明徳34年前のあなたへ

竹虎四代目卒業生スピーチ


あなたは想像しちょったろうか?卒業生の席のすみっこに小さくなって座っていた、自信もなく、自分のしたい事も何ひとつ分からず、ただ、ただ6年間の苦行が終わる喜びばかり感じていた時。34年後に、あの遙か高い輝く壇上に自分が立つ事を。


明徳食堂


あなたは想像しちょったろうか?辛い事ばっかりで、灰色の世界に見えていた明徳の谷間が、本当は美しい緑と、希望のあふれる理想郷と気づく日が来る事を。


明徳卒業式2015


昨日3月1日は、母校明徳義塾高等学校の卒業式やったがです。本当に、あれから何十年も経つのだろうか?会場に入ると、まるで自分の卒業式の日と同じような光景に、少なからず戸惑ってしまいましたぜよ。


伊原先生、笹岡さん


昨日あの卒業式の前にお会いさせて頂く先生方も。自分が卒業したあの日と何ひとつ変わらんように見えたがです。手の温もりは自分の卒業式の日と何ひとつ変わらんように感じたがです。


吉田先生


けんど、実は心配もしてくれよりましたろう。あんなダメな「山岸君」が卒業生を代表してスピーチするなど、明徳でも誰一人思うてもみなかった事なので、退職された先生方ももしかしたら心配で来てくれちょりましたろうか?まっこと、34年も経っても皆様に心配ばっかりかけゆう生徒です。申し訳ございません。


吉田幸雄校長先生、野中義一先生


一番心配してくれよったのは、天国の吉田幸雄校長先生と野中義一先生やろう。昨日は見守って頂きありがとうございました。田舎の竹屋ですので場違いな雰囲気に緊張して、お二人の姿に気づいたのは、ずっと後になってからでした。


明徳卒業生スピーチ2015


明徳のスピーチは、ただの卒業生講演ではありません。ご自身が第一回目のスピーカーを務められ、毎回のご指導いただく上河扶紀枝さんが言われますように、


「明徳生に手渡す魂のバトン」


「最後の教育の日」


「1日だけの人間教育」


参加されていた卒業生の方から、


「今日の卒業式、吉田幸雄校長がおったね」


と言うて頂いたそうですが、吉田幸雄校長は、ひとりひとりの生徒全ての中に居るのです。そして、魂は今も生きています。


「話しは目で聞け!」


という伝統も、そのひとつ。


明徳卒業式


壇上に立って、あの生徒さん達の真剣な目を見せて頂いて、昨日ボクは、こじゃんと楽しみが増えたと思うちゅうがです。彼らが卒業して何年か経ったら、必ず、また会えると確信したきです。「あの時の、あの日の卒業式で...」素晴らしく立派になって輝きゆう、かつての制服姿の彼が現れる。それまで自分も同じように今日からスタートして、負けないように頑張らんとイカンと思うちゅうがです。


明徳卒業生


卒業される生徒の皆さんは泣いて、笑っていました。あの日の自分達と同じですぞね。この方達は34年前の自分であり、同じ明徳の谷間から巣立つ同志でもありますろう。ひとり、ひとり、皆さんエイ顔をされちょりました。後から挨拶にお越し頂いていた生徒さんの中には、志を持ち海外から留学されてこれから東京の大学に進学。そして今にも世界に飛び出す覇気のようなものを感じる方もおった。本当に明徳は凄い学校になっちゅうのだと思います。


吉田圭一校長


このようなご縁をいただけるのも明徳を卒業できたから、何回も諦めかけたし、退学になっても不思議でない事も実はあったがです。けんど、その度、自分のような何の取り柄もない生徒にまで気にかけていただき、やり抜く事の大切さを教えてくれました。


明徳卒業式にて


自分が中学一年で入学した時に、雲の上のような大先輩だった皆様や、社会人として活躍される皆様。沢山の明徳人に支えていただいて明徳からの二回目の卒業を無事すませ、新しいゼロからのスタートをきる事ができました。今日から新しい竹虎が始まっちょりますぞね。


虎竹の里


竹を諦めかけた時、あの明徳精神が心の底から沸いてきた。自分のような生徒にまで染み渡る教えとは何ですろうか?けんど、こうして今があります。明徳など考えた事もないのに知らない間に入学したのですが、ずっと6年間通わせてくれた両親が偉大です。いつもの竹林で思います。自分には真似もできない。やはり、自分は、いつまで経っても、あなた方の子供ながです。ありがとうございます。



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