青空の下で編む竹細工、昔ながらの手付き四ツ目籠

手付き四ツ目籠丸足付


四ツ目籠といえば竹籠の中でも定番の籠で、暮らしの中をはじめ、畑仕事や山仕事など様々なシーンでも使われてきた。それだけに、かつては竹職人のみならず農作業の片手間などに近くにある竹で編まれる事も多かった。


小さい頃、ヤマモモの季節になると近所の山の職人さんが、自分で編んだ四ツ目籠にシダの葉を敷き詰め、その中にワイン色に熟れたヤマモモをいっぱい詰めて届けてくれていた事を思いだす。そう言えばヤマモモだけでなく、大潮ともなれば、四ツ目籠には磯で採れるカラスの口ばしや亀の手と呼んでいた貝がギッシリ入れられていた。竹細工と生活は深く密着し、切っても切れない関係となっていたのだ。


思い起こしてみたら、当時の四ツ目籠には持ち手は付いていなかった。多くの場合、口巻部分にロープが通されていて肩に掛けられるようになっていたと思う。山でも海でも激しく動き回るにはその方が都合が良かったのだ。


野菜籠


今では誰も編む事がなくなり、国産としては、すっかり珍しい籠のひとつになってしまった四ツ目籠には、ご家庭で使いやすいように持ち手を付けている。割れにくい丈夫な細い丸竹の足も付けて、通気性も確保しているから野菜籠としても最適だ。


しかし、何より素晴らしいのは、昔の竹細工の原点のような庭先の青空の下で編み上げる職人の姿である。外で風を感じ、小鳥の遊ぶ声を聞きながら編み進める竹仕事は、たまらなく格好がいい。





あけびの角籠

アケビ角籠


竹籠同様に、アケビ細工も昔から職人さんとの関係があり手提げ籠などを沢山製作してもらってきた。真竹や淡竹など大型の竹材があまり豊富でない寒い地域では、篠竹、スズ竹、根曲竹などの小型の竹をはじめ、こうしたアケビや山葡萄などの蔓を利用した籠文化がある。竹とは又違った魅力があり、つくづく日本の自然の豊かさや、奥深さをいつも感じる。


アケビの角籠を編んでもらいたいと思ってお願いしていた。小振りな籠もいいけれど、少し大型なものを編んでいただく、底面が44センチ×34センチあって深さも30センチある籠は、口部分が萎んだ台形になっている。あのお婆ちゃんが、納屋の二階に干している材料を持ってきて、雪の中で少しづつ手づくりしてくれたのかと思うと嬉しくなる。



虎竹魚籠に取り付けた革ショルダー

虎竹二段角魚籠


虎竹魚籠には良く似た形と大きさの二種類がある。どちらも限定に近いけれど、角型で魚籠としてだけでなく普段使いにもできないかと思って製作してもらった。上蓋を深くしてしっかり固定できるようになっているので、革ベルトを取り付けて仕上げてみた。


虎竹ショルダー、竹虎四代目(山岸義浩)


虎竹ショルダー


こんな感じだが、調節穴を多めにしたので長さは結構お好みで変えられるのではないかと思っている。


虎竹二段角魚籠、竹虎四代目(山岸義浩)


もう一つの魚籠は、職人さんが編めなくなった籠を虎竹で復刻したくて製作してみた。元々は、確かどちら様からか持ち込まれた籠だったと言うから、こうして継承されていく竹もある。


虎竹二段角魚籠


形はできるだけ同じようにしても、やはり細かい所はそれぞれの職人の得手不得手もあって違ってくる。もしかしたら伝言ゲームように、何世代か伝えていくうちに大きくもっと変わっていくのかも知れない。



茶碗籠や脱衣籠に使える、超レアなシダ編み籠

シダ編み籠、竹虎四代目(山岸義浩)


シダ編み籠をご存知だろうか?この30年ブログ「竹虎四代目がゆく!」では何度かご紹介しているので、ご存知の方も多いかと思うが、自然素材の中では最強とも言える防湿性、耐水性のある素材なので昔から台所や、お風呂場などの水回りで使われる籠に多用されてきた。


虎竹の里はシダの里


実は虎竹の里は、虎竹ばかではなく良質のシダの成育する地域でもあり、かつてシダ編み籠が日常使いされている時代には、沢山のシダが伐り出されていたそうだ。なにせ、お隣の久礼の漁師町に、シダ屋さんが2軒もあって集荷していたと言うから凄い時代もあったものだ。




さて、そんなシダ編み籠の職人の仕事を動画にているので、ご覧いただきたい。竹のように自分でヒゴを作るという事はせず、自然にあるままのシダを使用するから、長さや太さによって籠のサイズを決めている。


シダ編み籠


だから、このような二重編みになった大型の籠は、作りたくとも何時でも製作できるという事ではなく、どんなシダ材が取れるかによって制約が出来てしまうから厄介なのだ。


シダ編み籠


メゴ笹洗濯籠にも用いられる編み方が一般的で、それぞれのサイズ感により茶碗籠や脱衣籠などに使わている。


シダ籠


最初に防湿性、耐水性が高いと言ったけれど、まるで天然のプラスチックのような質感で水気を寄せ付けない。使うほどに色合いが濃くなり、昔の籠は真っ黒くなっていたりする物もあって、これが又魅力があるのだ。





コタツ、みかん、鉄鉢と言う名の虎竹盛籠

虎竹盛りかご(鉄鉢)


虎竹の里は果物の里でもあるので、今の季節は国道沿いに農家さんが色鮮やかなポンカンを並べて販売されている。当たり前の光景ではあるが、いつも楽しみにしていて車を停めては何袋か分けいただく。全国的には温州ミカンが多いと思うけれど、こうした柑橘類をコタツの上に置かれた竹籠に入れて、テレビを観るのが日本の冬の定番だった。


虎竹盛りかご(鉄鉢)製造


コタツを使うご家庭が少なくなっているので、随分と古い「日本の冬」かも知れない(笑)。しかし、その当時にはミカンを入れるためのミカン籠は沢山編まれていて、そのひとつが虎竹盛りかごだ。僧が托鉢時に食物を受けるための鉄の容器に形が似ているから鉄鉢(てっぱち)とも呼ばれている。


虎竹盛りかご(鉄鉢)


輪弧編みと呼ばれる編み込みに、網代編みの底を組み合わせて作られる虎竹盛かごは、昔ながらのオーソドックスな形に根強い人気がある。


ミカン籠


元々は白竹で編むことが多かったが、近年は虎竹でも製作させてもらう事が多い。


鉄鉢製作


コタツ、みかん、そして竹籠が過去の物になってしまっても、お使いの皆様が新しい用途を見つけてお使い頂けるように、自分達は作り続けていく。





行商のおばちゃん愛用の背負い籠

角背負い籠、YOSHIHIRO YAMAGISHI


少し前、皆様に復刻しますとお話ししていた背負い籠が遂に出来あがった。真竹の旬がよくなり、竹質がようやく満足できるようになったので、この竹ならと思い編んでもらう事にした。


角背負い籠


この背負い籠の作りは、六ツ目編みの背負い籠とは違い基本的に御用籠と呼ばれていた竹籠と全く同じだ。御用籠は、現在農家さん等で多用されているプラスチックコンテナが出来る前までは、何でも入れて運べる便利で丈夫な角籠として沢山製造されていた。


御用籠の背負い籠


それこそ全国各地で作られていたものが、プラスチックの登場で一気になくなり今ではこのよな背負い籠も、レアな竹細工の逸品と言わさせるをえない。


しょいこ、しょいご


それにしても何年ぶりだろうか?この角籠を背負うのは。硬くしっかりとした感触が何とも心地いい。前にもお話しした事があると思うが、自分が小さい頃に自宅に来られていた行商のおばちゃんは、いつもこの角籠を背負っていた。もっと細かい編み込みの籠で、内側は二段か三段になっていて物入れになっていたように思う。


背負籠


その角籠を焦げ茶色の大きな風呂敷につつんでいて、その風呂敷を広げた瞬間に玄関先に香ばしい鰹節の匂いが広がってお腹が空くのだ(笑)。一日中、お客様の家を目指してアチラコチラと歩いて行くおばちゃん達にとって、この角籠は頼りがいのある無くてはならない大事な仕事道具でありパートナーだったろう。


角背負い籠、竹虎四代目(山岸義浩)


ズッシリ重たい商品を入れる背負い籠が途中で壊れたりしたら大変だ、安心して商売に集中できる竹に大きな信頼を置いていたと思う。そんな事考えていると嬉しくなって、今日の空みたいな晴れやかな気持ちになる。



フジとシロヤナギの市松模様

フジと白ヤナギの角籠


近年の温暖化で段々と竹の成育地域が北に上がっているそうだけれど、世界的にみても竹の北限は日本だ。北の竹と言うと10年近く前にお伺いさせて頂いた、山形県鶴岡市の湯田川温泉を思い出す。ここは孟宗竹の竹林がある北限と言われていて、ちょうど雪の日に入った竹林は素晴らしく美しかった、そして、やはり九州など温かい土地に育つ孟宗と異なり小振りだった。


イタヤカエデ


だから、元々南方系の植物である竹は東北には少なく、篠竹やスズ竹、根曲竹など小型の笹類が中心となる。さらに、竹ではなく樹木や蔓を使った編組細工があるから素晴らしい。山葡萄やマタタビ、アケビ細工などは有名だが、イタヤカエデという木を薄く削ってヒゴにして編み込んだ籠なども昔から作られてきた。


フジと白ヤナギの角籠職人


根曲竹の縁にイタヤカエデとフジを使った箕をずっと大切に持っている。木なのに、竹にも負けないような柔軟性と強さに最初は驚いて感動した。


フジと白ヤナギの角籠


竹が無くとも地域に豊富にある素材で秀逸な籠を編み上げる先人の知恵。フジ、シロヤナギ、イタヤカエデ、サルナシなど複数の山の恵みを使った角籠がある。


フジと白ヤナギの角籠


久しぶりに見る角籠は、見分けがつかないように思えるけれど素材に少し変更があった。白いフジと赤いシロヤナギの美しい市松模様の編み込みは、以前はフジではなくヤマウルシだったはずだ。今では作り手のいなくなった桜箕も桜皮、蓬莱竹、ビワの木、カズラなど複数の自然素材を集める事そのものが大変だったから、きっと同じなのだろう。しかし、さすがに名人、出来栄えはやはり美しい。



幻の籠?メゴ笹洗濯籠の持ち手付

メゴ笹洗濯籠


メゴ笹は名前だけ見ていると笹の仲間のようだが実は竹類。竹とは思えないけれど、最小サイズの竹の仲間なのだ。西日本の各地に成育していて、通っている名前だけでも神楽笹、オカメザサ、カンノンザサなど10数種もの呼び名があるから昔から人の暮らしの中でかなり役立ってきた竹だろう。特に恵比寿神社の酉の市では、熊手や百両小判、千両箱などつけた福笹として使われるなど、身近であり縁起物でもあるのだ。


そんなメゴ笹洗濯籠が何故「幻の籠」と言われてきたのか?自分も入社してから3年間は噂を聞くだけで、実際に手にした事すらなかった籠なのだ。素材自体は沢山あり、伐採も比較的簡単なのに見る機会が少ない理由は、メゴ笹の性質にある。この竹は伐採したら、まさに時間との勝負なのだ、すぐに編まなければ硬くなって全く編めなくなる。乾燥して硬くなる性質は一旦籠に編むと丈夫になるから嬉しい反面、この材質の扱いづらさから編まれる数量が限られてしまう。




昨日の30年ブログでは、伊達政宗の甲冑の話題だったけれど、その繋がりで言うとメゴ笹は、戦国時代には城郭や砦の防衛機能としての役割も担っていた。密集して生える丈夫なメゴ笹を、戦となったら短くハス切りするのだ。


メゴ笹細工


このような少し意外な使われ方もしてきたメゴ笹だが、編み上がった直後の青々とした美しさは何とも言えない。しかし、本当に短い間だけの色合いなので多くの場合は現場にいる職人ならでは手に出来る儚い青さでもある。




手早くメゴ笹を編み込む職人の仕事をYouTube動画にしている。伐採したばかりの材料の葉を取りヒゴにしていくが、余分なヒゴは水に浸けているあたりにも注目していただきたい。


メゴ笹洗濯籠手付き


さて、メゴ笹洗濯籠に入れた洗濯物を持ち運ぶのなら持ち手が重宝する。


オカメ笹籠


丸竹そのままに編み込むメゴ笹細工は、茶碗籠に最適だ。小振りの籠も持ち手付は便利、奥に見える色合いの落ち着いたメゴ笹と比べてると色合いの経年変化がお分かりいただける。日本三大有用竹などと言われるけれど、日本には600種を超える竹があり、それぞれの地域にあった竹材で編まれてきた竹細工は奧深く、いつも感動する。



続々・高津川の鮎魚籠

高津川の鮎魚籠


島根県津和野町を流れる高津川沿いに車を走らせる。達人は、車窓から飛び跳ねる鮎を見ただけで大きさが分かると言う。多い時には一日に80キロもの漁獲量がある、つまりこの鮎魚籠で20個分だから少し驚いた。だから鮎魚籠は長持ちする事なく、3年でやり替えていたそうだ、特にやはり口部分が傷みやすい。


魚籠のかえし


高津川の鮎魚籠の口部分には「カエシ」がついている。自分の魚籠についている棕櫚のカエシを見て素人と笑う、この結び方では使っているうちに棕櫚が抜けてしまうそうなのだ。この棕櫚カエシ見てそんな事言う方は他に知らない。


ナイロンのかえし


達人の使うカエシはナイロン紐製だけれど自作で紐が絶対にぬけないように編まれている。川の中で鮎を魚籠に移すから、このカエシは必要不可欠な大事なパーツなのだ。


高津川の鮎魚籠


二つの鮎魚籠と比べると首部分の長さが違う。原型に近いのは、もちろん首が長い方で、鮎が飛び出さないというのもあるし、見た目の優美さもある。


高津川の鮎魚籠


実際に川で使う場合には、籠にこのような被せをしている、これは網を投げる時に竹ヒゴに引っ掛かるのを防ぐための工夫だ。


虎竹魚籠g


鮎魚籠の厚みの事も盛んに話されているのを聞いて、前に虎竹で製作していた魚籠を思い出す。そう言えば、あの渓流釣りのための魚籠も厚みが薄く、腰にピタリと添うように編まれていた。元々は自身も釣りを楽しまれる職人だったから、釣り人の事はよく理解されていたのだろう。


高津川の鮎魚籠


竹虎にある鮎籠とは全く異なる形、いやどこの魚籠とも恐らく似ていなくて、一つしか残っていないかもと思っていた不思議な鮎魚籠が3個ならんでいる。もしかしたら、この高津川流域には、まだ昔ながらの同じ籠を使っておられる川漁師さんがいるのだろうか?籠は黙って答えてくれない(笑)。





続・高津川の鮎魚籠

高津川の鮎


小さい頃には鮎がキライだった。自宅の勝手口には、父が新荘川で捕ってくる鮎のための専用冷凍庫があったくらいだから、季節には毎晩のように食卓には鮎が並ぶ。独特の苦みも子供心には、一体どこが美味しいのか?とずっと思っていた。ところが大人になって、連れて行ってもらった山奥のお店で頂いた鮎が感動するほどの味で、一気に大好きになった。そんな大好物の鮎が目の前にならんでいる。達人のお宅では、低温でじっくり素揚げした鮎に醤油を少しだけ垂らして食するのが定番だそうだ。旨い!とにかく旨かった、高津川の鮎...凄い。


鮎籠


何匹か食べて、ふと我に返る。これが心の片隅に不思議な魚籠として、ずっと引っ掛かっている高津川の鮎魚籠に入れられていた鮎か!そう思うと更に箸がすすんだ。


高津川の鮎漁投網


すっかり漁師の顔になった達人が、投網を見せてくれる。父が使っていたものと同じような網で懐かしい、重りなどパーツを沢山入れた箱もあるから自作されるのだろうか、そういえば夜なべに父も何やら作っていた。


高津川の鮎漁投網


新荘川の鮎漁では、たしか投網を投げてから岸辺に網をあげてから鮎を外していた。しかし、こちらでは川の中で鮎を外すそうだ、その方が鮎が傷まないと言われる。なるほど、だから魚籠が必要なのか、それにしても話を聞いている内に漁の様子も拝見したくなった。


高津川の鮎


高津川の不思議な鮎魚籠の謎が知りたくて来たけれど、鮎魚籠を知るには、作る方、使う方、そして鮎、地域を知らねば辿りつけないのだと感じた。皿の鮎はみるみる無くなった。
(明日の30年ブログにつづく)