古い魚籠たち

魚籠


千利休が川で魚を捕っていた漁師の腰に提げていた魚籠を譲ってもらい、花入れに使ったという有名な逸話が残っちょります。今では桂籠と呼ばれて美術館でしか見る事のできない竹籠も、元々は京都は桂川で、生活の道具として普通に使われよったモノやったと言う事ながです。


遠い、あの時代に魚籠を活用しようと思うた利休という方の感性は、まっこと何も縛られない自由さを感じさせてくれますけんど、竹魚籠には茶道の達人でなくとも人を惹きつけ、魅了する不思議な力があるがですろうか?


ビク


職人と話をしよったらゴソゴソと物置の奥から出してくるのは、数十年前に編まれたという古びた風合いが、こじゃんと渋い魚籠。実は何故か魚籠が好きで色々と集めてられゆうとの事。類は友を呼ぶと言われますが他にもそんな方がおられるそうぞね。けんど、それは釣りでもされるがやろうと思いよったら、もちろん、釣りを好きな方が実際に使う為に探す場合もあるようですが、そう言う方ばっかりでも無いようながです。


腰籠


魚籠は昔から一般的に使われてきた竹細工だけに、広い日本のアチラコチラで竹素材や編み方、形など異なりますし、編んだ職人さんによっても出来映えがそれぞれあるがです。そんな違いが面白くて自分もいくつか手持ちの魚籠があるがぞね。なので、魚籠そのものを楽しまれる方がおられる事にビックリもしますし、自分のような変わり者が他にもいることに嬉しさもあるがぜよ。


それにしても、この赤い色合いは凄いにゃあ。ご存じない方が見たら竹に色を付けちゅうくらいに思いますろう。いやいや確かに色付けはしちょりますぞね。けんど、この色合いは人が付けた色ではないがですちや。長い年月という「時間」が染色した色合いぜよ。竹表皮を薄く剥いだ「磨き」という加工をした竹編み細工は、出来たての清々しい美しさも人気ながですが、段々と色合いが落ち着いて、古くなるほどに増す貫禄のような風合いは使う人の心を掴んで離すことがないがです。


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