雨の日に思い出す、背負い籠かるい名人

 
名人竹細工職人・飯干五男氏の背負い籠(かるい)


雨が降る今時の季節になると背負い籠「かるい」編の名人・飯干五男さんを思い出す。ジトリと汗がにじみ出てくるような湿度の高い朝、あの日も青々とした美しい真竹をタナで割るところから仕事が始まる。竹を割る心地良い音と咽かえるような青竹の香り、気がつくと雨は本降りになっていた。


飯干五男氏の背負い籠(かるい)作り


黙々と流れるような仕事には全くよどみがない。


飯干五男氏の背負い籠(かるい)編み


知らぬ間に時間が過ぎ、かるいの独特の形が見えてきた。


飯干五男氏の背負い籠(かるい)編み


この逆三角形の形が、急斜面の多いこの地域では使いやすいと愛用されてきた。飯干名人が伝統の籠を一心不乱に編む、一部始終の傍にいられた宝物のような時間だった。




真竹より篠竹、篠竹よりスズ竹、スズ竹より根曲竹

根曲竹六ツ目編み手付き籠

東北の方では、真竹より篠竹、篠竹よりスズ竹、スズ竹より根曲竹が奥が深い、なんて事が言われたりする。この言葉の真意がどこにあるのか分かるようで分からない。ただしかし、昔の大作家の竹籠にハタと足が止まる時、その作品が根曲竹であることは多い。いつだったか「これは誰にも譲らない」と真顔になった大御所がサッと棚に戻した竹編みも根曲竹だった。




前に一度、根曲竹の伐採に同行した事がある。根曲竹の成育する山々は熊の活動地域なので、自分達の虎竹とは全く違う意味での苦労があると感じた。爆竹を鳴らし、笛を吹き、ラジオの大音量の中で藪に分け入る。根曲竹は名前の由来どおり、根元か曲がるほどの雪の重みに耐えて鍛えられた竹だ。普通の竹林とはイメージが異なり、地面に横たわっている竹さえある、それだけに細く見える竹だがその性質は粘りがあり強靭、野趣あふれる魅力がある竹なのだ。


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自分が日常的に愛用する根曲竹と言えば別誂えの少し大きめの手提げ籠がある。一般的には茶碗籠や脱衣籠、小物籠といった生活道具が多いと思うが、飾っておきたくなるほどの(実際飾っている)魚籠や変わったところで醤油籠なども編まれている。そしてもうひとつが自分くらいの体重ならいくら負荷をかけても折れる事のないステッキまである。


根曲竹職人


使っているうち、いつの間にか自然に浮かび上がってくる竹艶。あまり知られていないが、かっては竹家具としても製造されて来た歴史があるから考えれば確かに奥が深い。無骨な野武士のようでもあり、優雅に舞う歌姫ともなる竹材、この根曲竹職人か生み出す竹籠は果たしてどちらだろうか?




「竹は、作る人と使う人で完成するものなんだよ」江戸の篠崎ざる

 
東京上空から荒川を見る


高知から羽田空港へ飛ぶ飛行機のルートは、その日によって変わるようです。東京湾方向から着陸していたはずが、今日は大都会の上空を飛んで滑走路に向かっています。眼下に見えてる大きな河川は江戸川でしょうか?かってあの河川敷には護岸用にもなっていた篠竹が茂っていて、その竹を使った竹細工の一大生産地がありました。今となっては「篠崎」という地名に当時の名残を感じるだけですが、その土地で最後まで竹編みの仕事をされていた職人を思い出すのです。


篠崎ざる


「ウチのかごは、これだけ丈夫なんだよ」そう言って、ご自身の編んだ竹籠をひっくり返したかと思うと立ち上がり、籠に飛び乗った時には本当に驚きました。200軒もの竹籠屋が軒を連ねていた地域で技を競い合った職人のプライドが伝ってきました。竹は江戸っ子気質にピッタリだと話されていた通り、竹を割ったような気持ちのよい方でした。


篠崎ざる


篠崎ざるの特徴的な「外縁」は持ちやすく、中に入れて洗った食材を他の籠に移しやすい実用的な作りです。もちろん、たとえ籠の上に飛び乗ってもビクともしなかった堅牢さの秘密でもあります。懐かしい画像を見ながら、機内から撮った河川を調べてみらた、どうやら荒川のようです。左手に中川があり、更にその横を流れるのが江戸川でした。


YouTube動画で伝統の竹細工と現代的な竹籠の違いをお話しさせもらいました。竹は世につれ、人につれ変化してきました、改めて竹職人の忘れられない言葉を思い出します。「竹は、作る人と使う人で完成するものなんだよ。」




花と小鳥と竹籠と

 
古い鳥籠


その竹職人の仕事場には古い鳥籠が仕舞われています、確かヤマガラを飼っていたと言います。自分も小さい頃にはメジロやウグイスを飼育していましたが、コバンと呼んでいた小さな鳥籠を使っていました。現在では禁止されている野鳥の飼育も、田舎ではずっと昔から当たり前のように楽しまれていて、どこの友達の家に遊びに行っても美しい鳴き声を聞かせてもらっていたものです。当然、このような竹ヒゴを使った鳥籠作りの職人さんは、それぞれの村に一人や二人はいました。


竹職人が工房の周りにかけている巣箱


野鳥を飼う事が禁止されてからも職人さんの工房には楽しそうな小鳥たちの遊ぶ声が絶え間なく響いてきます。それは安心して子育てできるようにと自宅周りにこのような巣箱を何カ所にもかけているからです。


美しい竹林


庭先にはご自身が植えた色とりどりの花が開き、すぐ横に広がる竹林の竹葉は青空に美しく映えています。筍堀に向かう道沿いにも可愛い草花が咲き乱れる中、昨日の30年ブログでの牧野富太郎博士の言葉を思い出しました。


四ツ目籠


四ツ目編みする竹職人


「植物を愛すれば、世界中から争いがなくなるでしょう。」花を愛で、小鳥のさえずりを楽しみながら四ツ目籠を編む姿は、まるで別世界のようです。




山葡萄の花編みブローチ

古い山ぶどうトートバッグ


ある時、スーツ姿の男性がトートバッグをもって颯爽と歩くのを見かけてから、ずっと手提げバッグが気になっていました。まずは、ダレスバッグ等を使いつぶすくらい愛用してきた国産鞄メーカーさんにお伺いしてみました。この鞄屋さんは、会社が小さい頃から社長さんに親しくしていただいています。上京した時に時間を作って実物を触らせてもらいます、海外ブランドのお仕事をする機会があったのでついでにバッグを見てみましたが、どちらも自分にはしっくりきません。


まあ、もちろん365日作務衣なので似合う革バッグなどないのでしょう(笑)。そこで10年近く持っていなかった山ぶどうを改めて見直すことになったのです。これは元々背負い籠だったものを譲り受けて一部を補強してもらうと共に持ち手を取り付けてもらっていました。使い込んだ山ぶどうは上質な革のような風合いだと、いつもお話しますが強さも尋常ではありません、自分にはこれがベターな選択のようです。


くるみ手提げ籠バッグ


山ぶどうは、海外生産が多くなったからか昔ながらの職人手作りのものからデザイン性の高い籠が増えてきて実は関心が薄れていました。しかし、やはり今でも自分の山を愛し、誇りをもって編み出される山ぶどう買い物籠やクルミのバッグには温かみを感じます。


山ぶどう手提げ持ち手


クルミは山ぶどうに比べると耐久性で劣ります、そこで本体の編みはクルミでも持ち手のジョイント部分には山葡萄を使う職人さんがいます。使う人への思いやりは地味ですが、派手な見栄えより何倍も好きです。


山ぶどう花編みブローチ


お客様が愛用されている持ち手の修理をお願いしました。傷んだ部分以外のまだまだ使える所もやり替えなければなりませんでした。そしたら、その取り除いた山葡萄の蔓でペンダントを作って添えてくれています。世界が大変な時だから尚更、このような日本の素晴らしさを感じています。




昔ながらの竹箒職人

 
国産黒竹箒


竹箒などホームセンターに行けば安価なものが幾らでもあるし、日頃あまり気にとめる事もない生活用品のひとつです。ましてや誰が何処で作っているかなど、考えた事もない方がほとんどかも知れません。竹虎の場合には、虎斑竹を沢山製造していく中で色付の良くない商品化できない竹を竹箒の柄として使ってもらっていましたので実は昔から馴染みがある竹製品なのです。


筍山


そもそも日本の里山は良く出来ていました。皆さんは、このうよに竹のウラ(先端)を切りはねたような竹林をご覧になった事はありませんでしょうか?筍農家さんが良質のタケノコを生産するために日当たりを良くするためのものです、竹同士の間隔も和傘をさして歩けるくらいが適当と言われますので竹を間引いて、しっかりと管理されています。


孟宗竹穂


そして、間引きされた竹は稈の部分は漁業用や農業用、もっと昔なから建築用などにも活用される訳ですけれど枝打ちして出来た竹穂は、竹箒として使用していくのです。つまり、筍農家さんでも竹を全く無駄にする事が無かったのでした。


国産竹箒


現在では、国内で見かける筍のほとんどは輸入ですから全国的に見てもこの里山の竹林システムは機能しているとは言えません。しかし、昔からの筍産地には必ずといって竹箒製造の職人がいて地域ぐるみで製造していた時代があったのです。


竹箒職人


筍の季節は思うより早く、管理するための伐採作業もすでに終わっています。副産物として必ずある竹穂を使う箒作りが焚火の横で始まりました。


黒竹箒、竹虎四代目(山岸義浩)


竹箒もこれだけの本数になると結構な重さですが、箒よりもズシリと肩にくるものを感じています。




知られざる最後の箕職人

 
土佐箕


には穀物などの塵を除去する農具の他に石箕や土箕、手箕など土木作業用に使われるものがあります。個人的には全寮制だった明徳中学の頃に、野球部のグランド整備や寮周辺工事を手伝うために良く使っていた竹製の手箕に馴染みがあるのです。職人から譲られた、ある大学教授が調査した資料を見てみると四国地方、中国、近畿地方を中心に西日本には33カ所もの竹箕の産地があって、全てが網代編みの箕でした。


カズラ箕職人


しかし、この箕は製作の難しさから竹細工の中では一番に姿を消してしまい産地の一つに数えられる土佐箕の作り手も一人しか残っていません。箕を使う農家さん自体が少なくなっているので需要もなく国産の箕は忘れられてしまっているのです。


箕


だから、このように数種類のサイズ違いの箕など今の日本で見ること自体がかなり貴重な事です。箕が必需品だった頃の名残のようにしか思えません。


カズラ箕


ところが、今年も箕を数百枚単位で編み続けられている職人がいます。この数の箕を見ると日本では無いと言われそうですけれど、まぎれもなく地元の真竹を使った国産の箕なのです。この量に圧倒されて品質の良さを見逃してはいけません、箕先の竹ヒゴの折り返し部分など惚れ惚れするような美しさです。


病人を箕であおいで邪悪なものを取り除く風習は全国各地にあったと聞きますが、箕は少し特殊な竹製品でもあり、仕事の道具としてだけでなく信仰や儀礼とも深く結びついています。そもそも竹自体が驚異的な生命力から、「松竹梅」と縁起ものに数えられますし、古来祭事や神事に使われてきて全国に竹関連の祭事は何と869カ所もあるのです。そして、そんな神秘的な竹で編まれる竹箕は、農作業で使われなくなった後も、福をすくい取る「福箕」として、ずっと生き続けてきました。




続・幻のメゴ笹洗濯籠を編む、小春日和の庭先

 
メゴ笹洗濯籠


神楽笹やオカメササとも呼ばれるメゴ笹洗濯籠は、素材自体はかなり秀逸で、そして籠素材としては少し特別な性質を持ち合わせていますものの関東より西、特に四国や九州などでは何処にでも見られる普通の竹素材のひとつです。


茶碗籠にも最適なメゴ笹(神楽笹、オカメササ)


編み方も昔なら銭湯などで見られた普通の脱衣籠と同じ形であり、昔から籐やシダなどの自然素材を使っても全く同じような籠が作られてきました。


メゴ笹洗濯籠底編み(神楽笹、オカメササ)


特別なのが竹材の性質です、伐採して青々としているうちは柔軟性があり最高に扱いやすい籠材です。虎竹や真竹のように割って幅や厚みを揃える手間もいらず、そのまま細い丸竹で編んでいけるので仕事の効率も比べ物になりません。


メゴ笹竹籠職人(神楽笹、オカメササ)


底編みが始まりました。メゴ笹が職人の自由になるのは4日から5日。水に浸けて様子をみながら保管していても、せいぜい1週間程度しか使えません。


編みかけのメゴ笹洗濯籠


だから、自分が数日間に編めるだけの素材を伐採してくるのです。素材を使い切れば、次の籠編みの素材を集めに行くという繰り返しです。


メゴ笹茶碗籠(神楽笹、オカメササ)


青々とした編みやすそうなメゴ笹が、見ている間に籠として形を変えていきます。


オカメ笹、神楽笹洗濯籠


ところが、職人の手で扱える事出来る短い期間を過ぎると、メゴ笹の色合いは数日で抜けたように落ち着いてきます。こうなってくると竹材自体が堅くなり素材として全く用いる事はできません、つまり反対に言えば、それまでに編み込んでおけばガッチリ締まって固まり、耐久性の高い籠としてご愛用いただけるのです。




幻のメゴ笹洗濯籠を編む、小春日和の庭先

メゴ笹伐採


メゴ笹洗濯籠が「幻の籠」と呼ばれていたのは一体どうしてでしょうか?自分も入社したての数年間は、他の職人から話だけは聞くものの新しく編まれた籠を見たことがなかったという程の希少な籠でした。それには理由があって、実はメゴ笹は伐採した後に時間をおかず、すぐに編まねば硬くなって籠に作る事ができなくなってしまうのです。


メゴ笹の葉


高知県ではメゴ笹ですが、全国的には酉の市でオタフクを飾ることからオカメザサ、あるいは神楽に使うカグラザサとも呼ばれます。笹の葉が特徴的だと記憶されている方もおられるかも知れません、青々とした葉が茂っていますので細工のためには全て取り除きます。


メゴ笹竹籠職人


とても小さい竹ですから鎌で刈り取るように伐採したメゴ笹、伐採したら手際よく葉をむしり取りヒゴごしらえしていくのです。


メゴ笹


こうして葉を取り除いたらヒゴごしらえは完了です。(笑)


メゴ笹籠職人


メゴ笹


メゴ笹は、稈の高さが1~2メートル、直径が3~5ミリと小さいことから笹と名前が付いていますが竹の仲間で、細いながらも非常に丈夫で強い性質を持っています。また、竹肌がツルツルとした丸竹そのままで編み込んでいきますので衣類の繊維が引っかかる事もなく、まさに洗濯籠を編むために生まれてきたような素材なのです。


メゴ笹素材


近年は竹の虫害が増えているので竹材の品質管理には十分注意しています。伐採時期もしっかり守り、晩秋からの寒い時期だけに伐採して、伐採した分だけを籠に編んでいかねばならないメゴ笹洗濯籠は、一年でも本当に短い期間しか製造できず、数量はおのずと限られます。


鳥の巣


小鳥たちの遊ぶ近くの森には、孟宗竹で作られた巣箱が見えています。暖かい小春日和の庭先で、父から受け継いだ籠編みの音だけがいつまでも聞こえていました。




淡竹手提げ買い物籠が編み上がる

 
淡竹手提げ買い物籠


熟練職人の仕事場で淡竹(はちく)を使った手提げ買い物籠作りが始りました。そもそも淡竹を使う竹細工は少なく、全国的にみても数えるくらいしかありません。


淡竹


淡竹は真竹などに比べると節間が短いため、竹細工には敬遠される職人も多いのですが、節が低く真っ直ぐに割れるからと昔ながらのこの職人は淡竹しか使わないのです。


淡竹手提げ買い物籠バッグ


磨きといって、竹表皮を薄く剥いだ竹材を使って編み上げられたばかりの竹籠は、青みがかった色合いがツヤツヤして美しく、手にすると少し重さを感じるほどです。


淡竹手提げ買い物籠バッグ職人


実は、虎竹も同じ淡竹の仲間なので、この工房には他とは違った親近感があります。建物の脇に材料で積み上げられている竹を初めて見た時には感動しました(笑)。口巻がはじまりました、竹も喜んで跳ねているかのようです。特徴的なのは口巻の方向です、ほとんどの竹細工では右巻なのに逆に左巻に仕上げられていきます。


淡竹買い物籠、竹虎四代目(山岸義浩)


少し時間が経てば、このような優しい色合いに変わります。やはり竹籠というのは使うほどに良くなっていく様がたまりません。