フジとシロヤナギの市松模様

フジと白ヤナギの角籠


近年の温暖化で段々と竹の成育地域が北に上がっているそうだけれど、世界的にみても竹の北限は日本だ。北の竹と言うと10年近く前にお伺いさせて頂いた、山形県鶴岡市の湯田川温泉を思い出す。ここは孟宗竹の竹林がある北限と言われていて、ちょうど雪の日に入った竹林は素晴らしく美しかった、そして、やはり九州など温かい土地に育つ孟宗と異なり小振りだった。


イタヤカエデ


だから、元々南方系の植物である竹は東北には少なく、篠竹やスズ竹、根曲竹など小型の笹類が中心となる。さらに、竹ではなく樹木や蔓を使った編組細工があるから素晴らしい。山葡萄やマタタビ、アケビ細工などは有名だが、イタヤカエデという木を薄く削ってヒゴにして編み込んだ籠なども昔から作られてきた。


フジと白ヤナギの角籠職人


根曲竹の縁にイタヤカエデとフジを使った箕をずっと大切に持っている。木なのに、竹にも負けないような柔軟性と強さに最初は驚いて感動した。


フジと白ヤナギの角籠


竹が無くとも地域に豊富にある素材で秀逸な籠を編み上げる先人の知恵。フジ、シロヤナギ、イタヤカエデ、サルナシなど複数の山の恵みを使った角籠がある。


フジと白ヤナギの角籠


久しぶりに見る角籠は、見分けがつかないように思えるけれど素材に少し変更があった。白いフジと赤いシロヤナギの美しい市松模様の編み込みは、以前はフジではなくヤマウルシだったはずだ。今では作り手のいなくなった桜箕も桜皮、蓬莱竹、ビワの木、カズラなど複数の自然素材を集める事そのものが大変だったから、きっと同じなのだろう。しかし、さすがに名人、出来栄えはやはり美しい。



幻の籠?メゴ笹洗濯籠の持ち手付

メゴ笹洗濯籠


メゴ笹は名前だけ見ていると笹の仲間のようだが実は竹類。竹とは思えないけれど、最小サイズの竹の仲間なのだ。西日本の各地に成育していて、通っている名前だけでも神楽笹、オカメザサ、カンノンザサなど10数種もの呼び名があるから昔から人の暮らしの中でかなり役立ってきた竹だろう。特に恵比寿神社の酉の市では、熊手や百両小判、千両箱などつけた福笹として使われるなど、身近であり縁起物でもあるのだ。


そんなメゴ笹洗濯籠が何故「幻の籠」と言われてきたのか?自分も入社してから3年間は噂を聞くだけで、実際に手にした事すらなかった籠なのだ。素材自体は沢山あり、伐採も比較的簡単なのに見る機会が少ない理由は、メゴ笹の性質にある。この竹は伐採したら、まさに時間との勝負なのだ、すぐに編まなければ硬くなって全く編めなくなる。乾燥して硬くなる性質は一旦籠に編むと丈夫になるから嬉しい反面、この材質の扱いづらさから編まれる数量が限られてしまう。




昨日の30年ブログでは、伊達政宗の甲冑の話題だったけれど、その繋がりで言うとメゴ笹は、戦国時代には城郭や砦の防衛機能としての役割も担っていた。密集して生える丈夫なメゴ笹を、戦となったら短くハス切りするのだ。


メゴ笹細工


このような少し意外な使われ方もしてきたメゴ笹だが、編み上がった直後の青々とした美しさは何とも言えない。しかし、本当に短い間だけの色合いなので多くの場合は現場にいる職人ならでは手に出来る儚い青さでもある。




手早くメゴ笹を編み込む職人の仕事をYouTube動画にしている。伐採したばかりの材料の葉を取りヒゴにしていくが、余分なヒゴは水に浸けているあたりにも注目していただきたい。


メゴ笹洗濯籠手付き


さて、メゴ笹洗濯籠に入れた洗濯物を持ち運ぶのなら持ち手が重宝する。


オカメ笹籠


丸竹そのままに編み込むメゴ笹細工は、茶碗籠に最適だ。小振りの籠も持ち手付は便利、奥に見える色合いの落ち着いたメゴ笹と比べてると色合いの経年変化がお分かりいただける。日本三大有用竹などと言われるけれど、日本には600種を超える竹があり、それぞれの地域にあった竹材で編まれてきた竹細工は奧深く、いつも感動する。



続々・高津川の鮎魚籠

高津川の鮎魚籠


島根県津和野町を流れる高津川沿いに車を走らせる。達人は、車窓から飛び跳ねる鮎を見ただけで大きさが分かると言う。多い時には一日に80キロもの漁獲量がある、つまりこの鮎魚籠で20個分だから少し驚いた。だから鮎魚籠は長持ちする事なく、3年でやり替えていたそうだ、特にやはり口部分が傷みやすい。


魚籠のかえし


高津川の鮎魚籠の口部分には「カエシ」がついている。自分の魚籠についている棕櫚のカエシを見て素人と笑う、この結び方では使っているうちに棕櫚が抜けてしまうそうなのだ。この棕櫚カエシ見てそんな事言う方は他に知らない。


ナイロンのかえし


達人の使うカエシはナイロン紐製だけれど自作で紐が絶対にぬけないように編まれている。川の中で鮎を魚籠に移すから、このカエシは必要不可欠な大事なパーツなのだ。


高津川の鮎魚籠


二つの鮎魚籠と比べると首部分の長さが違う。原型に近いのは、もちろん首が長い方で、鮎が飛び出さないというのもあるし、見た目の優美さもある。


高津川の鮎魚籠


実際に川で使う場合には、籠にこのような被せをしている、これは網を投げる時に竹ヒゴに引っ掛かるのを防ぐための工夫だ。


虎竹魚籠g


鮎魚籠の厚みの事も盛んに話されているのを聞いて、前に虎竹で製作していた魚籠を思い出す。そう言えば、あの渓流釣りのための魚籠も厚みが薄く、腰にピタリと添うように編まれていた。元々は自身も釣りを楽しまれる職人だったから、釣り人の事はよく理解されていたのだろう。


高津川の鮎魚籠


竹虎にある鮎籠とは全く異なる形、いやどこの魚籠とも恐らく似ていなくて、一つしか残っていないかもと思っていた不思議な鮎魚籠が3個ならんでいる。もしかしたら、この高津川流域には、まだ昔ながらの同じ籠を使っておられる川漁師さんがいるのだろうか?籠は黙って答えてくれない(笑)。





続・高津川の鮎魚籠

高津川の鮎


小さい頃には鮎がキライだった。自宅の勝手口には、父が新荘川で捕ってくる鮎のための専用冷凍庫があったくらいだから、季節には毎晩のように食卓には鮎が並ぶ。独特の苦みも子供心には、一体どこが美味しいのか?とずっと思っていた。ところが大人になって、連れて行ってもらった山奥のお店で頂いた鮎が感動するほどの味で、一気に大好きになった。そんな大好物の鮎が目の前にならんでいる。達人のお宅では、低温でじっくり素揚げした鮎に醤油を少しだけ垂らして食するのが定番だそうだ。旨い!とにかく旨かった、高津川の鮎...凄い。


鮎籠


何匹か食べて、ふと我に返る。これが心の片隅に不思議な魚籠として、ずっと引っ掛かっている高津川の鮎魚籠に入れられていた鮎か!そう思うと更に箸がすすんだ。


高津川の鮎漁投網


すっかり漁師の顔になった達人が、投網を見せてくれる。父が使っていたものと同じような網で懐かしい、重りなどパーツを沢山入れた箱もあるから自作されるのだろうか、そういえば夜なべに父も何やら作っていた。


高津川の鮎漁投網


新荘川の鮎漁では、たしか投網を投げてから岸辺に網をあげてから鮎を外していた。しかし、こちらでは川の中で鮎を外すそうだ、その方が鮎が傷まないと言われる。なるほど、だから魚籠が必要なのか、それにしても話を聞いている内に漁の様子も拝見したくなった。


高津川の鮎


高津川の不思議な鮎魚籠の謎が知りたくて来たけれど、鮎魚籠を知るには、作る方、使う方、そして鮎、地域を知らねば辿りつけないのだと感じた。皿の鮎はみるみる無くなった。
(明日の30年ブログにつづく)





高津川の鮎魚籠

高津川の鮎魚籠


島根県を流れる高津川は、日本で唯一つダムのない一級河川として知られ、美しい流れの中で豊かな川の恵みが育まれている。高知にも最後の清流四万十川があって鮎は有名だが、高津川流域の鮎も特産のとして全国に知られており、地元で長年漁をされてきた人たちの川への愛情や思い入れは凄いものを感じる。


高津川の魚籠職人


そんな一つの表れが、山口県との県境に近い山間地域で昔から伝統的に編まれてきた独特の形の鮎魚籠だろう。もう随分と前に、最後の職人さんにお会いした事があり、お願いして一つ編んでもらった。その時にも、色々とお話をお伺いしたけれど、先人の魚籠を見よう見真似で作っておられて、どうしてこのような形状の籠になったのかは分からず仕舞いで不思議に思っていた。


棕櫚のかえし


この鮎魚籠を、どこかにないかと探しておられる鮎漁の達人がいた。50年に渡って川漁をされてきた方で、鮎の産地を彼方こちらと全国探してみてもこのようなユニークな籠はどこにも見つからなかった。


高津川の鮎籠


しかし、毎年6月1日の解禁から9月末までの漁期には、投網漁をされるこのベテランの方なら、もしかしたら高津川の鮎魚籠について何かご存じの事もあるのではないか?そんな思いがあって山道を訪ねて行った。職人さんも、この鮎魚籠には50匹の鮎が入ると話していた、しかし、そんなに入るのたろうか?ずっと疑問だった。実は、自分の父も須崎市を流れる新荘川で長く投網漁をしていたので鮎の事は多少知っているつもりだった。


ところが、詳しく聞いてみると捕まえる鮎が60~70グラムの自分が思うより小振りなものなのだ。これくらいのサイズが骨も柔らかくて、そのまま食せるから良いのだと言う。あまり入れると重たくなるから一度に入れる鮎の重さが4キロ程度、という事は小さいように見えて籠の中には60匹の鮎が入る事になる。その際にこの特殊な形状の魚籠だと、鮎にキズがつかないから重宝するらしい。不思議な高津川の魚籠については書ききれないので、又明日にします(笑)。
(明日の30年ブログにつづく)





自然素材最強、シダ編み茶碗籠

シダ編み籠


シダ編み籠と聞いても、ピンと来る方がどれくらいいるだろうか?紅葉狩りの季節でもあったので、休日に近くの山に出かけたり、趣味でトレッキングなどされる方も多いのでシダをご存知の方は多いと思う。そんな皆様が普通に見かけるシダを使った籠がかつては編まれていて、耐水性の高さから茶碗籠や脱衣籠などとして多用されていたのだ。


籠


南北に長い日本では、その地域で手に入りやすい素材を使って実に様々な籠が編まれて暮らしの中で愛用されて来た。竹と一口に言っても真竹や淡竹など大型の竹材と、細い小型のメゴ笹(カグラササ)では性質が全く異なり、編み上がる籠が違う。


メゴ笹洗濯籠


メゴ笹は細い丸竹そのままに籠に使うので、ツルツルした竹表皮(ちなみにメゴ笹は、「笹」と付いているがタケ類)を活かした籠になる。比較的に長い竹材が取れるから大型の籠も編める、湿気にも強く、毛羽立ちもないので洗濯籠などに使われる。


シダ編み籠


シダは、天然のプラスチックと呼びたいほどの防水性を持ったヒゴが特徴だ。ちょうど秋口から冬場にかけてがシダの伐採の季節だが、茎の長い物ばかりがある訳ではない。昔のように、シダ屋さんがあってそれぞれの長さを素材を揃えてくれている訳ではない。自然に生えている素材の長さや、性質を見ながら籠を編むので出来あがる籠のサイズには結構差があったりする。


それでも、水切り籠として自然素材最強の耐水性を誇る機能性と美しさは魅力的だ。古民家で、真っ黒くなった籠はシダで編まれたものだった、囲炉裏の生活で煤けた事もあるのだけれど、シダも使い込むと何とも言えない経年変色と艶がでてくる。知らない世代には、是非伝えたい日本の逸品なのだ。





篠竹細工、謎の黒いライン

篠竹底編み足付ざる


篠竹底編み足付ざる等、篠竹細工には竹材の強さと粘りを活かした秀逸な籠やざるが多い。近年開花があって材料不足となっているスズ竹と混同される方もおられるけれど、「真竹より篠竹、篠竹よりスズ竹、スズ竹より根曲竹」という言葉があるように、篠竹とスズ竹は全く異なる竹だ。


篠竹魚籠


篠竹とスズ竹が混同されがちなのは、竹ヒゴにしてしまうと見分けがつかないくらい似ているからだ。産地では篠竹を伐採した後、細いヒゴにしたものを内職の編み子さんに配って籠作りをしていた歴史がある。しかし、長く編みの仕事に携わって来られた職人さんでも、どちらの竹か区別がつかない程に似たものもあるそうだ。確かに、そう言われてみたら仕事場の隅に置いてある使い込まれた魚籠も、篠竹か?スズ竹か?竹ヒゴの状態では分かりづらいのかも知れない。


篠竹素材


しかし、今日はそんなお話ではなく、篠竹細工に入れられる不思議な黒い竹ヒゴの話題だ。何気に見ているので、そんな黒い竹ヒゴなどあったかなあ?と思われる方も多いと思う。竹編みの仕事で出来た焚き付けにする端材を、こうして丁寧に片付けている几帳面な古老に訊ねてみても、理由は何故だか分からない。


篠竹細工


何かの法則性のようなものも無く、まるで気まぐれのようにも感じるくらい黒い竹ヒゴが入っている籠があれば、入っていない籠もある。いや、近年は入っていない籠やザルの方が圧倒的に多い。


篠竹


淡竹や真竹の竹質の変化を感じるが、篠竹の品質も年々落ちていると言う。温暖化など気候変化の影響だろうか、昔はこのような黒い汚れのようなシミなど付いている篠竹は少なかった。


篠竹細工職人


そう話しながら、ストーブの横で黒い汚れを一本一本刃物で磨いている。


篠竹ヒゴ


だから、もちろん工房の天井に保管されている色の付いた竹ヒゴは、あえて染め付けて黒くしているのだ。近年は染粉で色付けしているけれど、その昔は松の葉を燃やした煙に燻して色付けしていたらしい。


篠竹細工


黒い竹ヒゴだけでなく、赤く染められた竹ヒゴが使われる事もある。一体これは何だろう?ただの飾りなのか、何かの意味合いがあるのか、現代では恐らく明確な答えを知る人はいないような気がする。そして、まるで篠竹特有の竹ひごのあしらいのように話してきたけれど、実は真竹の籠にも同じような色ヒゴが使われているから、やはり竹は奥が深い。





山芋籠と背負い籠

山芋籠、背負い籠


思えば子供の頃から、山の恵みをいっぱい受けて育った世代だと思う。ビワやミカン、ヤマモモなどお腹いっぱい食べられたし、珍しいところではグイミなんて言う果実もあった。そんな中でもアケビは、少なくて森の中を結構探し回った覚えがある。山の職人さんから立派な山芋を頂いて、そんな事を思い出していたが、最近はあまり行かなくなったものの黄色く色づいた山芋の葉を見かける度に、ついつい蔓の行き先を探してしまうくらい、山芋堀りも楽しいものだ。


根曲竹背負い籠


苦労して掘った大切な山芋を長いまま持ち帰るための背負い籠があれば、強靭な根曲竹で編まれた大振りの背負い籠もある。丈夫な竹材なので、この大きさの籠に芋でもカボチャでも中身の詰まった重たい野菜でも、しっかり詰め込んでも楽々運べてしまう。


二重背負い籠


今ではほとんど見かける事のない、二重編みになった背負い籠まであったから、活躍できていた当時は少しでも沢山の荷物を運びたいという思いだったに違いない。


真竹背負い籠


今年はじめて見た対馬で編まれた背負い籠、シモゾウという真っ直ぐに伸びて丸く曲がる木材を使って口巻部分が作られている。縦ヒゴに矢竹、横編みに淡竹を使い編まれている。


六ツ目編み背負い籠


六ツ目編みの玉入れ籠と同じサイズだけれど、背負い籠には縦に力竹を加えて強度を上げている。この籠と同じ形で、驚くほど大きなサイズの籠を製作させて頂いた事があった、一体何に使われるのか?と不思議に思って聞いてみたら、確か広い公園の管理か何かで枯れ葉を集めるのに使われるとの事だった。


角背負い籠


さて、自転車籠とも呼ばれてプラスチックのコンテナが出回るまでは、全国各地で使われていた御用籠がある。何でも入れて運べる万能籠として大活躍していて、この籠を背負って毎週のように来られていた行商のおばちゃんが懐かしい。風呂敷をほどいて、使い込まれ手色艶の良くなった角籠が姿をみせると、玄関先がプ~ンと鰹節の香りに包まれたのは忘れられない。


だからだろうか?どうしても復活させたくて、年末か新年には背負い籠として皆様にご紹介できるように準備している。大事な商品を入れていく仕事道具として、最高に頼りになるパートナーだったろうと、今頃になって思っている。





何倍も良くなった!?見事復活、残された2個のサクランボ籠

修理完了サクランボ籠


その後のサクランボ籠が気になられている方はいないだろうか?「その後」と言っても、つい先月の事なのだが事情をご存知ない方のためにお話しすると、修理のために3個届いたサクランボ籠があったのだが、持ち主の農家さんは傷みの少ない1個だけ手直しして、後は処分して欲しいとの事だった。


サクランボ籠修理


届けて頂いた竹籠は国産の物ではなかったものの、本当に良く使い込まれていて長年仕事に頑張って来たのが良く伝わる籠だった。なので、自分達には、どうしても捨てる事などできない。最初の一個を修理して農家さんにご覧いただければ、残りの2個も同じように修理するオーダーが来るのではないかと願いながら待っていた。


修理前のサクランボ籠


そしたら、願いが通じたのか(笑)、残り2個も修理依頼を頂く事ができた。綺麗に仕上がった籠を、お届けできるようになったのでご連絡したけれど、最初に捨ててしまおうと思われるのも、これほど壊れてしまった元の籠を見れば仕方ないかも知れない。


竹細工の良い所のひとつは、こうして修繕すれば新しい籠のように使う事が出来る事だ。むしろ、完成したサクランボ籠は、前よりも何倍も格好イイのではないだろうか。今回、誰よりも自分達が籠を手直ししたいと思ったので、手間や素材代金を考えれば大赤字だ、しかし満足している。





続・使い込まれたサクランボ籠の修理

腰籠修理


サクランボ農家のお客様からお預かりしていた、収穫用の腰籠修理が完成した。この竹籠は国産ではないものの、真竹に似た竹材が使われているので普通なら白竹を使い手直しする所だが、さすがに竹虎らしく口部分にも、力竹にも虎斑竹が使われている。


使い込まれたサクランボ籠の修理


これなら、日本全国どこで見かけても必ず竹虎で修理したの分かるのではないか(笑)。竹材の中でも割高になっている虎竹を、こうして贅沢に使用できるのは、素材が工場の中に潤沢にあって選別しながら加工できる竹虎しかないからだ。


サクランボ籠破損


完成したサクランボ籠と、修理前の籠を見比べていただきたい。このように口部分が外れてしまい、籐の代わりにPP(ポリプロピレン)で巻かれた口巻も完全にほどけた状態だった。


使い込まれたサクランボ籠の修理


修理は当社に一任していただけているので、口部分を新しく製作すると共に、大切なサクランボの重さをしっかり籠で支えられるように力竹を二本通す事にした。これで腰籠への安心感、信頼性が全然違う、収穫に専念できるのではないかと思う。


腰籠角の穴


それでは、籠で一番傷みやすい場所と自分がいつも言っている底の四隅はどうだろうか?大きな穴が開いていたりもした、これは現場で仕事していれば仕方ない、長く働いた証ともいえる。


サクランボ籠修理


この四隅には、しっかりと籐かがりで補強を入れた。国産の竹籠には、最初から負荷のかかる箇所にはこのようなあしらいをしているから、輸入の竹細工との耐久性の違いはこの辺りにある。


腰籠修理、竹虎四代目(山岸義浩)


こうして修理が完成したサクランボ籠。紐を通せば腰籠として今まで以上にガンガンお使いになられても、ずっと長くご愛用いただけるのではないかと思う。


さて、実は竹虎に送られて来た修理の籠は3個だった。


「1個だけ修理して欲しい、あとの2個は処分してください。」


ところが、自分達はこんな頑張って来た竹籠を捨てられない。たとえ、国産でなくとも気持ちは変わらない。けれど、このように綺麗に修理できる事を知ってもらえれば、きっと残りの2個も同じように修理して下さいと、農家の方に言って頂けると信じていた。


そして後日、修理した籠をご覧になられて、農家さんは思っていた通りに後の2個の修理も依頼された。今度の2個は急がない、虎竹の里では竹林での仕事が少しづつ始まってくる。この籠達の出番は来年の6月だから、仕事の合間をみながら手直しする予定です。