
底の角部分が壊れて大きな穴の開いてしまった腰籠が届いた。持ち主の方は「もうダメだ!とても使えない!」きっと、そう思われて放置されてしまっていたのではないだろうか。竹虎では、竹細工の修理にも力を入れてはいるが、ここまで傷みの激しい籠はなかなか珍しい(笑)。

丸型が多い中で、カマボコ型で体に添いやすく使い勝手良さそうな形とサイズの腰籠だから、収穫籠などとして多用されたのだと思う。

しかし、壊れてしまった後は、もしかしたら倉庫の片隅で忘れられていたのかも知れない。スズ竹の竹ヒゴは長く使用した風合いではなく、表皮のツヤも失せて、ただ置いておいて古くなってしまった印象だった。

細いけれど、丈夫で実用的なハリガネが本体にしっかりと取付られているあたり、かなり熟練度の高い職人さんの手によるものだ。

口部分の藤巻きも随分と傷んでいたから、すべて取り除いた上で新しく巻き直すことにした。こうして出来あがりを手にすると本当に生まれ変わったみたいである。

高知県では寒い地方で成育するスズ竹が手に入りにくいため、晒した真竹をお預かりした竹のヒゴ幅と同じに細く割って手直してもらった。

ぽっかり空いていた大きな穴を綺麗に塞いだ後に、籐かがりをして頑丈に仕上げられている。ぜひ、農作業などにお役立ていただき、末永くご愛用いただければと思っている。

竹が身近に活躍していた頃は、お使いいただく皆様の使い勝手によって、同じ形でも様々な大きさの竹ざるや竹籠が編まれていた。竹細工は軽量だが、かさばるために輸送を考えても、サイズ違いで製作した方が効率よく運べて都合が良かったのだ。トラックの荷台や、あるいは小舟に山のように積み込まれた丸籠の白黒写真を見ると、すべて綺麗に積み重ねられて紐で縛られている。需要が少なくなった現在では、竹職人の数も減って生産性も残念ながら高くはないので、三個組など複数の入子の竹籠を何処かで見かける事があれば、ほぼ輸入品となっている。

だから、昔を彷彿させてくれるような国産の美しい竹細工に出会う事かあると嬉しくなる。

もう見られなくなったけれど、この水切りざるは何と6個組だ。
若い頃から、数を競い合って製作された職人さんだけあって、とにかく竹編みが速かった。動画をご覧になられたら、その無駄のない流れるような技に驚かれる方も多いと思う。「スピード=品質」なので、入子の竹籠は間違いなく素晴らしい出来栄えなのだ。

近年は、海外製造の竹製品の質が高くなり、一般の方や若い皆様では見分けのつかないものが増えているから、良い面がある反面、国産の竹細工にとっては厳しい事もある。

この籐巻六ツ目かご3個セットのように何とか伝統を繋いできた竹細工も、次世代が夢をもって向き会える仕事にするには課題が少なくない。しかし、これらの入子がロウソクの最後の輝きでは少し寂しい、新しい日本の竹細工の道は、きっとある。

日本の竹産業では、竹伐採に関わる職人が少なくなりつつあるので、皆様が簡単に思えるような竹製品も提供が難しくなったり、価格が上がってしまったりする事が今後更に増えてくると予想される。たとえば、青竹踏みは竹を半割しただけだから、放置竹林が多い昨今は、材料が豊富にあって製造も容易になっているのではないか?と思われるかも知れない。ところが、これが30年ブログで何度かお伝えしてきているように、良質の竹材を用意するだけで大変になっている。

竹材だけでも確保が難しいとなれば、その竹材を一つの製品にしていくのはもっと困難だ。しかし、そんな中にあっても、反対に復刻する竹細工が出てくるから面白い。そんな一つが、何と竹編みに和紙を貼って、柿渋や漆を塗布する一閑張り細工なのだ。国産の竹を四ツ目編みやゴザ目編みにして、和紙で仕上げていく技術は、かつての分業制から一人の職人が専任で担当する。今までとは趣の異なる、職人独自の色合いの強い一閑張りを現在試作中だ。年内には定番にできればと思っている。

「箕」と聞いても、一体何と読むのか?何で作られているのか?どうやって使うものなのか?それが今の若い方々の率直な感想ではないかと思う。なので当然関心もないのだが、実は箕は、穀物をふるって殻や不要なモノを取り除くなために使う無くてはならない道具だったから、農家さんには複数枚は必ずあったものなのだ。
ところが、昭和30年代から登場したプラスチックの箕が登場し、その後は農業の機械化があり、需要は激減する。高知でも、ずっと続いてきた伝統の土佐箕があり、網代編みの本体と持ち手には棕櫚を使った独特のものだったが、残念ながら技の継承ができず現在は製造できない。

秋田の太平黒沢地区で編まれてきたオエダラ箕は、オイダラ箕とも言うそうだが、イタヤカエデを薄いヒゴにして作られる。南北に長い日本では、その地域に豊富にある天然素材を上手く取り入れてモノ作りがされてきたのだ。

この30年ブログでは、時折箕を取り上げている。どうも、この素朴ながら昔からずっと続いてきた生活の道具には、先人の知恵が詰まっているように思えて魅かれてしまうのだ。訪れた農家さんに、こんな風に箕がかけられたりしていたら、本当に嬉しくなる。

謎のレッドライン、篠竹ざる赤の正体は何なんだ?でもご紹介した事があるけれど、古い篠竹の籠には赤や黒の不思議なラインが入っていた。赤い竹ヒゴは、何かの植物の根を砕いて煮だしたものに浸けて染めていたと言う。どの植物を使っていたのかは、今の世代となっては古老でさえ分からない。

黒色の竹ヒゴは、松葉を燃やした煙で燻したり、時代が下るとカマドの煤をそいで濡れ雑巾に付けて染めていた事が分かっている。ところが、どうして染色したヒゴを使うのか?が分からない。編み込みの、どの部分に使うのかも明確には決まっていないし、誰に尋ねてみても、父も祖父も、その前もずっと同じように編んでいたから、と話されるだけらしい。

昔の竹細工では、染色したヒゴを入れて見栄えを良くする事は、真竹細工などでもあったけれど、篠竹の籠もそのような理由からだろうか?何かもっと深い意味合いがあるようにも思えてくる。

そこで、今回届けていただいた複数の篠竹ヒゴがヒントになるのかも知れない。篠竹の竹林で伐採もされる詳しい方によれば、竹籠の黒や赤のラインは篠竹の節に自然に黒く付いたものを、竹籠に再現したのではないかと言う。東北の山深い竹林で、早朝から暗くなるまで数百本の篠竹を伐採していると、届いたサンプルにも入っているような赤紫の色が付いた竹が日に一本くらいある。そして、その竹が職人さんからすると、まるで当たりクジを引いたような気持ちになるそうだ。
だから、そんな嬉しい気持ちを籠に込めて色付きの竹ヒゴを編み込んだのだろうか?本当の理由は何だろうか?年代物のハキゴ(魚籠)に聞いてみても、答えてくれない(笑)。

ちょうど一年ほど前に静岡にある匠宿という店舗を訪れた事がある。そこで千筋細工とは少し趣の変わった蓋付きの作品に出合った事を、ふと思い出した。静岡の千筋細工といえば、「千筋」という言葉通り細く取った竹ヒゴを並べて花籠や盛器に仕立てていく非常に手間のかかる竹細工だ。鳥籠や虫籠なども作られていた千筋細工は全て丸ヒゴで製作されてる。
菓子器など、同じような形のものが店頭に並んでいるのを見る事もあるけれど、展示されていた作品は丸ヒゴではない、おまけに竹ヒゴには節まで付いている。竹ヒゴの柔らかな曲線美も見事だ、古い時代にはこのような逸品も創作されていたのかと感動した。

千筋細工の産地には、安倍川餅で名前を知られた安倍川という大きな河が流れている。チャレンジラン横浜で静岡県を走行中、長い橋には悩まされた(笑)。スピードの出ない竹トラッカーで逃げ場のない橋を渡るのは、後続車にとても気を使ったからだ。なので、安倍川の広さも肌身で感じたけれど、これだけの大きな河川だから治水には苦労したと思う。

そこで、護岸のために真竹が川岸に沢山植えられ、その良質な竹材から千筋細工が生まれる事になる。千筋細工の職人さんと安倍川の土手を散歩しながら、そんな話をした事を懐かしく思い出す。あの方の川を見る眼差しは優しかった、地域への愛着をしみじみ感じたものです。

蛇籠とは、円筒形に編んだ竹に石を詰めて河川の護岸などに用いられていた。最近は集中豪雨が各地であるから、日頃は美しい流れが一変して増水する川の恐ろしさは皆様よくご存知だと思う。そんな激流に耐えて使用されてきたのだから、竹の強靭さは凄いものがある。

もちろん、近年では竹の代わりに鉄線が使われているけれど、基本的に昔と変わらず護岸用にされているのを見かける。

さて、そんな蛇籠を虎竹で製作する事になったのだが、中に入れるのは石ではなく人だ(笑)。

職人みずから中に入って、寝心地を確かめている。

立ててみると、こんな感じ。内側に和紙でも貼って灯りがついたら、大きな提灯になりそうだ。

自分も負けじと入ってみるけれど、不自由さよりも、竹編みだから心地がよい。

こうして捕らわれの身のまま、一体とごに運ばれるのか?その後のことは来春公開(ずいぶん先で申し訳ございません)。

地球温暖化なのか、確かに気候が変わってきている。夏が早くやってきて、もう9月も中旬だけれど、まだまだ続く気配だ。外で働く方を中心に、今年はファン付きベストをあちらこちらで見たような気がする。やはり、それだけ気温が高い証拠かも知れない。

夏に欠かせなくなった竹を使った笠は、昔から日本各地で色々と編まれてきた。職人が少なくなり製造数は減っているものの、このクバ笠のようにまだまだ伝統は続いている。

水に強く素材が何処でも手に入った竹皮は、笠にも多用されてきた。菅笠のように、細い竹ヒゴを回して本体の骨に留められている。

網代編みの竹笠では、まず托鉢笠。一般的に使われるものではないから、個人的に使用しているのは日本でも自分くらいだろうか(笑)?

竹網代笠は、海外出張にも持参するようになった。暑いのは日本だけではない、世界的に必需品なのだ。

ひさしの広い笠の方が涼しさは抜群なのだが、動きやすいのは、やはりツバの小さな竹帽子だ。これなら、人混みにも歩いていけるし、車の運転もできる。

そうなのだ、実際に都会では電車乗ったり人との距離が近いことが多く、笠が邪魔になってしまう事がある。
そこを逆手にとって開発したのが、ウィズコロナ(COVID-19)時代のソーシャルディスタンス帽子!暑さ対策にはなりません!

そうそう、それと先日できあがったばかりの虎竹フードカバー、これは帽子ではありません。

南国土佐と言われるのた伊達ではなく、高知の陽射しは本当に強い。日中に外で竹の積み下ろしをせねばならない時など、目が満足に明けられないくらいの時さえある。そんな環境だからこそ、麦わら帽のようにツバの広い網代笠やクバ笠などは、屋外の活動には必需品と言っても良い。

ただ、ツバの広い帽子は日陰が広く圧倒的に涼しい代わりに風には注意だ。頭にかぶっているたけでは飛ばされそうになり、仕事に集中できない事もあるから顎紐が大事になってくる。

最近、クバ笠の顎紐には、ワニグチモダマ(鰐口藻玉)と言う熱帯に育つ大きな蔓で育つ豆のタネを使っている。

クバ笠を改良して現代的なアレンジを加えたのが、クバ帽子だ。

ツバが広くて風を受けやすいクバ笠は畑用として、ツバの狭いものは風の強い海用として漁師さんに愛用されてきた。このクバ帽子は海用がモデルとなっている。そのせいたろうか?隅田川だったか、江戸川だったかで船頭をされているお客様にご愛用いただいているけれど、何とも渋い。東京も酷暑が続いているから、帽子は大活躍に違いない。

護岸用の蛇篭と呼ばれるものをご存知だろうか?河川を注意深く見ていると、鉄線で編まれたメッシュ状のケージに石を詰めて作られた蛇篭が設置されている場合がある。河川や海岸の土壌が、水流によって削られるのを防ぐために使用されるモノで、細長い形状から、その名前が付いている。形が色々とあるようで、近くの川底では敷きつめるように置かれた角型蛇篭(ふとん籠)を見た事もある。

ところが、今では強靭な鉄線で編まれた蛇篭も、その昔はすべて竹編みで製作されていた。鉄のような素材を自由に使えるようになるまでは、加工性が高く、強さをも併せ持つ竹ほどの適材は見当たらなかった事だろう。本当に竹は、日本の暮らしで人々をどれだけ助けて来た事かと、改めて思う。

竹編み蛇篭の名残は、花籠の虎竹蛇篭や竹炭籠に見られるけれど、護岸用に使われていた籠に比べれば別モノのように小さい。

しかし今回、竹虎の工場では新たに特大サイズの蛇篭が虎竹を使って編まれている。

今の時代に、一体に何のために?何に使おうと言うのだろうか?

まだ種明かしは出来ないものの、やはり大きな竹細工が出来あがるのはワクワクする(笑)。