渡辺竹清作、最後の虎竹ショルダーバッグ

 
渡辺竹清作虎竹ショルダーバッグ


まさか、このような作品に出会うとは思ってもみませんでした。コロナ禍の時にあっても、やはり竹の神様はいつも見守ってくれていると感じずにいれません。手にした渡辺竹清作虎竹ショルダーバッグは32年前のものでしたが、恐らく箱に入れられたままだったのか?棚の奥深くで眠っていたのか?とにかく保管が素晴らしく良くて時代を全く感じさせません。ついこの間編まれたものだと言われても不思議に思わないような竹の状態です。


渡辺竹清作虎竹ショルダーバッグ


実は、このショルダータイプは手提げ籠バッグと違って当時でも沢山作られたものでもありません。100年間、人の暮らしを見守り続けてきた煤竹に新たな命を吹き込んで、次の100年も人と共に生き続けさせたいとの思いがあった渡辺先生は煤竹での創作が中心でした。虎竹を使いはじめたのは祖父のすすめがあってからですので、これは自分の推察ですがこのショルダーは、竹籠を持って歩きたかった祖父のオーダーから始まったのではないかと思います。


渡辺竹清先生、竹虎四代目


気になって今さっき電話して聞いてみたら、やはりそんな事だったようです(笑)。祖父が自分が作ってもらいたいものがある時に、何百束という中から厳選した虎竹を先生の工房に持って来ていたのでした。そこで、渡辺先生の所に見たこともないような綺麗な虎竹があるのに驚いたのが竹工芸作家の塩月寿籃さん、先生の工房の竹は特別だと言って虎竹を使う作品作りには渡辺先生の所の竹を使われていたそうです。


今は亡き祖父の話をしていると嬉しさと懐かしさで涙が止まりません。そして竹の面白さをつくづく感じます、この楽しさは自分だけが知っていてはもったいなさ過ぎます。まだまだご存知ない方ばかり、竹を忘れている方ばかりの日本で「竹」を伝えねばと思っています。社員には竹のエバンジェリスト(伝道師)になれと話している本人が一番やらなければなりません。




双子の渡辺竹清作提籃

 
渡辺竹清作提籃


改めて祖父の偉大さを知る作品に出会った。工芸館に展示されている渡辺竹清先生作の提籃に見覚えがある、自社に保管してあるものとそっくりである。それもそのはず、竹虎二代目義治が中国で編まれた籠を元に同氏に復刻を依頼して完成した二つの籠の内の一つだった。


渡辺竹清作提籃


渡辺竹清作提籃金具


聞けば籠に使う金具類もどこかから探して出して来たらしい、なるほど金具ありきの作りとなっている。自分も新しい製品作りでは金具にさんざん悩んできた、竹と金具は難しい。


渡辺竹清作提籃


メイドインチャイナと聞けば意外に思われる方もいるが、日本の竹細工は大陸から渡ってきたものであるし、近代になっても技の多くを学び取り入れて今がある。渡辺竹清作隣に、中国製の籠がひとつ並べて置かれている意味も説明しないと竹虎に何十年務める社員も知らない。


渡辺竹清作提籃網代編み


それにしても角の鳳尾竹のあしらい、飾り金具、仕上げのイボタ埃など見比べてこそ分かる事がある。次回はお手本となったオリジナルの籠も持って出かけたい。


渡辺竹清作の古い煤竹網代盛皿

渡辺竹清作盛皿


渡辺竹清先生の作品にはこのような平らな盛皿がある。大きさは40センチ足らずだろうか網代の編み込みを鑑賞するには最高の作品だ。


竹虎四代目(山岸義浩)


実は贅沢なことに、この網代模様のひとつを小さな作品にしたような直径14センチの小皿をデスクの上で使っている。


渡辺竹清作盛皿


一点限りの煤竹盛籠はガラスケースにしまわれているが、この小皿を毎日見ているのでこの盛皿にも自然と親近感がわいて馴染みがある。


渡辺竹清作


しかし、この煤竹盛皿を特に気に入っているのは銘の部分だ。渡辺竹清先生の作品は店舗だけでなく普通に自宅で使っているので、かなりの点数あるのだがどの作品の銘よりも手が若い。一体いつ頃の作品だろうか?そんな事を思いながら眺めていると又楽しいものである。


宮岡聖天斎作の極小鳥籠

聖天斎作御殿籠


現在ではメジロや鶯を飼育することは禁止されているものの、自分の小さい頃には虎竹の里の農家さんなどては当たり前のように鳥籠があって小鳥たちが美しい鳴き声を聞かせてくれていました。高知では「コバン」と鳥籠の事を呼ぶのですが、従ってこのコバン作りをしている人も近隣だけでも数名いたのです。そんな環境だから小学校低学年の頃には友人のたちとオトリと鳥モチを持って山でメジロを捕ったり、鳴き声を競わせたりしたのは楽しい思い出です。


宮岡聖天斎作鳥籠


おっとオトリと言ってもご存知ない方は何の事かサッパリかも知れません。鳥籠に入れたメジロを山で鳴かせていると他のメジロたちが沢山近寄ってきます、鶯も縄張り意識が強いのか同じように近寄ってきていました。メジロなどは野鳥の中では人をあまり怖がらず手を伸ばせは届くような距離にまで飛んできましたので鳥モチ等で捕まえずとも自然の生き物を間近で見られる感動もありました。


宮岡聖天斎作鳥籠


今となっては遠い昔話です(笑)。しかし、この宮岡聖天斎作の鳥籠は昔に作られたとは言え現在でもその技の素晴らしさは健在です。極細にとった竹ヒゴの扉が本物と同じようにスムーズに開閉するのには、さすがとしか言いようがありません。




続・「竹との出会いで出来る技」渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫

渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


先週にご紹介した渡辺竹清先生作の線磨き四ツ目文庫のインパクトが凄いので、又同じものを掲載していると思われるかも知れない。外観だけをパッと見ただけでは区別は確かにつきづらい。


渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


しかし、これこそ前回の線磨きが更に進化した文庫なのである。


渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


渡辺先生が渾身の技で製作されたと話す竹肌にクッキリと浮かびあがる真っ直ぐな線。


網代編み


見惚れている場合にではない、上蓋を開けるとどうだ。渡辺先生の真骨頂である見事な網代模様で内側は豪華絢爛に飾られているのである。


網代編み


竹虎四代目(山岸義浩)


外側の意匠に圧倒されていたのに、文庫の中身が更にこれだから言葉を失ってしまう。


渡辺竹清


先生がずっと手元に置いておきたかったという思い入れのある二つの文庫、ようやく竹虎にやってきた。




「竹との出会いで出来る技」渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫

 
渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


当社とは祖父の代より親しくお付き合い頂いている渡辺竹清作の線磨き四ツ目文庫がやって来た。十数年前に出会ってから、ずっと憧れの眼差しで遠くから眺めているだけだった逸品だ。どうしても忘れがたく、懐かしく感じるのは幼い頃に訪れて一度拝見しているのかも知れない。


渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


最大の特徴は6分(約1.8センチ)幅に取った平ヒゴに描かれる線模様。何だこれは?見れば見るほど魅かれてしまう、もう虜になっていた。


渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


少し離れてみるとこんな感じ、渡辺一門ならではと言われる独特の美しさ。この特殊な線磨きは1メートル切りした竹材を柱にあてがい一発勝負の中で全神経を集中させる技。創作の際の一瞬たりとも気が抜けない緊張感が静かに伝わってくる。


渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


そおっと上蓋を開けてみる、想像より驚くほど軽やか。


竹虎四代目(山岸義浩)


編み上げてから染める、そして、いし粉をつけて磨き研ぎ出してから漆を塗っている。そろばんを滑りやすくする時にも用いるイボタをホコリ入れに使う、イボタを落とすと立体感が際立つのである。


渡辺竹清作 線磨き四ツ目文庫


なるほど、このツヤツヤした滑らかな手触りはイボタか...。竹の細かい繊維までこうして表現されている作品は他にない。


渡辺竹清


渡辺竹清先生の作家人生でも4~5個しか創作できていない逸品と言うには理由がある、やはり素材だった。大分は全国に名だたる真竹の生産地だが、その中で国東半島の竹は有名である。先生自らが出向いて杉の木立の中に入って竹を探したそうだ。実は、雑木の中に生える竹は早く日光を浴びたいと伸びが良く良質な竹材が育つのだ。しかも若竹でないと線磨きの技法はできないのだからやっかいである。若過ぎてもいけない、1年半の年齢で陽に当たっていない柔らかい竹質の直径で9センチ、節間は45センチ近くある真竹を厳選したそうだ。


渡辺先生曰く「竹との出会いで出来る技」なのである。




竹根の工芸品

 
竹虎四代目


祖父の頃の物なのでかなり古いものです。手がけた職人さんを訪ねた事がありますが随分と前に他界されていてお会いすることも叶わず、この竹根の作品について深く知る事ができずにいました。その後同じように竹根を使い茶碗を創作される方に出会い、運よく素材の管理から完成まで拝見させていただき思う以上に手間のかかる工程に驚いたものです。


竹棗


しかし、自分の聞いていた竹根竹器の製法とは微妙に違っています。完成する山の頂上は同じ場所ですが、登り方には職人によって色々と道があったのでした。いずれにしても、ひとつ、ふたつと何時の間にやらお客様にお求めいただいていたものが、今ではあまり見向きされなくなって竹虎本店では重鎮のようになっている竹器たちなのです(笑)。


竹棗


30年以上もガラスケースに入っている。意外と割れも入らない事を見ただけで作り手がいかにこれらの作品に真心を込めていたかが分かります。素材を厳選に厳選したに違いありません。


竹茶碗


実は自分は20年前から、この作家の方の竹根茶碗を使わせてもらっています。本来はご飯茶わんではないのでしょうが使う人の自由に愛用するのが竹のためです、棗にしても平らな形のものは宝石箱などとてし使っても、デスク周りでUSBかイヤホン入れなどにしても面白いと思います。


竹根菓子器


竹根菓子器


蓋付きの菓子器は、かなり大きいので色々な使い方ができそうです。作品に共通するのは竹根や竹節の自然な形を活かしていること、ひとつひとつ違うオンリーワンな容器となっています。


竹器


竹器


竹根菓子器


竹根菓子器


竹根菓子器


竹根急須


竹急須セット


このような竹根工芸をされる方はいなくなりましたけれど、竹根の美しい作品に触れていると作家も祖父も魅せられた竹が何なのか?少しづつ伝わってくるようです。


渡辺竹清作虎竹網代小物入れ×竹虎四代目愛用ロレックス

渡辺竹清作虎竹網代小物入れ


手の中にすっぽりと入ってしまうくらいの小さな網代籠は渡辺竹清作。虎竹の黒っぽい部分ばかりを選んで創作されている、これ程に小さいのに形が美しいのは、さすがに網代編みの巨匠だ。


渡辺竹清作煤竹バッグ


かって編まれていたパーティーバッグがすぐに連想される。煤竹で編まれていた、この籠も小振りで口紅など少しの化粧品が入れられるだった。


渡辺竹清作虎竹網代小物入れ


さらにミニサイズになった籠に入るのは指輪かチョーカーやネックレスくらいか。収まるアクセサリーを厳選する宝石箱なのだ。


渡辺竹清作虎竹網代小物入れ


自分の愛用するロレックスは使い続けて32年目。この手のブランド物は、あまり好きではないがブランドマークの王冠が職人の五本指を表していると聞いてすぐ手に入れた。同じ物を使い続ける、同じ事をやり続ける、流行りには縁がないし一つの事しかできない。しかし竹虎は、こうして初代宇三郎から126年繋げてきたのだろう。


亀の飾られた渡辺竹清作宝石箱

渡辺竹清作煤竹パーティーバッグ


渡辺竹清先生の作品を久しぶりに見たくなって数点桐箱から取り出してみました。先生とは祖父の時代からのお付き合いなので、竹虎本店に常に展示してある作品だけでもかなりの数あるのですが実は秘蔵の作品というのは倉庫の深くに眠っています。そこで、たまには明るい場所に出して鑑賞したいと時々このような気持ちになるのです。


渡辺竹清先生、竹虎四代目


現在では先生はお仕事はされておらず悠々自適の生活をされていますが、近くに行く用事があれば必ず立ち寄らせていただきます。懐かしい感じがすると言うのか、どうも他所の工房という気がしないのでいつもついつい長居してご迷惑をおかけしています。


渡辺竹清作煤竹盛器


渡辺竹清先生と言えばニューヨークの有名宝石店T社でのお仕事が有名です。そのパーティーバッグもそうでしたが、創作の多くは煤竹という100年、場合によっては200年も前の素材を使い、現代に新しい命を吹き込み蘇らせた作品が多いのです。箱から出てきた盛器も煤竹の濃淡を見事に活かして編み込まれています。


渡辺竹清作煤竹宝石箱


遊び心のある先生はお伺いする度に新しい作品に挑戦されて次々に驚くような作品を創られていました。この宝石箱を手にされている時も本当に楽しそうで何と幸せな竹の道を歩まれているのだろうと思ったものです。


渡辺竹清作煤竹宝石箱、蝸牛


緻密な編み込みの宝石箱には蝸牛と亀が飾られています。どちらも歩みが遅いけれど焦ることなく一歩また一歩確実に前に向かって進んでいきます。


渡辺竹清作煤竹宝石箱、亀


竹虎は今年で創業126年を迎えさせていただいておりますけれど、大坂天王寺で仕事を始めたばかりの頃の屋号は「竹亀」でした。戦後、土佐の虎竹を専門に扱うようになり全国の竹屋さんから自然と「竹虎」と呼ばれるようになって今があります。そこで、亀の飾られた宝石箱は自分が特別気に入っているひとつなのです。


「雨、降らんろうか。」

番傘


「雨、降らんろうか。」


竹虎は125年前に和傘を提供する竹材商として創業した。だから竹で出来た傘には思い入れがあって若い頃にはずっと愛用していた。軽くて撥水性にも優れた洋傘とは比べ物にならない位やっかいなものだった。重たく、かさばるので、とても普通に気軽に使える代物ではない、使った後も水切りした後で陰干しせねばならなかった。


高知の雨粒は大きく、激しい。貼ってある和紙が破れてボロボロになるのだが捨てられなかった。ただ強い風の中で差しても、しなって折れない竹骨にはいつも感心していた。


和傘


もう何年前になるだろうか?地元特産の黒竹を使った骨太の番傘を作ったのは、そんな思い出から。今では職人が少なくなって年に数本しか出来あがらない事もある傘を手にして空を眺めると本当は嫌いな雨が少しだけ恋しくなる。


あの頃でも和傘の人は珍しかった。今日は気持ちの良い五月晴れだが、早くも来月には梅雨がやってくる。久しぶりに愛傘と高下駄で歩いてみたい。