いように、底の方の厚みが狭くなった逆三角形の形をしています。子供達は登校すると、肩からおろした「かるい」を教室の後ろに重ねて置いておく事ができたそうなのです。重ねた「かるい」は同じ形のものばっかりだったのに、この、お母さんお手製の背負い紐のお陰で、自分の籠を間違える子供は一人もいなかったと聞きます。竹網代編みのランドセルにしても、「かるい」のランドセルにしても、見ていると明るい小学生の笑い声が蘇ってくる気がするがです。


テレビ「笑ってコラえて!」田辺小竹さんの竹

田辺小竹さん、竹虎四代目


今まで色々なテレビ番組に出演されてる事もあった田辺小竹さんですが、バラエティ番組だけは、ちっくと敬遠されてきたそうながです。四代に渡り伝統を受け継いでこられた竹工芸家です。ご自身が磨いてこられた技や、日本の竹についての事でないと、テレビだからと言うて好んで出られるという事はなかったようなのです。まっことテレビと言われたら何でもかんでも二つ返事で引き受ける田舎者の自分などとは随分と違いますにゃあ。さすがに竹工芸家のサラブレッドぜよ!


けんど、今回、日本テレビ「1億人の大質問!?笑ってコラえて!」を引き受けられたのは、竹の技にスポットを当てて頂ける事と、スペシャル番組の中で長い時間をかけて紹介いただけるという事やったからと言われちょりました。現代の竹は、ますます日本人の心から離れてしまい、誰も里山に生えちゅう竹の事など無関心になっちょります。人気抜群の全国放送のテレビの力をお借りして、少しでも「日本の竹」の事を振り向いてくれる方がおるとしたら...。田辺さんも、そんな気持ちで出演を決めたのだと思うがぜよ。


けんど、想像したら愉快ではありますにゃあ(笑)。田辺さんが日本唯一の虎竹を使って創作された大作「水の恵み」など、日頃、竹の事などほとんど関心もなく、竹をご存じない方も沢山ご覧になられていたかと思いますが、知らずに、ずっと見ていて、あの迫力!インパクト!皆様の想像される竹の世界とは、かなり違う造形に、まっことビックリ仰天されたのではないかと思うがです。


ところで、竹は日本の山々の面積から言うと、一体どれくらいあるかご存じでしょうか?実は森林面積の、わずか1%未満しかないがです。思うより全然少ない気がされる方もおられると思いますが、けんど、それなら里山の荒廃とか、竹林整備とか言われるのはどうしてか?それは竹が里山に多く、人目にふれる事が多いからながです。皆様が竹を見る時、竹にふれる時、その竹はおそらく自然にそこに生えたものですろうか?誰かが、何かの目的をもって植えたものが、長い年月を経て根をはり広がった竹林である事が圧倒的に多いのです。それは竹の花が60年とも120年とも言われる気の長くなるような時間の中でしか花を咲かせる事がないためぞね。


だから、人里離れた、ずっと山奥には竹は、ほとんど無いがです。もし、あるとしたら、そこにはかつて人が住んでいて、人の暮らしがあったのではないかと思うちょります。だから竹ほど、人と一緒にずっと寄り添い、衣食住すべての場面で、それぞれ形を変え、機能を変え、役立ちつづけてきた素晴らしいパートナーながぜよ。


田辺小竹さんは竹の美を世界にむけて発信されていて、欧米でも個展など開催されて高い評価を受けちょります。そんなアートや工芸の世界の竹もあれば、さっき使うたお箸や、傍らのチリ籠など生活道具としての竹、昨日、軒先の竹籠に入れられちょった筍も竹、早朝は少し寒くてマフラーを首に巻いたけんど、それも竹、まっこと(本当に)竹は変幻自在、自由自在、そして無限。この素晴らしさを、お伝えしたくて21世紀は竹の時代とずっと言うてきましたけんど、そうなるために田辺小竹さんも竹芸士四代目、自分も竹虎四代目、同じ四代目同士でもありますので、田辺さんに負けないように頑張らんとイカンですにゃあ。自分ができる事を、竹のように真っ直ぐにやりますぞね。


ふたつの白竹ランチボックス

白竹ランチボックス


白竹ランチボックスは、随分と息の長い竹細工の一つですぞね。「角物」と呼ばれて、ずっと愛用されてきちょります。一体どれくらいの歴史があるがやろうか?手付きの角物の籠は、かっては豆腐籠としても使われてきたものだけあって、分業化して沢山の職人さんが大量生産されていた竹製品でもあるがです。


かっては多くのご家庭でも使われていた竹製品だけあって、まるで色を染めたように黒ずみ、渋い風合いになった古い角物籠を結構、色々な場所で拝見する機会があるのです。大量に生産される聞くと、粗雑な竹編みを連想してしまいがちですが、毎日、毎日同じ製品を作り込む事により職人の手が育ち、早く出来上がるだけでなく、製品そのものの精度も上がります。もちろん、全てがそうではないものの、日本の職人さんの手仕事の素晴らしさを感じるのは、大量に作るものこそ細部を大事にするような、こだわりぜよ。


今、ふたつの白竹ランチボックスがあるがです。それぞれ色合いが違うちょりますが、白い方が出来上がったばかりで、少し色合いの濃くなった方が古いものかと言うと、実は違いますぞね、両方とも同じ時期にできたもながです。白竹は、真竹という青々とした竹を湯抜きという加工をして、このような乳白色の白い色艶をもった竹に生まれ変わります。熱湯に浸け、布で余計な竹の油分や汚れを拭き取り、冬の寒空の下で日に晒しますので「晒し竹(さらしだけ)」とも呼びます。竹の違い、竹伐採方法の違い、晒し加工の工程の違い、その年の天候など、色々な要素によって同じ時期の竹であっても、それぞれ職人の手により、このような色合いの違いが出来てきます。


それは、サイズにも言える事ながですぜよ。決まった大きさがありますので、それぞれ一つづつでご愛用頂くには、まったく感じる事はないかと思いますが、こうやって、違いの出たものを並べて比べてみると、サイズ感にも若干の隔たりが出来てきちょります。できるだけ詳しくお伝えしていく竹細工たちですが、自然の竹を使い、さらに竹表皮を活かして形にしていく場合には、それぞれ違うという事を是非お知りいただきたいと思うちょります。違うことは当然ある事だと、その妙味を楽しめるような心持ちこそ、もしかしたら、竹の心なのかも知れないと思うがです。


続・高村雅男さん、竹馬の技

高村雅男さん、トランペット


「ええっ!?竹虎のテーマソング、あるのですかっ!?(笑)」


一応、テーマソングを尋ねては見たものの、本当にあると聞いて驚かれよりましたが、けんど、テーマソングなど聞いてどうするがやろうか...?実はなんと、竹馬に乗りながらトランペットを吹くと言うがです。トランペットち...確か両手を使うはずですが?そしたら竹馬はどうするのだろうか...?そもそも、はじめての曲を聴いてその場で演奏できるがやろうか?色々な疑問が湧き上がってきますが、とりあえずスマホで竹虎テーマソング「まっすぐ」を聴いてもらいますぜよ。数回繰り返し聴いて何やらメモをされよりましたが、いきなり、竹馬に乗ったかと思うとトランペット演奏始めたがです。それがコチラ。



まっこと、凄い、凄すぎる!一芸に秀でた方は何でもできるがですにゃあ。竹馬だけでなく音楽にも才能があられる竹馬達人、高村雅男さんながです。竹馬で楽器というのは、かなりの大技かと思いますが、実はこの日の最大の大技があるとの事なのです。これは10回挑戦しても、達人でもそう何度も成功しないといいます。その技こそ「三段竹馬」!?名前を聞いただけでは、ちっとく分かりません。説明を聞いたとしても実際に竹馬をしてみないと、その難しさというものは分からないものです。たとえば、竹馬で静止するのは、かなり高度な技術がいるそうですが見た目には簡単そうにも初心者の方がされているようにも見えるがです。


高村雅男さん、三段竹馬


けんど、この大技は確かに大変そうですぞね。三段竹馬は長さの違う3本の竹馬を使うのです。一番長い竹馬にその次の長さの竹馬をのせ、さらに短い竹馬をその上にのせるという大技ぜよ。それぞれの竹馬の足が、あの細いコマの上にのっています。かなり繊細なバランスを取らないと乗る事はできません。素人考えに思っても、これは至難の業のようちや。一体どうなることやらとハラハラしながら見てましたが、その時の動画がコチラぜよ!



この日は竹馬の神様が降りてきてくれちょったのかも知れません。一発勝負で、乗れることは、かなり稀な事だそうですが、いきなり三段竹馬成功!さすが竹馬達人、高村雅男さんなのです。


虎竹竹馬


高村さんの竹馬はご自身の手作りです。倉庫には竹馬用の虎竹がありました。竹は自然のもので太さも形も違うのですが、足をのせるコマの穴のサイズは一定なので選別も大変との事やったのです。一流のスポーツ選手が道具を大事にされるのと同じように、竹馬の達人は竹馬を大事にされていましたし、こだわりも感じました。技の成功、不成功を大きく左右するし、失敗すれば骨折する事すらある竹馬競技なので、竹選びも真剣そのものなのです。けんど、そんな厳しくも長いキャリアの中で、日本唯一の虎竹の里の竹をずっと愛用していただいている事が、選び続けて頂いている事が、何より嬉しく、誇らしく思うがです。


思うたら、この街も生まれて初めてきましたけんど、こんな知らない土地にも自分達の竹を届けられて、田舎の自分達では思いもしない脚光を浴び、活躍しよります。なんと、素晴らしい竹を世に出したがやにゃあ...。もう100年も前の事になりますが、改めて曾じいさんである山岸宇三郎の大きさを思うがです。


高村雅男さん、竹馬の技

竹馬名人、高村雅男


竹馬達人、高村雅男さんはテレビ番組の中で、竹馬でトランポリンしてバク宙したり、2.6トンのトラックを引っ張ったり、話しを聞くほどに、並みの体力の方ではないのです。何でも、あの有名な体力を競うテレビ番組「SASUKE」にも出演されたりした事もあり、家の中には、番組の中で出てくる競技の練習用道具がアチコチに見られますぞね。「SASUKE」同様に竹馬も人の力の限界に挑むものと教えられた気分ですけんど、それでは、日々、一体どんな風にして自分を鍛えられているのか、トレーニングルームまであると言われるので少し拝見させてもろうたがです。


竹虎四代目


3階をぶち抜いた四角い穴を開けられた小部屋には、居間にあったような太いロープが吊されてちゅうがですが、ここで3~4メートルもの高さの竹馬の練習をしゆうそうなのです。さすがに、この長さになると竹製ではもたないので、金属製の竹馬となるそうですが、その竹馬一本だけの重さでも実際に持たせてもらうと、「えっ!?」と驚くほどの重さ!このような重量のものを、それぞれの腕で操るとは、凄い...。竹馬が優れたバランス感覚などはもちろんですが、腕力、脚力はじめ全身のずば抜けた筋力を求められる乗り物だと、つくづく思いしらされるがです。そして、特に必要なのは握力や足指先の力のようなのです。


高村雅男さんトレーニングルーム


さて、そこでそんなパワーアップのために練習しているのがこのお部屋。握力を鍛える器具にはズッシリとした重りが付いていて、片手では全くダメなので両手で握ろうとしましたがピクリとも動きません。それも、そのはず、今まで何人もの方が試したそうですが、現役の関取の方以外で動かした方はおられないそうぜよ。


けんど、そんな超強力な器具を竹馬達人高村さんは、何度も何度もやって握力を鍛えます。あまりの練習量に、何と、鉄パイプの方が先にダメになるそうで、折れ曲がったものが数本、床に転がっているのです。更に凄いと思うたのが足指の力。これはダンベルを持ち上げて練習されるそうですが、足指でクルミを割れるというから恐るべしぜよ!


高村雅男さんと竹虎四代目(山岸義浩)


トレーニングルームから戻ってきて竹馬達人、高村さんが尋ねます。


「ところで、竹虎さんのテーマソングとかありますか?」


さすが達人、質問も並みのものではありませんぜよ。東京の大企業なら社歌のようなものがあるのかも知れませんけんど、四国は高知の、しかも更に田舎の小さな竹屋に歌みたいなものがあるとお思いやったがやろうか...!?


ところが、それが実はあるがです。



竹馬達人、高村雅男さん×虎竹

竹馬達人、高村雅男さんと竹虎四代目(山岸義浩)


そもそも高村雅男さんを知るキッカケになったのは、よくコンビニなどにも置かれちゅうフリーペーパー「HOT PEPPER」の取材ぜよ。竹の事について掲載されたいとの事で色々お話させてもらいよりましたら、何やら竹馬の達人がいるらしいがです。ほう...竹馬の達人ですか?ちっくと興味がわいて聞いてみると、この「HOT PEPPER」には日本キワメン紀行なるコーナーがあって、竹馬を使った大技を日々生み出す「竹馬メン」として、竹馬の達人、高村雅男さんが紹介される予定との事だったのです。


竹馬と聞くと子供がワイワイ楽しく遊んでいる光景が思い浮かびます。竹虎でも竹馬を幼稚園や小学校にお届けさせていただきよりますので、もちろん、竹馬はそういう遊びの側面が大きいのです。けんど、実はそれだけではないがぞね!竹馬で短距離競走などが毎年開催されていて、高村さんは30メートル走りは日本記録を持たれちょります。はじめて知りましたが竹馬は立派なスポーツ競技やったがちや!


実際に拝見すると竹馬が思うよりずっと激しいスポーツであり、竹馬メンがアスリートであるとハッキリ分かるのですが、普通は50メートルを8秒で疾走すると言われても正直イメージがつきにくいのではないかと思うがです。自分も最初はそうやったのです、あの竹馬で...?どうやって...?疑問が次々に湧いてくるがちがう。そこで、自宅にトレーニングルームまで完備されちゅうという竹馬達人を訪問させていただく事になったがです。


竹馬達人、高村雅男さん


「さて、それでは何を見てもらおうかなあ...」


さすが竹馬王者、堂々とした風格です。自分も竹の事なら誰にも負けないつもりではいるのですが、さすがに部屋の中で竹馬を乗りこなす方を見るのは初めてぞね。(しかも、写真の達人は足をのせるコマを使わず反対から足指の力で乗っている!)


竹馬のゴム


室内でも滑らず安心して乗ることのできる秘密は、高村さん自身が細工されるという先端のゴムにあるがです。市販されている竹馬の部品を流用されているとの事でしたが、地面への接地面だけでなく、持ち手の方にもゴムを付けちゅうのです。これは、高村さんの竹馬の技の数々を拝見しているうちに謎が解けるのですが、両手を離してバランスを取りながら竹馬を操る場合に役立ちますし、顔や身体に当たった場合の安全面や、スペアの意味あいもあるそうなので、竹馬と簡単に考えちょりますが、まっこと究めると奧が深いのです。


竹馬で縄跳び


「縄跳びでもしてみましょうか...」


竹馬達人高村さんが一本の縄跳びを取り出して来ました。けんど、ちょっと待っとうせよ、縄跳びと言えば両手を使いますろう?そしたら竹馬に乗りながらというのは一体どうやってやるがです?そんな風に混乱する自分をよそ目に。それでは...と、はじめた竹馬達人高村さんの技がコチラながぜよ。



まっこと(本当に)ビックリしたちや!


なるほど、こうやって縄跳びをやるがやにゃあ。これはけんど、普通の竹馬の常識を大きく飛び出して本当にスポーツぜよ、全身の筋肉をこじゃんと(とても)使いますろう。そうか、だから筋トレの設備が部屋の中にあるのか。そもそも、この居間に通された時から天井から太いロープが吊され、タダならぬ雰囲気があったのですが、これは派手な技の裏では日頃からのたゆまぬ鍛錬がしのばれます。


そして、達人の技術や迫力にも圧倒されますが、その激しい技を支える竹にも感激するのです。実は何を隠そう、竹馬達人高村さんの使用する竹馬の竹は虎竹ぜよ!24歳から数えきれないくらいのテレビ番組などにも出演し、その都度、自分の竹馬の限界を超え、技を磨いてこられた達人が、全国各地の竹を試してたどり着いたのが虎竹


「虎竹だからこそ、この技ができる」


そう言うて頂いて自分も子供を褒めてもらったような気持ちになって感動したが違うがぜよ。けんど、本当にあの激しい技を支え続けゆうがやにゃあ。おまんらあ(あなたたち)は、凄いにゃあ。竹馬となって頑張る竹を手にとって、つくづく思うたがです。


愛車ボルボ

ストックホルムのボルボ


ボルボという車をご存じですろうか?世界一安全な車などとも言われて日本でも結構な台数が走りよりますので、ご存じの方も多いかと思うがですが、スウェーデンにある会社の車ぞね。


あれは高校生の時です、外部の情報に乏しい全寮制の学校だったので、この車との出会いは鮮烈やったのです。「何っ、あれっ!?」街を走っていく、このボルボの格好良さに出会うたがです。大袈裟に言うたらイナズマが落ちたようにシビレましたちや。そして角張ったボディ、無骨な雰囲気に惹かれて、まだ免許も何も持っちょりませんが必ずあれに乗りたいと思うたがです。地味ではあるものの流行などに左右されず、他の自動車メーカーにはない独特の道を行く姿勢が、竹虎がずっと続けてきた竹の仕事と似ているようにも感じて共感を覚えちょったのかも知れません。


何年もかかり、本当にようやくボルボを手に入れる事ができました。念願はかないましたけんど、実はずっと思いよった事があるがですぞね。それが目にみえる形で現れたのが、先々月のストックホルム国際家具見本市です。ドイツ人デザイナーのステファンさんとの竹家具を形にして、はじめて参加させて頂いちょりましたが、さすがにボルボ社のお膝元だけあって、その会場への行き帰りには、街中に車が走っているのを見かけるのです。


どの車も雪と泥にまみれてはいますものの力強く、逞しく、本来のボルボならでは走りとは、こうゆうものだと感じさせます。もともと雪国育ち、極寒の広々とした大地を走り抜ける車、そんな厳しい大自然の中で、のびのびと全力疾走したいろうに、高知のような温暖で雪など降った事もない道路では、自分の愛車ボルボは、せっかく同じように作られちゅうのに、もしかしたらモノ足りないと思いゆうがでは?車に意志があるワケではないので自分の勝手な想像ですぞね。けんど、前からそんな事を思っていたのです。


竹とボルボ


ところが先日、いつものように山道を走っていて、ふと思うところあって車を停めたがぜよ。ドアを開けて外に出てみましたぞね。今来たばかりの道を、ちっくとだけ下って振り返ります。そこには、いつも頑張ってくれる愛車の後ろ姿。舗装はしてあるものの車一台が、ようやく通れるような細い道、右に左に大きく曲がりくねった道、鬱蒼として昼間でもライトを点灯したくなるような場所もある、誰一人として通らない、このような山道も走る事が多いのです。


北欧の広々とした氷の荒野とは違うものの、大自然の中を力いっぱい走る事は似ているのかにゃあ。そしたら、この愛車のボルボも満足してくれちゅうろうか?木立の間に伸びる竹は、概ね節間が長くスマートです。そんなノッポな竹達の先端が風にゆれて「うん、うん」「うん、うん」頷いてくれゆうように見えるがです。


どこまでも続く蓬莱竹

蓬莱竹(ほうらいちく)


これは見事な蓬莱竹(ほうらいちく)が続いちょりますぜよ。思わず立ち止まって見てみますが、ずっと向こうまで続いているようながです。そんなに大きく広い川ではありませんが水深は深く水量は豊富のようなので、かっては大雨で氾濫する事が多かったのかも知れません。防災用に植えられたであろう蓬莱竹の連なりを見ながら思うがです。今のように護岸工事の技術も機械もない昔には、川岸に竹を植えて防災用とする事が多かったのですが、この蓬莱竹は東南アジアや中国南部の熱帯地域が原産の株立ちの竹ぞね。いわゆるバンブー属に含まれる竹で、いくら大きくなったとしても外に根が浸食していくことがない竹ながです。


普通の竹なら手入れによっては、地下茎が外に伸びていって竹林が広がる事がありますが、植えられて100年近い蓬莱竹の写真を拝見したことがありますけんど、背丈が高くなり、株回りは大きく立派でしたが、根が外に広がる事はありませんでした。だから、田畑に地下茎を伸ばして来ない事が農家さんなどから好まれて、西日本の川岸の護岸用としては、この竹がまっこと(本当に)よく見られるがぜよ。


竹は海外から持ち込まれたものが何種類かありますが、この蓬莱竹も繊維を縄にすると火縄銃の火縄に最適だったことから持ち込まれたようなのですが、平和な世の中になれば、なったで、今度は防災という面で人の役に大いにたっていた事が、この広がりを見たら一目瞭然で良く分かるのです。


蓬莱竹網代編み


また、蓬莱竹は火縄に使われただけあって、こじゃんと(とても)しなりがあり強い竹でもありますので、前にお話をさせていただいた職人さんは、若い頃にはロープに使っていたとも聞いた事があります。あまり種類は多くはありませんけんど、この竹で作られてきた竹細工もありますが、先日は、めずらしい網代編みになった蓬莱竹を見せてもらいましたぜよ。そんなに太い竹ではないので、これだけ平らな竹ヒゴにするには、さぞ大きな竹ばかりを選んで編まれた籠だと思って手にしながら、この竹の、日本に渡ってきてからの歴史や役割に思いを寄せちょりますと、ただの籠がただの籠には見えなくなってきて面白いがですぞね。


和傘の思い出

和傘


和傘と番傘は呼び名は違いますけんど、ほとんど同じものですぞね。竹と和紙を使うて作られた日本伝統の傘ですが、少し持ち手の竹も太く、骨太で無骨な感じがするのが番傘、女性向きの少し繊細な傘を和傘というように自分は呼びよります。実際に和傘を使うた事のある方ならご存じのように、この傘は決して機能的には出来ちょりません。


そもそも、まず重たい、そしてかさばります。例えば洋傘のように折り畳んで鞄の中に入れられたり、細くスマートに巻けたりできません。なので出張などには絶対に持って行けませんし、お出かけの際にも荷物になって邪魔になってしまうので、本当に使える機会というのは年に何度かあれば良いほうですぞね。


けんど、自分は20代の頃、母から譲られた番傘をずっと愛用しよりました。高知は車社会で、何処に行くにも車なので、あまり荷物に感じていなかった事と誰も持っていない特別感、何より雨の日も良いものだなあと心から思えるような豊かな気持ちになれたのです。もちろん、働き出した竹虎が元々は和傘の骨竹を扱う事から創業した、そんな思いも、ちっくとあったがですぞね。使った後には雨でぬれた傘を、いちいち土間に干さねばならない、手間のかかる所も可愛いと思いよったがです。


和傘


手入れの行き届いた竹林は和傘を差して歩けるほど、竹と竹の間隔をゆっくり開けて竹を育てゆうがぜよ。和傘には竹が欠かせないというだけではなく、竹虎との深い縁も感じてボロボロに穴があくまで使うたがです。洋傘の穴の開いたものなど見られないと思いますが、和傘の少し古くなった感じは返って渋いと何人もの方に言われたにゃあ。懐かしい思い出ではありますぞね。


番傘の柄を黒竹にした特製傘を製作いただいて、再び雨の日を心待ちにする日がやってきたがです。この傘は竹骨の一部分に朱赤で色が付けられちょります。閉じている時には赤いラインのように見える傘が、開くと赤いラインが消えて白い蛇の目模様が表れる色使い、優雅という言葉は自分にはあまり似合いませんが、ちっくとゆとりを持って雨の日を楽しむのもエイものですぞね。


わらいずみ

わらいずみ


昨日は少し稲ワラのお話をさせていただきました。身近な稲ワラからは、ワラ縄をはじめとして米俵、むしろ、ワラ靴(ワラで編まれた長靴)、みの等の仕事や生活道具が、いろいろと作られてきたのです。自分の小さい頃には竹を縛るのにワラ縄は、まだ使われちょりましたし、内職のおばちゃんの作業場には普通にワラのむしろが敷かれていました。もしかしたら皆様の中にはワラの鍋敷きだとかワラ座布団などは、お使いの方がおられるかも知れません。


そんなワラ細工の中に、「わらいずみ」と呼ばれる飯櫃入れがありますぞね。もともと広く使われちょったモノなので呼び名や作りが違いますが、ご飯を冷めにくくするための道具なのです。今のご家庭で見られることは、まずないかと思いますが、そう言えば...お鮨屋さん...で、そう気づかれる方もおられるかも知れません。


わらいずみ


そうながです、あのお鮨屋さんのシャリを入れて保温しているのが、ワラで編まれた「わらいずみ」ながです。稲ワラで出来たお米を炊いてから、今度は稲ワラで出来た「わらいずみ」に入れるとは面白いですが、思えば米俵も稲で出来ちょりますので、日本人は、まっこと合理的に上手く自然と付き合うてきたがですにゃあ。


虎竹の里では収穫の終わった田んぼは、竹の選別場として使われる事か多かったですが、収穫直後の田んぼに三角に立てて乾かす稲ワラが広がっちょりました。最近はあまり見かけないのですが、あの稲ワラの光景は豊作を連想させてくれるのか、何やら嬉しく、心まで豊かになる気がするがぜよ。


あれは、どこやったか汽車の社窓から外をみたら、まるで人が整列しているかのように稲ワラを干していた田んぼがありました。四国では見たことのない光景に驚いた事でしたけんど、稲ワラの乾燥のさせかた一つにも、「わらいずみ」の違いがあるように、それぞれの地方色があって、まっこと面白いものやと思うがです。


竹皮草履用の稲ワラ

竹皮草履用の稲ワラ


日本の主食であるお米を刈り取ったあとの稲ワラは昔から身近で、実に様々な生活用品に使われてた貴重な素材やったと思うのです。今では目にする機会も少なくなって消えてなくなりつつあるものもあります。若い方にはワラなどと言うても見たことのない「新素材」かも知れません。けんど、日本の自分達が毎日食べているお米を作る田んぼでのお話です。是非、ワラの事も少しでも知っていただきたいと思うちょります。


竹皮草履の芯部分には稲ワラが使われちょります。草履職人さんが近くの農家さんのお手伝いに行ったり、親戚の家から頂いてきたりして調達する稲ワラですが。昔は稲ワラにしても、竹皮にしても自分たちの周りで手に入る素材だから、自然と使われるようになった歴史があると思います。前には新しいビニールやら何やら扱いやすく強いモノが出来てきて、一時は、そのような素材を使うたほうが良いという、効率重視の職人さんがいた時期もあったのです。


けんど、耐久性や機能性だけでない。日本のモノ作りの長い歴史そのものを皆様にお届けする事を思えば、「昔ながらの材料を、昔ながらの変わらないやり方でやる」ただ、それだけで良いのではないろうか。竹皮にしても、稲ワラにしても水に強い、身近で豊富にある、モノの無かった昔にしたら願ってもないスーパースターのような存在です。新人(新素材)が出て来て栄光の座を追われてしもうた往年のスターも、虎竹の里ではお陰様で現役選手としてご紹介できちょります。これからも、できる限り第一線で走り続けてもらえるように思うちゅうがです。


虎竹和紙の新団扇(うちわ)

黒竹団扇


虎竹を繊維にして和紙にしているお話は前にもさせてもらいました。只今、製造中で出来上がりが、まっこと楽しみで待ち遠しいのですが、その和紙で前に作った黒竹団扇というものがあるがです。せっかくの虎竹和紙ですので、持ち手(骨の部分)の部分にもこだわって、近くに豊富にある黒竹という竹の丸竹そのままを使って、団扇を作りたいと思って職人さんにお願させて頂いたのです。


普通にある丸竹の団扇というのは女竹(めんちく)といって節間の長い竹です。団扇はご存じのように和紙を貼る部分の竹が細かく裂かれちょります。節間が長いと、この工程が比較的簡単で早くできるのですが、初めて黒竹を団扇の素材として見て頂きますと節が詰まっているし、竹自体の粘りもあって仕事が、やり辛いとお断りされそうになったのです。自分も、初めての素材や仕事が、いつもの細工より何倍も時間がかかり、しかも難しい場合ほど、熟練の職人さん限定となりますので、引き受ける方からすると本当に大変な事は十分に理解しちょりました。


黒竹うちわの骨


何とかお引き受けいただいて今までになかった黒竹丸団扇という、ちっくと画期的とも言える団扇を製作したがですぞね。普通の真竹などで少しは丸竹の団扇も見かける事はありますが、黒竹の丸竹を使った団扇を目にされた方は恐らく今までなかった事ではないか、そう、思うちゅうがです。


さて、国内の職人さんが高齢化してモノづくりが出来なくなりつつある、いえいえ、ただのモノ作りというと語弊がありすまぜよ。「良い」モノづくりが出来にくくなっちょりますが、残念ながら、ついに、この黒竹団扇も今年からは製作できなくなりましたぞね。難しい黒竹を裂く工程の熟練職人さんができなくなったがです。何人もの手を経てひとつの竹製品となるものには、今までも、そしてこれらかもこのような事が多々起こってくるかと思います。どこが一つでも歯抜けになると、製品として仕上げる事は出来ないのです。


柿渋うちわ


どうしようか?思いよった時に出会うたのが100年前の団扇ぜよ。どうして、こんな濃く渋い茶色になっているのかと聞くと、和紙に柿渋を塗ってしあげてあるとの事やったのです。最近製作した同じタイプの団扇と比べてみたら、まっこと、こんなに違うがぜよ!けんど、そんなに長く団扇が使えるとは思うてもみませんでした。これは柿渋の防虫、防腐、抗菌作用などが大きく作用しちゅうようです。


竹骨は寒暖の差が激しく伸びが良い高い山々から伐採されて運ばれます。自分が作りたいと思っている虎竹の和紙を使うた団扇は、出来るだけ長く愛用いただける団扇にしたいがです。これはピッタリではないろうか...。一本づつ団扇用の竹を細く手割りされている職人さんの鮮やかな手さばきを見ながら思うがですぞね。


竹割れへの挑戦

割れ防止竹


竹は細く割って編み込まれると、しなやかでもあり耐久性もあり、正倉院に所蔵されているような、ずっと古い時代のものが、そのままの形で今に残っていたりするのですが、丸竹のまま使うとなると、どうしても「割れる」という天然素材の竹ならではの重大な欠点があるがです。まあ、重大かどうかは使われる方の判断もあるかと思います。割りやすい特徴から様々な竹工芸が発展したとも言えるのですが、その特徴が反対に割れてほしくない場面でマイナスとなるのです。割れを景色として見ることのできる竹花入れなどもありますが、これは稀な事ですろう。竹と向き合う多くの竹人にとって「割れ」は永遠のテーマでもあったがです。


竹の背割り


竹を割れないようにするためには、どうしたら良いか?多くの方が考えたと思うのです。割れの仕組みは、だいたい解明されちょります。竹の維管束と呼ばれる細かい組織が一本の竹を貫いちゅうがですが、この密度が竹表皮部分では密度が濃く、内側になるにつれ薄くなるのです。竹は伐採されたあとも「生きている」と、たまにお話しますが、呼吸もすれば、収縮もしています、密度の違いが収縮率の違いとなり、竹の強度の限界になった時、縦に割れが入るがです。


ただ、全ての竹が割れるというと、そうではなく、やはり自然の難しいところですが、古い竹でも何ともないものもあります。以前、竹虎と50年前までお付き合いさせて頂いていた京箒の職人さんの倉庫で、その当時の竹の在庫がまだ残っていたので、見せてもらいましたけんど、ほとんど割れも何もなく、まるで、つい先日お届けさせてもらったばかりのような当時のまま綺麗にあって、まっこと(本当に)感動した事があるがぜよ。


竹切口、発砲ウレタン樹脂


竹を割ったような性格等とも言う事もありますけんど、「パンッ」と知らない方だと驚くほどの大きな音をたてる事もある、そんな、竹を割れないようにするには?空洞の中に何か詰めて内側から割れを抑えこめば良いのではないかと考えた方は恐らく少なくないと思うのです。しかし、実際にやられた方は、あまり居なかったと思います。だから、この竹の事を知った時にはそのチャレンジ精神に感激したのです。長い歴史を誇る日本の竹の世界は、やはり凄いにゃあ。まだまだ、こんな方がおられるのだなあと心強く嬉しくなってきますぜよ。「割れ」をどうしたら良いのか、何とかならないのかと、本気で試行錯誤されてきた事が、ヒシヒシと伝わってくるがです。


近年の建物の中の環境は、エアコンなどの乾燥によって竹にとっては過酷そのもの。そんな中に果敢に挑むこの竹には、発砲ウレタン樹脂が詰めらちょります。室内装飾に多用する事を考えて、防火効果の高い難燃試験済みというのも素晴らしいがです。


竹釘


発砲ウレタン樹脂で、すでに割れにくく加工された竹に、さらに銘木などに見られる背割りを入れて、一定間隔で竹釘留めされちゅう念の入れように、竹のプロとしての仕事ぶりを感じるがです。この特別な竹材が、竹虎でどんな風に活用できるかは、まだ未知数ですが炭火で油抜きした竹肌の白竹は、やはり美しいですちや。真竹本来の生命力にあふれた力強さと、たくましさを感じるがです。もし、うまく一つの形に出来た時には、今までとは違う重厚感や雰囲気を感じさせる、ひとつの竹製品にできるのではないかと思うて楽しみにしちゅうがです。


ケガの功名、スズ竹四ツ目籠

スズ竹四ツ目籠


竹は南方系の植物だと、いつもお話させていただきますけんど、それだけに日本に分布する竹も温かい地方にある竹は太く、背も高く、大きく育つのですが、反対に寒い地方だと同じ種類の竹でも小降りになります。竹のワインクーラーに使うちょります孟宗竹は全国各地に成育していますが、やはり、極太のサイズとなると温かい四国、九州でないとありません。


ところが小降りだから良くないかというと決してそうではなくて、東北地方や高い山々に育つスズ竹という竹は素晴らしい素材ながです。太さはボールペンくらいしかないので、竹というより笹の仲間ですが、これが非常に、しなかやで、堅牢、実用品としての竹細工には最適の素材ぜよ。編まれた籠を両手で押してみますと、力強く押し返してくる弾力は、良質の真竹などにもない、この竹特有のものなのです。


このようなスズ竹の長所が一番活かされちゅうのが、市場籠やお弁当箱など毎日のように持ち運んで使われる竹製品で、耐久性だけを言うならば、日本最強と呼んでもエイですろう。けんど、そんな素材だけに籠としての実力もなかなかのものですぞね。都会と違うて田舎では土のついた野菜をそのまま新聞紙に包んでいただく機会もありますが、土間などに放り込んで置いちょく野菜籠などとしては使い勝手がエイがです。


このスズ竹四ツ目籠は直径が約23センチくらいの少し小降りなものが手頃なサイズかと思うてご紹介しちょりましたけんど、職人さんが間違えて30センチを超えるものを編んで来られました。思っていた大きさと随分違うのでビックリしましたが、これは、これで沢山入るし、エイものだなあ...さすがスズ竹ちや。ゆっくり眺めているうちに気に入ってしもうたものですから、近日ご紹介できたらと思うちゅうがです。


かぐや姫、竹御殿

かぐや姫、竹御殿


スタジオジブリ制作の「かぐや姫の物語」を観ましたぞね。実は自分から観ようと思ったわけでも、何でもなく見始めたのです。ところが、これが手書きのような独特のアニメーションが面白く、目が離せなくなってしまって、話しの筋など知っているはずなのにドキドキして最後まで観てしもうたがぜよ。まっこと(本当に)面白い映画でしたちや。


日本最古の物語とも言われる「かぐや姫」は、こうやって昔も今も人の不思議と掴んで話さない魅力があるように思います。けんど、このお話しに深く関わっちゅうのが「竹」。竹から生まれて、どんどん大きくなりアッという間に大人に成長する姿は、実際の竹の成長スピードと同じと言われちょって、自分など竹に関わる者にとっては単なる昔話以上のものであるがです。そこで、この昔話の舞台となった場所がどこかだろうか?そんな発祥の地を探るロマンある話しも日本各地にあるようで、その中の候補地のひとつである京都市西京区松尾という所に、かぐや姫、竹御殿なるものがあり、たまたまお邪魔する機会があったのです。


竹の壁


近くには世界遺産となった西芳寺(苔寺)や、華厳寺(鈴虫寺)があり、観光のお客様も沢山歩かれちょりますが、さすがに、かぐや姫の舞台となるだけあって、少し山の方に歩くと周りには竹林が広がります。竹工の名人と言われた長野清助という方が、何と27年もの歳月をかけて創り上げた竹御殿だそうですが、入り口から眺めるだけでも、竹ばっかりぞね。建物のアチラコチラ、およそ考えられそうな部分には竹が使われていて、さすがに竹御殿と名前付けられちゅうだけの事はあるがぜよ。そこで、まず目を引くのが竹のパーツを貼り付けた竹の壁。


竹の壁


長方形に切り取った竹を縦横交互に並べてデザインにしちょります。昔、祖父が新しく家を建て増した事がありましたけんど、その家を思い出しますちや。壁も、天井も竹ばっかり、ありとあらゆる竹が使われちゅうのではないか、そう思わせるほど色々な種類の竹を見る事ができましたが、出入りする勝手口の扉には、ちょうどこんな感じで竹が貼り付けられていました。


竹の天井


少し懐かしさも感じながら部屋の天井を見上げたら、当然そこにも竹が使われちゅうがです。編み方に変化をつけられて、それぞれの竹の良さを表現されているのは、さすが名のある熟練の竹職人ならではなのです。


竹枝の天井


金閣寺を模したと言われる一番奥まった建物の天井には、かぐや姫が帰っていった月を表すかのような照明が作られていて、これが、こじゃんと(とても)印象的でした。


竹枝の天井


細い竹を隙間無くビッシリと並べたデザイン、竹節がアクセントとなり、まるで中心から目映い光があふれ出しているかのようにも見えますちや。強烈な個性と独特の世界観で統一された竹御殿ですが、この職人さんが竹を愛でた気持ちがヒシヒシと伝わるような気がするがぜよ。


竹馬の達人

HOT PEPPER


先日、何気に見ていてハッと思うて手にしたのが「HOT PEPPER」というフリーペーパーがあるがです。表紙に「高知」と書かれちゅうのは、地元の情報が主体の雑誌だからですが、同じスタイルで全国各地に、それぞれの地域ならではの情報を満載しているのではないかと思うがです。思わず手にしたのは、見覚えのある表紙だったからです。確かこの雑誌に竹馬の達人が「竹馬メン」として紹介されちゅうハズながです。そして、自分も竹つながりという事ですろうか?キワメンDATA ROOMと言うコーナーに少しだけ掲載いただいているのです。


竹馬メン


「日本キワメン紀行」は、究める男達にズームイン!と書かれちょります。全国各地の情報を掲載する「HOT PEPPER」ですけんど、この部分は恐らく共通のコンテンツではないかと思うがです。いやいや全国共通でないといけない程の凄い方ですぞね。


竹馬メンとして紹介されているのは高村雅男さん。東京都生まれで現在は歯医者さんをされちゅうとの事です。けんど、この最初の写真から尋常ではありません!普通に患者さんの治療をしているようでいて...何と足元は竹馬!?まさか、日頃から竹馬でお仕事されている事はないと思いますが、本文を読んでいると、それもありえるかも(驚)。それほどの高い技術をお持ちの方のようなのです。


そもそも自分が反省したのは、竹虎で竹馬を製作しているのに、竹馬を本気で究めるという方の事を知らなすぎたがです。竹馬競争ぐらいの事は知っちょりましたが、それでも50メートルを何と8秒で駆け抜けると聞くと、自分の想像とは少し違うように思えてきます。さらに、竹馬で2.6トンの車を引っ張るとか、楽器を吹く、110センチの走り高跳びに至っては言葉を失いました。これは、まさに常識を超えた世界があるようやちや。けんど、更に極めつけ、まさに「キワメン」は竹馬トランポリン...!トランポリンするだけでも、かなりですけんど、それでバク宙(バック転)をするというので、これは、幼稚園や小学校で子供達がする竹馬とは別の競技というか曲芸、完全にプロフェッショナルな領域ながぞね。


達人高村さんは、これらの技のために自宅に筋トレルームを作り、足の指のグリップ力を鍛え続けているという事にも、まっこと感動すら覚えてしまいます。トイレとお風呂以外は竹馬で何でもできてしまうという恐るべきお方が、事もあろうか、竹馬用の竹をどこで調達されるのか?そんな質問に「高知の竹虎という専門店から買っています。」こうお答えしちゅうきに、さらにビックリ仰天ながぜよ。


日本一の竹馬名人に、ご愛顧いただくのが竹虎の竹とは、朝日に輝きだした焼坂の山々の竹たちも、心なしか喜んでいるように思えますけんど、毎日の仕事をしっかりせんとイカンと気持ちが引き締まる思いぜよ。けんど、高村さんにお会いしたいにゃあ。日本一の竹馬の技と、日本唯一の虎竹をどうしても、この目で見ずにはおれないがです。


虎竹茶クッキー

虎竹茶


昨日は年度末と言うこともあってか、まっこと珍しく、バタバタした気忙しい一日やったがです。朝は毎日結構早く起きるのが習慣になっています。真っ赤な太陽が昇ってきて光が差し込んでくる静かな一時は、なんかエネルギーが充満してくるようで大好きなのですが、それから、社員が出社してきて朝礼が終わった後、ハッと気がついたら、なんと夜になっちょった!


けんど、そんな次々と用事の立て込んだ中でも、ふと一息ついて、心安らげる一瞬があって、それが虎竹茶なのです。いつも保温ポットに熱々を入れてもらっていますが、湯飲みに注いだとたんに立ちのぼる甘く優しい竹の香り。「香り」と言うのは記憶と深く結び着いているようですぞね。この竹の香りは幼い頃から竹工場で遊ぶたび慣れ親しんだ香りぜよ。知らない間に、あの頃に連れて帰ってくれて、優しい祖父や、職人さんたちの笑顔に囲まれちゅう気がするがです。竹を切る音や、竹を割る音、ガスバーナーや、機械の音...。騒がしく音がしちょりますが、少しも嫌ではないがです。心地良く、温かい、自分にとっては古里のような竹工場。


おっと、工場を吹き抜けてくる風向きが変わったろうか?虎竹を油抜きする甘い香りが運ばれてきたちや。あの力自慢の職人さんが遠くで虎竹を矯め直しゆう、高校野球の大ファン、あの職人さんが竹を担いだ、まるで、昨日の事のように思い出されるがです。


虎竹茶クッキー


湯飲みを置いて、さて、これから月に一度の社員面談ぜよ。実は毎月社員との面談をさせてもらっていて、概ね一人一人とお話させて頂くようにしちゅうがです。もう何年もやっているものの、未だに自分が満足な話しが出来ない、お粗末な面談ですが、それでも頼りない自分が社員の皆さんに色々意見も聞きたいですし、思いもしない教えをもらう事もあり至らない社長を助けてくれよります。


さて、そんな面談の最中、一人の社員が手提げ袋を持ってきました。中には手作りのお菓子が入っちゅうと言うがです。ホワイトデーでも無いのに?どうした事ぜよ?そう思うて、ひとつ口に入れてみると...何と何と!虎竹茶の香りが広がるではないですかっ!?


聞くと虎竹茶を使うた虎竹茶クッキーとの事!これは凄い!ひと噛み、ひと噛みごとに更に広がる虎竹茶。高知県の馬路村という所に有名な「馬路村公認飲料」なるものがありますが、これは、まさに「虎竹の里公認クッキー」やにゃあ。けんど、香りか違うても懐かしい竹工場の景色は同じぜよ。