1963年竹屋に生まれて

父親


左手に大きな倉庫があった。竹屋根の古びた門をくぐると右側に井戸があって、大きなブリキのタライがひとつ。ポンプをキコキコ音をさせて水を汲み毎日のように、ここで母が洗濯をしよった。おっと、そうぜよ、もちろん洗濯板を使いよりました。


割れた瓦屋根にススキが生えるボロボロの家。ガラスの引き戸を明けて薄暗い土間にはチッェクのビニールクロスをかけた大きな飯台。小さな家に似つかわしくないサイズなのも、そのはず。敷地には住み込むで働く若い竹職人さんが何人もおって、食事時にでもなったらワイワイガヤガヤ、真っ黒い顔に白いを見せてガツガツお茶碗からご飯をかき込みゆう。最後に屑だらけの前かけをした父親が帰ってきた。上着をぬいでランニング姿になって子供椅子の方にやって来る。白黒の思い出は、とぎれとぎれ。裕福な暮らしではなかったけんど、


「魚を釣りに行っちょったきに......、大根がとれたちや...」


色々な方に助けてもろうて狭い台所には、海の幸山の幸、いつも新鮮な食材がいっぱいやった。おじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさん、お父さん、お母さん、笑顔の家族に沢山の職人さん。虎竹の里の人たち。


この写真くらい小さい頃の記憶はあんまりないけんど、まっこと幸せやったに違いない。いや、幸せやった。竹屋の激しい仕事で鍛え抜かれたゴツゴツの腕にだっこされた温もりを、今でも身体が覚えちゅうがぜよ。

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