安和の海

安和の海


小学校の頃、友達とよく釣りに来た堤防から見渡すと汽車が海岸沿いのトンネルをぬうように走る、景色の美しいワシらあの古里ぜよ。あんまり広くもない安和海岸のすぐそこの砂浜から土佐藩への献上品として、ここの竹林で伐られた虎竹が船積みされよった記録が残っちょります。


時代が下って竹虎の工場が、まだ天王寺にあった当時にもこの浜で荷造りして遠く大阪まで竹を運んだと言います。重たくて長尺ものの竹材の事、船に積んだら険しくて細い山道を通るよりはるかに便利やし早いぞね、交通手段として海は何ぼか有り難かったろう、海の幸やち昔からなんぼか沢山の人を助けてきたろう。


やさしい海、恵みの海、憩いの海。けんど、小さい頃から台風が一番怖かった、轟音と共に荒れ狂う嵐の海が恐ろしかった。先週の金曜日に起こった目をおおいたくなるような大震災と大津波で被災された多くの皆様。心からお悔やみ申し上げます。本当に一日も早く復興されることをお祈りしちょります。


当社にも須崎湾での津波報道を聞いた方から安否を気づこうて沢山の連絡を頂戴しちょりましたが、お陰様で虎竹の里には被害は無かったがです。まっこと(本当に)ありがとうございました。徹夜で警戒を続けてくれよった地元の消防のみなさん、ありがとうございました。高台になっちゅうJR安和駅にも職員の方やろうか、何人かが車を停めてずっと監視してくれよりました。さぞお疲れやったと思います、ありがとうございました。


東京におる、中学からの友人に電話することができたがです、大忙しで通信設備の復旧をしよりました。けんど、元気な声に安心したちや!


「オマンも負けんような元気で、オマンのできる事をしいや!?」


そう言われいう気がしてハッとしたちや。ハッと、させてもろうたがです。


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